
芸術家


抽象画なんてものは無い。とりあえず描き始めて、それから現実の痕跡の全てを排除していくのだ

何にもなりはしない。僕が生きていれば、悲しみはいつまでも続くだろう。僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってだんだ

自分には過去も未来もない。ただ現在に生きようが為に絵を描くのである

あなたの家庭はあなたの避難所だ。ただ、そこに閉じこもってはいけない

詩人にとって最大の悲劇は、誤解によって賞嘆されることだ

真実のほかに美はない

まっさらな目をもて!そして目的を捨てろ!

深く、恐ろしく真実を語る者であれ

流行なんて、文字どおり流れていく

全生命が瞬間に開ききること。それが爆発だ

評価されるなんて一切必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと「音」を出す。これが前提だな

苦しい時には、自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ

偉大な男の背後には必ず、その男を愛してくれる女がいた。「愛する女がかなえてくれるレベルより、もっと偉大になんか男はなれない」という言葉には、多くの真理が含まれている

いかなる革命も、3日目から堕落が始まる

(死んだら地獄と極楽のとちらに行きたいか?)どっちでもいいさ。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね

私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている

感情が伴わない作品は、芸術ではない

女の顔はキャンバスだ 毎日女は少しだけ若い自画像をそこに描いている

楽しくなかったら絵なんか描きませんよ

何かをするのに私は歳を取りすぎてると言われたら、そのことにすぐに取り組むようにしている

何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ

たとえこの人生が負け戦であろうと、いずれにせよ僕は「良い戦い」をしたい

この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ

眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です

「それにしてもあの絵は全然彼女に似ていないな」なに、彼女の方でだんだん絵に似てくるさ

痛みはいつか消えるが、美は永遠に残る

このまま行けと、僕の中の僕が命じるんだ

多くの人が80代まで生きれないのは、彼らが長期に渡って40代で止まろうと努力するからだ

完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから

素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する

自然に生き、自分の気持ちをほんとうに伸ばしてゆこうとすれば、まず、いたるところで残酷に、壁に突きあたる

画家の質はその人の過去の経験の量に左右される

結局芸術の唯一の原則は、見るものを模写することだ

今は、もう感動はない。だから感想が湧くのである。感動には叫びはあるだろうが言葉はない

自然は生命を更新するためにのみ死を役立てる

我々は何をするにも、常に自分自身に問わなければならない。もし皆がそうしたら、どんなことになるだろうと

人間と人間との間柄には、愛よりほかの財産はない

私はドラッグをしない。私自身がドラッグだ

一番美しい絵は、寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、決して実現しない絵だ

我々は脳をブン投げて、ただ目だけで見ることができればいいのだが

いや、40年と30秒だよ

壁は自分自身だ

運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ

ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ

神童。それは多くの場合、非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである

沈黙は絶叫よりも恐ろしい

文明とは、麻痺状態のことだ

美術館はちょっとまとまり過ぎてる感じで、博物館的な世界には思わぬものがあるんだよね

(カメラは)カビたり錆びたりもしますから、送られてきたお菓子とかに入っているシリカゲルを棚に入れたりしています。まあ、普通に置いてます

情熱をもって君たちの使命を愛せよ。これより美しいことはない

もし仕事というものが、人間にとって生きることのあがないではなく、生きることの目的であったら、人間はどんなに幸福だろう

自然に線は存在しない

回教徒が寺院に入るとき靴を脱ぐように、私は仕事中、ドアの外に肉体を置いてくる

運命に耐えているとき、そこに真理が見える

下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか

予感というのも、努力の重なりの上に出来る、透明な上澄みのような感覚だと思う

みんな神話が好きだ。だから私の絵を愛するのだ

私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会・・ 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである

私はユダヤの偉大な指導者、モーゼのように約束の土地に入れるのでしょうか?わずかに進歩しましたが、なぜこんなに遅々として骨が折れるのでしょう。芸術とは、ほんとうに聖職者のように、それに全身全霊を捧げる純粋な人々を求めるものなのでしょうか?

全てのものは限られた量しかない。特に幸福は

日本人はやはり全員が五、六歳か、もしくはたんなる訴訟の素材なのだ

人間が生きている社会基盤は、一瞬なりとも安定することなく、さまざまな変動によってつねに変化する

とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである

選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる

ただこの世の中に生まれてきたから、惰性で生きてるなんて、そんなやつは、生きてる必要ない

「志」のない知恵は、翼のない鳥に等しい

彫刻に独創はいらない。生命がいる

私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった

自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ

自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです

芸術は悲しみと苦しみから生まれる

青年は決して安全な株を買ってはならない

近代的になるなんて努力しなくていい。悲惨なことになにをやろうと、唯一避けられないのがことがそれだから

人生とは自らの道である。一つのことを試みることであり、一つの道を端的に示すことである

もし私が犬よりも猫が好きだというのなら、それは警察猫というものがいないからである

猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めていく以外にない

彫刻は、凹凸の術である

画家がどれだけ素晴らしいパレットを持っていても意味がない。大事なのは、どんな眼を持っているかなんだ

私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です

犬や猫は偶然など当たり前のこととして、偶然の海をゆったりと泳いでいるのではないだろうか

いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ

眼前のものに深く入ること。そしてできうる限り論理的な自己表現を、忍耐強く行うことです

「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい

過去とは、所有者の贅沢だ。過去を整頓しておくには一軒の家を持つことが必要だ。私は自分の体しか持たない

人間はコンピュータとは違って揺れ動いてますよね。だから、すべてのものを何かの思い入れを持って見ているんですね。なので、その時々によって違って見えてくることがあるんでしょうね

人間は精神が拡がる時と、閉じこもる時が必ずある。強烈に閉じこもりがちな人ほど逆に広がる時がくる

嫌われることは愛されることより難しい

気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常

熱帯の夜の静寂の中で、私が私の心からの囁きと柔軟な音楽を聞くことができます

例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ

明日に引き伸ばせば、それは死んでしまう

僕がしてきたことは、僕たちとって一番いいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない

人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ

創造性の最大の敵は良きセンスだ

すべてはむなしい

自分の中にどうしても譲れないものがある。それを守ろうとするから弱くなる。そんなもの、ぶち壊してしまえ!

できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である

経験を賢く活かすならば、何事も時間の無駄にはならない
