
芸術家


スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する

世間が決して飽きない唯一のものは誇張表現だ

自分の中に炎を持ち、魂を抱えているのに、どうして、閉じ込めておくことが出来ようか

頭のおかしい人と私の唯一の違いは私は頭がおかしくないということ

『自分の謎』で言っているような、自分への不思議な感覚というのはみんなもっているはずだけど、ほかの遊びに忙しくなって、どんどん忘れていっちゃう。でもその感覚ってどこかには残ってるんですね

恋する女であれ。そうすれば幸せになれる。神秘的な女であれ。そうすれば幸せになれる

熱帯の夜の静寂の中で、私が私の心からの囁きと柔軟な音楽を聞くことができます

もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない

絵画というのは手で作った写真だ

術は日々の生活の埃(ほこり)を、魂から洗い流してくれる

人間が生きる限り、死人も生きているんだ

神童などという言葉は、家族のつくったものだ

画家の質はその人の過去の経験の量に左右される

他の人間はなぜそうなったかを問う。私はいつも何ができるのか、なぜできないのかを問う

でたらめをやってごらん。口先では簡単にでたらめなら、と言うけれども、いざでたらめをやろうとすると、それができない

私の創造の源泉は、私が愛する人々である

アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う

「それにしてもあの絵は全然彼女に似ていないな」なに、彼女の方でだんだん絵に似てくるさ

絶対に言えるのは、時間が経つとワインと同じで良くなるんです。少々の時間じゃだめだけどね、100年後とかね。何でもない写真でも100年経ったらすごく良く感じるんですよ

芸術において不道徳は存在しない。芸術はつねに神聖である

絵の玄人なんていうものは、絵描きに対してロクなアドバイスをしない

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

自分が何をやるかさえ確かだったら、少しぐらい待ってもなんでもない

偶然というのは、結局人間的なことなんじゃないか

逃げない、はればれと立ち向かう、それが僕のモットーだ

画家とは売れるものを描く人のことで、アーティストとは描くものが売れる人のことをいう

芸術家とは自分のやっていることに喜びを覚える人のこと。だから、すべての職業に芸術家がいるのが望ましいのだ

私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった

ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです

女が何を考えているのか、すっかりわかれば、男は何千倍も大胆になるだろう

何も真似したくないと思う者は、何も生み出さない

人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う

たとえこの人生が負け戦であろうと、いずれにせよ僕は「良い戦い」をしたい

見るために、私は目を閉じる

できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である

人間が生きている社会基盤は、一瞬なりとも安定することなく、さまざまな変動によってつねに変化する

自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。なければ尚いい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ

あなたのインスピレーションやイマジネーションを抑えてはならない。模範の奴隷になるな

一番美しい絵は、寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、決して実現しない絵だ

人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。これは我々の時代にはびこる病気だ

今回この写真文庫(岩波写真文庫)を一冊ずつ選んで、いまの世から眺めていきながら、時代の空気というものをつくづく感じた。活字、つまり言葉では説明しきれないことが、写真からはぷんぷん匂ってくる。このシリーズは、戦後の空気の貴重な貯蔵庫だ。いまの肥満ぎみの世の中は、じつはこの空気を吸うことからはじまっている。良くも悪くも、この空気がいまの日本人の両親なのだ

女の顔はキャンバスだ 毎日女は少しだけ若い自画像をそこに描いている

眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ

他人を模写するのは必要なことである。しかし、自分を模写するのは哀れなものだ

未来は誰のものでもない。先駆者というものはおらず、時間に遅れた者しかいないのだ

自然は生命を更新するためにのみ死を役立てる

すべては奇跡だ。例えば、お風呂に入ったとき、あなたがお湯に溶けてしまわないことだって

6才の時、コックになりたかった。7才の時、ナポレオンになりたかった。そして、私の野心は、それ以来着実に成長し続けている

我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?

僕は口が裂けても、諦めるなどとは言わない

芸術とは、自然が人間に映ったものです。大事なことは、鏡をみがくことです

いかなる革命も、3日目から堕落が始まる

富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう

僕の人生はそれほど長くないだろう。だから僕は一つのことしか目に入らない無知な人となって仕事をするつもりだ。ここ数年のうちに何がしかの仕事をやり遂げてみせる

予感というのも、努力の重なりの上に出来る、透明な上澄みのような感覚だと思う

あなたの中に、あなたの知らない芸術家がいる。彼は月夜に物事がどの様に違って見えるか興味がないのだ

自然に線は存在しない

モネは、ひとえに眼にほかならない。しかし、何という眼だろう

芸術は悲しみと苦しみから生まれる

人生で起こりうる悪いことは二つしかない。パブロ・ピカソになることか、サルバドール・ダリになれないこと

覚えておくんだ。生涯あなたに付き添ってくれる唯一の人はあなた自身なんだ

世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく

絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ

芸術家は自然の親友である。草花は茎の優美な曲線と花びらの調和のとれた色合いで芸術と対話をする。どの花にも、自然が芸術家に心から語りかける言葉があるのだ

親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか

侮辱に悪影響を受けるのは、侮辱に感染しているのだ

ただこの世の中に生まれてきたから、惰性で生きてるなんて、そんなやつは、生きてる必要ない

心の底から平気で、出世なんかしなくていいと思っていれば、遠くの方でちぢこまっている犬のようにはみえないんだ

自分の好きな音を勝手に出す、出したい音を出したらいい

子どものころから、四角形に対する漠然とした疑問はありましたね

芸術というものは自然の研究に過ぎません。自然です。何もかもそこにあります

同じことを繰り返すくらいなら、死んでしまえ

(死んだら地獄と極楽のとちらに行きたいか?)どっちでもいいさ。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね

線の芸術と色の芸術とがあるように、言葉の芸術だってそれより劣るものじゃない

本物の画家というのは何もない砂漠で異常なシーンを描ける人だ

創造性の最大の敵は良きセンスだ

私は同時に他人の自由をも目標にするのでなければ、自分の自由を目標にすることはできない

やり方を学ぶ

我々は自分たちを巡る奥深い知られざる者の真ん中にいて、絶えず昏迷する

人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ

閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ

自分の価値観を持って生きるってことは嫌われても当たり前なんだ

詩人は未来を回想する

夫婦とは二つの半分になるのではなく、一つの全体になる事だ

自由であるとは、自由であるべく呪われていることである

「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい

見ることと感ずることを知る者は、至る所に常に賛美すべきものを見出すだろう

私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ

(カメラは)カビたり錆びたりもしますから、送られてきたお菓子とかに入っているシリカゲルを棚に入れたりしています。まあ、普通に置いてます

本当を言えば、すべてが思想で、すべてが象徴である

私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ

愛は人生において、最も優れた栄養源である

自分にとっていちばん面白いのは、思いもしないものに出会うことだ。自分の思いを超えたものにめぐり合うことである。何故それが面白いかといえば、そのことで自分が広がっていく快感があるからである

現在持っているものに満足しない者は、持ちたいと思っているものを手に入れたところで、満足しないだろう

自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ

たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ

愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ

自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです
