
芸術家


(死んだら地獄と極楽のとちらに行きたいか?)どっちでもいいさ。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね

富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう

日本人が何をするにも明確であることが、私にはうらやましい

私は絵を描く夢を見、そして私の夢を描く

恋の始まりは瞬間でも、つきあいが長引くかどうかは、美醜よりも人間味にかかわる問題だ

自分の打ったボールがどこへ飛ぼうがかまわない。スカッと飛びさえすれば、いい気持ちなんだ

美術館はちょっとまとまり過ぎてる感じで、博物館的な世界には思わぬものがあるんだよね

詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ

この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ

もし、黄色と橙色がなければ青色もない

カメラっていうのは難しいんですね。湿気が一番良くないんだけど、乾燥しすぎても良くないらしい。湿度調整する装置がありますけど、あれで安心しても良くないらしいとか。やっぱり、使っているのが一番良くて、しまい込むのが一番良くないんですね。人間と同じなんですね。人間だって引きこもってばかりじゃよくないしね

画家の質はその人の過去の経験の量に左右される

芸術は、意識と無意識の融合である

私は大理石の石塊を選び、必要としないものは何でも切り落とす

ミュージアムをひとつくれ。埋めてやる

創造の最大の敵は「良い」センスだ

絵画というのは手で作った写真だ

私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる

カニバリズムは最も明確な優しさの表現のひとつだ

嫌われることは愛されることより難しい

手には、物を掴む手と放す手がある

術は日々の生活の埃(ほこり)を、魂から洗い流してくれる

運命に耐えているとき、そこに真理が見える

神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ

人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ

犬や猫は偶然など当たり前のこととして、偶然の海をゆったりと泳いでいるのではないだろうか

誰もが芸術を理解しようとする。ならば、なぜ鳥の声を理解しようとはしないのか

画家がどれだけ素晴らしいパレットを持っていても意味がない。大事なのは、どんな眼を持っているかなんだ

私はあるがままの自分を受け入れてくれることだけを望む

いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ

女が愛し、愛されると彼女は変わる。誰も彼女にかまわなくなると、精神が乱れてその魅力が失われる

人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ

人は生涯、同一水準の作品しか書けない

何にもなりはしない。僕が生きていれば、悲しみはいつまでも続くだろう。僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってだんだ

危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ

自分の中に炎を持ち、魂を抱えているのに、どうして、閉じ込めておくことが出来ようか

自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ

近代的になるなんて努力しなくていい。悲惨なことになにをやろうと、唯一避けられないのがことがそれだから

ようやく何かわかりかけてきたような気がする。私はまだ、進歩している

現代人の欠点は自分の職業に愛と誇りを持っていないことである。多くの人が職業を必要悪の労役苦役と考えている

ゴッホは美しい。しかしきれいではない。ピカソは美しい。しかし、決してキレイではない

とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである

過去とは、所有者の贅沢だ。過去を整頓しておくには一軒の家を持つことが必要だ。私は自分の体しか持たない

私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ

自然は至上の建築物である。自然の一切は最も美しい釣り合いをもって建てられている

何よりも辛いのは、永遠に完成することがないということだ

私の耳は貝から 海の響きを懐かしむ

人の本当の仕事は30歳になってから始まる

人間は毅然として、現実の運命に耐えていくべきだ

「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい

アクシデントが起きると、人はそれを変えようとするが、人には変えることが出来ない。アクシデントが人の内面を明らかにするだけだ

私は天才を自覚している

確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動しなさい。そうすれば次第に本物の確信が生まれてくる

女が何を考えているのか、すっかりわかれば、男は何千倍も大胆になるだろう

私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい

最も美しい主題は君たちの前にある。なぜといえばそれらのものこそ君たちが一番よく知っているからである

ノスタルジアに屈してはならない。道に出て、隣町や外国に行くんだ。ただ、痛々しい過去を旅していけない

マンホールをずっと撮っている林丈二さんも、オートになってから奥さんに「ちょっと、あなたの写真、最近、あんまりよくない」って言われたらしいです。どっかに出ちゃうんですね。何でしょうね。自覚して使えばいいんだけど、カメラの機能に寄りかかって撮っちゃうとダメなんでしょうね。何にでもそういうことはいえますね

