
芸術家


自然は生命を更新するためにのみ死を役立てる

生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである

作家だとか、法律家だとか、政治家だとかをやってる女っていうのは、怪物だと思うね

明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけ

このまま行けと、僕の中の僕が命じるんだ

侮辱に悪影響を受けるのは、侮辱に感染しているのだ

アバウトは健康にいい

大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ

運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ

人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない

最も美しい主題は君たちの前にある。なぜといえばそれらのものこそ君たちが一番よく知っているからである

「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい

何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ

芸術は悲しみと苦しみから生まれる

赤がなければ、青を使います

流行なんて、文字どおり流れていく

明日に引き伸ばせば、それは死んでしまう

信念のためには、たとえ敗れると分かっていても、おのれを貫くそういう精神の高貴さがなくて、何が人間ぞと僕は言いたいんだ

悪貨は良貨を駆逐するという原理と同じで、形式は実質を駆逐する

神々と肩を並べるには、たった一つのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ

評価されるなんて一切必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと「音」を出す。これが前提だな

思いついたことは出来る。思いつかないものは出来ない。これは避けがたく、明白なことだ

芸術家にとって、自然の中に醜いものなど決して存在しない

(死んだら地獄と極楽のとちらに行きたいか?)どっちでもいいさ。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね

富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう

自分の好きな音を勝手に出す、出したい音を出したらいい

見ることと感ずることを知る者は、至る所に常に賛美すべきものを見出すだろう

人間は、毎日生まれ変わる

絵画というのは手で作った写真だ

本当を言えば、すべてが思想で、すべてが象徴である

運命に耐えているとき、そこに真理が見える

芸術とは、自然が人間に映ったものです。大事なことは、鏡をみがくことです

一番美しい絵は、寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、決して実現しない絵だ

直観力と想像力を、抑え込んではならない

だいたい世の中にある「もの」って用件のあるものですよね。でも、単に「もの」を道具としてみるのではなくて、ものの見方の楽しさを感じて欲しいと思います。こういうのってフィールドワークなんです

画家とは売れるものを描く人のことで、アーティストとは描くものが売れる人のことをいう

アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う

詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ

人間は毅然として、現実の運命に耐えていくべきだ

人は生涯、同一水準の作品しか書けない

完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから

自分の中で一度燃え上がった想いというのは、止めることが出来ない

まっさらな目をもて!そして目的を捨てろ!

未来は誰のものでもない。先駆者というものはおらず、時間に遅れた者しかいないのだ

私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ

芸術家とは自分のやっていることに喜びを覚える人のこと。だから、すべての職業に芸術家がいるのが望ましいのだ

デッサンと色彩とは区別することはできぬもので、彩色をほどこすにつれてデッサンがなり、色彩が調和していくにつれてデッサンは正確になる。色彩が豊富になる時、形も充実する

絵というものはぼくにとって、愛すべきもの、愉しくて美しいものでなければならないんだよ。そう、美しいものだ!人生には厭なことが多すぎるんでね、これ以上厭なものなんかこしらえたくないんだよ

少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます

青年は決して安全な株を買ってはならない

僕たちの小さな情動が僕たちの人生の偉大な船長であることを、また僕たちは意識することなくこの小さな情動にしたがっていることを忘れないようにしよう

イエスとノーのあいだに真実が息づいている

自分の中にどうしても譲れないものがある。それを守ろうとするから弱くなる。そんなもの、ぶち壊してしまえ!

昔の夢によりかかったり、くよくよすることは、現在を侮辱し、おのれを貧困化することにしかならない

例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ

僕はずっと一人ぼっちでいるせいか、人と話すと自分のことばかり話してしまう

私が独りでいることは決してない。いつだってサルバドール・ダリといるのが習慣なんだ。信じておくれよ、それは永遠のパーティーってことなんだ

他人に興味を持ってもらいたければ挑発しなければならない

私はユダヤの偉大な指導者、モーゼのように約束の土地に入れるのでしょうか?わずかに進歩しましたが、なぜこんなに遅々として骨が折れるのでしょう。芸術とは、ほんとうに聖職者のように、それに全身全霊を捧げる純粋な人々を求めるものなのでしょうか?

逃げない、はればれと立ち向かう、それが僕のモットーだ

とりあえず放送した方がいいというので、日本の世の中には形式だけのアナウンスがわんさと流れている。日本人は形式が好きだ、と思われても仕方のないことだ

虫だって光の好きなのと嫌いなのと二通りあるんだ!人間だって同じだよ、皆が皆明るいなんて不自然さ!

私の耳は貝から 海の響きを懐かしむ

ゆっくり急げ。美よりも速く走れ

人間はコンピュータとは違って揺れ動いてますよね。だから、すべてのものを何かの思い入れを持って見ているんですね。なので、その時々によって違って見えてくることがあるんでしょうね

自分が何をやるかさえ確かだったら、少しぐらい待ってもなんでもない

あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない

親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか

凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです

自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです

いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ

人生で起こりうる悪いことは二つしかない。パブロ・ピカソになることか、サルバドール・ダリになれないこと

制服は征服するためにかかせない。私の人生を通じて、市民の衣装を着るほど自分をおとしめるのは稀だった。私はいつもダリという制服を着ている

とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである

行動がすべての成功の鍵だ

彫刻に独創はいらない。生命がいる

6才の時、コックになりたかった。7才の時、ナポレオンになりたかった。そして、私の野心は、それ以来着実に成長し続けている

私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている

ミスというのはほとんどいつも神聖な特徴があって、決して修正しようとなんてしてはいけない

自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである

考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく

女には、生まれつき筋をつらぬく面がある。男よりずっとしっかりしているよ

私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会・・ 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである

ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです

愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ

芸術は、盗作であるか革命であるか、そのいずれかだ

盗作は情けない

(カメラは)カビたり錆びたりもしますから、送られてきたお菓子とかに入っているシリカゲルを棚に入れたりしています。まあ、普通に置いてます

自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。なければ尚いい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ

スタイルとは、複雑なことを表現するための簡単な方法だ

大金を持った貧しい人のように暮らしたい

沈黙は絶叫よりも恐ろしい

普段は用途だけで見ているからわかんないんだけど、そのものだけをいきなり切り取って見たら、結構すごいものがいっぱいあります

芸術作品は、部屋を飾るためにあるのではない。敵との闘争における武器なのだ

最近はお金持は多いけど、上品なお金持はなかなかいない。だいたいは下品だ

いいんだ。岡本太郎の責任でやるんだから

絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ

猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めていく以外にない
