ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ
アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う
いまさら、自分を変えようとしてはならない。そんなのは、うまくいくわけがない
自然は無限に分割された神である。神と自然は、完全に相等しい二つの偉大な力である
「夢は全部かなう」って僕は言うし、今でもそう本気で信じてる。夢はかならずかなう。かなわない夢はないよ。これ、本気だよ?1ミリもブレたことがない。100パーセント、誰の夢もかないます。
私は仕事をしているとくつろげる。何もしていなかったり、訪問客の相手をしていたりすると疲れる
忠誠心を買うことはできない。獲得すべきものである。金の力で引き留めようとすれば、引き留められた者が誘惑に対する自分の弱さを会社のせいにするだけである
犬や猫は偶然など当たり前のこととして、偶然の海をゆったりと泳いでいるのではないだろうか
人生には不愉快な事柄が多い。だからこれ以上、不愉快なものを作る必要はない
高松の不良の皆さんこんばんは!(高知ライヴにて)
自分にとっていちばん面白いのは、思いもしないものに出会うことだ。自分の思いを超えたものにめぐり合うことである。何故それが面白いかといえば、そのことで自分が広がっていく快感があるからである
経営者がかならず身につけておかなければいけない、大事な要素がひとつだけある。それは品性である
芸術家は自然の親友である。草花は茎の優美な曲線と花びらの調和のとれた色合いで芸術と対話をする。どの花にも、自然が芸術家に心から語りかける言葉があるのだ
私が生きているのは国王のため、スペインのため、カタロニアのためだ。天才は決して死なない。人類の進化は我々の手中にある。国王、万歳!スペイン、万歳!カタロニア万歳!
考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく
「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね
孤独であって、充実している、そういうのが人間だ
ど・ち・ら・に・し・よ・う・か・な・か・み・さ・ま・の・い・う・と・お・り…決まった… 赤や…!
勝負をしない奴には勝ちも負けもないと思ってるんだろ? でもそれは間違いだ。勝負できない奴はもう負けてるんだよ
理論というものは現実に従って変化していく
俺がホントについてるなぁとか幸せだなぁとか思うのは、周りにそうやって怒ってくれる人がたーくさんいるんですよね
神童。それは多くの場合、非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである
何百万枚も売れるロックなんて、あんましロックじゃない
俺はあまり友達付き合いが得意ではないから友達が多くはないけれど、バンドだけが自分の居場所だったのがそうではなくなった今、「バンドがないと生きていけない」みたいに重たく考えなくなった。もちろんバンドはめっちゃくちゃ大事なんだけど、なんていうか、すがりつかなくなったっていうのかな
決断の場面においてはトップは常に孤独である
女は変幻自在。それを面白がるしかないでしょ。もっと小気味よく生きる女性が増えたらいいなって、ずっと思っていました
アクシデントが起きると、人はそれを変えようとするが、人には変えることが出来ない。アクシデントが人の内面を明らかにするだけだ
期限までに毎日どのくらいのペースでやっていかなければならないか考える
芸術家とは、不滅の存在である。刑務所や強制収容所に入れられていても、芸術の世界に身を沈めていれば、私は全能でいられる。たとえ、ほこりまみれの牢屋で濡れた舌を使って絵を描かねばならぬとしても
ビートルズとか音楽は、暗いほう暗いほうに行きがちな自分を包んでくれる
すべての偉大な成功は、地味で面倒な事の積み重ねの上に成り立っている
昨日を守ること、すなわちイノベーションを行わないことのほうが明日をつくることよりも大きなリスクを伴う
まっすぐ進めば早く着く! ときには楽しい寄り道も! アナタが自分で選んで、納得できる道を進もう
ゲームと違って、人生には決まった攻略法はありません
感情が伴わない作品は、芸術ではない
Count your age by friends, not years. Count your life by smiles, not tears.
