
芸術家


逃げない、はればれと立ち向かう、それが僕のモットーだ

自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ

僕たちの小さな情動が僕たちの人生の偉大な船長であることを、また僕たちは意識することなくこの小さな情動にしたがっていることを忘れないようにしよう

冒険こそが、わたしの存在理由である

自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ

僕がしてきたことは、僕たちとって一番いいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない

美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ

眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です

自分の強さを実感している人は、謙虚になる

あなたの人生の灰色を消してごらん。そして内に秘めたカラーで彩るんだ

同じことを繰り返すくらいなら、死んでしまえ

何も真似したくないと思う者は、何も生み出さない

もし仕事というものが、人間にとって生きることのあがないではなく、生きることの目的であったら、人間はどんなに幸福だろう

人は生涯、同一水準の作品しか書けない

天才になるには天才のふりをすればいい

私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている

自由であるとは、自由であるべく呪われていることである

沈黙は絶叫よりも恐ろしい

私は同時に他人の自由をも目標にするのでなければ、自分の自由を目標にすることはできない

芸術が愛らしいものであってなぜいけないんだ?世の中は不愉快なことだらけじゃないか

絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ

眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ

若くなるには時間がかかる

人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない

モネは、ひとえに眼にほかならない。しかし、何という眼だろう

私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい

詩はなくてはならないものだ。ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ

「それにしてもあの絵は全然彼女に似ていないな」なに、彼女の方でだんだん絵に似てくるさ

彫刻は、凹凸の術である

自然は至上の建築物である。自然の一切は最も美しい釣り合いをもって建てられている

神を知る最善の方法は、多くの物を愛することだ

いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ

君はあなた自身を創造していると思いなさい

自分の中に炎を持ち、魂を抱えているのに、どうして、閉じ込めておくことが出来ようか

孤独の中では何もできることはない

与えようとばかりして、貰おうとしなかった。なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。ただ相手に与えるだけではいけない。相手からも貰わなくては

これを描いたのはあなたですか?いや、違う。きみたちだ

芸術作品は、部屋を飾るためにあるのではない。敵との闘争における武器なのだ

芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている

私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる

時間は私たちに残された数少ない大切なものだ

芸術愛は真の愛情を失わせる

画家とは売れるものを描く人のことで、アーティストとは描くものが売れる人のことをいう

そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ

生きる日のよろこび、悲しみ。一日一日が新しい彩りをもって息づいている

ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです

運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ

そもそも不用のものや、そこに転がっているものに「妙なもの」があるんです。これは「妙なもの」としか言いようがないんですけど、それは、まだ誰も見ていないということもあって、それを発見するのが面白かったんですね

私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ

美はざっと見てもわからない

人に善をなせば、とがめられるものだ

詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ

自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある

99回倒されても、100回目に立ち上がればよい

現在持っているものに満足しない者は、持ちたいと思っているものを手に入れたところで、満足しないだろう

ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに

シュルレアリズムは破壊的だ。しかし、それは我々のビジョンを限定する錠の留め金とみなされるものだけを破壊するものだ

普通、表現の仕事であれば作者というものがいますよね。しかし、トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくるんですよね

芸術家とは自分のやっていることに喜びを覚える人のこと。だから、すべての職業に芸術家がいるのが望ましいのだ

親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか

私は天才を自覚している

1.必ずできると信じろ2.限界を越えろ3.「その時」を待つな4.行動しろ5.正しく問え6.ジャッジせず、隠された美を見ろ7.遅すぎることなんてない

常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ

大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである

何と嫌な商売だ

痛みはいつか消えるが、美は永遠に残る

自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる

私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会・・ 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである

明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけ

母は、私にこう言った。「あなたは、軍人になれば、いずれ将軍となるでしょう。修道士になれば、最後には法王となるでしょう」私は、その代わりに画家になり、結局ピカソとなった

絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ

アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う

我々は脳をブン投げて、ただ目だけで見ることができればいいのだが

カメラっていうのは難しいんですね。湿気が一番良くないんだけど、乾燥しすぎても良くないらしい。湿度調整する装置がありますけど、あれで安心しても良くないらしいとか。やっぱり、使っているのが一番良くて、しまい込むのが一番良くないんですね。人間と同じなんですね。人間だって引きこもってばかりじゃよくないしね

神々と肩を並べるには、たった一つのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ

自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである

本物の画家というのは何もない砂漠で異常なシーンを描ける人だ

僕は口が裂けても、諦めるなどとは言わない

愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ

恋する女であれ。そうすれば幸せになれる。神秘的な女であれ。そうすれば幸せになれる

普通の大人なら、球場はボールが飛んでくるから人にいわれなくても自分で注意する。それができないのは五歳か六歳で、つまりそれがいまの日本人の精神年齢ということだろう

女が何を考えているのか、すっかりわかれば、男は何千倍も大胆になるだろう

青年は決して安全な株を買ってはならない

偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ

ミュージアムをひとつくれ。埋めてやる

孤独であって、充実している、そういうのが人間だ

行動がすべての成功の鍵だ

イエスとノーのあいだに真実が息づいている

運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか

創造の最大の敵は「良い」センスだ

ただこの世の中に生まれてきたから、惰性で生きてるなんて、そんなやつは、生きてる必要ない

人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ

何にもなりはしない。僕が生きていれば、悲しみはいつまでも続くだろう。僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってだんだ

デッサンと色彩とは区別することはできぬもので、彩色をほどこすにつれてデッサンがなり、色彩が調和していくにつれてデッサンは正確になる。色彩が豊富になる時、形も充実する

いかなる創造的活動も、はじめは破壊的活動だ

我々は決して悪を選ぶことが出来ない。我々が選ぶのは常に善である

もし、黄色と橙色がなければ青色もない

私は捜し求めない。見出すのだ
