
芸術家


リンゴひとつでパリを征服する

芸術愛は真の愛情を失わせる

芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる

偶然というのは、結局人間的なことなんじゃないか

美はざっと見てもわからない

何にもなりはしない。僕が生きていれば、悲しみはいつまでも続くだろう。僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってだんだ

もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない

明日描く絵が、一番すばらしい

覚えておくんだ。生涯あなたに付き添ってくれる唯一の人はあなた自身なんだ

抽象画なんてものは無い。とりあえず描き始めて、それから現実の痕跡の全てを排除していくのだ

凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです

なにが芸術家かって?それを知ってたら、注意深く、ばらさないようにしておくよ

女が愛し、愛されると彼女は変わる。誰も彼女にかまわなくなると、精神が乱れてその魅力が失われる

今は、もう感動はない。だから感想が湧くのである。感動には叫びはあるだろうが言葉はない

私は、自分の作品に心と魂を込める。そして制作過程では我を失う

誰にも何の役にも立たないではないか。絵、展覧会──それがいったい何になる

百の欠点を無くしている暇があるなら、一つの長所を伸した方がいい

アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う

絵を描き始める前に、すでにそれは私の心の中に形作られている

これを描いたのはあなたですか?いや、違う。きみたちだ

私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている

現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ

スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する

未来は誰のものでもない。先駆者というものはおらず、時間に遅れた者しかいないのだ

だいたい世の中にある「もの」って用件のあるものですよね。でも、単に「もの」を道具としてみるのではなくて、ものの見方の楽しさを感じて欲しいと思います。こういうのってフィールドワークなんです

そもそも不用のものや、そこに転がっているものに「妙なもの」があるんです。これは「妙なもの」としか言いようがないんですけど、それは、まだ誰も見ていないということもあって、それを発見するのが面白かったんですね

気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常

他人を模写するのは必要なことである。しかし、自分を模写するのは哀れなものだ

感情が伴わない作品は、芸術ではない

女の顔はキャンバスだ 毎日女は少しだけ若い自画像をそこに描いている

芸術というものは自然の研究に過ぎません。自然です。何もかもそこにあります

自分にとっていちばん面白いのは、思いもしないものに出会うことだ。自分の思いを超えたものにめぐり合うことである。何故それが面白いかといえば、そのことで自分が広がっていく快感があるからである

危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ

もし、黄色と橙色がなければ青色もない

詩人は未来を回想する

本物の画家というのは何もない砂漠で異常なシーンを描ける人だ

私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ

私は、人生の岐路に立った時、いつも困難な方の道を選んできた

神童。それは多くの場合、非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである

私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている

(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です

神々と肩を並べるには、たった一つのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ

その人がいい趣味をしてるかどうかを見極めるのは簡単だ。絨毯と眉毛がマッチしているかだ

もし私が犬よりも猫が好きだというのなら、それは警察猫というものがいないからである

自分が何をやるかさえ確かだったら、少しぐらい待ってもなんでもない
