
芸術家


経験を賢く活かすならば、何事も時間の無駄にはならない

自分の打ったボールがどこへ飛ぼうがかまわない。スカッと飛びさえすれば、いい気持ちなんだ

コンピューターなんて役に立たない。だって、答を出すだけなんだから

真理に年齢はない

いかなる革命も、3日目から堕落が始まる

現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ

子どものころから、四角形に対する漠然とした疑問はありましたね

女の美は性格の中にあるのです。情熱の中にあるのです

忍耐もまた行動の一つの形態だ

何を生命と呼ぶか。あらゆる意味から君を激動させるもの、君を突き貫くもののことである

「志」のない知恵は、翼のない鳥に等しい

芸術家は自分の芸術について語ることはできない。植物が園芸を語れないように

画家がどれだけ素晴らしいパレットを持っていても意味がない。大事なのは、どんな眼を持っているかなんだ

いつでも大空が、自然の果てしないものが私を引きつけ、喜びをもって眺める機会を私に与えてくれる

私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった

夫婦とは二つの半分になるのではなく、一つの全体になる事だ

愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ

挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない

下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか

自分の好きな音を勝手に出す、出したい音を出したらいい

近代的になるなんて努力しなくていい。悲惨なことになにをやろうと、唯一避けられないのがことがそれだから

フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ

本物の画家というのは何もない砂漠で異常なシーンを描ける人だ

創造の最大の敵は「良い」センスだ

猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めていく以外にない

壁は自分自身だ

画家は労働者が働くように勉強しなければならない

ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです

彫刻に独創はいらない。生命がいる

芸術は、盗作であるか革命であるか、そのいずれかだ

私は何も発明したりしない。ただ、再発見するだけだ

いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ

神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ

私は捜し求めない。見出すのだ

なんでもいいから、まずやってみる

冒険こそが、わたしの存在理由である

芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない

自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ

神々と肩を並べるには、たった一つのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ

悪趣味とはクリエイティブなもので、生物学を知識で操るようなもの

仕事は人間に必要だ。だから人は目覚まし時計を発明した

人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う

面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ

信念のためには、たとえ敗れると分かっていても、おのれを貫くそういう精神の高貴さがなくて、何が人間ぞと僕は言いたいんだ

これを描いたのはあなたですか?いや、違う。きみたちだ

わたしは立ち止まりはしない

99回倒されても、100回目に立ち上がればよい

いや、40年と30秒だよ

いいんだ。岡本太郎の責任でやるんだから

傑作なのか屑なのかわからない

とりあえず放送した方がいいというので、日本の世の中には形式だけのアナウンスがわんさと流れている。日本人は形式が好きだ、と思われても仕方のないことだ

アクシデントが起きると、人はそれを変えようとするが、人には変えることが出来ない。アクシデントが人の内面を明らかにするだけだ

我々は決して悪を選ぶことが出来ない。我々が選ぶのは常に善である

普通の大人なら、球場はボールが飛んでくるから人にいわれなくても自分で注意する。それができないのは五歳か六歳で、つまりそれがいまの日本人の精神年齢ということだろう

覚えておくんだ。生涯あなたに付き添ってくれる唯一の人はあなた自身なんだ

ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ

日本人はやはり全員が五、六歳か、もしくはたんなる訴訟の素材なのだ

悪魔は悪しか行なうことができないゆえに純粋である

神を知る最善の方法は、多くの物を愛することだ

自然に生き、自分の気持ちをほんとうに伸ばしてゆこうとすれば、まず、いたるところで残酷に、壁に突きあたる

このまま行けと、僕の中の僕が命じるんだ

もし、黄色と橙色がなければ青色もない

私の創造の源泉は、私が愛する人々である

恋する女であれ。そうすれば幸せになれる。神秘的な女であれ。そうすれば幸せになれる

愛することは、愛されること

僕は口が裂けても、諦めるなどとは言わない

路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね

私は天才になるし、世界は私を称賛するだろう。評価されないかもしれないし、理解されないかもしれない。しかし天才になる、偉大な天才にね。なぜなら私はそのことを確信しているからさ

我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?

私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である

自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある

画家とは売れるものを描く人のことで、アーティストとは描くものが売れる人のことをいう

多くの人が80代まで生きれないのは、彼らが長期に渡って40代で止まろうと努力するからだ

若さと年齢は無関係

生命の一分が過ぎていく!それを在るがままに描き、それをなすためにはあらゆるものを忘れよ!そのものになりきれ・・実際に見るもののイメージを与えよ

人間と人間との間柄には、愛よりほかの財産はない

自分の強さを実感している人は、謙虚になる

明日に引き伸ばせば、それは死んでしまう

むしろ「成功は失敗のもと」と逆に言いたい。その方が、この人生の面白さを正確に言いあてている

現代人の欠点は自分の職業に愛と誇りを持っていないことである。多くの人が職業を必要悪の労役苦役と考えている

着物を脱ぐ女性の美しさは、雲を貫く太陽のようだ

私は天才を自覚している

人間の運命は人間の手中にある

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする

恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない

大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ

アイディアは出発点以上のものではない。固まったらその先かたちを決めるのは思考だ

運命に耐えているとき、そこに真理が見える

親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか

結局芸術の唯一の原則は、見るものを模写することだ

自分が何をやるかさえ確かだったら、少しぐらい待ってもなんでもない

偽の絵描きは、この木、この犬を見ない。木というもの、犬というものを見るだけだ。同じものは何ひとつないのに

我々は自分の内に天使をかくまっている。我々はこの天使の保護者でなくてはならない

いかなる創造的活動も、はじめは破壊的活動だ

人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている

芸術が愛らしいものであってなぜいけないんだ?世の中は不愉快なことだらけじゃないか

絵を描くのは人生に耐えるための手段だ

まっさらな目をもて!そして目的を捨てろ!