年ではなく友人で年齢を数え、涙ではなく笑顔で人生を数えようよ。
芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる
音楽は、常に論理と感性、車の両輪で出来る
確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動しなさい。そうすれば次第に本物の確信が生まれてくる
上司を過大評価することはあってもいいが、決して過小評価するな
退屈を怖がってちゃいけない
映画を観てる時もご飯食べてる時も漫画読んでる時も友達と喋ってる時も、なんにもしていない時なんて特に、いつもいつも音楽のことを考えてる
幼稚な心を取り去らなければならない。自己の修業を怠り、父母への依頼心を持つなどは幼稚な心である
最高で当たり前なんだよ
否定する材料を探したいんでしょうね。色々言おうと思えば言える材料がたまたまそろっているから、面白おかしくおっしゃりたいんじゃないでしょうか。それで私の何が奪えるというのだっていう感じですよね。
集中するための第一の原則は、もはや生産的でなくなった過去のものを捨てることである。そのためには、自らの仕事と部下の仕事を定期的に見直し、「まだ行っていなかったとして、いまこれに手を付けるか」と問わなければならない
希望と失望は同じものですよね? 心が優しい人ほど毎日泣いていて幸せな時間ほど早く過ぎて、失望したことがない人は希望の意味を知らないし。同じものなんですよね。だから、俺はひたすら希望を綴っているだけなんです
偉大な精神は、静かに忍耐する事を知っている
経営者は常に現実的でなければならない
悪行の呪いは、絶えずそれが悪を産まざるをえないところにある
僕は一生のうちに一晩でいいからあんなふうに歌えたら、死んでもいいと思った。
楽しいと思った瞬間、そこがゴール
見るために、私は目を閉じる
トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくる
誰のために創るんだろう。考えたことあるか。自分のために?そんなの甘っちょろいよ。植木づくりでもやるんならそれでいいんだ。金のために?だったら創るより早いやり方がいくらでもあるだろう
のめり込み過ぎちゃうと、いざ自分が何か失敗した時に逃げ道がなくなって、音楽で失敗することが怖くなっちゃう
ああ、俺にもできそうだ!
石狩は、日本のサンフランシスコだー!(第一回RSRにて)
人間は、「自分でなければ出来ない」と錯覚していることが多すぎる
自分には絶対に音楽の才能があるんだと思いながらやってます
どんな顔の人だって輝くときはとてもいい顔だ。どんな美形だってつまらない人間では、それほど美しくもないぜ。
自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。なければ尚いい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ
自分の中に炎を持ち、魂を抱えているのに、どうして、閉じ込めておくことが出来ようか
大丈夫。君は愛されてる。全て上手くいってるんだ。何も心配する事はないよ。君は自信持って笑ってればいいのさ。
時間を管理するには、まず自らの時間をどのように使っているかを知らなければならない
裏切られたなら落胆を味わえばいい。信じた先の素晴らしさを俺は知ってるから。
すべての偉大な画家はみな空間を探ります。厚みの観念の中にこそ彼らの力は宿るのです
真のイノベーションと新奇さを混同してはいけない。イノベーションは価値を生む。新奇さは面白いだけである。ところが組織の多くが毎日同じことを行い、毎日同じものをつくることに飽きたというだけで、新奇なものに取り組んでしまう
いいんだよ。 消えないもんは消えないままで。 消えないもんを消そうっていうのは嘘だから。 だって傷は癒えるったってそんな簡単に癒えるわけないじゃん。 傷を負ったっていう過去は消えないんだよ。 消えない傷を持ってて、でもそれは今を生きてる証拠なんだと。
ミュージシャンなんて死ぬほどいっぱいいるじゃないですか。そんな中で俺らの曲を見つけてくれてね、自分が求めてるものがあるってなんとなく感じて、その中から探そうって思ったその感覚がまずその人の才能であり、努力だったんじゃねぇかな。
「桃太郎ってどこにいるの? 山? (客:『家にいるよ!』) 今度見せて。」(岡山ライブにて)
非合理的な顧客なるものは存在しない。顧客は、顧客にとっての現実にもとづいて合理的に行動している
40歳になって「来た来た!」と思っています。40歳からが私に似合う年齢だと思っていましたから、それまで、どうやって時間をつぶしたらいいかと長く苦しんでいました。
青年は決して安全な株を買ってはならない
壊れたギリシアの彫刻は、多くの傑作に分かたれた傑作です
東芝で電話番しながら、すごいハッタリ言ってました。「やれば売れるって誰に言ったら分かってくれる?何でも歌うよ?社長呼んできてよ!!」って。
マネジメントたる者は、共に働く者から自らの仕事を教わらなければならない
「五稜郭ジャンキーズ! 」「みんな、牛好きかー?!ジンギスカーン!」(札幌ライブにて)
I do not want the peace which passeth understanding, I want the understanding which bringeth peace.
私は理解を超えた平穏を求めているのではありません。むしろ、平穏をもたらす理解を求めています。