
芸術家


偶然というのは、結局人間的なことなんじゃないか

私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている

インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ

とりあえず放送した方がいいというので、日本の世の中には形式だけのアナウンスがわんさと流れている。日本人は形式が好きだ、と思われても仕方のないことだ

風景なら その中を散歩したくなるような、女性なら その人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい

私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない

人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。これは我々の時代にはびこる病気だ

人間の運命は人間の手中にある

愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある

大事は寄せ集められた小事によってなされる

赤がなければ、青を使います

何を生命と呼ぶか。あらゆる意味から君を激動させるもの、君を突き貫くもののことである

仕事は人間に必要だ。だから人は目覚まし時計を発明した

大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである

過去とは、所有者の贅沢だ。過去を整頓しておくには一軒の家を持つことが必要だ。私は自分の体しか持たない

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

芸術作品は、部屋を飾るためにあるのではない。敵との闘争における武器なのだ

あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない

自分の中で一度燃え上がった想いというのは、止めることが出来ない

自然に線は存在しない

ユーモアを失わないように戦うのだ。ユーモアの欠如は愚の骨頂だ

明日描く絵が、一番すばらしい

真の芸術家とは、喜びのために仕事をする唯一といってよい人達だ

色彩は、それ自体が何かを表現している

神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ

アイディアは出発点以上のものではない。固まったらその先かたちを決めるのは思考だ

99回倒されても、100回目に立ち上がればよい

大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ

自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ

世間が決して飽きない唯一のものは誇張表現だ

美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ

私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ

女が何を考えているのか、すっかりわかれば、男は何千倍も大胆になるだろう

傑作なのか屑なのかわからない

回教徒が寺院に入るとき靴を脱ぐように、私は仕事中、ドアの外に肉体を置いてくる

情熱をもって君たちの使命を愛せよ。これより美しいことはない

手には、物を掴む手と放す手がある

だいたい世の中にある「もの」って用件のあるものですよね。でも、単に「もの」を道具としてみるのではなくて、ものの見方の楽しさを感じて欲しいと思います。こういうのってフィールドワークなんです

批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける

現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ

芸術は醜いものを生み出すが、しばしばそれは時とともに美しくなる。一方、流行は美しいものを生み出すが、それは常に時とともに醜くなる

いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ

我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?

線の芸術と色の芸術とがあるように、言葉の芸術だってそれより劣るものじゃない

人生は意義ある悲劇だ。それで美しいのだ。生き甲斐がある
