
芸術家


本物の画家というのは歴史の騒乱に囲まれながらも洋ナシを根気強く描ける人だ

多くの人が80代まで生きれないのは、彼らが長期に渡って40代で止まろうと努力するからだ

女が愛し、愛されると彼女は変わる。誰も彼女にかまわなくなると、精神が乱れてその魅力が失われる

人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ

私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい

芸術家にとって、自然の中に醜いものなど決して存在しない

人間にとって成功とはいったいなんだろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか

いつでも大空が、自然の果てしないものが私を引きつけ、喜びをもって眺める機会を私に与えてくれる

友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる

人生は意義ある悲劇だ。それで美しいのだ。生き甲斐がある

(死んだら地獄と極楽のとちらに行きたいか?)どっちでもいいさ。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね

危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ

自分の強さを実感している人は、謙虚になる

僕がしてきたことは、僕たちとって一番いいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない

大体、いちばん素晴らしい絵を描くのは四、五才くらいの子どもだよ

あなたの家庭はあなたの避難所だ。ただ、そこに閉じこもってはいけない

眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です

私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ

何も真似したくないと思う者は、何も生み出さない

現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ

明日描く絵が、一番すばらしい

ふつうは歳をとったとかモーロクしたとかあいつもだいぶボケたとかいうんだけどそういう言葉の代わりに「あいつもかなり老人力がついてきたな」という風に言うのである。そうすると何だか歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい

何を生命と呼ぶか。あらゆる意味から君を激動させるもの、君を突き貫くもののことである

自然は至上の建築物である。自然の一切は最も美しい釣り合いをもって建てられている

家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる

絵を描き始める前に、すでにそれは私の心の中に形作られている

自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。なければ尚いい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ

私はいつも、まだ自分ができないことをする

恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない

自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ

リンゴひとつでパリを征服する

悪趣味とはクリエイティブなもので、生物学を知識で操るようなもの

我々が描くのは顔の表?中?それとも裏か

人生には不愉快な事柄が多い。だからこれ以上、不愉快なものを作る必要はない

流行なんて、文字どおり流れていく

著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ

素朴に、無邪気に、幼児のような眼をみはらなければ、世界はふくらまない

神童などという言葉は、家族のつくったものだ

私は、愛したいと思いながら、それができない。私は、愛すまいと思いながら、それができない

デッサンと色彩とは区別することはできぬもので、彩色をほどこすにつれてデッサンがなり、色彩が調和していくにつれてデッサンは正確になる。色彩が豊富になる時、形も充実する

人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている

芸術というものは自然の研究に過ぎません。自然です。何もかもそこにあります

『自分の謎』で言っているような、自分への不思議な感覚というのはみんなもっているはずだけど、ほかの遊びに忙しくなって、どんどん忘れていっちゃう。でもその感覚ってどこかには残ってるんですね

私はユダヤの偉大な指導者、モーゼのように約束の土地に入れるのでしょうか?わずかに進歩しましたが、なぜこんなに遅々として骨が折れるのでしょう。芸術とは、ほんとうに聖職者のように、それに全身全霊を捧げる純粋な人々を求めるものなのでしょうか?

今回この写真文庫(岩波写真文庫)を一冊ずつ選んで、いまの世から眺めていきながら、時代の空気というものをつくづく感じた。活字、つまり言葉では説明しきれないことが、写真からはぷんぷん匂ってくる。このシリーズは、戦後の空気の貴重な貯蔵庫だ。いまの肥満ぎみの世の中は、じつはこの空気を吸うことからはじまっている。良くも悪くも、この空気がいまの日本人の両親なのだ
