
芸術家


あなたの家庭はあなたの避難所だ。ただ、そこに閉じこもってはいけない

もし、黄色と橙色がなければ青色もない

私は、愛したいと思いながら、それができない。私は、愛すまいと思いながら、それができない

人生で最もすばらしい癒し、それが愛なのだ

例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ

自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである

思いついたことは出来る。思いつかないものは出来ない。これは避けがたく、明白なことだ

詩人にとって最大の悲劇は、誤解によって賞嘆されることだ

偉大な男の背後には必ず、その男を愛してくれる女がいた。「愛する女がかなえてくれるレベルより、もっと偉大になんか男はなれない」という言葉には、多くの真理が含まれている

画家がどれだけ素晴らしいパレットを持っていても意味がない。大事なのは、どんな眼を持っているかなんだ

全然文明化されていない環境と孤独が、死の間際にいたり、私の内部で、最後の熱情のひらめきを復活させるのです。そしてその熱情こそ、私の想像力を、今いちど燃やし、私の才能を、最後の出口へと導いてくれるものなのです

同じことを繰り返すくらいなら、死んでしまえ

眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です

人生に命を賭けていないんだ。だから、とかくただの傍観者になってしまう

人は生涯、同一水準の作品しか書けない

傑作なのか屑なのかわからない

私は、人生の岐路に立った時、いつも困難な方の道を選んできた

芸術に従って芸術を作ってはならぬ

我々は何をするにも、常に自分自身に問わなければならない。もし皆がそうしたら、どんなことになるだろうと

愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ

人生は意義ある悲劇だ。それで美しいのだ。生き甲斐がある

ノスタルジアに屈してはならない。道に出て、隣町や外国に行くんだ。ただ、痛々しい過去を旅していけない

「志」のない知恵は、翼のない鳥に等しい

やっぱりその時(写真を撮った時)に「良い」と気が付くのは感覚というか、その時の感受性ですからね。それがないとゴミはゴミのままなんですね。実際にゴミだったのかも知れないし、わからないですよね。写真は固定されたものではないっていうのを実感しますね

芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている

日本人が何をするにも明確であることが、私にはうらやましい

私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会・・ 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである

僕はずっと一人ぼっちでいるせいか、人と話すと自分のことばかり話してしまう

「それにしてもあの絵は全然彼女に似ていないな」なに、彼女の方でだんだん絵に似てくるさ

大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである

絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ

女が何を考えているのか、すっかりわかれば、男は何千倍も大胆になるだろう

芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる

詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ

人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ

運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ

私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい

スタイルとは、複雑なことを表現するための簡単な方法だ

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする

恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない

孤独であって、充実している、そういうのが人間だ

低級な芸術家たちは、常に他人の眼鏡をかける

この世は偶然に満ちている。だから人間は人工管理の街を造った。でも、街はいづれ老朽化し、その隙間から、追い出された偶然がまた顔をのぞかせる。カメラにはそれが美味しい

家の仕事をしている女性は、この世でもっとも美しい

詩人は常に真実を語る嘘つきである

悪貨は良貨を駆逐するという原理と同じで、形式は実質を駆逐する

人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ

人生で起こりうる悪いことは二つしかない。パブロ・ピカソになることか、サルバドール・ダリになれないこと

美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ

考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく

想像できることは、すべて現実なのだ

明日描く絵が、一番すばらしい

最も美しい主題は君たちの前にある。なぜといえばそれらのものこそ君たちが一番よく知っているからである

自然は至上の建築物である。自然の一切は最も美しい釣り合いをもって建てられている

アイディアは出発点以上のものではない。固まったらその先かたちを決めるのは思考だ

与えようとばかりして、貰おうとしなかった。なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。ただ相手に与えるだけではいけない。相手からも貰わなくては

芸術家とは自分のやっていることに喜びを覚える人のこと。だから、すべての職業に芸術家がいるのが望ましいのだ

毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。「サルバドール・ダリである」という喜びを

カニバリズムは最も明確な優しさの表現のひとつだ

面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ

本当を言えば、すべてが思想で、すべてが象徴である

私の創造の源泉は、私が愛する人々である

日本人はやはり全員が五、六歳か、もしくはたんなる訴訟の素材なのだ

私はあるがままの自分を受け入れてくれることだけを望む

私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である

自然が本当に好きなら、あらゆるところで美を見い出せるだろう

人生の目的は悟ることではありません。生きるんです

行動がすべての成功の鍵だ

僕がしてきたことは、僕たちとって一番いいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない

子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ

現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ

鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう

たとえこの人生が負け戦であろうと、いずれにせよ僕は「良い戦い」をしたい

絵というものはぼくにとって、愛すべきもの、愉しくて美しいものでなければならないんだよ。そう、美しいものだ!人生には厭なことが多すぎるんでね、これ以上厭なものなんかこしらえたくないんだよ

猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めていく以外にない

生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである

天才になるには天才のふりをすればいい

偽の絵描きは、この木、この犬を見ない。木というもの、犬というものを見るだけだ。同じものは何ひとつないのに

ユーモアを失わないように戦うのだ。ユーモアの欠如は愚の骨頂だ

優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む

愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある

私は大金を持った、貧乏人のように暮らしたい

沈黙は絶叫よりも恐ろしい

少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます

美はざっと見てもわからない

明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけ

愛は人生において、最も優れた栄養源である

老年は騒音から遠ざかる。沈黙と忘却に仕える

自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです

普段は用途だけで見ているからわかんないんだけど、そのものだけをいきなり切り取って見たら、結構すごいものがいっぱいあります

神々と肩を並べるには、たった一つのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ

昔の夢によりかかったり、くよくよすることは、現在を侮辱し、おのれを貧困化することにしかならない

この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ

なにが芸術家かって?それを知ってたら、注意深く、ばらさないようにしておくよ

人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない

完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから

芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない

線の芸術と色の芸術とがあるように、言葉の芸術だってそれより劣るものじゃない
