
芸術家


真の芸術家とは、喜びのために仕事をする唯一といってよい人達だ

夫婦とは二つの半分になるのではなく、一つの全体になる事だ

仕事は人間に必要だ。だから人は目覚まし時計を発明した

老年は騒音から遠ざかる。沈黙と忘却に仕える

人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている

本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される

本当を言えば、すべてが思想で、すべてが象徴である

マンホールをずっと撮っている林丈二さんも、オートになってから奥さんに「ちょっと、あなたの写真、最近、あんまりよくない」って言われたらしいです。どっかに出ちゃうんですね。何でしょうね。自覚して使えばいいんだけど、カメラの機能に寄りかかって撮っちゃうとダメなんでしょうね。何にでもそういうことはいえますね

コレラや尿石や結核や癌は、天上へ行く交通機関

近代的になるなんて努力しなくていい。悲惨なことになにをやろうと、唯一避けられないのがことがそれだから

我々は脳をブン投げて、ただ目だけで見ることができればいいのだが

人は、若くても年をとっても、絶えず成長したり変化したりしていますよね。固定したものはないんですね。だから、今、面白くないものは、あえて見ることもないなっていう気もします

確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動しなさい。そうすれば次第に本物の確信が生まれてくる

子どものころから、四角形に対する漠然とした疑問はありましたね

現代人の欠点は自分の職業に愛と誇りを持っていないことである。多くの人が職業を必要悪の労役苦役と考えている

私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった

芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている

何も真似したくないと思う者は、何も生み出さない

著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ

ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに

何かをうまく語ることは、何かをうまく描くことと同様に難しくもあり面白いものだ

芸術とは、自然が人間に映ったものです。大事なことは、鏡をみがくことです

絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ

虫だって光の好きなのと嫌いなのと二通りあるんだ!人間だって同じだよ、皆が皆明るいなんて不自然さ!

美はあらゆるところにある。我々の眼がそれを認めえないだけだ

芸術は悲しみと苦しみから生まれる

愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある

青年は決して安全な株を買ってはならない

眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ

深く、恐ろしく真実を語る者であれ

あなたの人生の灰色を消してごらん。そして内に秘めたカラーで彩るんだ

挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない

私が独りでいることは決してない。いつだってサルバドール・ダリといるのが習慣なんだ。信じておくれよ、それは永遠のパーティーってことなんだ

イエスとノーのあいだに真実が息づいている

人生の目的は悟ることではありません。生きるんです

大事は寄せ集められた小事によってなされる

選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる

私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です

孤独の中では何もできることはない

人生で最もすばらしい癒し、それが愛なのだ

芸術というものは自然の研究に過ぎません。自然です。何もかもそこにあります

詩はなくてはならないものだ。ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ

若くなるには時間がかかる

芸術家は自然の親友である。草花は茎の優美な曲線と花びらの調和のとれた色合いで芸術と対話をする。どの花にも、自然が芸術家に心から語りかける言葉があるのだ

私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない

アバウトは健康にいい

やり方を学ぶ

色彩は、それ自体が何かを表現している

恋の始まりは瞬間でも、つきあいが長引くかどうかは、美醜よりも人間味にかかわる問題だ

想像できることは、すべて現実なのだ

気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常

この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ

真理に年齢はない

生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである

面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ

人の本当の仕事は30歳になってから始まる

人間が生きる限り、死人も生きているんだ

何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ

百の欠点を無くしている暇があるなら、一つの長所を伸した方がいい

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

とりあえず放送した方がいいというので、日本の世の中には形式だけのアナウンスがわんさと流れている。日本人は形式が好きだ、と思われても仕方のないことだ

画家は労働者が働くように勉強しなければならない

6才の時、コックになりたかった。7才の時、ナポレオンになりたかった。そして、私の野心は、それ以来着実に成長し続けている

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする

ようやく何かわかりかけてきたような気がする。私はまだ、進歩している

画家の質はその人の過去の経験の量に左右される

我々は自分たちを巡る奥深い知られざる者の真ん中にいて、絶えず昏迷する

絵というものはぼくにとって、愛すべきもの、愉しくて美しいものでなければならないんだよ。そう、美しいものだ!人生には厭なことが多すぎるんでね、これ以上厭なものなんかこしらえたくないんだよ

抽象画なんてものは無い。とりあえず描き始めて、それから現実の痕跡の全てを排除していくのだ

何よりも辛いのは、永遠に完成することがないということだ

例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ

何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう

(死んだら地獄と極楽のとちらに行きたいか?)どっちでもいいさ。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね

熱帯の夜の静寂の中で、私が私の心からの囁きと柔軟な音楽を聞くことができます

リンゴひとつでパリを征服する

カニバリズムは最も明確な優しさの表現のひとつだ

私はいつも、まだ自分ができないことをする

大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである

完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから

アクシデントが起きると、人はそれを変えようとするが、人には変えることが出来ない。アクシデントが人の内面を明らかにするだけだ

感情が伴わない作品は、芸術ではない

究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある

私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている

家の仕事をしている女性は、この世でもっとも美しい

私は大金を持った、貧乏人のように暮らしたい

いいんだ。岡本太郎の責任でやるんだから

富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう

ゆっくり急げ。美よりも速く走れ

人は生涯、同一水準の作品しか書けない

情熱をもって君たちの使命を愛せよ。これより美しいことはない

最近はお金持は多いけど、上品なお金持はなかなかいない。だいたいは下品だ

芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている

人に善をなせば、とがめられるものだ

我々は決して悪を選ぶことが出来ない。我々が選ぶのは常に善である

私はドラッグをしない。私自身がドラッグだ

その人がいい趣味をしてるかどうかを見極めるのは簡単だ。絨毯と眉毛がマッチしているかだ

日本人が何をするにも明確であることが、私にはうらやましい

毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。「サルバドール・ダリである」という喜びを
