
芸術家


人間と人間との間柄には、愛よりほかの財産はない

人は生涯、同一水準の作品しか書けない

私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない

私は捜し求めない。見出すのだ

恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがある

芸術愛は真の愛情を失わせる

人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。これは我々の時代にはびこる病気だ

一番美しい絵は、寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、決して実現しない絵だ

素朴に、無邪気に、幼児のような眼をみはらなければ、世界はふくらまない

批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける

猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めていく以外にない

私は大理石の石塊を選び、必要としないものは何でも切り落とす

人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ

偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ

人間にとって成功とはいったいなんだろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか

何も真似したくないと思う者は、何も生み出さない

美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように

たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ

スタイルとは、複雑なことを表現するための簡単な方法だ

色彩は、それ自体が何かを表現している

自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ

究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある

すべては奇跡だ。例えば、お風呂に入ったとき、あなたがお湯に溶けてしまわないことだって

苦しい時には、自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ

もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない

人間は精神が拡がる時と、閉じこもる時が必ずある。強烈に閉じこもりがちな人ほど逆に広がる時がくる

いいんだ。岡本太郎の責任でやるんだから

人の本当の仕事は30歳になってから始まる

大事は寄せ集められた小事によってなされる

自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ

私の健康を祝して乾杯してくれ

僕はずっと一人ぼっちでいるせいか、人と話すと自分のことばかり話してしまう

明日描く絵が、一番すばらしい

全然文明化されていない環境と孤独が、死の間際にいたり、私の内部で、最後の熱情のひらめきを復活させるのです。そしてその熱情こそ、私の想像力を、今いちど燃やし、私の才能を、最後の出口へと導いてくれるものなのです

世間が決して飽きない唯一のものは誇張表現だ

自分の好きな音を勝手に出す、出したい音を出したらいい

抽象画なんてものは無い。とりあえず描き始めて、それから現実の痕跡の全てを排除していくのだ

本物の画家というのは歴史の騒乱に囲まれながらも洋ナシを根気強く描ける人だ

運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか

愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある

私は天才を自覚している

楽しくなかったら絵なんか描きませんよ

他人に興味を持ってもらいたければ挑発しなければならない

「それにしてもあの絵は全然彼女に似ていないな」なに、彼女の方でだんだん絵に似てくるさ

大体、いちばん素晴らしい絵を描くのは四、五才くらいの子どもだよ
