
ジャン・コクトー(Jean Cocteau)


芸術は、意識と無意識の融合である

未来は誰のものでもない。先駆者というものはおらず、時間に遅れた者しかいないのだ

悪魔は悪しか行なうことができないゆえに純粋である

生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである

文学の偉大なる傑作とは、使えない辞書のようなものである

スタイルとは、複雑なことを表現するための簡単な方法だ

運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない

人は生涯、同一水準の作品しか書けない

美はざっと見てもわからない

運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ

人間は、毎日生まれ変わる

批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける

詩人は常に真実を語る嘘つきである

神童。それは多くの場合、非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである

愛することは、愛されること

私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる

人生は、水平方向に落ちていくことである

大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである

(死んだら地獄と極楽のとちらに行きたいか?)どっちでもいいさ。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね

もし私が犬よりも猫が好きだというのなら、それは警察猫というものがいないからである

青年は決して安全な株を買ってはならない

我々は自分の内に天使をかくまっている。我々はこの天使の保護者でなくてはならない

芸術に従って芸術を作ってはならぬ

詩はなくてはならないものだ。ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ

神童などという言葉は、家族のつくったものだ

先に見出し、後に捜し求めよ

詩人は未来を回想する

著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ

侮辱に悪影響を受けるのは、侮辱に感染しているのだ

本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される

詩人にとって最大の悲劇は、誤解によって賞嘆されることだ

いかなる革命も、3日目から堕落が始まる

ユーモアを失わないように戦うのだ。ユーモアの欠如は愚の骨頂だ

家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる

芸術家は自分の芸術について語ることはできない。植物が園芸を語れないように

とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである

詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ

私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている

芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている

手には、物を掴む手と放す手がある

若いとき旅をしなければ、老いてからの物語がない

私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている

富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう

私の耳は貝から 海の響きを懐かしむ

鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう

芸術は醜いものを生み出すが、しばしばそれは時とともに美しくなる。一方、流行は美しいものを生み出すが、それは常に時とともに醜くなる

沈黙は絶叫よりも恐ろしい
