
芸術家


ナマ身で運命と対決して歓喜する。それがほんとうの生命感

明日に引き伸ばせば、それは死んでしまう

スタイルとは、複雑なことを表現するための簡単な方法だ

覚えておくんだ。生涯あなたに付き添ってくれる唯一の人はあなた自身なんだ

日本人が何をするにも明確であることが、私にはうらやましい

他の人間はなぜそうなったかを問う。私はいつも何ができるのか、なぜできないのかを問う

深く、恐ろしく真実を語る者であれ

流行なんて、文字どおり流れていく

苦しい時には、自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ

情熱をもって君たちの使命を愛せよ。これより美しいことはない

たとえこの人生が負け戦であろうと、いずれにせよ僕は「良い戦い」をしたい

私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ

(死んだら地獄と極楽のとちらに行きたいか?)どっちでもいいさ。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね

恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがある

近代的になるなんて努力しなくていい。悲惨なことになにをやろうと、唯一避けられないのがことがそれだから

私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ

大体、いちばん素晴らしい絵を描くのは四、五才くらいの子どもだよ

自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ

絵画というのは手で作った写真だ

楽しくなかったら絵なんか描きませんよ

トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくる

真実のほかに美はない

芸術家にとって、自然の中に醜いものなど決して存在しない

この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ

本当を言えば、すべてが思想で、すべてが象徴である

僕は口が裂けても、諦めるなどとは言わない

人は、若くても年をとっても、絶えず成長したり変化したりしていますよね。固定したものはないんですね。だから、今、面白くないものは、あえて見ることもないなっていう気もします

色彩は、それ自体が何かを表現している

みんな神話が好きだ。だから私の絵を愛するのだ

嫌われることは愛されることより難しい

ただこの世の中に生まれてきたから、惰性で生きてるなんて、そんなやつは、生きてる必要ない

直観力と想像力を、抑え込んではならない

愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ

自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです

だいたい世の中にある「もの」って用件のあるものですよね。でも、単に「もの」を道具としてみるのではなくて、ものの見方の楽しさを感じて欲しいと思います。こういうのってフィールドワークなんです

人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない

天才になるには天才のふりをすればいい

私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている

一番美しい絵は、寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、決して実現しない絵だ

手には、物を掴む手と放す手がある

やっぱりその時(写真を撮った時)に「良い」と気が付くのは感覚というか、その時の感受性ですからね。それがないとゴミはゴミのままなんですね。実際にゴミだったのかも知れないし、わからないですよね。写真は固定されたものではないっていうのを実感しますね

僕の人生はそれほど長くないだろう。だから僕は一つのことしか目に入らない無知な人となって仕事をするつもりだ。ここ数年のうちに何がしかの仕事をやり遂げてみせる

間違いは神聖なもの、それを正すというよりは合理的に考え、誤りを理解せよ。そうすれば間違いを昇華することが可能になる

芸術家は自分の芸術について語ることはできない。植物が園芸を語れないように

6才の時、コックになりたかった。7才の時、ナポレオンになりたかった。そして、私の野心は、それ以来着実に成長し続けている

絶対に言えるのは、時間が経つとワインと同じで良くなるんです。少々の時間じゃだめだけどね、100年後とかね。何でもない写真でも100年経ったらすごく良く感じるんですよ

心の底から平気で、出世なんかしなくていいと思っていれば、遠くの方でちぢこまっている犬のようにはみえないんだ

偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ

絵を描くのは人生に耐えるための手段だ

もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない

自然が本当に好きなら、あらゆるところで美を見い出せるだろう

電子辞書は確かに早く正確に引けるが遊びがない。紙の辞書は、引いた語句の両脇の語句が視界に入る。この種のノイズが文化を生む

画家の質はその人の過去の経験の量に左右される

何も真似したくないと思う者は、何も生み出さない

自分の思い通りにしかできないことは、自分の思いだけに閉じ込められるということになる。自分の思い通りが突っ走った結果は、自分が自分の壁の中に閉じ込められて、外気は遮断されて、そのままでは一酸化炭素中毒となってしまう

沈黙は絶叫よりも恐ろしい

私はあるがままの自分を受け入れてくれることだけを望む

見ることと感ずることを知る者は、至る所に常に賛美すべきものを見出すだろう

眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です

愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある

人生で最もすばらしい癒し、それが愛なのだ

アイディアは出発点以上のものではない。固まったらその先かたちを決めるのは思考だ

モネは、ひとえに眼にほかならない。しかし、何という眼だろう

私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない

著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ

生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである

ミュージアムをひとつくれ。埋めてやる

芸術愛は真の愛情を失わせる

彫刻に独創はいらない。生命がいる

全てのものは限られた量しかない。特に幸福は

壊れたギリシアの彫刻は、多くの傑作に分かたれた傑作です

運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない

人間はコンピュータとは違って揺れ動いてますよね。だから、すべてのものを何かの思い入れを持って見ているんですね。なので、その時々によって違って見えてくることがあるんでしょうね

大事は寄せ集められた小事によってなされる

人間が生きる限り、死人も生きているんだ

見るために、私は目を閉じる

自分が何をやるかさえ確かだったら、少しぐらい待ってもなんでもない

天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ

常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ

人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている

芸術家とは自分のやっていることに喜びを覚える人のこと。だから、すべての職業に芸術家がいるのが望ましいのだ

アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う

素朴に、無邪気に、幼児のような眼をみはらなければ、世界はふくらまない

詩人は常に真実を語る嘘つきである

芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている

何かをするのに私は歳を取りすぎてると言われたら、そのことにすぐに取り組むようにしている

母は、私にこう言った。「あなたは、軍人になれば、いずれ将軍となるでしょう。修道士になれば、最後には法王となるでしょう」私は、その代わりに画家になり、結局ピカソとなった

私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会・・ 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである

愛の前で自分の損得を考えること自体ナンセンスだ。そんな男は女を愛する資格はない

孤独であって、充実している、そういうのが人間だ

過去とは、所有者の贅沢だ。過去を整頓しておくには一軒の家を持つことが必要だ。私は自分の体しか持たない

悪貨は良貨を駆逐するという原理と同じで、形式は実質を駆逐する

絵というものはぼくにとって、愛すべきもの、愉しくて美しいものでなければならないんだよ。そう、美しいものだ!人生には厭なことが多すぎるんでね、これ以上厭なものなんかこしらえたくないんだよ

例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ

これを描いたのはあなたですか?いや、違う。きみたちだ

批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける

すべては奇跡だ。例えば、お風呂に入ったとき、あなたがお湯に溶けてしまわないことだって

自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる
