
芸術家


悪趣味とはクリエイティブなもので、生物学を知識で操るようなもの

人生で最もすばらしい癒し、それが愛なのだ

恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがある

人生で起こりうる悪いことは二つしかない。パブロ・ピカソになることか、サルバドール・ダリになれないこと

人生には不愉快な事柄が多い。だからこれ以上、不愉快なものを作る必要はない

親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか

手には、物を掴む手と放す手がある

悪貨は良貨を駆逐するという原理と同じで、形式は実質を駆逐する

たとえこの人生が負け戦であろうと、いずれにせよ僕は「良い戦い」をしたい

色彩は、それ自体が何かを表現している

芸術作品は、部屋を飾るためにあるのではない。敵との闘争における武器なのだ

術は日々の生活の埃(ほこり)を、魂から洗い流してくれる

もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない

自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ

すべての偉大な画家はみな空間を探ります。厚みの観念の中にこそ彼らの力は宿るのです

いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ

傑作なのか屑なのかわからない

誰にも何の役にも立たないではないか。絵、展覧会──それがいったい何になる

着物を脱ぐ女性の美しさは、雲を貫く太陽のようだ

虫だって光の好きなのと嫌いなのと二通りあるんだ!人間だって同じだよ、皆が皆明るいなんて不自然さ!

できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である

芸術家とは自分のやっていることに喜びを覚える人のこと。だから、すべての職業に芸術家がいるのが望ましいのだ

人は生涯、同一水準の作品しか書けない

私は絵を描く夢を見、そして私の夢を描く

風景なら その中を散歩したくなるような、女性なら その人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい

人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う

ナマ身で運命と対決して歓喜する。それがほんとうの生命感

見ることと感ずることを知る者は、至る所に常に賛美すべきものを見出すだろう

人間は毅然として、現実の運命に耐えていくべきだ

ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです

確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動しなさい。そうすれば次第に本物の確信が生まれてくる

何よりも辛いのは、永遠に完成することがないということだ

ユーモアを失わないように戦うのだ。ユーモアの欠如は愚の骨頂だ

愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ

6才の時、コックになりたかった。7才の時、ナポレオンになりたかった。そして、私の野心は、それ以来着実に成長し続けている

沈黙は絶叫よりも恐ろしい

これを描いたのはあなたですか?いや、違う。きみたちだ

私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ

大切なことは混沌を拡大することだ。混沌を消し去ってはいけない

私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる

心の底から平気で、出世なんかしなくていいと思っていれば、遠くの方でちぢこまっている犬のようにはみえないんだ

最も美しい主題は君たちの前にある。なぜといえばそれらのものこそ君たちが一番よく知っているからである

絶対に言えるのは、時間が経つとワインと同じで良くなるんです。少々の時間じゃだめだけどね、100年後とかね。何でもない写真でも100年経ったらすごく良く感じるんですよ

あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない

覚めていて夢みることは、眠っていて夢みることとほとんど同じである

人間が生きている社会基盤は、一瞬なりとも安定することなく、さまざまな変動によってつねに変化する

僕はいつも自分が純粋に感じたこと、考えたことを、理解されようがされまいがダイレクトにぶつける

愛は人生において、最も優れた栄養源である

みんな神話が好きだ。だから私の絵を愛するのだ

あなたの中に、あなたの知らない芸術家がいる。彼は月夜に物事がどの様に違って見えるか興味がないのだ

絵の玄人なんていうものは、絵描きに対してロクなアドバイスをしない

壁は自分自身だ

覚えておくんだ。生涯あなたに付き添ってくれる唯一の人はあなた自身なんだ

人生の目的は悟ることではありません。生きるんです

僕たちの小さな情動が僕たちの人生の偉大な船長であることを、また僕たちは意識することなくこの小さな情動にしたがっていることを忘れないようにしよう

なんでもいいから、まずやってみる

眼前のものに深く入ること。そしてできうる限り論理的な自己表現を、忍耐強く行うことです

自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる

いや、40年と30秒だよ

私は天才を自覚している

詩人にとって最大の悲劇は、誤解によって賞嘆されることだ

人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている

自分の写真に、ほんのちょっと言葉をつけたいと思っていて…。はじめは簡単だと思って書いていたんですけど、あくる日にそれを見直してみたら、全然ダメで驚いたんです

あなたのインスピレーションやイマジネーションを抑えてはならない。模範の奴隷になるな

女が愛し、愛されると彼女は変わる。誰も彼女にかまわなくなると、精神が乱れてその魅力が失われる

間違いは神聖なもの、それを正すというよりは合理的に考え、誤りを理解せよ。そうすれば間違いを昇華することが可能になる

同じことを繰り返すくらいなら、死んでしまえ

ノスタルジアに屈してはならない。道に出て、隣町や外国に行くんだ。ただ、痛々しい過去を旅していけない

そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ

僕の人生はそれほど長くないだろう。だから僕は一つのことしか目に入らない無知な人となって仕事をするつもりだ。ここ数年のうちに何がしかの仕事をやり遂げてみせる

人生は意義ある悲劇だ。それで美しいのだ。生き甲斐がある

芸術は醜いものを生み出すが、しばしばそれは時とともに美しくなる。一方、流行は美しいものを生み出すが、それは常に時とともに醜くなる

私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です

批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける

コレラや尿石や結核や癌は、天上へ行く交通機関

生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである

閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ

自然に線は存在しない

人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ

普通、表現の仕事であれば作者というものがいますよね。しかし、トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくるんですよね

運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない

大体、いちばん素晴らしい絵を描くのは四、五才くらいの子どもだよ

情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚を持つんだ

なにが芸術家かって?それを知ってたら、注意深く、ばらさないようにしておくよ

例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ

画家とは売れるものを描く人のことで、アーティストとは描くものが売れる人のことをいう

私は天才になるし、世界は私を称賛するだろう。評価されないかもしれないし、理解されないかもしれない。しかし天才になる、偉大な天才にね。なぜなら私はそのことを確信しているからさ

若くなるには時間がかかる

人間にとって成功とはいったいなんだろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか

気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常

自分には過去も未来もない。ただ現在に生きようが為に絵を描くのである

何びとも信用しない者は、己れ自身が信用されていないことを知っている

全然文明化されていない環境と孤独が、死の間際にいたり、私の内部で、最後の熱情のひらめきを復活させるのです。そしてその熱情こそ、私の想像力を、今いちど燃やし、私の才能を、最後の出口へと導いてくれるものなのです

スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する

自分の中に炎を持ち、魂を抱えているのに、どうして、閉じ込めておくことが出来ようか

むしろ「成功は失敗のもと」と逆に言いたい。その方が、この人生の面白さを正確に言いあてている

大事は寄せ集められた小事によってなされる

誰のために創るんだろう。考えたことあるか。自分のために?そんなの甘っちょろいよ。植木づくりでもやるんならそれでいいんだ。金のために?だったら創るより早いやり方がいくらでもあるだろう
