
芸術家


インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ

孤独の中では何もできることはない

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする

スタイルとは、複雑なことを表現するための簡単な方法だ

世間が決して飽きない唯一のものは誇張表現だ

人は、若くても年をとっても、絶えず成長したり変化したりしていますよね。固定したものはないんですね。だから、今、面白くないものは、あえて見ることもないなっていう気もします

悪魔は悪しか行なうことができないゆえに純粋である

自分の強さを実感している人は、謙虚になる

フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ

自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある

我々は脳をブン投げて、ただ目だけで見ることができればいいのだが

例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ

僕の人生はそれほど長くないだろう。だから僕は一つのことしか目に入らない無知な人となって仕事をするつもりだ。ここ数年のうちに何がしかの仕事をやり遂げてみせる

自然は至上の建築物である。自然の一切は最も美しい釣り合いをもって建てられている

常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ

芸術は、盗作であるか革命であるか、そのいずれかだ

芸術家は自然の親友である。草花は茎の優美な曲線と花びらの調和のとれた色合いで芸術と対話をする。どの花にも、自然が芸術家に心から語りかける言葉があるのだ

自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ

あなたの人生の灰色を消してごらん。そして内に秘めたカラーで彩るんだ

明日描く絵が、一番すばらしい

詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ

ミュージアムをひとつくれ。埋めてやる

ゴッホは美しい。しかしきれいではない。ピカソは美しい。しかし、決してキレイではない

子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ

ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです

文明とは、麻痺状態のことだ

アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う

人間は、毎日生まれ変わる

芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる

眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です

友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる

痛みはいつか消えるが、美は永遠に残る

私は天才になるし、世界は私を称賛するだろう。評価されないかもしれないし、理解されないかもしれない。しかし天才になる、偉大な天才にね。なぜなら私はそのことを確信しているからさ

生きる日のよろこび、悲しみ。一日一日が新しい彩りをもって息づいている

凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです

赤がなければ、青を使います

私の創造の源泉は、私が愛する人々である

やり方を学ぶ

未来は誰のものでもない。先駆者というものはおらず、時間に遅れた者しかいないのだ

私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である

我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?

術は日々の生活の埃(ほこり)を、魂から洗い流してくれる

運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない

僕がしてきたことは、僕たちとって一番いいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない

運命に耐えているとき、そこに真理が見える

絵画というのは手で作った写真だ

頭のおかしい人と私の唯一の違いは私は頭がおかしくないということ

(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です

昔の夢によりかかったり、くよくよすることは、現在を侮辱し、おのれを貧困化することにしかならない

詩人にとって最大の悲劇は、誤解によって賞嘆されることだ

もし仕事というものが、人間にとって生きることのあがないではなく、生きることの目的であったら、人間はどんなに幸福だろう

ユーモアを失わないように戦うのだ。ユーモアの欠如は愚の骨頂だ

秘訣というものはない。ただ正しさの法則があるばかりだ

詩はなくてはならないものだ。ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ

我々は何をするにも、常に自分自身に問わなければならない。もし皆がそうしたら、どんなことになるだろうと

逃げない、はればれと立ち向かう、それが僕のモットーだ

悪貨は良貨を駆逐するという原理と同じで、形式は実質を駆逐する

冒険こそが、わたしの存在理由である

ようやく何かわかりかけてきたような気がする。私はまだ、進歩している

壊れたギリシアの彫刻は、多くの傑作に分かたれた傑作です

他人に興味を持ってもらいたければ挑発しなければならない

芸術は、意識と無意識の融合である

アイディアは出発点以上のものではない。固まったらその先かたちを決めるのは思考だ

自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる

女の顔はキャンバスだ 毎日女は少しだけ若い自画像をそこに描いている

あなたのインスピレーションやイマジネーションを抑えてはならない。模範の奴隷になるな

何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう

私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている

自分の思い通りにしかできないことは、自分の思いだけに閉じ込められるということになる。自分の思い通りが突っ走った結果は、自分が自分の壁の中に閉じ込められて、外気は遮断されて、そのままでは一酸化炭素中毒となってしまう

「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい

みんな神話が好きだ。だから私の絵を愛するのだ

自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである

運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか

芸術家の資格は、智慧と注意と誠実と意志のみである

恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない

私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった

絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ

破壊こそ創造の母だ

僕は口が裂けても、諦めるなどとは言わない

女が愛し、愛されると彼女は変わる。誰も彼女にかまわなくなると、精神が乱れてその魅力が失われる

コレラや尿石や結核や癌は、天上へ行く交通機関

芸術というものは自然の研究に過ぎません。自然です。何もかもそこにあります

なんでもいいから、まずやってみる

僕はいつも自分が純粋に感じたこと、考えたことを、理解されようがされまいがダイレクトにぶつける

全てのものは限られた量しかない。特に幸福は

今回この写真文庫(岩波写真文庫)を一冊ずつ選んで、いまの世から眺めていきながら、時代の空気というものをつくづく感じた。活字、つまり言葉では説明しきれないことが、写真からはぷんぷん匂ってくる。このシリーズは、戦後の空気の貴重な貯蔵庫だ。いまの肥満ぎみの世の中は、じつはこの空気を吸うことからはじまっている。良くも悪くも、この空気がいまの日本人の両親なのだ

明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけ

恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがある

若くなるには時間がかかる

侮辱に悪影響を受けるのは、侮辱に感染しているのだ

あなたの中に、あなたの知らない芸術家がいる。彼は月夜に物事がどの様に違って見えるか興味がないのだ

日本人はやはり全員が五、六歳か、もしくはたんなる訴訟の素材なのだ

芸術に従って芸術を作ってはならぬ

涙が出てきたら、耐えて、苦しんで、そして前進あるのみだ

完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから

猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めていく以外にない

自分の好きな音を勝手に出す、出したい音を出したらいい

絵を描くのは人生に耐えるための手段だ
