


弱気になる瞬間も多いけど、そんな時は過去のライブ映像を観たりしてます

カニバリズムは最も明確な優しさの表現のひとつだ

お金って、ただの道具じゃないですか

長く生きてるほうが絶対おもしろいよ

自分があまりにも日本語を知らな過ぎることがコンプレックスでした

芸術作品は、部屋を飾るためにあるのではない。敵との闘争における武器なのだ

「久しぶりィ、四つの国ィ」「サロンでキティだぜ!」(松山サロンキティライブにて)

組織に働く者は、成果に何も寄与しないが無視できない仕事に時間をとられる。膨大な時間が、ほとんど役に立たない仕事、あるいはまったく役に立たない仕事に費やされている

Reality leaves a lot to the imagination.
現実は、その多くを想像に委ねている。

I used to think that anyone doing anything weird was weird. I suddenly realized that anyone doing anything weird wasn’t weird at all and it was the people saying they were weird that were weird.
かつて私は何か奇妙なことをしている人は全員奇妙だと思っていた。突然気づいたんだけど、実際には何か奇妙なことをしている人はまったく奇妙ではなくて、彼らを奇妙だと言っている人こそが奇妙だということに気づいたんだ。

創造の泉を自分の内に持っていれば、書きたいものを書き続けられる

回教徒が寺院に入るとき靴を脱ぐように、私は仕事中、ドアの外に肉体を置いてくる

わがままさっていうのはさ、必要なんじゃねえかなあ

スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する

人間、しがみついてでも、這いつくばってでも、生きることに価値があるんだ。分かるか?

徳川家康や武田信玄の本読むけどさ、こんなふうにやって生きて天下とったって、70・80で死ぬわけだしさ。

言いたいことは言う。 その時は心を込めて言う。

人は幸運の時は偉大に見えるかもしれないが、真に向上するのは不運の時である

お前らの人生がライブハウスみたいだったらいいなぁ。おされたり、ぶつかり合ったり、倒れちゃったりして、でも自分の力で立ち上がったり、時には周りの人に助けられたりしながら起き上がって、次の瞬間にはものっすごい笑顔で前を向いてる。お前らの人生がそんなだったらいいなぁ

運命に耐えているとき、そこに真理が見える

どうだ。内地の腰抜けのオッサンのパンチは痛かったか?

(どんな時に曲が思い浮かぶ?)ほっといて、浮かんでくるのを待つ

(音楽にスーパースターは必要?という質問に対し)自分がなればいいんじゃないッスか、自分にとってね。そう思えないヤツはずっと誰かの真似になっちゃうんじゃないかな。

日本語はロックにならない。英語じゃなきゃダメだって言い切ってた奴らがいたじゃん。そんなことないのね。日本語にだってリズムがあるし、ロックになるんだ。

成果をあげるための秘訣をひとつだけ挙げるならば、それは集中である

God is a concept by which we measure our pain.
神は痛みを測る概念にすぎない。

私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている

この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ

「これをやりてえ」ってことが増えると、そうやってお茶を濁してる時間はなくなってくる

生産性を向上させるためにまず問うべきは、何が目的か、何を実現させようとしているか、なぜそれを行うかである

何十年先も俺たちの曲は君のそばにいる

女性はやっぱり、おいしそうなものにクンクンって吸い寄せられて、それで満腹になったら飽きて、別の方に行って。そういう風に生きていくものだと思うんです

死に方は生き方、生き方は死に方。

コーヒーのブラックが飲めない。頭が痛くなるから

現代人の欠点は自分の職業に愛と誇りを持っていないことである。多くの人が職業を必要悪の労役苦役と考えている

子供の頃からやりたいことは変わってなくて、それができるようになるのが大人

お金なかったのでお母さんのお兄ちゃんにトラック運転してもらってトラックで上京した

理論というものは現実に従って変化していく

ツアーなのにウィークデーに東京に戻ってくるのは、旅している感じが全然しないんだよね。車で走り回って、その土地の美味くて安いものを探しにいく。夜はそこで待っている仲間たちと音楽を楽しんで、酒を飲んで寝るみたいな3ヶ月。こんな人生、なかなかないでしょう

「満足」って言葉は究極以外使っちゃいけないんだよ

自分が歌っていて気持ちよかったり、いい歌詞が書けたかも知れないなって思う瞬間を大事にしたい。

人生で起こりうる悪いことは二つしかない。パブロ・ピカソになることか、サルバドール・ダリになれないこと

夢見ることをやめてはいけない

生きたくても生きれねぇ奴がいるんだって そんなんも考えないで生きてる気になんなって

有益な言葉は飾り気のない口から出ることが多い

ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです

間違いは神聖なもの、それを正すというよりは合理的に考え、誤りを理解せよ。そうすれば間違いを昇華することが可能になる

自分の中に炎を持ち、魂を抱えているのに、どうして、閉じ込めておくことが出来ようか

It is for us to pray not for tasks equal to our powers, but for powers equal to our tasks, to go forward with a great desire forever beating at the door of our hearts as we travel toward our distant goal.
私たちは、自分の力に見合った課題を願うのではなく、課題に見合った力を願うべきです。心の扉を叩き続ける強い願望と共に、遠い目標に向かって旅を進めるのです。

路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね

シュルレアリズムは破壊的だ。しかし、それは我々のビジョンを限定する錠の留め金とみなされるものだけを破壊するものだ

『大切な人の死』という出来事は、大切な人が自分にくれる最後のプレゼントだと思います。どんな形の死であれ、僕はそう思います。だからこのプレゼントをいつまでも大切に愛することができます。

線の芸術と色の芸術とがあるように、言葉の芸術だってそれより劣るものじゃない

「林檎」は筆名で。17ぐらいの時に。「少女A」みたいな名前だから、実際に何言われても平気。

たぶん不安とかっていう感情は、こう、戦う覚悟を決めないで中途半端な気持ちでその先に進もうとするから生まれるものだと思うんだ。どーせ逃げもしねぇくせに戦う覚悟をきめないから。だから、おまえら、覚悟決めろよ

商業的に音楽を作ろうと思ってしまったら、多分やる気をなくします。

後継者を自分一人で選んではならない。どうしても20年前の自分に似た者を選びたくなる

やるからにはナンバーワンを目指したい

どの曲も全力でやって一番いいと思えるものを出している

幸せを手に入れるんじゃない、幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ

閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ

何事も、上手く進まないときは、停滞の時期ではなく、変化の時期だ。

画家がどれだけ素晴らしいパレットを持っていても意味がない。大事なのは、どんな眼を持っているかなんだ

テクニックばかりに気を取られる人たちは全ておいてミスをする

壁は自分自身だ

運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない

自分の夢に必要やと思えるもの、好きやと思えるものには一生懸命になったらいい。

熱帯の夜の静寂の中で、私が私の心からの囁きと柔軟な音楽を聞くことができます

明日のための今日ではなく、今日のための今日ですよ

兄弟は、塀の中で死ぬようなタマやない。あいつは必ず戻ってくる。……俺を殺しにな。
