
芸術家


侮辱に悪影響を受けるのは、侮辱に感染しているのだ

私は大金を持った、貧乏人のように暮らしたい

ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ

ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに

楽しくなかったら絵なんか描きませんよ

評価されるなんて一切必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと「音」を出す。これが前提だな

眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です

絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ

神々と肩を並べるには、たった一つのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ

美はざっと見てもわからない

99回倒されても、100回目に立ち上がればよい

もし私が犬よりも猫が好きだというのなら、それは警察猫というものがいないからである

下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか

同じことを繰り返すくらいなら、死んでしまえ

眼前のものに深く入ること。そしてできうる限り論理的な自己表現を、忍耐強く行うことです

究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある

人間が生きる限り、死人も生きているんだ

いいんだ。岡本太郎の責任でやるんだから

若いとき旅をしなければ、老いてからの物語がない

雨が降るのは聞こえるが、雪が降るのは聞こえない。軽い悩みは大声で叫ぶが、大いなる苦悩は沈黙する

真実のほかに美はない

自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである

人生とは自らの道である。一つのことを試みることであり、一つの道を端的に示すことである

間違いは神聖なもの、それを正すというよりは合理的に考え、誤りを理解せよ。そうすれば間違いを昇華することが可能になる

自分にとっていちばん面白いのは、思いもしないものに出会うことだ。自分の思いを超えたものにめぐり合うことである。何故それが面白いかといえば、そのことで自分が広がっていく快感があるからである

だいたい世の中にある「もの」って用件のあるものですよね。でも、単に「もの」を道具としてみるのではなくて、ものの見方の楽しさを感じて欲しいと思います。こういうのってフィールドワークなんです

私は捜し求めない。見出すのだ

シュルレアリズムは破壊的だ。しかし、それは我々のビジョンを限定する錠の留め金とみなされるものだけを破壊するものだ

この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ

芸術家にとって、自然の中に醜いものなど決して存在しない

(作品をどのように見て欲しいですか?)ものの見方の色んな角度を感じてもらえたらいいですね

そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ

我々は決して悪を選ぶことが出来ない。我々が選ぶのは常に善である

眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ

挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない

何と嫌な商売だ

美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように

自分の思い通りにしかできないことは、自分の思いだけに閉じ込められるということになる。自分の思い通りが突っ走った結果は、自分が自分の壁の中に閉じ込められて、外気は遮断されて、そのままでは一酸化炭素中毒となってしまう

面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ

宇宙には緊急な、致命的な、動かせない法則がある。なければならぬ

人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ

人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う

我々は脳をブン投げて、ただ目だけで見ることができればいいのだが

何びとも信用しない者は、己れ自身が信用されていないことを知っている

運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない

アクシデントが起きると、人はそれを変えようとするが、人には変えることが出来ない。アクシデントが人の内面を明らかにするだけだ

コレラや尿石や結核や癌は、天上へ行く交通機関

あなたのインスピレーションやイマジネーションを抑えてはならない。模範の奴隷になるな

人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。これは我々の時代にはびこる病気だ

画家の質はその人の過去の経験の量に左右される

芸術は、意識と無意識の融合である

いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ

神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ

文学の偉大なる傑作とは、使えない辞書のようなものである

例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ

ミュージアムをひとつくれ。埋めてやる

親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか

自然が本当に好きなら、あらゆるところで美を見い出せるだろう

自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる

私は、愛したいと思いながら、それができない。私は、愛すまいと思いながら、それができない

私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている

アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う

低級な芸術家たちは、常に他人の眼鏡をかける

運命に耐えているとき、そこに真理が見える

自然に線は存在しない

神童。それは多くの場合、非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである

とりあえず放送した方がいいというので、日本の世の中には形式だけのアナウンスがわんさと流れている。日本人は形式が好きだ、と思われても仕方のないことだ

壁は自分自身だ

普段は用途だけで見ているからわかんないんだけど、そのものだけをいきなり切り取って見たら、結構すごいものがいっぱいあります

最も美しい主題は君たちの前にある。なぜといえばそれらのものこそ君たちが一番よく知っているからである

私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった

芸術が愛らしいものであってなぜいけないんだ?世の中は不愉快なことだらけじゃないか

みんな神話が好きだ。だから私の絵を愛するのだ

人生で起こりうる悪いことは二つしかない。パブロ・ピカソになることか、サルバドール・ダリになれないこと

いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ

風景なら その中を散歩したくなるような、女性なら その人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい

私は天才になるし、世界は私を称賛するだろう。評価されないかもしれないし、理解されないかもしれない。しかし天才になる、偉大な天才にね。なぜなら私はそのことを確信しているからさ

優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む

確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動しなさい。そうすれば次第に本物の確信が生まれてくる

大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ

自由であるとは、自由であるべく呪われていることである

詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ

インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ

「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい

情熱をもって君たちの使命を愛せよ。これより美しいことはない

詩人は常に真実を語る嘘つきである

私は、人生の岐路に立った時、いつも困難な方の道を選んできた

明日描く絵が、一番すばらしい

絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ

ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです

普通、表現の仕事であれば作者というものがいますよね。しかし、トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくるんですよね

人生には不愉快な事柄が多い。だからこれ以上、不愉快なものを作る必要はない

少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます

富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう

この世は偶然に満ちている。だから人間は人工管理の街を造った。でも、街はいづれ老朽化し、その隙間から、追い出された偶然がまた顔をのぞかせる。カメラにはそれが美味しい

自分の打ったボールがどこへ飛ぼうがかまわない。スカッと飛びさえすれば、いい気持ちなんだ

画家とは売れるものを描く人のことで、アーティストとは描くものが売れる人のことをいう

私はユダヤの偉大な指導者、モーゼのように約束の土地に入れるのでしょうか?わずかに進歩しましたが、なぜこんなに遅々として骨が折れるのでしょう。芸術とは、ほんとうに聖職者のように、それに全身全霊を捧げる純粋な人々を求めるものなのでしょうか?
