
芸術家


いつでも大空が、自然の果てしないものが私を引きつけ、喜びをもって眺める機会を私に与えてくれる

あなたの家庭はあなたの避難所だ。ただ、そこに閉じこもってはいけない

一番美しい絵は、寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、決して実現しない絵だ

自然は至上の建築物である。自然の一切は最も美しい釣り合いをもって建てられている

明日に引き伸ばせば、それは死んでしまう

天才になるには天才のふりをすればいい

先に見出し、後に捜し求めよ

大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである

他の人間はなぜそうなったかを問う。私はいつも何ができるのか、なぜできないのかを問う

覚えておくんだ。生涯あなたに付き添ってくれる唯一の人はあなた自身なんだ

大切なことは混沌を拡大することだ。混沌を消し去ってはいけない

世間が決して飽きない唯一のものは誇張表現だ

芸術家とは自分のやっていることに喜びを覚える人のこと。だから、すべての職業に芸術家がいるのが望ましいのだ

絵を描くのは人生に耐えるための手段だ

ナマ身で運命と対決して歓喜する。それがほんとうの生命感

「それにしてもあの絵は全然彼女に似ていないな」なに、彼女の方でだんだん絵に似てくるさ

挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない

コレラや尿石や結核や癌は、天上へ行く交通機関

感情が伴わない作品は、芸術ではない

ようやく何かわかりかけてきたような気がする。私はまだ、進歩している

スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する

詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ

私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている

私は、愛したいと思いながら、それができない。私は、愛すまいと思いながら、それができない

眼前のものに深く入ること。そしてできうる限り論理的な自己表現を、忍耐強く行うことです

私には規則や方式は一切ない。裸婦を見る、すると幾千ものちいさな色合いが見えてくる。その中から、生き続けるものを探し出し、そのようにして真新しい色調をキャンバスの上に躍動させるのだ

手には、物を掴む手と放す手がある

経験を賢く活かすならば、何事も時間の無駄にはならない

愛の前で自分の損得を考えること自体ナンセンスだ。そんな男は女を愛する資格はない

人間は精神が拡がる時と、閉じこもる時が必ずある。強烈に閉じこもりがちな人ほど逆に広がる時がくる

シュルレアリズムは破壊的だ。しかし、それは我々のビジョンを限定する錠の留め金とみなされるものだけを破壊するものだ

自然が本当に好きなら、あらゆるところで美を見い出せるだろう

本当を言えば、すべてが思想で、すべてが象徴である

努力というのは、恐らく運や偶然を追いつめて縮めて微細なものにしていって、自分で掴まえやすくするためのものではないのかと思うのである

彫刻は、凹凸の術である

芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる

頭のおかしい人と私の唯一の違いは私は頭がおかしくないということ

詩人にとって最大の悲劇は、誤解によって賞嘆されることだ

全然文明化されていない環境と孤独が、死の間際にいたり、私の内部で、最後の熱情のひらめきを復活させるのです。そしてその熱情こそ、私の想像力を、今いちど燃やし、私の才能を、最後の出口へと導いてくれるものなのです

心の底から平気で、出世なんかしなくていいと思っていれば、遠くの方でちぢこまっている犬のようにはみえないんだ

世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく

思いついたことは出来る。思いつかないものは出来ない。これは避けがたく、明白なことだ

生きる日のよろこび、悲しみ。一日一日が新しい彩りをもって息づいている

芸術家にとって、自然の中に醜いものなど決して存在しない

とりあえず放送した方がいいというので、日本の世の中には形式だけのアナウンスがわんさと流れている。日本人は形式が好きだ、と思われても仕方のないことだ

自分にとっていちばん面白いのは、思いもしないものに出会うことだ。自分の思いを超えたものにめぐり合うことである。何故それが面白いかといえば、そのことで自分が広がっていく快感があるからである

運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない

着物を脱ぐ女性の美しさは、雲を貫く太陽のようだ

回教徒が寺院に入るとき靴を脱ぐように、私は仕事中、ドアの外に肉体を置いてくる

絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ

雨が降るのは聞こえるが、雪が降るのは聞こえない。軽い悩みは大声で叫ぶが、大いなる苦悩は沈黙する

愛は人生において、最も優れた栄養源である

もし仕事というものが、人間にとって生きることのあがないではなく、生きることの目的であったら、人間はどんなに幸福だろう

芸術において不道徳は存在しない。芸術はつねに神聖である

危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ

芸術愛は真の愛情を失わせる

私は天才になるし、世界は私を称賛するだろう。評価されないかもしれないし、理解されないかもしれない。しかし天才になる、偉大な天才にね。なぜなら私はそのことを確信しているからさ

絵というものはぼくにとって、愛すべきもの、愉しくて美しいものでなければならないんだよ。そう、美しいものだ!人生には厭なことが多すぎるんでね、これ以上厭なものなんかこしらえたくないんだよ

自分の打ったボールがどこへ飛ぼうがかまわない。スカッと飛びさえすれば、いい気持ちなんだ

究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある

芸術とは、自然が人間に映ったものです。大事なことは、鏡をみがくことです

人の本当の仕事は30歳になってから始まる

自分の好きな音を勝手に出す、出したい音を出したらいい

ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです

絶対に言えるのは、時間が経つとワインと同じで良くなるんです。少々の時間じゃだめだけどね、100年後とかね。何でもない写真でも100年経ったらすごく良く感じるんですよ

鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう

アクシデントが起きると、人はそれを変えようとするが、人には変えることが出来ない。アクシデントが人の内面を明らかにするだけだ

自由であるとは、自由であるべく呪われていることである

運命に耐えているとき、そこに真理が見える

ノスタルジアに屈してはならない。道に出て、隣町や外国に行くんだ。ただ、痛々しい過去を旅していけない

孤独の中では何もできることはない

スタイルとは、複雑なことを表現するための簡単な方法だ

盗作は情けない

偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ

そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ

私は捜し求めない。見出すのだ

美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように

ゴッホは美しい。しかしきれいではない。ピカソは美しい。しかし、決してキレイではない

この世は偶然に満ちている。だから人間は人工管理の街を造った。でも、街はいづれ老朽化し、その隙間から、追い出された偶然がまた顔をのぞかせる。カメラにはそれが美味しい

芸術は悲しみと苦しみから生まれる

私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である

制服は征服するためにかかせない。私の人生を通じて、市民の衣装を着るほど自分をおとしめるのは稀だった。私はいつもダリという制服を着ている

なんでもいいから、まずやってみる

少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます

百の欠点を無くしている暇があるなら、一つの長所を伸した方がいい

『自分の謎』で言っているような、自分への不思議な感覚というのはみんなもっているはずだけど、ほかの遊びに忙しくなって、どんどん忘れていっちゃう。でもその感覚ってどこかには残ってるんですね

人間にとって成功とはいったいなんだろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか

芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない

神々と肩を並べるには、たった一つのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ

運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか

若さと年齢は無関係

とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである

文学の偉大なる傑作とは、使えない辞書のようなものである

眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です

画家は労働者が働くように勉強しなければならない

自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです

子どものころから、四角形に対する漠然とした疑問はありましたね

私は、自分の作品に心と魂を込める。そして制作過程では我を失う
