
芸術家


痛みはいつか消えるが、美は永遠に残る

偶然というのは、結局人間的なことなんじゃないか

人間が生きる限り、死人も生きているんだ

イエスとノーのあいだに真実が息づいている

美術館はちょっとまとまり過ぎてる感じで、博物館的な世界には思わぬものがあるんだよね

確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動しなさい。そうすれば次第に本物の確信が生まれてくる

恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない

愛は永久不滅なもの。姿かたちを変えることはあるが、本質は決して変わらない

若いとき旅をしなければ、老いてからの物語がない

若さと年齢は無関係

「それにしてもあの絵は全然彼女に似ていないな」なに、彼女の方でだんだん絵に似てくるさ

路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね

(死んだら地獄と極楽のとちらに行きたいか?)どっちでもいいさ。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね

インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ

私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている

評価されるなんて一切必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと「音」を出す。これが前提だな

詩はなくてはならないものだ。ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ

悪趣味とはクリエイティブなもので、生物学を知識で操るようなもの

信念のためには、たとえ敗れると分かっていても、おのれを貫くそういう精神の高貴さがなくて、何が人間ぞと僕は言いたいんだ

いかなる創造的活動も、はじめは破壊的活動だ

自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ

明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけ

芸術家は自分の芸術について語ることはできない。植物が園芸を語れないように

努力というのは、恐らく運や偶然を追いつめて縮めて微細なものにしていって、自分で掴まえやすくするためのものではないのかと思うのである

私は大理石の石塊を選び、必要としないものは何でも切り落とす

子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ

芸術が愛らしいものであってなぜいけないんだ?世の中は不愉快なことだらけじゃないか

あなたのインスピレーションやイマジネーションを抑えてはならない。模範の奴隷になるな

芸術は醜いものを生み出すが、しばしばそれは時とともに美しくなる。一方、流行は美しいものを生み出すが、それは常に時とともに醜くなる

芸術作品は、部屋を飾るためにあるのではない。敵との闘争における武器なのだ

ノスタルジアに屈してはならない。道に出て、隣町や外国に行くんだ。ただ、痛々しい過去を旅していけない

自然に線は存在しない

電子辞書は確かに早く正確に引けるが遊びがない。紙の辞書は、引いた語句の両脇の語句が視界に入る。この種のノイズが文化を生む

肝心なのは感動すること、愛すること、希望を持つこと、打ち震えること、生きること。芸術家である以前に、人間であることだ

私は、人生の岐路に立った時、いつも困難な方の道を選んできた

僕は流れるって感じが好きなんだ。固定したものは全然つまらない。人生だってそうだろう?いつも流動的で、何が起こるかわからない。だから面白いんだ

恋する女であれ。そうすれば幸せになれる。神秘的な女であれ。そうすれば幸せになれる

究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある

私は何も発明したりしない。ただ、再発見するだけだ

線の芸術と色の芸術とがあるように、言葉の芸術だってそれより劣るものじゃない

他の人間はなぜそうなったかを問う。私はいつも何ができるのか、なぜできないのかを問う

人間は精神が拡がる時と、閉じこもる時が必ずある。強烈に閉じこもりがちな人ほど逆に広がる時がくる

自分の中で一度燃え上がった想いというのは、止めることが出来ない

侮辱に悪影響を受けるのは、侮辱に感染しているのだ

壁は自分自身だ

自分の強さを実感している人は、謙虚になる

すべては奇跡だ。例えば、お風呂に入ったとき、あなたがお湯に溶けてしまわないことだって

人間と人間との間柄には、愛よりほかの財産はない

人生の目的は悟ることではありません。生きるんです

私は天才になるし、世界は私を称賛するだろう。評価されないかもしれないし、理解されないかもしれない。しかし天才になる、偉大な天才にね。なぜなら私はそのことを確信しているからさ

日本人が何をするにも明確であることが、私にはうらやましい

芸術愛は真の愛情を失わせる

いつでも大空が、自然の果てしないものが私を引きつけ、喜びをもって眺める機会を私に与えてくれる

普通の大人なら、球場はボールが飛んでくるから人にいわれなくても自分で注意する。それができないのは五歳か六歳で、つまりそれがいまの日本人の精神年齢ということだろう

我々は何をするにも、常に自分自身に問わなければならない。もし皆がそうしたら、どんなことになるだろうと

やり方を学ぶ

なんでもいいから、まずやってみる

文明とは、麻痺状態のことだ

富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう

家の仕事をしている女性は、この世でもっとも美しい

忍耐もまた行動の一つの形態だ

近代的になるなんて努力しなくていい。悲惨なことになにをやろうと、唯一避けられないのがことがそれだから

(作品をどのように見て欲しいですか?)ものの見方の色んな角度を感じてもらえたらいいですね

かぶりついて仕事せよ

嫌われることは愛されることより難しい

絵を描くのは人生に耐えるための手段だ

私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です

芸術は悲しみと苦しみから生まれる

芸術家にとって、自然の中に醜いものなど決して存在しない

僕がしてきたことは、僕たちとって一番いいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない

神童などという言葉は、家族のつくったものだ

覚めていて夢みることは、眠っていて夢みることとほとんど同じである

いいんだ。岡本太郎の責任でやるんだから

鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする

毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。「サルバドール・ダリである」という喜びを

眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ

悪貨は良貨を駆逐するという原理と同じで、形式は実質を駆逐する

とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである

愛することは、愛されること

すべての偉大な画家はみな空間を探ります。厚みの観念の中にこそ彼らの力は宿るのです

批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける

真実のほかに美はない

まっさらな目をもて!そして目的を捨てろ!

全然文明化されていない環境と孤独が、死の間際にいたり、私の内部で、最後の熱情のひらめきを復活させるのです。そしてその熱情こそ、私の想像力を、今いちど燃やし、私の才能を、最後の出口へと導いてくれるものなのです

我々は決して悪を選ぶことが出来ない。我々が選ぶのは常に善である

今回この写真文庫(岩波写真文庫)を一冊ずつ選んで、いまの世から眺めていきながら、時代の空気というものをつくづく感じた。活字、つまり言葉では説明しきれないことが、写真からはぷんぷん匂ってくる。このシリーズは、戦後の空気の貴重な貯蔵庫だ。いまの肥満ぎみの世の中は、じつはこの空気を吸うことからはじまっている。良くも悪くも、この空気がいまの日本人の両親なのだ

詩人にとって最大の悲劇は、誤解によって賞嘆されることだ

できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である

画家の質はその人の過去の経験の量に左右される

虫だって光の好きなのと嫌いなのと二通りあるんだ!人間だって同じだよ、皆が皆明るいなんて不自然さ!

自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ

天才になるには天才のふりをすればいい

芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない

私の耳は貝から 海の響きを懐かしむ

本物の画家というのは歴史の騒乱に囲まれながらも洋ナシを根気強く描ける人だ

芸術において不道徳は存在しない。芸術はつねに神聖である

若くなるには時間がかかる
