
芸術家


自分の強さを実感している人は、謙虚になる

芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている

苦しい時には、自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ

大体、いちばん素晴らしい絵を描くのは四、五才くらいの子どもだよ

素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする

人生の長さは一秒にも満たない。その僅かな時間に永遠に向けての準備をしなければならないとは!

私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい

人生で起こりうる悪いことは二つしかない。パブロ・ピカソになることか、サルバドール・ダリになれないこと

絶対に言えるのは、時間が経つとワインと同じで良くなるんです。少々の時間じゃだめだけどね、100年後とかね。何でもない写真でも100年経ったらすごく良く感じるんですよ

美はあらゆるところにある。我々の眼がそれを認めえないだけだ

たとえこの人生が負け戦であろうと、いずれにせよ僕は「良い戦い」をしたい

我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?

すべては奇跡だ。例えば、お風呂に入ったとき、あなたがお湯に溶けてしまわないことだって

人間は、毎日生まれ変わる

信念のためには、たとえ敗れると分かっていても、おのれを貫くそういう精神の高貴さがなくて、何が人間ぞと僕は言いたいんだ

もし、黄色と橙色がなければ青色もない

他の人間はなぜそうなったかを問う。私はいつも何ができるのか、なぜできないのかを問う

なにが芸術家かって?それを知ってたら、注意深く、ばらさないようにしておくよ

ミスというのはほとんどいつも神聖な特徴があって、決して修正しようとなんてしてはいけない

自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる

私は大理石の石塊を選び、必要としないものは何でも切り落とす

シュルレアリズムは破壊的だ。しかし、それは我々のビジョンを限定する錠の留め金とみなされるものだけを破壊するものだ

本当を言えば、すべてが思想で、すべてが象徴である

釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね

他人に興味を持ってもらいたければ挑発しなければならない

運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか

芸術家は自然の親友である。草花は茎の優美な曲線と花びらの調和のとれた色合いで芸術と対話をする。どの花にも、自然が芸術家に心から語りかける言葉があるのだ

忍耐もまた行動の一つの形態だ

リンゴひとつでパリを征服する

偶然というのは、結局人間的なことなんじゃないか

偽の絵描きは、この木、この犬を見ない。木というもの、犬というものを見るだけだ。同じものは何ひとつないのに

秘訣というものはない。ただ正しさの法則があるばかりだ

深く、恐ろしく真実を語る者であれ

神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ

盗作は情けない

天才になるには天才のふりをすればいい

熱帯の夜の静寂の中で、私が私の心からの囁きと柔軟な音楽を聞くことができます

情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚を持つんだ

何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう

創造性の最大の敵は良きセンスだ

若いとき旅をしなければ、老いてからの物語がない

恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない

私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です

絵を描き始める前に、すでにそれは私の心の中に形作られている
