
芸術家


私は、人生の岐路に立った時、いつも困難な方の道を選んできた

そもそも不用のものや、そこに転がっているものに「妙なもの」があるんです。これは「妙なもの」としか言いようがないんですけど、それは、まだ誰も見ていないということもあって、それを発見するのが面白かったんですね

私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった

百の欠点を無くしている暇があるなら、一つの長所を伸した方がいい

著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ

究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある

明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけ

本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される

神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ

私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ

自分の写真に、ほんのちょっと言葉をつけたいと思っていて…。はじめは簡単だと思って書いていたんですけど、あくる日にそれを見直してみたら、全然ダメで驚いたんです

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている

ノスタルジアに屈してはならない。道に出て、隣町や外国に行くんだ。ただ、痛々しい過去を旅していけない

悪趣味とはクリエイティブなもので、生物学を知識で操るようなもの

女が何を考えているのか、すっかりわかれば、男は何千倍も大胆になるだろう

芸術家とは、不滅の存在である。刑務所や強制収容所に入れられていても、芸術の世界に身を沈めていれば、私は全能でいられる。たとえ、ほこりまみれの牢屋で濡れた舌を使って絵を描かねばならぬとしても

いや、40年と30秒だよ

人に善をなせば、とがめられるものだ

ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです

私が独りでいることは決してない。いつだってサルバドール・ダリといるのが習慣なんだ。信じておくれよ、それは永遠のパーティーってことなんだ

アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う

手には、物を掴む手と放す手がある

雨が降るのは聞こえるが、雪が降るのは聞こえない。軽い悩みは大声で叫ぶが、大いなる苦悩は沈黙する

普通の大人なら、球場はボールが飛んでくるから人にいわれなくても自分で注意する。それができないのは五歳か六歳で、つまりそれがいまの日本人の精神年齢ということだろう

「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい

自分の中に炎を持ち、魂を抱えているのに、どうして、閉じ込めておくことが出来ようか

私が生きているのは国王のため、スペインのため、カタロニアのためだ。天才は決して死なない。人類の進化は我々の手中にある。国王、万歳!スペイン、万歳!カタロニア万歳!

いかなる革命も、3日目から堕落が始まる

アクシデントが起きると、人はそれを変えようとするが、人には変えることが出来ない。アクシデントが人の内面を明らかにするだけだ

恋する女であれ。そうすれば幸せになれる。神秘的な女であれ。そうすれば幸せになれる

芸術家は自然の親友である。草花は茎の優美な曲線と花びらの調和のとれた色合いで芸術と対話をする。どの花にも、自然が芸術家に心から語りかける言葉があるのだ

人生の長さは一秒にも満たない。その僅かな時間に永遠に向けての準備をしなければならないとは!

自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。なければ尚いい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ

人間が生きている社会基盤は、一瞬なりとも安定することなく、さまざまな変動によってつねに変化する

我々は何をするにも、常に自分自身に問わなければならない。もし皆がそうしたら、どんなことになるだろうと

現代人の欠点は自分の職業に愛と誇りを持っていないことである。多くの人が職業を必要悪の労役苦役と考えている

盗作は情けない

線の芸術と色の芸術とがあるように、言葉の芸術だってそれより劣るものじゃない

誰にも何の役にも立たないではないか。絵、展覧会──それがいったい何になる

選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる

侮辱に悪影響を受けるのは、侮辱に感染しているのだ

女の美は性格の中にあるのです。情熱の中にあるのです

見ることと感ずることを知る者は、至る所に常に賛美すべきものを見出すだろう

詩人は未来を回想する

愛は永久不滅なもの。姿かたちを変えることはあるが、本質は決して変わらない

あなたの人生の灰色を消してごらん。そして内に秘めたカラーで彩るんだ

我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?

下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか

そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ

昔の夢によりかかったり、くよくよすることは、現在を侮辱し、おのれを貧困化することにしかならない

私は天才を自覚している

自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです

詩はなくてはならないものだ。ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ

最近はお金持は多いけど、上品なお金持はなかなかいない。だいたいは下品だ

このまま行けと、僕の中の僕が命じるんだ

孤独であって、充実している、そういうのが人間だ

自分の好きな音を勝手に出す、出したい音を出したらいい

人は、若くても年をとっても、絶えず成長したり変化したりしていますよね。固定したものはないんですね。だから、今、面白くないものは、あえて見ることもないなっていう気もします

人生は、水平方向に落ちていくことである

深く、恐ろしく真実を語る者であれ

文明とは、麻痺状態のことだ

赤がなければ、青を使います

宇宙には緊急な、致命的な、動かせない法則がある。なければならぬ

私の健康を祝して乾杯してくれ

芸術愛は真の愛情を失わせる

人間が生きる限り、死人も生きているんだ

人間は精神が拡がる時と、閉じこもる時が必ずある。強烈に閉じこもりがちな人ほど逆に広がる時がくる

いかなる創造的活動も、はじめは破壊的活動だ

神を知る最善の方法は、多くの物を愛することだ

運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない

少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます

涙が出てきたら、耐えて、苦しんで、そして前進あるのみだ

冒険こそが、わたしの存在理由である

イエスとノーのあいだに真実が息づいている

大体、いちばん素晴らしい絵を描くのは四、五才くらいの子どもだよ

ただこの世の中に生まれてきたから、惰性で生きてるなんて、そんなやつは、生きてる必要ない

心の底から平気で、出世なんかしなくていいと思っていれば、遠くの方でちぢこまっている犬のようにはみえないんだ

この世は偶然に満ちている。だから人間は人工管理の街を造った。でも、街はいづれ老朽化し、その隙間から、追い出された偶然がまた顔をのぞかせる。カメラにはそれが美味しい

悪魔は悪しか行なうことができないゆえに純粋である

自然に生き、自分の気持ちをほんとうに伸ばしてゆこうとすれば、まず、いたるところで残酷に、壁に突きあたる

絵画というのは手で作った写真だ

私は大理石の石塊を選び、必要としないものは何でも切り落とす

制服は征服するためにかかせない。私の人生を通じて、市民の衣装を着るほど自分をおとしめるのは稀だった。私はいつもダリという制服を着ている

6才の時、コックになりたかった。7才の時、ナポレオンになりたかった。そして、私の野心は、それ以来着実に成長し続けている

傑作なのか屑なのかわからない

(作品をどのように見て欲しいですか?)ものの見方の色んな角度を感じてもらえたらいいですね

人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う

運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか

全てのものは限られた量しかない。特に幸福は

素朴に、無邪気に、幼児のような眼をみはらなければ、世界はふくらまない

ユーモアを失わないように戦うのだ。ユーモアの欠如は愚の骨頂だ

自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ

たとえこの人生が負け戦であろうと、いずれにせよ僕は「良い戦い」をしたい

考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく

人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ

家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる

秘訣というものはない。ただ正しさの法則があるばかりだ
