フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
ジャン・コクトー(Jean Cocteau) 芸術は醜いものを生み出すが、しばしばそれは時とともに美しくなる。一方、流行は美しいものを生み出すが、それは常に時とともに醜くなる ジャン・コクトー(Jean Cocteau)
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
サルバドール・ダリ(Salvador Dali) 私が独りでいることは決してない。いつだってサルバドール・ダリといるのが習慣なんだ。信じておくれよ、それは永遠のパーティーってことなんだ サルバドール・ダリ(Salvador Dali)
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 僕の人生はそれほど長くないだろう。だから僕は一つのことしか目に入らない無知な人となって仕事をするつもりだ。ここ数年のうちに何がしかの仕事をやり遂げてみせる フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
ロダン(Franois-Auguste-Ren Rodin) 天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ ロダン(Franois-Auguste-Ren Rodin)
赤瀬川原平 癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた 赤瀬川原平
サルバドール・ダリ(Salvador Dali) 私が生きているのは国王のため、スペインのため、カタロニアのためだ。天才は決して死なない。人類の進化は我々の手中にある。国王、万歳!スペイン、万歳!カタロニア万歳! サルバドール・ダリ(Salvador Dali)
赤瀬川原平 世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく 赤瀬川原平
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
パブロ・ピカソ(Pablo Picasso) 偉大な男の背後には必ず、その男を愛してくれる女がいた。「愛する女がかなえてくれるレベルより、もっと偉大になんか男はなれない」という言葉には、多くの真理が含まれている パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
ルノワール(Pierre-Auguste Renoir) 芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる ルノワール(Pierre-Auguste Renoir)
赤瀬川原平 カメラっていうのは難しいんですね。湿気が一番良くないんだけど、乾燥しすぎても良くないらしい。湿度調整する装置がありますけど、あれで安心しても良くないらしいとか。やっぱり、使っているのが一番良くて、しまい込むのが一番良くないんですね。人間と同じなんですね。人間だって引きこもってばかりじゃよくないしね 赤瀬川原平
ロダン(Franois-Auguste-Ren Rodin) 自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる ロダン(Franois-Auguste-Ren Rodin)
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 僕がしてきたことは、僕たちとって一番いいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
赤瀬川原平 今回この写真文庫(岩波写真文庫)を一冊ずつ選んで、いまの世から眺めていきながら、時代の空気というものをつくづく感じた。活字、つまり言葉では説明しきれないことが、写真からはぷんぷん匂ってくる。このシリーズは、戦後の空気の貴重な貯蔵庫だ。いまの肥満ぎみの世の中は、じつはこの空気を吸うことからはじまっている。良くも悪くも、この空気がいまの日本人の両親なのだ 赤瀬川原平
パブロ・ピカソ(Pablo Picasso) 神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
パブロ・ピカソ(Pablo Picasso) 私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
赤瀬川原平 運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない 赤瀬川原平
ルノワール(Pierre-Auguste Renoir) 画家がどれだけ素晴らしいパレットを持っていても意味がない。大事なのは、どんな眼を持っているかなんだ ルノワール(Pierre-Auguste Renoir)
赤瀬川原平 路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね 赤瀬川原平
サルバドール・ダリ(Salvador Dali) 制服は征服するためにかかせない。私の人生を通じて、市民の衣装を着るほど自分をおとしめるのは稀だった。私はいつもダリという制服を着ている サルバドール・ダリ(Salvador Dali)
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
赤瀬川原平 運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする 赤瀬川原平
赤瀬川原平 自分にとっていちばん面白いのは、思いもしないものに出会うことだ。自分の思いを超えたものにめぐり合うことである。何故それが面白いかといえば、そのことで自分が広がっていく快感があるからである 赤瀬川原平
パブロ・ピカソ(Pablo Picasso) 芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)