
芸術家


沈黙は絶叫よりも恐ろしい

孤独の中では何もできることはない

面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ

私の耳は貝から 海の響きを懐かしむ

芸術家とは自分のやっていることに喜びを覚える人のこと。だから、すべての職業に芸術家がいるのが望ましいのだ

ふつうは歳をとったとかモーロクしたとかあいつもだいぶボケたとかいうんだけどそういう言葉の代わりに「あいつもかなり老人力がついてきたな」という風に言うのである。そうすると何だか歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい

批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける

神々と肩を並べるには、たった一つのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ

見ることと感ずることを知る者は、至る所に常に賛美すべきものを見出すだろう

例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ

覚えておくんだ。生涯あなたに付き添ってくれる唯一の人はあなた自身なんだ

絵の玄人なんていうものは、絵描きに対してロクなアドバイスをしない

芸術家は自然の親友である。草花は茎の優美な曲線と花びらの調和のとれた色合いで芸術と対話をする。どの花にも、自然が芸術家に心から語りかける言葉があるのだ

選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる

直観力と想像力を、抑え込んではならない

猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めていく以外にない

マンホールをずっと撮っている林丈二さんも、オートになってから奥さんに「ちょっと、あなたの写真、最近、あんまりよくない」って言われたらしいです。どっかに出ちゃうんですね。何でしょうね。自覚して使えばいいんだけど、カメラの機能に寄りかかって撮っちゃうとダメなんでしょうね。何にでもそういうことはいえますね

愛することは、愛されること

人生に命を賭けていないんだ。だから、とかくただの傍観者になってしまう

自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある

アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う

人生には不愉快な事柄が多い。だからこれ以上、不愉快なものを作る必要はない

人生で最もすばらしい癒し、それが愛なのだ

女の美は性格の中にあるのです。情熱の中にあるのです

私は対象を見えるようにではなく、私が思うように描くのだ

恋の始まりは瞬間でも、つきあいが長引くかどうかは、美醜よりも人間味にかかわる問題だ

青年は決して安全な株を買ってはならない

自分には過去も未来もない。ただ現在に生きようが為に絵を描くのである

インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ

6才の時、コックになりたかった。7才の時、ナポレオンになりたかった。そして、私の野心は、それ以来着実に成長し続けている

僕がしてきたことは、僕たちとって一番いいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない

むしろ「成功は失敗のもと」と逆に言いたい。その方が、この人生の面白さを正確に言いあてている

美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ

(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です

創造の最大の敵は「良い」センスだ

恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない

自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。なければ尚いい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ

大金を持った貧しい人のように暮らしたい

あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない

閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ

(死んだら地獄と極楽のとちらに行きたいか?)どっちでもいいさ。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね

肝心なのは感動すること、愛すること、希望を持つこと、打ち震えること、生きること。芸術家である以前に、人間であることだ

自分の中に炎を持ち、魂を抱えているのに、どうして、閉じ込めておくことが出来ようか

「志」のない知恵は、翼のない鳥に等しい

壁は自分自身だ

その人がいい趣味をしてるかどうかを見極めるのは簡単だ。絨毯と眉毛がマッチしているかだ

すべての偉大な画家はみな空間を探ります。厚みの観念の中にこそ彼らの力は宿るのです

人間は毅然として、現実の運命に耐えていくべきだ

人生は、水平方向に落ちていくことである

運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか

僕は口が裂けても、諦めるなどとは言わない

雨が降るのは聞こえるが、雪が降るのは聞こえない。軽い悩みは大声で叫ぶが、大いなる苦悩は沈黙する

詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ

誰もが芸術を理解しようとする。ならば、なぜ鳥の声を理解しようとはしないのか

ナマ身で運命と対決して歓喜する。それがほんとうの生命感

最も美しい主題は君たちの前にある。なぜといえばそれらのものこそ君たちが一番よく知っているからである

評価されるなんて一切必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと「音」を出す。これが前提だな

ノスタルジアに屈してはならない。道に出て、隣町や外国に行くんだ。ただ、痛々しい過去を旅していけない

自分の打ったボールがどこへ飛ぼうがかまわない。スカッと飛びさえすれば、いい気持ちなんだ

人間が生きる限り、死人も生きているんだ

人生の目的は悟ることではありません。生きるんです

心の底から平気で、出世なんかしなくていいと思っていれば、遠くの方でちぢこまっている犬のようにはみえないんだ

人間は精神が拡がる時と、閉じこもる時が必ずある。強烈に閉じこもりがちな人ほど逆に広がる時がくる

人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない

我々は脳をブン投げて、ただ目だけで見ることができればいいのだが

自然は至上の建築物である。自然の一切は最も美しい釣り合いをもって建てられている

回教徒が寺院に入るとき靴を脱ぐように、私は仕事中、ドアの外に肉体を置いてくる

テクニックばかりに気を取られる人たちは全ておいてミスをする

何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ

イエスとノーのあいだに真実が息づいている

モネは、ひとえに眼にほかならない。しかし、何という眼だろう

太陽を黄色い点に変えてしまう絵描きもいれば、黄色い点を太陽へと変えられる絵描きもいる

毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。「サルバドール・ダリである」という喜びを

愛は人生において、最も優れた栄養源である

これを描いたのはあなたですか?いや、違う。きみたちだ

かぶりついて仕事せよ

危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ

画家は労働者が働くように勉強しなければならない

私は、自分の作品に心と魂を込める。そして制作過程では我を失う

真実のほかに美はない

私は何も発明したりしない。ただ、再発見するだけだ

愛の前で自分の損得を考えること自体ナンセンスだ。そんな男は女を愛する資格はない

多くの人が80代まで生きれないのは、彼らが長期に渡って40代で止まろうと努力するからだ

電子辞書は確かに早く正確に引けるが遊びがない。紙の辞書は、引いた語句の両脇の語句が視界に入る。この種のノイズが文化を生む

もし仕事というものが、人間にとって生きることのあがないではなく、生きることの目的であったら、人間はどんなに幸福だろう

わたしは立ち止まりはしない

そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ

絵を描くのは人生に耐えるための手段だ

この世は偶然に満ちている。だから人間は人工管理の街を造った。でも、街はいづれ老朽化し、その隙間から、追い出された偶然がまた顔をのぞかせる。カメラにはそれが美味しい

私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている

素朴に、無邪気に、幼児のような眼をみはらなければ、世界はふくらまない

風景なら その中を散歩したくなるような、女性なら その人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい

芸術愛は真の愛情を失わせる

トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくる

彫刻は、凹凸の術である

天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ

何にもなりはしない。僕が生きていれば、悲しみはいつまでも続くだろう。僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってだんだ

子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ
