
芸術家


生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである

本物の画家というのは歴史の騒乱に囲まれながらも洋ナシを根気強く描ける人だ

苦しい時には、自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ

私はあるがままの自分を受け入れてくれることだけを望む

大体、いちばん素晴らしい絵を描くのは四、五才くらいの子どもだよ

あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない

絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ

若いとき旅をしなければ、老いてからの物語がない

友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる

壊れたギリシアの彫刻は、多くの傑作に分かたれた傑作です

家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる

母は、私にこう言った。「あなたは、軍人になれば、いずれ将軍となるでしょう。修道士になれば、最後には法王となるでしょう」私は、その代わりに画家になり、結局ピカソとなった

何を生命と呼ぶか。あらゆる意味から君を激動させるもの、君を突き貫くもののことである

何かをうまく語ることは、何かをうまく描くことと同様に難しくもあり面白いものだ

これを描いたのはあなたですか?いや、違う。きみたちだ

時間は私たちに残された数少ない大切なものだ

私は対象を見えるようにではなく、私が思うように描くのだ

99回倒されても、100回目に立ち上がればよい

人に善をなせば、とがめられるものだ

芸術は悲しみと苦しみから生まれる

ゴッホは美しい。しかしきれいではない。ピカソは美しい。しかし、決してキレイではない

運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない

いいんだ。岡本太郎の責任でやるんだから

今は、もう感動はない。だから感想が湧くのである。感動には叫びはあるだろうが言葉はない

沈黙は絶叫よりも恐ろしい

いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ

画家がどれだけ素晴らしいパレットを持っていても意味がない。大事なのは、どんな眼を持っているかなんだ

人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている

私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会・・ 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである

誰のために創るんだろう。考えたことあるか。自分のために?そんなの甘っちょろいよ。植木づくりでもやるんならそれでいいんだ。金のために?だったら創るより早いやり方がいくらでもあるだろう

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

このまま行けと、僕の中の僕が命じるんだ

あのアナウンス(「ファウルボールにはご注意下さい」)であらためて注意する間抜けはいない。でもあのようにいっておかないと、後で怪我して訴えられたら困るというのがある。アメリカ仕込みの訴訟社会の風習である

情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚を持つんだ

流行なんて、文字どおり流れていく

自分の強さを実感している人は、謙虚になる

芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない

スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する

普通、表現の仕事であれば作者というものがいますよね。しかし、トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくるんですよね

運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか

肝心なのは感動すること、愛すること、希望を持つこと、打ち震えること、生きること。芸術家である以前に、人間であることだ

美はざっと見てもわからない

線の芸術と色の芸術とがあるように、言葉の芸術だってそれより劣るものじゃない

昔の夢によりかかったり、くよくよすることは、現在を侮辱し、おのれを貧困化することにしかならない

人の本当の仕事は30歳になってから始まる

眼前のものに深く入ること。そしてできうる限り論理的な自己表現を、忍耐強く行うことです

人間は、毎日生まれ変わる

何にもなりはしない。僕が生きていれば、悲しみはいつまでも続くだろう。僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってだんだ

危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ

むしろ「成功は失敗のもと」と逆に言いたい。その方が、この人生の面白さを正確に言いあてている

もし仕事というものが、人間にとって生きることのあがないではなく、生きることの目的であったら、人間はどんなに幸福だろう

芸術は、盗作であるか革命であるか、そのいずれかだ

コレラや尿石や結核や癌は、天上へ行く交通機関

百の欠点を無くしている暇があるなら、一つの長所を伸した方がいい

明日描く絵が、一番すばらしい

私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている

忍耐もまた行動の一つの形態だ

人間と人間との間柄には、愛よりほかの財産はない

完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから

私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい

女の美は性格の中にあるのです。情熱の中にあるのです

美はあらゆるところにある。我々の眼がそれを認めえないだけだ

私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です

僕はいつも自分が純粋に感じたこと、考えたことを、理解されようがされまいがダイレクトにぶつける

スタイルとは、複雑なことを表現するための簡単な方法だ

そもそも不用のものや、そこに転がっているものに「妙なもの」があるんです。これは「妙なもの」としか言いようがないんですけど、それは、まだ誰も見ていないということもあって、それを発見するのが面白かったんですね

着物を脱ぐ女性の美しさは、雲を貫く太陽のようだ

美術館はちょっとまとまり過ぎてる感じで、博物館的な世界には思わぬものがあるんだよね

詩人は常に真実を語る嘘つきである

虫だって光の好きなのと嫌いなのと二通りあるんだ!人間だって同じだよ、皆が皆明るいなんて不自然さ!

究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある

普段は用途だけで見ているからわかんないんだけど、そのものだけをいきなり切り取って見たら、結構すごいものがいっぱいあります

凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです

人間は精神が拡がる時と、閉じこもる時が必ずある。強烈に閉じこもりがちな人ほど逆に広がる時がくる

私の健康を祝して乾杯してくれ

見るために、私は目を閉じる

真の芸術家とは、喜びのために仕事をする唯一といってよい人達だ

私が生きているのは国王のため、スペインのため、カタロニアのためだ。天才は決して死なない。人類の進化は我々の手中にある。国王、万歳!スペイン、万歳!カタロニア万歳!

画家は労働者が働くように勉強しなければならない

フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ

アクシデントが起きると、人はそれを変えようとするが、人には変えることが出来ない。アクシデントが人の内面を明らかにするだけだ

楽しくなかったら絵なんか描きませんよ

今回この写真文庫(岩波写真文庫)を一冊ずつ選んで、いまの世から眺めていきながら、時代の空気というものをつくづく感じた。活字、つまり言葉では説明しきれないことが、写真からはぷんぷん匂ってくる。このシリーズは、戦後の空気の貴重な貯蔵庫だ。いまの肥満ぎみの世の中は、じつはこの空気を吸うことからはじまっている。良くも悪くも、この空気がいまの日本人の両親なのだ

まっさらな目をもて!そして目的を捨てろ!

批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける

秘訣というものはない。ただ正しさの法則があるばかりだ

何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう

嫌われることは愛されることより難しい

愛の前で自分の損得を考えること自体ナンセンスだ。そんな男は女を愛する資格はない

過去とは、所有者の贅沢だ。過去を整頓しておくには一軒の家を持つことが必要だ。私は自分の体しか持たない

本物の画家というのは何もない砂漠で異常なシーンを描ける人だ

手には、物を掴む手と放す手がある

私は天才を自覚している

私は何も発明したりしない。ただ、再発見するだけだ

神童。それは多くの場合、非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである

もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない

自分にとっていちばん面白いのは、思いもしないものに出会うことだ。自分の思いを超えたものにめぐり合うことである。何故それが面白いかといえば、そのことで自分が広がっていく快感があるからである

君はあなた自身を創造していると思いなさい
