
芸術家


人は生涯、同一水準の作品しか書けない

「志」のない知恵は、翼のない鳥に等しい

私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい

自由であるとは、自由であるべく呪われていることである

宇宙には緊急な、致命的な、動かせない法則がある。なければならぬ

心の底から平気で、出世なんかしなくていいと思っていれば、遠くの方でちぢこまっている犬のようにはみえないんだ

予感というのも、努力の重なりの上に出来る、透明な上澄みのような感覚だと思う

アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う

テクニックばかりに気を取られる人たちは全ておいてミスをする

明日に引き伸ばせば、それは死んでしまう

手慣れたものには飛躍がない。常に猛烈なシロウトとして、危険をおかし、直感に賭けてこそ、ひらめきが生まれるのだ

悪魔は悪しか行なうことができないゆえに純粋である

破壊こそ創造の母だ

芸術に従って芸術を作ってはならぬ

忍耐もまた行動の一つの形態だ

何にもなりはしない。僕が生きていれば、悲しみはいつまでも続くだろう。僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってだんだ

芸術は醜いものを生み出すが、しばしばそれは時とともに美しくなる。一方、流行は美しいものを生み出すが、それは常に時とともに醜くなる

何よりも辛いのは、永遠に完成することがないということだ

カメラっていうのは難しいんですね。湿気が一番良くないんだけど、乾燥しすぎても良くないらしい。湿度調整する装置がありますけど、あれで安心しても良くないらしいとか。やっぱり、使っているのが一番良くて、しまい込むのが一番良くないんですね。人間と同じなんですね。人間だって引きこもってばかりじゃよくないしね

文明とは、麻痺状態のことだ

自分の強さを実感している人は、謙虚になる

虫だって光の好きなのと嫌いなのと二通りあるんだ!人間だって同じだよ、皆が皆明るいなんて不自然さ!

私は仕事をしているとくつろげる。何もしていなかったり、訪問客の相手をしていたりすると疲れる

できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である

術は日々の生活の埃(ほこり)を、魂から洗い流してくれる

「それにしてもあの絵は全然彼女に似ていないな」なに、彼女の方でだんだん絵に似てくるさ

回教徒が寺院に入るとき靴を脱ぐように、私は仕事中、ドアの外に肉体を置いてくる

あのアナウンス(「ファウルボールにはご注意下さい」)であらためて注意する間抜けはいない。でもあのようにいっておかないと、後で怪我して訴えられたら困るというのがある。アメリカ仕込みの訴訟社会の風習である

芸術愛は真の愛情を失わせる

なにが芸術家かって?それを知ってたら、注意深く、ばらさないようにしておくよ

普通の大人なら、球場はボールが飛んでくるから人にいわれなくても自分で注意する。それができないのは五歳か六歳で、つまりそれがいまの日本人の精神年齢ということだろう

孤独の中では何もできることはない

誰もが芸術を理解しようとする。ならば、なぜ鳥の声を理解しようとはしないのか

素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する

痛みはいつか消えるが、美は永遠に残る

見るために、私は目を閉じる

真理に年齢はない

アイディアは出発点以上のものではない。固まったらその先かたちを決めるのは思考だ

人の本当の仕事は30歳になってから始まる

いいんだ。岡本太郎の責任でやるんだから

先に見出し、後に捜し求めよ

芸術は、意識と無意識の融合である

たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ

明日描く絵が、一番すばらしい

老年は騒音から遠ざかる。沈黙と忘却に仕える

人間はコンピュータとは違って揺れ動いてますよね。だから、すべてのものを何かの思い入れを持って見ているんですね。なので、その時々によって違って見えてくることがあるんでしょうね

現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ

覚めていて夢みることは、眠っていて夢みることとほとんど同じである

ゆっくり急げ。美よりも速く走れ

インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ

スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する

その人がいい趣味をしてるかどうかを見極めるのは簡単だ。絨毯と眉毛がマッチしているかだ

自然は至上の建築物である。自然の一切は最も美しい釣り合いをもって建てられている

情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚を持つんだ

運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか

絵を描き始める前に、すでにそれは私の心の中に形作られている

いかなる革命も、3日目から堕落が始まる

私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ

他の人間はなぜそうなったかを問う。私はいつも何ができるのか、なぜできないのかを問う

コレラや尿石や結核や癌は、天上へ行く交通機関

(カメラは)カビたり錆びたりもしますから、送られてきたお菓子とかに入っているシリカゲルを棚に入れたりしています。まあ、普通に置いてます

私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった

大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ

芸術家は自然の親友である。草花は茎の優美な曲線と花びらの調和のとれた色合いで芸術と対話をする。どの花にも、自然が芸術家に心から語りかける言葉があるのだ

世間が決して飽きない唯一のものは誇張表現だ

やっぱりその時(写真を撮った時)に「良い」と気が付くのは感覚というか、その時の感受性ですからね。それがないとゴミはゴミのままなんですね。実際にゴミだったのかも知れないし、わからないですよね。写真は固定されたものではないっていうのを実感しますね

ユーモアを失わないように戦うのだ。ユーモアの欠如は愚の骨頂だ

人は、若くても年をとっても、絶えず成長したり変化したりしていますよね。固定したものはないんですね。だから、今、面白くないものは、あえて見ることもないなっていう気もします

自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる

想像できることは、すべて現実なのだ

自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる

芸術において不道徳は存在しない。芸術はつねに神聖である

ノスタルジアに屈してはならない。道に出て、隣町や外国に行くんだ。ただ、痛々しい過去を旅していけない

絵を描くのは人生に耐えるための手段だ

明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけ

私は、自分の作品に心と魂を込める。そして制作過程では我を失う

芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない

人生とは自らの道である。一つのことを試みることであり、一つの道を端的に示すことである

沈黙は絶叫よりも恐ろしい

挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない

絵画というのは手で作った写真だ

最近はお金持は多いけど、上品なお金持はなかなかいない。だいたいは下品だ

壁は自分自身だ

いかなる創造的活動も、はじめは破壊的活動だ

自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです

すべてはむなしい

与えようとばかりして、貰おうとしなかった。なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。ただ相手に与えるだけではいけない。相手からも貰わなくては

大切なことは混沌を拡大することだ。混沌を消し去ってはいけない

カニバリズムは最も明確な優しさの表現のひとつだ

(死んだら地獄と極楽のとちらに行きたいか?)どっちでもいいさ。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね

絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ

同じことを繰り返すくらいなら、死んでしまえ

1.必ずできると信じろ2.限界を越えろ3.「その時」を待つな4.行動しろ5.正しく問え6.ジャッジせず、隠された美を見ろ7.遅すぎることなんてない

美はあらゆるところにある。我々の眼がそれを認めえないだけだ

優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む

私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会・・ 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである

秘訣というものはない。ただ正しさの法則があるばかりだ

人間が生きる限り、死人も生きているんだ
