
芸術家


芸術に従って芸術を作ってはならぬ

フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ

人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている

多くの人が80代まで生きれないのは、彼らが長期に渡って40代で止まろうと努力するからだ

偶然というのは、結局人間的なことなんじゃないか

経験を賢く活かすならば、何事も時間の無駄にはならない

自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ

友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる

その人がいい趣味をしてるかどうかを見極めるのは簡単だ。絨毯と眉毛がマッチしているかだ

芸術は、盗作であるか革命であるか、そのいずれかだ

コンピューターなんて役に立たない。だって、答を出すだけなんだから

人間は精神が拡がる時と、閉じこもる時が必ずある。強烈に閉じこもりがちな人ほど逆に広がる時がくる

私は、人生の岐路に立った時、いつも困難な方の道を選んできた

仕事は人間に必要だ。だから人は目覚まし時計を発明した

感情が伴わない作品は、芸術ではない

抽象画なんてものは無い。とりあえず描き始めて、それから現実の痕跡の全てを排除していくのだ

いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ

美術館はちょっとまとまり過ぎてる感じで、博物館的な世界には思わぬものがあるんだよね

人は、若くても年をとっても、絶えず成長したり変化したりしていますよね。固定したものはないんですね。だから、今、面白くないものは、あえて見ることもないなっていう気もします

恋する女であれ。そうすれば幸せになれる。神秘的な女であれ。そうすれば幸せになれる

(死んだら地獄と極楽のとちらに行きたいか?)どっちでもいいさ。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね

流行なんて、文字どおり流れていく

本物の画家というのは歴史の騒乱に囲まれながらも洋ナシを根気強く描ける人だ

壁は自分自身だ

冒険こそが、わたしの存在理由である

日本人が何をするにも明確であることが、私にはうらやましい

ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです

自由であるとは、自由であるべく呪われていることである

優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む

イエスとノーのあいだに真実が息づいている

ゴッホは美しい。しかしきれいではない。ピカソは美しい。しかし、決してキレイではない

私は対象を見えるようにではなく、私が思うように描くのだ

心の底から平気で、出世なんかしなくていいと思っていれば、遠くの方でちぢこまっている犬のようにはみえないんだ

逃げない、はればれと立ち向かう、それが僕のモットーだ

制服は征服するためにかかせない。私の人生を通じて、市民の衣装を着るほど自分をおとしめるのは稀だった。私はいつもダリという制服を着ている

神を知る最善の方法は、多くの物を愛することだ

赤がなければ、青を使います

私は何も発明したりしない。ただ、再発見するだけだ

他の人間はなぜそうなったかを問う。私はいつも何ができるのか、なぜできないのかを問う

あなたのインスピレーションやイマジネーションを抑えてはならない。模範の奴隷になるな

眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です

すべての偉大な画家はみな空間を探ります。厚みの観念の中にこそ彼らの力は宿るのです

作家だとか、法律家だとか、政治家だとかをやってる女っていうのは、怪物だと思うね

女の顔はキャンバスだ 毎日女は少しだけ若い自画像をそこに描いている

楽しくなかったら絵なんか描きませんよ

熱帯の夜の静寂の中で、私が私の心からの囁きと柔軟な音楽を聞くことができます

私は最初、写真っていうのは、機械が撮るもんだから誰が撮っても一緒。だから絵とは違うなって思っていたんですけど、そうじゃないんですね。写真って、あなどれないなと思いました

私には規則や方式は一切ない。裸婦を見る、すると幾千ものちいさな色合いが見えてくる。その中から、生き続けるものを探し出し、そのようにして真新しい色調をキャンバスの上に躍動させるのだ

