
芸術家


この世は偶然に満ちている。だから人間は人工管理の街を造った。でも、街はいづれ老朽化し、その隙間から、追い出された偶然がまた顔をのぞかせる。カメラにはそれが美味しい

心の底から平気で、出世なんかしなくていいと思っていれば、遠くの方でちぢこまっている犬のようにはみえないんだ

釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね

日本人はやはり全員が五、六歳か、もしくはたんなる訴訟の素材なのだ

盗作は情けない

芸術が愛らしいものであってなぜいけないんだ?世の中は不愉快なことだらけじゃないか

自分の打ったボールがどこへ飛ぼうがかまわない。スカッと飛びさえすれば、いい気持ちなんだ

ユーモアを失わないように戦うのだ。ユーモアの欠如は愚の骨頂だ

運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない

私はユダヤの偉大な指導者、モーゼのように約束の土地に入れるのでしょうか?わずかに進歩しましたが、なぜこんなに遅々として骨が折れるのでしょう。芸術とは、ほんとうに聖職者のように、それに全身全霊を捧げる純粋な人々を求めるものなのでしょうか?

私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ

自分の中にどうしても譲れないものがある。それを守ろうとするから弱くなる。そんなもの、ぶち壊してしまえ!

ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ

芸術において不道徳は存在しない。芸術はつねに神聖である

私は大理石の石塊を選び、必要としないものは何でも切り落とす

私はドラッグをしない。私自身がドラッグだ

文学の偉大なる傑作とは、使えない辞書のようなものである

赤がなければ、青を使います

閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ

もし私が犬よりも猫が好きだというのなら、それは警察猫というものがいないからである

カニバリズムは最も明確な優しさの表現のひとつだ

ノスタルジアに屈してはならない。道に出て、隣町や外国に行くんだ。ただ、痛々しい過去を旅していけない

人の本当の仕事は30歳になってから始まる

人間と人間との間柄には、愛よりほかの財産はない

いいんだ。岡本太郎の責任でやるんだから

彫刻に独創はいらない。生命がいる

画家は労働者が働くように勉強しなければならない

大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ

すべては奇跡だ。例えば、お風呂に入ったとき、あなたがお湯に溶けてしまわないことだって

人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている

嫌われることは愛されることより難しい

人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない

(カメラは)カビたり錆びたりもしますから、送られてきたお菓子とかに入っているシリカゲルを棚に入れたりしています。まあ、普通に置いてます

親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか

選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる

私は、人生の岐路に立った時、いつも困難な方の道を選んできた

僕は口が裂けても、諦めるなどとは言わない

フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ

危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ

詩人は常に真実を語る嘘つきである

自然が本当に好きなら、あらゆるところで美を見い出せるだろう

天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ

母は、私にこう言った。「あなたは、軍人になれば、いずれ将軍となるでしょう。修道士になれば、最後には法王となるでしょう」私は、その代わりに画家になり、結局ピカソとなった

僕たちの小さな情動が僕たちの人生の偉大な船長であることを、また僕たちは意識することなくこの小さな情動にしたがっていることを忘れないようにしよう

神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ
