
芸術家


神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ

愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ

モネは、ひとえに眼にほかならない。しかし、何という眼だろう

現代人の欠点は自分の職業に愛と誇りを持っていないことである。多くの人が職業を必要悪の労役苦役と考えている

ナマ身で運命と対決して歓喜する。それがほんとうの生命感

私は大理石の石塊を選び、必要としないものは何でも切り落とす

明日に引き伸ばせば、それは死んでしまう

覚めていて夢みることは、眠っていて夢みることとほとんど同じである

僕はずっと一人ぼっちでいるせいか、人と話すと自分のことばかり話してしまう

とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである

運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない

人の本当の仕事は30歳になってから始まる

挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない

芸術家にとって、自然の中に醜いものなど決して存在しない

ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ

僕がしてきたことは、僕たちとって一番いいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない

詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ

文明とは、麻痺状態のことだ

いかなる革命も、3日目から堕落が始まる

苦しい時には、自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ

先に見出し、後に捜し求めよ

「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい

『自分の謎』で言っているような、自分への不思議な感覚というのはみんなもっているはずだけど、ほかの遊びに忙しくなって、どんどん忘れていっちゃう。でもその感覚ってどこかには残ってるんですね

フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ

私は捜し求めない。見出すのだ

絵を描き始める前に、すでにそれは私の心の中に形作られている

デッサンと色彩とは区別することはできぬもので、彩色をほどこすにつれてデッサンがなり、色彩が調和していくにつれてデッサンは正確になる。色彩が豊富になる時、形も充実する

僕はいつも自分が純粋に感じたこと、考えたことを、理解されようがされまいがダイレクトにぶつける

コンピューターなんて役に立たない。だって、答を出すだけなんだから

熱帯の夜の静寂の中で、私が私の心からの囁きと柔軟な音楽を聞くことができます

家の仕事をしている女性は、この世でもっとも美しい

嫌われることは愛されることより難しい

あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない

評価されるなんて一切必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと「音」を出す。これが前提だな

画家は労働者が働くように勉強しなければならない

人間は、毎日生まれ変わる

トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくる

忍耐もまた行動の一つの形態だ

僕たちの小さな情動が僕たちの人生の偉大な船長であることを、また僕たちは意識することなくこの小さな情動にしたがっていることを忘れないようにしよう

青年は決して安全な株を買ってはならない

完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから

他人を模写するのは必要なことである。しかし、自分を模写するのは哀れなものだ

私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ

まっさらな目をもて!そして目的を捨てろ!

自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる

世間が決して飽きない唯一のものは誇張表現だ

風景なら その中を散歩したくなるような、女性なら その人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい

宇宙には緊急な、致命的な、動かせない法則がある。なければならぬ

詩人は常に真実を語る嘘つきである

生きる日のよろこび、悲しみ。一日一日が新しい彩りをもって息づいている

自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ

本当を言えば、すべてが思想で、すべてが象徴である

閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ

なにが芸術家かって?それを知ってたら、注意深く、ばらさないようにしておくよ

多くの人が80代まで生きれないのは、彼らが長期に渡って40代で止まろうと努力するからだ

自分が何をやるかさえ確かだったら、少しぐらい待ってもなんでもない

努力というのは、恐らく運や偶然を追いつめて縮めて微細なものにしていって、自分で掴まえやすくするためのものではないのかと思うのである

自分の中に炎を持ち、魂を抱えているのに、どうして、閉じ込めておくことが出来ようか

人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている

感情が伴わない作品は、芸術ではない

批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける

何も真似したくないと思う者は、何も生み出さない

「志」のない知恵は、翼のない鳥に等しい

自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです

たとえこの人生が負け戦であろうと、いずれにせよ僕は「良い戦い」をしたい

すべての偉大な画家はみな空間を探ります。厚みの観念の中にこそ彼らの力は宿るのです

親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか

私は絵を描く夢を見、そして私の夢を描く

人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ

鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう

路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね

運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか

人は、若くても年をとっても、絶えず成長したり変化したりしていますよね。固定したものはないんですね。だから、今、面白くないものは、あえて見ることもないなっていう気もします

何かをうまく語ることは、何かをうまく描くことと同様に難しくもあり面白いものだ

アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う

僕の人生はそれほど長くないだろう。だから僕は一つのことしか目に入らない無知な人となって仕事をするつもりだ。ここ数年のうちに何がしかの仕事をやり遂げてみせる

私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です

芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない

我々が描くのは顔の表?中?それとも裏か

芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている

私はドラッグをしない。私自身がドラッグだ

時間は私たちに残された数少ない大切なものだ

何びとも信用しない者は、己れ自身が信用されていないことを知っている

考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく

人生とは自らの道である。一つのことを試みることであり、一つの道を端的に示すことである

日本人が何をするにも明確であることが、私にはうらやましい

破壊こそ創造の母だ

美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように

誰にも何の役にも立たないではないか。絵、展覧会──それがいったい何になる

この世は偶然に満ちている。だから人間は人工管理の街を造った。でも、街はいづれ老朽化し、その隙間から、追い出された偶然がまた顔をのぞかせる。カメラにはそれが美味しい

美術館はちょっとまとまり過ぎてる感じで、博物館的な世界には思わぬものがあるんだよね

私の創造の源泉は、私が愛する人々である

情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚を持つんだ

夫婦とは二つの半分になるのではなく、一つの全体になる事だ

手には、物を掴む手と放す手がある

素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する

私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった

若いとき旅をしなければ、老いてからの物語がない