アクシデントが起きると、人はそれを変えようとするが、人には変えることが出来ない。アクシデントが人の内面を明らかにするだけだ

電子辞書は確かに早く正確に引けるが遊びがない。紙の辞書は、引いた語句の両脇の語句が視界に入る。この種のノイズが文化を生む

運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない

素朴に、無邪気に、幼児のような眼をみはらなければ、世界はふくらまない

人間が生きる限り、死人も生きているんだ

芸術というものは自然の研究に過ぎません。自然です。何もかもそこにあります

私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない

私は捜し求めない。見出すのだ

やり方を学ぶ

普通、表現の仕事であれば作者というものがいますよね。しかし、トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくるんですよね

一番美しい絵は、寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、決して実現しない絵だ

何にもなりはしない。僕が生きていれば、悲しみはいつまでも続くだろう。僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってだんだ

(作品をどのように見て欲しいですか?)ものの見方の色んな角度を感じてもらえたらいいですね

恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない

大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ

すべてはむなしい

私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている

芸術家とは自分のやっていることに喜びを覚える人のこと。だから、すべての職業に芸術家がいるのが望ましいのだ

昔の夢によりかかったり、くよくよすることは、現在を侮辱し、おのれを貧困化することにしかならない

大事は寄せ集められた小事によってなされる

誰のために創るんだろう。考えたことあるか。自分のために?そんなの甘っちょろいよ。植木づくりでもやるんならそれでいいんだ。金のために?だったら創るより早いやり方がいくらでもあるだろう

愛は永久不滅なもの。姿かたちを変えることはあるが、本質は決して変わらない

同じことを繰り返すくらいなら、死んでしまえ

人生には不愉快な事柄が多い。だからこれ以上、不愉快なものを作る必要はない

僕はずっと一人ぼっちでいるせいか、人と話すと自分のことばかり話してしまう

線の芸術と色の芸術とがあるように、言葉の芸術だってそれより劣るものじゃない

下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか

太陽を黄色い点に変えてしまう絵描きもいれば、黄色い点を太陽へと変えられる絵描きもいる

何かをするのに私は歳を取りすぎてると言われたら、そのことにすぐに取り組むようにしている

芸術作品は、部屋を飾るためにあるのではない。敵との闘争における武器なのだ

人間はコンピュータとは違って揺れ動いてますよね。だから、すべてのものを何かの思い入れを持って見ているんですね。なので、その時々によって違って見えてくることがあるんでしょうね

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする

芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない

あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない

究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある

芸術家は自分の芸術について語ることはできない。植物が園芸を語れないように

芸術は醜いものを生み出すが、しばしばそれは時とともに美しくなる。一方、流行は美しいものを生み出すが、それは常に時とともに醜くなる

私はあるがままの自分を受け入れてくれることだけを望む

壊れたギリシアの彫刻は、多くの傑作に分かたれた傑作です

彫刻に独創はいらない。生命がいる

画家の質はその人の過去の経験の量に左右される

現在持っているものに満足しない者は、持ちたいと思っているものを手に入れたところで、満足しないだろう

恋の始まりは瞬間でも、つきあいが長引くかどうかは、美醜よりも人間味にかかわる問題だ

私はユダヤの偉大な指導者、モーゼのように約束の土地に入れるのでしょうか?わずかに進歩しましたが、なぜこんなに遅々として骨が折れるのでしょう。芸術とは、ほんとうに聖職者のように、それに全身全霊を捧げる純粋な人々を求めるものなのでしょうか?

人生で起こりうる悪いことは二つしかない。パブロ・ピカソになることか、サルバドール・ダリになれないこと

1.必ずできると信じろ2.限界を越えろ3.「その時」を待つな4.行動しろ5.正しく問え6.ジャッジせず、隠された美を見ろ7.遅すぎることなんてない

我々は決して悪を選ぶことが出来ない。我々が選ぶのは常に善である

忍耐もまた行動の一つの形態だ

評価されるなんて一切必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと「音」を出す。これが前提だな

あなたの中に、あなたの知らない芸術家がいる。彼は月夜に物事がどの様に違って見えるか興味がないのだ
