ロダン(Franois-Auguste-Ren Rodin) 肝心なのは感動すること、愛すること、希望を持つこと、打ち震えること、生きること。芸術家である以前に、人間であることだ ロダン(Franois-Auguste-Ren Rodin)
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
赤瀬川原平 運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする 赤瀬川原平
赤瀬川原平 今回この写真文庫(岩波写真文庫)を一冊ずつ選んで、いまの世から眺めていきながら、時代の空気というものをつくづく感じた。活字、つまり言葉では説明しきれないことが、写真からはぷんぷん匂ってくる。このシリーズは、戦後の空気の貴重な貯蔵庫だ。いまの肥満ぎみの世の中は、じつはこの空気を吸うことからはじまっている。良くも悪くも、この空気がいまの日本人の両親なのだ 赤瀬川原平
ポール・セザンヌ(Paul Czanne) 私はユダヤの偉大な指導者、モーゼのように約束の土地に入れるのでしょうか?わずかに進歩しましたが、なぜこんなに遅々として骨が折れるのでしょう。芸術とは、ほんとうに聖職者のように、それに全身全霊を捧げる純粋な人々を求めるものなのでしょうか? ポール・セザンヌ(Paul Czanne)
ジャン・コクトー(Jean Cocteau) あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない ジャン・コクトー(Jean Cocteau)
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 何かをうまく語ることは、何かをうまく描くことと同様に難しくもあり面白いものだ フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
ロダン(Franois-Auguste-Ren Rodin) 自然は至上の建築物である。自然の一切は最も美しい釣り合いをもって建てられている ロダン(Franois-Auguste-Ren Rodin)
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 日本人が何をするにも明確であることが、私にはうらやましい フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
ロダン(Franois-Auguste-Ren Rodin) 最も美しい主題は君たちの前にある。なぜといえばそれらのものこそ君たちが一番よく知っているからである ロダン(Franois-Auguste-Ren Rodin)
赤瀬川原平 親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか 赤瀬川原平
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 私はあるがままの自分を受け入れてくれることだけを望む フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
パブロ・ピカソ(Pablo Picasso) 私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 自然が本当に好きなら、あらゆるところで美を見い出せるだろう フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 僕はずっと一人ぼっちでいるせいか、人と話すと自分のことばかり話してしまう フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 虫だって光の好きなのと嫌いなのと二通りあるんだ!人間だって同じだよ、皆が皆明るいなんて不自然さ! フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
赤瀬川原平 そもそも不用のものや、そこに転がっているものに「妙なもの」があるんです。これは「妙なもの」としか言いようがないんですけど、それは、まだ誰も見ていないということもあって、それを発見するのが面白かったんですね 赤瀬川原平
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 愛は永久不滅なもの。姿かたちを変えることはあるが、本質は決して変わらない フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
赤瀬川原平 選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる 赤瀬川原平
ロダン(Franois-Auguste-Ren Rodin) 自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある ロダン(Franois-Auguste-Ren Rodin)
パブロ・ピカソ(Pablo Picasso) 芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
岡本太郎 自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ 岡本太郎
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 自分の中に炎を持ち、魂を抱えているのに、どうして、閉じ込めておくことが出来ようか フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
ロダン(Franois-Auguste-Ren Rodin) 天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ ロダン(Franois-Auguste-Ren Rodin)
ポール・セザンヌ(Paul Czanne) 自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです ポール・セザンヌ(Paul Czanne)
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 僕がしてきたことは、僕たちとって一番いいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)