
芸術家


涙が出てきたら、耐えて、苦しんで、そして前進あるのみだ

自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる

カメラっていうのは難しいんですね。湿気が一番良くないんだけど、乾燥しすぎても良くないらしい。湿度調整する装置がありますけど、あれで安心しても良くないらしいとか。やっぱり、使っているのが一番良くて、しまい込むのが一番良くないんですね。人間と同じなんですね。人間だって引きこもってばかりじゃよくないしね

情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚を持つんだ

人生は意義ある悲劇だ。それで美しいのだ。生き甲斐がある

若くなるには時間がかかる

低級な芸術家たちは、常に他人の眼鏡をかける

赤がなければ、青を使います

凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです

大切なことは混沌を拡大することだ。混沌を消し去ってはいけない

いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ

ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ

自分の中で一度燃え上がった想いというのは、止めることが出来ない

恋する女であれ。そうすれば幸せになれる。神秘的な女であれ。そうすれば幸せになれる

あなたのインスピレーションやイマジネーションを抑えてはならない。模範の奴隷になるな

リンゴひとつでパリを征服する

『自分の謎』で言っているような、自分への不思議な感覚というのはみんなもっているはずだけど、ほかの遊びに忙しくなって、どんどん忘れていっちゃう。でもその感覚ってどこかには残ってるんですね

何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ

すべての偉大な画家はみな空間を探ります。厚みの観念の中にこそ彼らの力は宿るのです

かぶりついて仕事せよ

明日描く絵が、一番すばらしい

今は、もう感動はない。だから感想が湧くのである。感動には叫びはあるだろうが言葉はない

私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ

秘訣というものはない。ただ正しさの法則があるばかりだ

すべてはむなしい

文学の偉大なる傑作とは、使えない辞書のようなものである

本当を言えば、すべてが思想で、すべてが象徴である

ただこの世の中に生まれてきたから、惰性で生きてるなんて、そんなやつは、生きてる必要ない

愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ

宇宙には緊急な、致命的な、動かせない法則がある。なければならぬ

とりあえず放送した方がいいというので、日本の世の中には形式だけのアナウンスがわんさと流れている。日本人は形式が好きだ、と思われても仕方のないことだ

他人に興味を持ってもらいたければ挑発しなければならない

感情が伴わない作品は、芸術ではない

最も美しい主題は君たちの前にある。なぜといえばそれらのものこそ君たちが一番よく知っているからである

偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ

素朴に、無邪気に、幼児のような眼をみはらなければ、世界はふくらまない

モネは、ひとえに眼にほかならない。しかし、何という眼だろう

我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?

偉大な男の背後には必ず、その男を愛してくれる女がいた。「愛する女がかなえてくれるレベルより、もっと偉大になんか男はなれない」という言葉には、多くの真理が含まれている

先に見出し、後に捜し求めよ

(作品をどのように見て欲しいですか?)ものの見方の色んな角度を感じてもらえたらいいですね

コレラや尿石や結核や癌は、天上へ行く交通機関

芸術は悲しみと苦しみから生まれる

本物の画家というのは歴史の騒乱に囲まれながらも洋ナシを根気強く描ける人だ

若いとき旅をしなければ、老いてからの物語がない

人生とは自らの道である。一つのことを試みることであり、一つの道を端的に示すことである

虫だって光の好きなのと嫌いなのと二通りあるんだ!人間だって同じだよ、皆が皆明るいなんて不自然さ!

努力というのは、恐らく運や偶然を追いつめて縮めて微細なものにしていって、自分で掴まえやすくするためのものではないのかと思うのである

自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる

やり方を学ぶ

多くの人が80代まで生きれないのは、彼らが長期に渡って40代で止まろうと努力するからだ

日本人はやはり全員が五、六歳か、もしくはたんなる訴訟の素材なのだ

与えようとばかりして、貰おうとしなかった。なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。ただ相手に与えるだけではいけない。相手からも貰わなくては

孤独であって、充実している、そういうのが人間だ

普段は用途だけで見ているからわかんないんだけど、そのものだけをいきなり切り取って見たら、結構すごいものがいっぱいあります

挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない

女には、生まれつき筋をつらぬく面がある。男よりずっとしっかりしているよ

でたらめをやってごらん。口先では簡単にでたらめなら、と言うけれども、いざでたらめをやろうとすると、それができない

君はあなた自身を創造していると思いなさい

手には、物を掴む手と放す手がある

家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる

とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである

線の芸術と色の芸術とがあるように、言葉の芸術だってそれより劣るものじゃない

予感というのも、努力の重なりの上に出来る、透明な上澄みのような感覚だと思う

生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである

考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく

術は日々の生活の埃(ほこり)を、魂から洗い流してくれる

人間は毅然として、現実の運命に耐えていくべきだ

一番美しい絵は、寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、決して実現しない絵だ

全生命が瞬間に開ききること。それが爆発だ

人生で最もすばらしい癒し、それが愛なのだ

自然は生命を更新するためにのみ死を役立てる

雨が降るのは聞こえるが、雪が降るのは聞こえない。軽い悩みは大声で叫ぶが、大いなる苦悩は沈黙する

侮辱に悪影響を受けるのは、侮辱に感染しているのだ

なにが芸術家かって?それを知ってたら、注意深く、ばらさないようにしておくよ

私はいつも、まだ自分ができないことをする

猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めていく以外にない

アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う

絵を描くのは人生に耐えるための手段だ

人間と人間との間柄には、愛よりほかの財産はない

私は、愛したいと思いながら、それができない。私は、愛すまいと思いながら、それができない

本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される

本物の画家というのは何もない砂漠で異常なシーンを描ける人だ

絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ

芸術は、盗作であるか革命であるか、そのいずれかだ

恋の始まりは瞬間でも、つきあいが長引くかどうかは、美醜よりも人間味にかかわる問題だ

着物を脱ぐ女性の美しさは、雲を貫く太陽のようだ

仕事は人間に必要だ。だから人は目覚まし時計を発明した

アバウトは健康にいい

いいんだ。岡本太郎の責任でやるんだから

自然が本当に好きなら、あらゆるところで美を見い出せるだろう

鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう

なんでもいいから、まずやってみる

人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている

未来は誰のものでもない。先駆者というものはおらず、時間に遅れた者しかいないのだ

孤独の中では何もできることはない

自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ

私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない
