
芸術家


仕事は人間に必要だ。だから人は目覚まし時計を発明した

本物の画家というのは歴史の騒乱に囲まれながらも洋ナシを根気強く描ける人だ

釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね

詩人は常に真実を語る嘘つきである

天才になるには天才のふりをすればいい

「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい

被写体に最初に出会った時の写真が一番良いんですね。うまく撮ろうとたくらんだ写真は、素直な力がなくなる

真の芸術家とは、喜びのために仕事をする唯一といってよい人達だ

私は天才を自覚している

愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ

究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある

人に善をなせば、とがめられるものだ

熱帯の夜の静寂の中で、私が私の心からの囁きと柔軟な音楽を聞くことができます

嫌われることは愛されることより難しい

若くなるには時間がかかる

人間は、毎日生まれ変わる

凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです

私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である

何びとも信用しない者は、己れ自身が信用されていないことを知っている

与えようとばかりして、貰おうとしなかった。なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。ただ相手に与えるだけではいけない。相手からも貰わなくては

盗作は情けない

自分の価値観を持って生きるってことは嫌われても当たり前なんだ

芸術家にとって、自然の中に醜いものなど決して存在しない

真理に年齢はない

努力というのは、恐らく運や偶然を追いつめて縮めて微細なものにしていって、自分で掴まえやすくするためのものではないのかと思うのである

私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ

その人がいい趣味をしてるかどうかを見極めるのは簡単だ。絨毯と眉毛がマッチしているかだ

もし、黄色と橙色がなければ青色もない

最近はお金持は多いけど、上品なお金持はなかなかいない。だいたいは下品だ

私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない

芸術家は自然の親友である。草花は茎の優美な曲線と花びらの調和のとれた色合いで芸術と対話をする。どの花にも、自然が芸術家に心から語りかける言葉があるのだ

自分の打ったボールがどこへ飛ぼうがかまわない。スカッと飛びさえすれば、いい気持ちなんだ

先に見出し、後に捜し求めよ

そもそも不用のものや、そこに転がっているものに「妙なもの」があるんです。これは「妙なもの」としか言いようがないんですけど、それは、まだ誰も見ていないということもあって、それを発見するのが面白かったんですね

秘訣というものはない。ただ正しさの法則があるばかりだ

なんでもいいから、まずやってみる

同じことを繰り返すくらいなら、死んでしまえ

もし私が犬よりも猫が好きだというのなら、それは警察猫というものがいないからである

私が生きているのは国王のため、スペインのため、カタロニアのためだ。天才は決して死なない。人類の進化は我々の手中にある。国王、万歳!スペイン、万歳!カタロニア万歳!

アクシデントが起きると、人はそれを変えようとするが、人には変えることが出来ない。アクシデントが人の内面を明らかにするだけだ

自分には過去も未来もない。ただ現在に生きようが為に絵を描くのである

女の顔はキャンバスだ 毎日女は少しだけ若い自画像をそこに描いている

私は、愛したいと思いながら、それができない。私は、愛すまいと思いながら、それができない

デッサンと色彩とは区別することはできぬもので、彩色をほどこすにつれてデッサンがなり、色彩が調和していくにつれてデッサンは正確になる。色彩が豊富になる時、形も充実する

私の耳は貝から 海の響きを懐かしむ

今は、もう感動はない。だから感想が湧くのである。感動には叫びはあるだろうが言葉はない

人は生涯、同一水準の作品しか書けない

人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。これは我々の時代にはびこる病気だ

術は日々の生活の埃(ほこり)を、魂から洗い流してくれる

むしろ「成功は失敗のもと」と逆に言いたい。その方が、この人生の面白さを正確に言いあてている

運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない

何にもなりはしない。僕が生きていれば、悲しみはいつまでも続くだろう。僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってだんだ

評価されるなんて一切必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと「音」を出す。これが前提だな

あなたの家庭はあなたの避難所だ。ただ、そこに閉じこもってはいけない

誰のために創るんだろう。考えたことあるか。自分のために?そんなの甘っちょろいよ。植木づくりでもやるんならそれでいいんだ。金のために?だったら創るより早いやり方がいくらでもあるだろう

自分の中で一度燃え上がった想いというのは、止めることが出来ない

選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる

フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ

天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ

私はドラッグをしない。私自身がドラッグだ

神々と肩を並べるには、たった一つのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ

眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です

明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけ

悪貨は良貨を駆逐するという原理と同じで、形式は実質を駆逐する

我々は自分たちを巡る奥深い知られざる者の真ん中にいて、絶えず昏迷する

大切なことは混沌を拡大することだ。混沌を消し去ってはいけない

青年は決して安全な株を買ってはならない

芸術というものは自然の研究に過ぎません。自然です。何もかもそこにあります

思いついたことは出来る。思いつかないものは出来ない。これは避けがたく、明白なことだ

百の欠点を無くしている暇があるなら、一つの長所を伸した方がいい

偶然というのは、結局人間的なことなんじゃないか

99回倒されても、100回目に立ち上がればよい

自然に生き、自分の気持ちをほんとうに伸ばしてゆこうとすれば、まず、いたるところで残酷に、壁に突きあたる

私は大理石の石塊を選び、必要としないものは何でも切り落とす

私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ

詩人は未来を回想する

芸術愛は真の愛情を失わせる

覚めていて夢みることは、眠っていて夢みることとほとんど同じである

スタイルとは、複雑なことを表現するための簡単な方法だ

手慣れたものには飛躍がない。常に猛烈なシロウトとして、危険をおかし、直感に賭けてこそ、ひらめきが生まれるのだ

僕はいつも自分が純粋に感じたこと、考えたことを、理解されようがされまいがダイレクトにぶつける

でたらめをやってごらん。口先では簡単にでたらめなら、と言うけれども、いざでたらめをやろうとすると、それができない

まっさらな目をもて!そして目的を捨てろ!

悪魔は悪しか行なうことができないゆえに純粋である

いかなる革命も、3日目から堕落が始まる

確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動しなさい。そうすれば次第に本物の確信が生まれてくる

自分の強さを実感している人は、謙虚になる

今回この写真文庫(岩波写真文庫)を一冊ずつ選んで、いまの世から眺めていきながら、時代の空気というものをつくづく感じた。活字、つまり言葉では説明しきれないことが、写真からはぷんぷん匂ってくる。このシリーズは、戦後の空気の貴重な貯蔵庫だ。いまの肥満ぎみの世の中は、じつはこの空気を吸うことからはじまっている。良くも悪くも、この空気がいまの日本人の両親なのだ

女が何を考えているのか、すっかりわかれば、男は何千倍も大胆になるだろう

恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがある

コンピューターなんて役に立たない。だって、答を出すだけなんだから

人間と人間との間柄には、愛よりほかの財産はない

直観力と想像力を、抑え込んではならない

私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です

人間の運命は人間の手中にある

人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ

作家だとか、法律家だとか、政治家だとかをやってる女っていうのは、怪物だと思うね

太陽を黄色い点に変えてしまう絵描きもいれば、黄色い点を太陽へと変えられる絵描きもいる
