
芸術家


眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です

私は同時に他人の自由をも目標にするのでなければ、自分の自由を目標にすることはできない

自分の中に炎を持ち、魂を抱えているのに、どうして、閉じ込めておくことが出来ようか

明日描く絵が、一番すばらしい

今は、もう感動はない。だから感想が湧くのである。感動には叫びはあるだろうが言葉はない

猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めていく以外にない

天才になるには天才のふりをすればいい

私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする

盗作は情けない

我々は脳をブン投げて、ただ目だけで見ることができればいいのだが

我々が描くのは顔の表?中?それとも裏か

愛は永久不滅なもの。姿かたちを変えることはあるが、本質は決して変わらない

(作品をどのように見て欲しいですか?)ものの見方の色んな角度を感じてもらえたらいいですね

運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない

私はあるがままの自分を受け入れてくれることだけを望む

スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する

すべての偉大な画家はみな空間を探ります。厚みの観念の中にこそ彼らの力は宿るのです

嫌われることは愛されることより難しい

私の健康を祝して乾杯してくれ

芸術家は自分の芸術について語ることはできない。植物が園芸を語れないように

ナマ身で運命と対決して歓喜する。それがほんとうの生命感

世間が決して飽きない唯一のものは誇張表現だ

経験を賢く活かすならば、何事も時間の無駄にはならない

人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ

女の美は性格の中にあるのです。情熱の中にあるのです

昔の夢によりかかったり、くよくよすることは、現在を侮辱し、おのれを貧困化することにしかならない

画家の質はその人の過去の経験の量に左右される

芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる

芸術は悲しみと苦しみから生まれる

何にもなりはしない。僕が生きていれば、悲しみはいつまでも続くだろう。僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってだんだ

挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない

着物を脱ぐ女性の美しさは、雲を貫く太陽のようだ

美はざっと見てもわからない

覚めていて夢みることは、眠っていて夢みることとほとんど同じである

著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ

私の創造の源泉は、私が愛する人々である

現在持っているものに満足しない者は、持ちたいと思っているものを手に入れたところで、満足しないだろう

あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない

人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。これは我々の時代にはびこる病気だ

とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである

シュルレアリズムは破壊的だ。しかし、それは我々のビジョンを限定する錠の留め金とみなされるものだけを破壊するものだ

同じことを繰り返すくらいなら、死んでしまえ

人間は精神が拡がる時と、閉じこもる時が必ずある。強烈に閉じこもりがちな人ほど逆に広がる時がくる

老年は騒音から遠ざかる。沈黙と忘却に仕える

全生命が瞬間に開ききること。それが爆発だ

私には規則や方式は一切ない。裸婦を見る、すると幾千ものちいさな色合いが見えてくる。その中から、生き続けるものを探し出し、そのようにして真新しい色調をキャンバスの上に躍動させるのだ

人間は、毎日生まれ変わる

真実のほかに美はない

他人に興味を持ってもらいたければ挑発しなければならない

過去とは、所有者の贅沢だ。過去を整頓しておくには一軒の家を持つことが必要だ。私は自分の体しか持たない

人間が生きる限り、死人も生きているんだ

そもそも不用のものや、そこに転がっているものに「妙なもの」があるんです。これは「妙なもの」としか言いようがないんですけど、それは、まだ誰も見ていないということもあって、それを発見するのが面白かったんですね

評価されるなんて一切必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと「音」を出す。これが前提だな

ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに

人の本当の仕事は30歳になってから始まる

選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる

人間が生きている社会基盤は、一瞬なりとも安定することなく、さまざまな変動によってつねに変化する

近代的になるなんて努力しなくていい。悲惨なことになにをやろうと、唯一避けられないのがことがそれだから

究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある

6才の時、コックになりたかった。7才の時、ナポレオンになりたかった。そして、私の野心は、それ以来着実に成長し続けている

他の人間はなぜそうなったかを問う。私はいつも何ができるのか、なぜできないのかを問う

多くの人が80代まで生きれないのは、彼らが長期に渡って40代で止まろうと努力するからだ

未来は誰のものでもない。先駆者というものはおらず、時間に遅れた者しかいないのだ

人生は、水平方向に落ちていくことである

夫婦とは二つの半分になるのではなく、一つの全体になる事だ

アバウトは健康にいい

壊れたギリシアの彫刻は、多くの傑作に分かたれた傑作です

予感というのも、努力の重なりの上に出来る、透明な上澄みのような感覚だと思う

たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ

日本人が何をするにも明確であることが、私にはうらやましい

回教徒が寺院に入るとき靴を脱ぐように、私は仕事中、ドアの外に肉体を置いてくる

母は、私にこう言った。「あなたは、軍人になれば、いずれ将軍となるでしょう。修道士になれば、最後には法王となるでしょう」私は、その代わりに画家になり、結局ピカソとなった

神童。それは多くの場合、非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである

自分には過去も未来もない。ただ現在に生きようが為に絵を描くのである

全てのものは限られた量しかない。特に幸福は

我々は決して悪を選ぶことが出来ない。我々が選ぶのは常に善である

大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである

私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる

面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ

見ることと感ずることを知る者は、至る所に常に賛美すべきものを見出すだろう

最も美しい主題は君たちの前にある。なぜといえばそれらのものこそ君たちが一番よく知っているからである

犬や猫は偶然など当たり前のこととして、偶然の海をゆったりと泳いでいるのではないだろうか

他人を模写するのは必要なことである。しかし、自分を模写するのは哀れなものだ

私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ

芸術愛は真の愛情を失わせる

絵を描くのは人生に耐えるための手段だ

私が独りでいることは決してない。いつだってサルバドール・ダリといるのが習慣なんだ。信じておくれよ、それは永遠のパーティーってことなんだ

人生の目的は悟ることではありません。生きるんです

完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから

「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい

ようやく何かわかりかけてきたような気がする。私はまだ、進歩している

真理に年齢はない

偽の絵描きは、この木、この犬を見ない。木というもの、犬というものを見るだけだ。同じものは何ひとつないのに

芸術家の資格は、智慧と注意と誠実と意志のみである

自分の打ったボールがどこへ飛ぼうがかまわない。スカッと飛びさえすれば、いい気持ちなんだ

閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ
