
芸術家


「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい

何よりも辛いのは、永遠に完成することがないということだ

スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する

何にもなりはしない。僕が生きていれば、悲しみはいつまでも続くだろう。僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってだんだ

夫婦とは二つの半分になるのではなく、一つの全体になる事だ

ようやく何かわかりかけてきたような気がする。私はまだ、進歩している

確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動しなさい。そうすれば次第に本物の確信が生まれてくる

(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です

太陽を黄色い点に変えてしまう絵描きもいれば、黄色い点を太陽へと変えられる絵描きもいる

孤独の中では何もできることはない

私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない

いつでも大空が、自然の果てしないものが私を引きつけ、喜びをもって眺める機会を私に与えてくれる

自分の価値観を持って生きるってことは嫌われても当たり前なんだ

文学の偉大なる傑作とは、使えない辞書のようなものである

壁は自分自身だ

多くの人が80代まで生きれないのは、彼らが長期に渡って40代で止まろうと努力するからだ

芸術に従って芸術を作ってはならぬ

この世は偶然に満ちている。だから人間は人工管理の街を造った。でも、街はいづれ老朽化し、その隙間から、追い出された偶然がまた顔をのぞかせる。カメラにはそれが美味しい

自然は至上の建築物である。自然の一切は最も美しい釣り合いをもって建てられている

私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている

私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ

私が生きているのは国王のため、スペインのため、カタロニアのためだ。天才は決して死なない。人類の進化は我々の手中にある。国王、万歳!スペイン、万歳!カタロニア万歳!

手には、物を掴む手と放す手がある

嫌われることは愛されることより難しい

誰のために創るんだろう。考えたことあるか。自分のために?そんなの甘っちょろいよ。植木づくりでもやるんならそれでいいんだ。金のために?だったら創るより早いやり方がいくらでもあるだろう

宇宙には緊急な、致命的な、動かせない法則がある。なければならぬ

神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする

自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ

わたしは立ち止まりはしない

日本人はやはり全員が五、六歳か、もしくはたんなる訴訟の素材なのだ

人間は精神が拡がる時と、閉じこもる時が必ずある。強烈に閉じこもりがちな人ほど逆に広がる時がくる

美はざっと見てもわからない

現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ

自然に生き、自分の気持ちをほんとうに伸ばしてゆこうとすれば、まず、いたるところで残酷に、壁に突きあたる

鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう

美術館はちょっとまとまり過ぎてる感じで、博物館的な世界には思わぬものがあるんだよね

私は絵を描く夢を見、そして私の夢を描く

運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ

自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ

赤がなければ、青を使います

恋する女であれ。そうすれば幸せになれる。神秘的な女であれ。そうすれば幸せになれる

僕の人生はそれほど長くないだろう。だから僕は一つのことしか目に入らない無知な人となって仕事をするつもりだ。ここ数年のうちに何がしかの仕事をやり遂げてみせる

彫刻に独創はいらない。生命がいる

日本人が何をするにも明確であることが、私にはうらやましい
