
芸術家


絵の玄人なんていうものは、絵描きに対してロクなアドバイスをしない

流行なんて、文字どおり流れていく

人生で起こりうる悪いことは二つしかない。パブロ・ピカソになることか、サルバドール・ダリになれないこと

私は対象を見えるようにではなく、私が思うように描くのだ

傑作なのか屑なのかわからない

もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない

ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに

頭のおかしい人と私の唯一の違いは私は頭がおかしくないということ

できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である

シュルレアリズムは破壊的だ。しかし、それは我々のビジョンを限定する錠の留め金とみなされるものだけを破壊するものだ

覚めていて夢みることは、眠っていて夢みることとほとんど同じである

悪魔は悪しか行なうことができないゆえに純粋である

私は天才になるし、世界は私を称賛するだろう。評価されないかもしれないし、理解されないかもしれない。しかし天才になる、偉大な天才にね。なぜなら私はそのことを確信しているからさ

釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね

芸術というものは自然の研究に過ぎません。自然です。何もかもそこにあります

老年は騒音から遠ざかる。沈黙と忘却に仕える

いかなる創造的活動も、はじめは破壊的活動だ

人生の目的は悟ることではありません。生きるんです

99回倒されても、100回目に立ち上がればよい

常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ

孤独の中では何もできることはない

苦しい時には、自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ

偉大な男の背後には必ず、その男を愛してくれる女がいた。「愛する女がかなえてくれるレベルより、もっと偉大になんか男はなれない」という言葉には、多くの真理が含まれている

文学の偉大なる傑作とは、使えない辞書のようなものである

何よりも辛いのは、永遠に完成することがないということだ

君はあなた自身を創造していると思いなさい

大事は寄せ集められた小事によってなされる

僕は口が裂けても、諦めるなどとは言わない

鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう

仕事は人間に必要だ。だから人は目覚まし時計を発明した

ノスタルジアに屈してはならない。道に出て、隣町や外国に行くんだ。ただ、痛々しい過去を旅していけない

偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ

確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動しなさい。そうすれば次第に本物の確信が生まれてくる

涙が出てきたら、耐えて、苦しんで、そして前進あるのみだ

気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常

人生は意義ある悲劇だ。それで美しいのだ。生き甲斐がある

女の顔はキャンバスだ 毎日女は少しだけ若い自画像をそこに描いている

あなたのインスピレーションやイマジネーションを抑えてはならない。模範の奴隷になるな

作家だとか、法律家だとか、政治家だとかをやってる女っていうのは、怪物だと思うね

詩人は未来を回想する

恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない

孤独であって、充実している、そういうのが人間だ

路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね

芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない

著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ

見るために、私は目を閉じる

イエスとノーのあいだに真実が息づいている

6才の時、コックになりたかった。7才の時、ナポレオンになりたかった。そして、私の野心は、それ以来着実に成長し続けている

人に善をなせば、とがめられるものだ

自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる

芸術は醜いものを生み出すが、しばしばそれは時とともに美しくなる。一方、流行は美しいものを生み出すが、それは常に時とともに醜くなる

楽しくなかったら絵なんか描きませんよ

創造性の最大の敵は良きセンスだ

フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ

私は絵を描く夢を見、そして私の夢を描く

人の本当の仕事は30歳になってから始まる

他人に興味を持ってもらいたければ挑発しなければならない

明日に引き伸ばせば、それは死んでしまう

痛みはいつか消えるが、美は永遠に残る

自然は至上の建築物である。自然の一切は最も美しい釣り合いをもって建てられている

自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ

手には、物を掴む手と放す手がある

素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する

愛は人生において、最も優れた栄養源である

芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている

友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる

人生の長さは一秒にも満たない。その僅かな時間に永遠に向けての準備をしなければならないとは!

眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ

自分の中で一度燃え上がった想いというのは、止めることが出来ない

先に見出し、後に捜し求めよ

忍耐もまた行動の一つの形態だ

多くの人が80代まで生きれないのは、彼らが長期に渡って40代で止まろうと努力するからだ

素朴に、無邪気に、幼児のような眼をみはらなければ、世界はふくらまない

評価されるなんて一切必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと「音」を出す。これが前提だな

私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です

あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない

他の人間はなぜそうなったかを問う。私はいつも何ができるのか、なぜできないのかを問う

私は大金を持った、貧乏人のように暮らしたい

愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある

やり方を学ぶ

人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない

私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい

直観力と想像力を、抑え込んではならない

誰もが芸術を理解しようとする。ならば、なぜ鳥の声を理解しようとはしないのか

何びとも信用しない者は、己れ自身が信用されていないことを知っている

与えようとばかりして、貰おうとしなかった。なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。ただ相手に与えるだけではいけない。相手からも貰わなくては

毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。「サルバドール・ダリである」という喜びを

肝心なのは感動すること、愛すること、希望を持つこと、打ち震えること、生きること。芸術家である以前に、人間であることだ

家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる

美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ

自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる

行動がすべての成功の鍵だ

人間の運命は人間の手中にある

親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか

凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです

モネは、ひとえに眼にほかならない。しかし、何という眼だろう

『自分の謎』で言っているような、自分への不思議な感覚というのはみんなもっているはずだけど、ほかの遊びに忙しくなって、どんどん忘れていっちゃう。でもその感覚ってどこかには残ってるんですね

いつでも大空が、自然の果てしないものが私を引きつけ、喜びをもって眺める機会を私に与えてくれる
