
芸術家


考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく

絵の玄人なんていうものは、絵描きに対してロクなアドバイスをしない

ただこの世の中に生まれてきたから、惰性で生きてるなんて、そんなやつは、生きてる必要ない

ふつうは歳をとったとかモーロクしたとかあいつもだいぶボケたとかいうんだけどそういう言葉の代わりに「あいつもかなり老人力がついてきたな」という風に言うのである。そうすると何だか歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい

このまま行けと、僕の中の僕が命じるんだ

できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である

むしろ「成功は失敗のもと」と逆に言いたい。その方が、この人生の面白さを正確に言いあてている

著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ

抽象画なんてものは無い。とりあえず描き始めて、それから現実の痕跡の全てを排除していくのだ

他人に興味を持ってもらいたければ挑発しなければならない

閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ

恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがある

富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう

私はユダヤの偉大な指導者、モーゼのように約束の土地に入れるのでしょうか?わずかに進歩しましたが、なぜこんなに遅々として骨が折れるのでしょう。芸術とは、ほんとうに聖職者のように、それに全身全霊を捧げる純粋な人々を求めるものなのでしょうか?

あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない

我々は何をするにも、常に自分自身に問わなければならない。もし皆がそうしたら、どんなことになるだろうと

詩人は未来を回想する

情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚を持つんだ

(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です

私の健康を祝して乾杯してくれ

多くの人が80代まで生きれないのは、彼らが長期に渡って40代で止まろうと努力するからだ

インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ

仕事は人間に必要だ。だから人は目覚まし時計を発明した

女が愛し、愛されると彼女は変わる。誰も彼女にかまわなくなると、精神が乱れてその魅力が失われる

風景なら その中を散歩したくなるような、女性なら その人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい

アバウトは健康にいい

美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように

アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う

自分にとっていちばん面白いのは、思いもしないものに出会うことだ。自分の思いを超えたものにめぐり合うことである。何故それが面白いかといえば、そのことで自分が広がっていく快感があるからである

自然が本当に好きなら、あらゆるところで美を見い出せるだろう

芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる

アクシデントが起きると、人はそれを変えようとするが、人には変えることが出来ない。アクシデントが人の内面を明らかにするだけだ

やり方を学ぶ

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか

文学の偉大なる傑作とは、使えない辞書のようなものである

私は何も発明したりしない。ただ、再発見するだけだ

虫だって光の好きなのと嫌いなのと二通りあるんだ!人間だって同じだよ、皆が皆明るいなんて不自然さ!

今回この写真文庫(岩波写真文庫)を一冊ずつ選んで、いまの世から眺めていきながら、時代の空気というものをつくづく感じた。活字、つまり言葉では説明しきれないことが、写真からはぷんぷん匂ってくる。このシリーズは、戦後の空気の貴重な貯蔵庫だ。いまの肥満ぎみの世の中は、じつはこの空気を吸うことからはじまっている。良くも悪くも、この空気がいまの日本人の両親なのだ

人間はコンピュータとは違って揺れ動いてますよね。だから、すべてのものを何かの思い入れを持って見ているんですね。なので、その時々によって違って見えてくることがあるんでしょうね

他人を模写するのは必要なことである。しかし、自分を模写するのは哀れなものだ

あのアナウンス(「ファウルボールにはご注意下さい」)であらためて注意する間抜けはいない。でもあのようにいっておかないと、後で怪我して訴えられたら困るというのがある。アメリカ仕込みの訴訟社会の風習である

創造の最大の敵は「良い」センスだ

芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている

芸術は醜いものを生み出すが、しばしばそれは時とともに美しくなる。一方、流行は美しいものを生み出すが、それは常に時とともに醜くなる

何よりも辛いのは、永遠に完成することがないということだ

素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する

人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ

この世は偶然に満ちている。だから人間は人工管理の街を造った。でも、街はいづれ老朽化し、その隙間から、追い出された偶然がまた顔をのぞかせる。カメラにはそれが美味しい

悪貨は良貨を駆逐するという原理と同じで、形式は実質を駆逐する

本当を言えば、すべてが思想で、すべてが象徴である

神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ

熱帯の夜の静寂の中で、私が私の心からの囁きと柔軟な音楽を聞くことができます

真の芸術家とは、喜びのために仕事をする唯一といってよい人達だ

被写体に最初に出会った時の写真が一番良いんですね。うまく撮ろうとたくらんだ写真は、素直な力がなくなる

私の耳は貝から 海の響きを懐かしむ

若さと年齢は無関係

苦しい時には、自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ

鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう

人生とは自らの道である。一つのことを試みることであり、一つの道を端的に示すことである

一番美しい絵は、寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、決して実現しない絵だ

直観力と想像力を、抑え込んではならない

優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む

間違いは神聖なもの、それを正すというよりは合理的に考え、誤りを理解せよ。そうすれば間違いを昇華することが可能になる

人生に命を賭けていないんだ。だから、とかくただの傍観者になってしまう

自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。なければ尚いい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ

盗作は情けない

あなたの人生の灰色を消してごらん。そして内に秘めたカラーで彩るんだ

自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ

恋の始まりは瞬間でも、つきあいが長引くかどうかは、美醜よりも人間味にかかわる問題だ

私はドラッグをしない。私自身がドラッグだ

芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない

私は絵を描く夢を見、そして私の夢を描く

あなたのインスピレーションやイマジネーションを抑えてはならない。模範の奴隷になるな

全てのものは限られた量しかない。特に幸福は

運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ

眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です

この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ

悪趣味とはクリエイティブなもので、生物学を知識で操るようなもの

凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです

孤独の中では何もできることはない

家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる

眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ

創造性の最大の敵は良きセンスだ

少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます

傑作なのか屑なのかわからない

いかなる革命も、3日目から堕落が始まる

彫刻に独創はいらない。生命がいる

とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである

本物の画家というのは何もない砂漠で異常なシーンを描ける人だ

天才になるには天才のふりをすればいい

偶然というのは、結局人間的なことなんじゃないか

カメラっていうのは難しいんですね。湿気が一番良くないんだけど、乾燥しすぎても良くないらしい。湿度調整する装置がありますけど、あれで安心しても良くないらしいとか。やっぱり、使っているのが一番良くて、しまい込むのが一番良くないんですね。人間と同じなんですね。人間だって引きこもってばかりじゃよくないしね

詩人にとって最大の悲劇は、誤解によって賞嘆されることだ

秘訣というものはない。ただ正しさの法則があるばかりだ

いつでも大空が、自然の果てしないものが私を引きつけ、喜びをもって眺める機会を私に与えてくれる

普段は用途だけで見ているからわかんないんだけど、そのものだけをいきなり切り取って見たら、結構すごいものがいっぱいあります

私は、愛したいと思いながら、それができない。私は、愛すまいと思いながら、それができない
