
芸術家


芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている

人生に命を賭けていないんだ。だから、とかくただの傍観者になってしまう

私が生きているのは国王のため、スペインのため、カタロニアのためだ。天才は決して死なない。人類の進化は我々の手中にある。国王、万歳!スペイン、万歳!カタロニア万歳!

著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ

生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである

『自分の謎』で言っているような、自分への不思議な感覚というのはみんなもっているはずだけど、ほかの遊びに忙しくなって、どんどん忘れていっちゃう。でもその感覚ってどこかには残ってるんですね

普段は用途だけで見ているからわかんないんだけど、そのものだけをいきなり切り取って見たら、結構すごいものがいっぱいあります

雨が降るのは聞こえるが、雪が降るのは聞こえない。軽い悩みは大声で叫ぶが、大いなる苦悩は沈黙する

色彩は、それ自体が何かを表現している

すべてはむなしい

自然に生き、自分の気持ちをほんとうに伸ばしてゆこうとすれば、まず、いたるところで残酷に、壁に突きあたる

楽しくなかったら絵なんか描きませんよ

私はドラッグをしない。私自身がドラッグだ

覚えておくんだ。生涯あなたに付き添ってくれる唯一の人はあなた自身なんだ

スタイルとは、複雑なことを表現するための簡単な方法だ

多くの人が80代まで生きれないのは、彼らが長期に渡って40代で止まろうと努力するからだ

芸術というものは自然の研究に過ぎません。自然です。何もかもそこにあります

苦しい時には、自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ

鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう

毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。「サルバドール・ダリである」という喜びを

ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに

太陽を黄色い点に変えてしまう絵描きもいれば、黄色い点を太陽へと変えられる絵描きもいる

評価されるなんて一切必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと「音」を出す。これが前提だな

何を生命と呼ぶか。あらゆる意味から君を激動させるもの、君を突き貫くもののことである

愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある

テクニックばかりに気を取られる人たちは全ておいてミスをする

もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない

直観力と想像力を、抑え込んではならない

何も真似したくないと思う者は、何も生み出さない

私は絵を描く夢を見、そして私の夢を描く

悪趣味とはクリエイティブなもので、生物学を知識で操るようなもの

私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった

アクシデントが起きると、人はそれを変えようとするが、人には変えることが出来ない。アクシデントが人の内面を明らかにするだけだ

私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である

あなたの中に、あなたの知らない芸術家がいる。彼は月夜に物事がどの様に違って見えるか興味がないのだ

いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ

愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ

明日に引き伸ばせば、それは死んでしまう

子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ

芸術家にとって、自然の中に醜いものなど決して存在しない

人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ

愛は永久不滅なもの。姿かたちを変えることはあるが、本質は決して変わらない

画家は労働者が働くように勉強しなければならない

いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ

自分の中で一度燃え上がった想いというのは、止めることが出来ない

愛の前で自分の損得を考えること自体ナンセンスだ。そんな男は女を愛する資格はない

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

詩人にとって最大の悲劇は、誤解によって賞嘆されることだ

深く、恐ろしく真実を語る者であれ

美はざっと見てもわからない

わたしは立ち止まりはしない

先に見出し、後に捜し求めよ

私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる

絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ

人間にとって成功とはいったいなんだろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか

本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される

あなたの家庭はあなたの避難所だ。ただ、そこに閉じこもってはいけない

私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない

文学の偉大なる傑作とは、使えない辞書のようなものである

運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ

真の芸術家とは、喜びのために仕事をする唯一といってよい人達だ

我々は決して悪を選ぶことが出来ない。我々が選ぶのは常に善である

大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである

ユーモアを失わないように戦うのだ。ユーモアの欠如は愚の骨頂だ

恋の始まりは瞬間でも、つきあいが長引くかどうかは、美醜よりも人間味にかかわる問題だ

6才の時、コックになりたかった。7才の時、ナポレオンになりたかった。そして、私の野心は、それ以来着実に成長し続けている

やり方を学ぶ

僕は口が裂けても、諦めるなどとは言わない

何よりも辛いのは、永遠に完成することがないということだ

我々は何をするにも、常に自分自身に問わなければならない。もし皆がそうしたら、どんなことになるだろうと

「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい

私は何も発明したりしない。ただ、再発見するだけだ

私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい

人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている

偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ

芸術愛は真の愛情を失わせる

素朴に、無邪気に、幼児のような眼をみはらなければ、世界はふくらまない

日本人はやはり全員が五、六歳か、もしくはたんなる訴訟の素材なのだ

詩人は未来を回想する

明日描く絵が、一番すばらしい

現代人の欠点は自分の職業に愛と誇りを持っていないことである。多くの人が職業を必要悪の労役苦役と考えている

私が独りでいることは決してない。いつだってサルバドール・ダリといるのが習慣なんだ。信じておくれよ、それは永遠のパーティーってことなんだ

抽象画なんてものは無い。とりあえず描き始めて、それから現実の痕跡の全てを排除していくのだ

我々が描くのは顔の表?中?それとも裏か

あなたの人生の灰色を消してごらん。そして内に秘めたカラーで彩るんだ

絵を描くのは人生に耐えるための手段だ

全てのものは限られた量しかない。特に幸福は

電子辞書は確かに早く正確に引けるが遊びがない。紙の辞書は、引いた語句の両脇の語句が視界に入る。この種のノイズが文化を生む

人間が生きている社会基盤は、一瞬なりとも安定することなく、さまざまな変動によってつねに変化する

僕はずっと一人ぼっちでいるせいか、人と話すと自分のことばかり話してしまう

手慣れたものには飛躍がない。常に猛烈なシロウトとして、危険をおかし、直感に賭けてこそ、ひらめきが生まれるのだ

(作品をどのように見て欲しいですか?)ものの見方の色んな角度を感じてもらえたらいいですね

誰もが芸術を理解しようとする。ならば、なぜ鳥の声を理解しようとはしないのか

神々と肩を並べるには、たった一つのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ

自分の写真に、ほんのちょっと言葉をつけたいと思っていて…。はじめは簡単だと思って書いていたんですけど、あくる日にそれを見直してみたら、全然ダメで驚いたんです

子どものころから、四角形に対する漠然とした疑問はありましたね

自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ

運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない
