赤瀬川原平 釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね 赤瀬川原平
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 女が愛し、愛されると彼女は変わる。誰も彼女にかまわなくなると、精神が乱れてその魅力が失われる フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
赤瀬川原平 そもそも不用のものや、そこに転がっているものに「妙なもの」があるんです。これは「妙なもの」としか言いようがないんですけど、それは、まだ誰も見ていないということもあって、それを発見するのが面白かったんですね 赤瀬川原平
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 僕の人生はそれほど長くないだろう。だから僕は一つのことしか目に入らない無知な人となって仕事をするつもりだ。ここ数年のうちに何がしかの仕事をやり遂げてみせる フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
赤瀬川原平 今回この写真文庫(岩波写真文庫)を一冊ずつ選んで、いまの世から眺めていきながら、時代の空気というものをつくづく感じた。活字、つまり言葉では説明しきれないことが、写真からはぷんぷん匂ってくる。このシリーズは、戦後の空気の貴重な貯蔵庫だ。いまの肥満ぎみの世の中は、じつはこの空気を吸うことからはじまっている。良くも悪くも、この空気がいまの日本人の両親なのだ 赤瀬川原平
ロダン(Franois-Auguste-Ren Rodin) すべての偉大な画家はみな空間を探ります。厚みの観念の中にこそ彼らの力は宿るのです ロダン(Franois-Auguste-Ren Rodin)
ロダン(Franois-Auguste-Ren Rodin) 美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように ロダン(Franois-Auguste-Ren Rodin)
岡本太郎 自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。なければ尚いい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ 岡本太郎
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
赤瀬川原平 癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた 赤瀬川原平
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 虫だって光の好きなのと嫌いなのと二通りあるんだ!人間だって同じだよ、皆が皆明るいなんて不自然さ! フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
パブロ・ピカソ(Pablo Picasso) 神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
ロダン(Franois-Auguste-Ren Rodin) 最も美しい主題は君たちの前にある。なぜといえばそれらのものこそ君たちが一番よく知っているからである ロダン(Franois-Auguste-Ren Rodin)
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) コレラや尿石や結核や癌は、天上へ行く交通機関 フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
赤瀬川原平 そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ 赤瀬川原平
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
サルバドール・ダリ(Salvador Dali) 私が独りでいることは決してない。いつだってサルバドール・ダリといるのが習慣なんだ。信じておくれよ、それは永遠のパーティーってことなんだ サルバドール・ダリ(Salvador Dali)
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
ルノワール(Pierre-Auguste Renoir) 私には規則や方式は一切ない。裸婦を見る、すると幾千ものちいさな色合いが見えてくる。その中から、生き続けるものを探し出し、そのようにして真新しい色調をキャンバスの上に躍動させるのだ ルノワール(Pierre-Auguste Renoir)
パブロ・ピカソ(Pablo Picasso) 芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin) 全然文明化されていない環境と孤独が、死の間際にいたり、私の内部で、最後の熱情のひらめきを復活させるのです。そしてその熱情こそ、私の想像力を、今いちど燃やし、私の才能を、最後の出口へと導いてくれるものなのです ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin)
ロダン(Franois-Auguste-Ren Rodin) 天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ ロダン(Franois-Auguste-Ren Rodin)
赤瀬川原平 運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする 赤瀬川原平
赤瀬川原平 自分にとっていちばん面白いのは、思いもしないものに出会うことだ。自分の思いを超えたものにめぐり合うことである。何故それが面白いかといえば、そのことで自分が広がっていく快感があるからである 赤瀬川原平
赤瀬川原平 親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか 赤瀬川原平
ジャン・コクトー(Jean Cocteau) 富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう ジャン・コクトー(Jean Cocteau)
ロダン(Franois-Auguste-Ren Rodin) もし仕事というものが、人間にとって生きることのあがないではなく、生きることの目的であったら、人間はどんなに幸福だろう ロダン(Franois-Auguste-Ren Rodin)
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
ロダン(Franois-Auguste-Ren Rodin) 芸術家とは自分のやっていることに喜びを覚える人のこと。だから、すべての職業に芸術家がいるのが望ましいのだ ロダン(Franois-Auguste-Ren Rodin)