著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ

芸術家とは自分のやっていることに喜びを覚える人のこと。だから、すべての職業に芸術家がいるのが望ましいのだ

絶対に言えるのは、時間が経つとワインと同じで良くなるんです。少々の時間じゃだめだけどね、100年後とかね。何でもない写真でも100年経ったらすごく良く感じるんですよ

恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがある

見ることと感ずることを知る者は、至る所に常に賛美すべきものを見出すだろう

先に見出し、後に捜し求めよ

仕事は人間に必要だ。だから人は目覚まし時計を発明した

頭のおかしい人と私の唯一の違いは私は頭がおかしくないということ

本物の画家というのは歴史の騒乱に囲まれながらも洋ナシを根気強く描ける人だ

普通の大人なら、球場はボールが飛んでくるから人にいわれなくても自分で注意する。それができないのは五歳か六歳で、つまりそれがいまの日本人の精神年齢ということだろう

本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される

僕がしてきたことは、僕たちとって一番いいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない

路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね

(カメラは)カビたり錆びたりもしますから、送られてきたお菓子とかに入っているシリカゲルを棚に入れたりしています。まあ、普通に置いてます

私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ

盗作は情けない

家の仕事をしている女性は、この世でもっとも美しい

芸術は醜いものを生み出すが、しばしばそれは時とともに美しくなる。一方、流行は美しいものを生み出すが、それは常に時とともに醜くなる

「それにしてもあの絵は全然彼女に似ていないな」なに、彼女の方でだんだん絵に似てくるさ

人は、若くても年をとっても、絶えず成長したり変化したりしていますよね。固定したものはないんですね。だから、今、面白くないものは、あえて見ることもないなっていう気もします

誰にも何の役にも立たないではないか。絵、展覧会──それがいったい何になる

私はユダヤの偉大な指導者、モーゼのように約束の土地に入れるのでしょうか?わずかに進歩しましたが、なぜこんなに遅々として骨が折れるのでしょう。芸術とは、ほんとうに聖職者のように、それに全身全霊を捧げる純粋な人々を求めるものなのでしょうか?

人間が生きる限り、死人も生きているんだ

何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ

回教徒が寺院に入るとき靴を脱ぐように、私は仕事中、ドアの外に肉体を置いてくる

フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ

常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ

スタイルとは、複雑なことを表現するための簡単な方法だ

若くなるには時間がかかる

何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう

自分にとっていちばん面白いのは、思いもしないものに出会うことだ。自分の思いを超えたものにめぐり合うことである。何故それが面白いかといえば、そのことで自分が広がっていく快感があるからである

人間の運命は人間の手中にある

今回この写真文庫(岩波写真文庫)を一冊ずつ選んで、いまの世から眺めていきながら、時代の空気というものをつくづく感じた。活字、つまり言葉では説明しきれないことが、写真からはぷんぷん匂ってくる。このシリーズは、戦後の空気の貴重な貯蔵庫だ。いまの肥満ぎみの世の中は、じつはこの空気を吸うことからはじまっている。良くも悪くも、この空気がいまの日本人の両親なのだ

芸術愛は真の愛情を失わせる

母は、私にこう言った。「あなたは、軍人になれば、いずれ将軍となるでしょう。修道士になれば、最後には法王となるでしょう」私は、その代わりに画家になり、結局ピカソとなった

明日描く絵が、一番すばらしい

世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく

優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む

何かをするのに私は歳を取りすぎてると言われたら、そのことにすぐに取り組むようにしている

愛の前で自分の損得を考えること自体ナンセンスだ。そんな男は女を愛する資格はない
