絵を描くのは人生に耐えるための手段だ
曲が浮かぶのは、いつも本当に突然です
ステージに出る前、死刑台に上がってく気分になるときがあるんだ。ギロチンの下に頭を置いて審判が下される。
簡単なことを完璧にやる忍耐力の持ち主だけが、いつも困難なことを軽々とこなす熟練を身につける
偉大な男の背後には必ず、その男を愛してくれる女がいた。「愛する女がかなえてくれるレベルより、もっと偉大になんか男はなれない」という言葉には、多くの真理が含まれている
Zepp Tokyoには幾つか強烈な印象が残っているライブがあって。以前、声が出なくて点滴を打ってステージに立ったこともあったんですよ。あのライブも良かったんだよな
いま大戦中でもないのに、人に「どっちなんだ!?右なのか、左なのか」と問うこと自体、ナンセンスだとは思います
興奮した党派の叫びの中から、真理の声を聞き取ることは難しい
後悔は いつもうらめしそうに ちょっと先でこっちを見てるね いやなヤツ。
金 金 言うてもヤクザは最後は力や。力失うた人間は 力ある人間にその道 譲らなアカン。冴島 お前は東城会の力や。絶対に強いまま 神室町に戻って来るんやで。
友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる
理論というものは現実に従って変化していく
親切ではないけど、やさしい。丁寧ではないけど、やさしい
あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない
そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ
今日はジョン・レノンの命日。家に帰ってイマジンを聴く
努力というのは、恐らく運や偶然を追いつめて縮めて微細なものにしていって、自分で掴まえやすくするためのものではないのかと思うのである
残る音楽を作りたい
客の二酸化炭素は俺らの酸素なんだ
カニバリズムは最も明確な優しさの表現のひとつだ
We can do anything we want to if we stick to it long enough.
あきらめずにいれば、あなたが望む、どんなことだってできるものです。
夫婦とは二つの半分になるのではなく、一つの全体になる事だ
覚えておくんだ。生涯あなたに付き添ってくれる唯一の人はあなた自身なんだ
この街は牢獄や……。俺が塀の外に出られんのは いつなんやろな兄弟……
なんかやろうと思えば、何でもできるもんやねー
(作品をどのように見て欲しいですか?)ものの見方の色んな角度を感じてもらえたらいいですね
郡山って水うまいの?(06年 HipShotJAPANライブ中にて)
ああ、俺にもできそうだ!
愛してるってどういうこと?愛してるって言葉の響きが重すぎるよ。愛せる程立派な人間じゃないですよ。
私は死ぬまで、死ぬことについて、そして生きることについて、考えていると思う。
最高や 、まさかゾンビとやりあえる日が来るとはのお。
多くの人が80代まで生きれないのは、彼らが長期に渡って40代で止まろうと努力するからだ
子どもの時から音楽が好きでしたので、音楽学校に行くことも考えましたが、音大の入試にパスするほどピアノが弾けませんでした(最終学歴:東京大学教育学部教育心理学科)
何もすることがないから明るく引きこもってるんだ。でも結構楽しいです
気とは人に負けまいと思う心、すなわち負けじ魂と恥辱を知ってそれを悔しく思う気象のことである
自分の置かれている環境を整備しないと、レベルというものは、いとも簡単に下がっていく
大好きなものと付き合っていくことだよ
悪貨は良貨を駆逐するという原理と同じで、形式は実質を駆逐する
自分の中に炎を持ち、魂を抱えているのに、どうして、閉じ込めておくことが出来ようか
アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う
何かを生み出していくと、いつか誰かが見つけてくれることもある
(カメラは)カビたり錆びたりもしますから、送られてきたお菓子とかに入っているシリカゲルを棚に入れたりしています。まあ、普通に置いてます
コミュニケーションで一番大切なことは、相手が口にしていない言葉を聞き分ける力である
いつでも大空が、自然の果てしないものが私を引きつけ、喜びをもって眺める機会を私に与えてくれる
よう動く舌やなあどないな作りになっとんねん?もうすぐ夜やで。次のパーティーの話はまだ早すぎなんとちゃうか?
人は生涯、同一水準の作品しか書けない
(死は)誰でも迎えるものなのに、それを忌々しく言うのは変だし、滑稽だなって思います
大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ
老年は騒音から遠ざかる。沈黙と忘却に仕える
ひらめくまで待つ
戦争は戦争を養う
自然にやってく中でぼんやり何となく楽しいっていうのは、凄く大事なこと
肉体的に落ちていくものは取り戻せない。残っているものを生かすしかない
俺が兄さんをムカつかせたんなら、謝ります
もともと変わった曲にしようとしていたわけじゃなくて、自然に出来たんで。まぁ、奇跡って言い方はおかしいですけど、偶然的にあのような曲になったっていうところも大きいんですよね(『サイレン』について)
笑ってくれりゃあ本望だよ
僕は僕の偏見でうたをうたっとる。うたっとるやつは下品じゃがうたの内容は最高じゃ
ドレミファソラシドの中で泳ぎたかった。空白の中にリズムを置いていきたかった。音符のない空白の中にこそリズムを感じたかった。
自分が嫌いな相手にまで好かれたいとは思わないですし
「満足」って言葉は究極以外使っちゃいけないんだよ
前の方にいようが、そんなの関係ない。俺はそんなにやわに唄ってないからさ。
世の中は悪くなっている。おそろしく退化している。何も考えない人間が増えている。甘ったれたバカが増殖している
「大丈夫、なにもかも上手くいく」なんて、口が裂けても言えない。でも俺が見ている世界の中で、本当に前向きな、魂が楽になれる言葉を綴ったつもり
歌だってそうなんだ。歌唱力がうまいへたではなくってね、ちゃんとあなたのところに飛んでいくようなメロディを歌いたい
僕は不確定というか、絶対にこうだって言い切れないものがあればあるほど面白いと思うよ。その分言い切りたい奴が言い切れるじゃん 僕はロックンロールに対していろんなことをいっぱい言い切る
母は、私にこう言った。「あなたは、軍人になれば、いずれ将軍となるでしょう。修道士になれば、最後には法王となるでしょう」私は、その代わりに画家になり、結局ピカソとなった
君はあなた自身を創造していると思いなさい
幹部の仕事と知識とは、あまり関係はない
何にもなりはしない。僕が生きていれば、悲しみはいつまでも続くだろう。僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってだんだ
楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?
自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど
どーだろう?日本は民主主義国家だなんて言ってないで、事無かれ主義国家だって世界に向けて言った方がよっぽどカッコいいんじゃねえか。ロックっぽいぜ。
今日から聖人、豪傑を志した者が、明日、明後日と順次にそれに合わない性質を少しづつ取り去れば、最初は才能の無い者でも、聖人・豪傑の地位にまで達することが必ずできる
絵の玄人なんていうものは、絵描きに対してロクなアドバイスをしない
俺は錦みてえにはなれねえよ
後継者を自分一人で選んではならない。どうしても20年前の自分に似た者を選びたくなる
全然ネガティブとかポジティブとかではなく、それ(死の存在)を知ってるから僕たちは生きてるって、そう思えたんですよね。死なないやつは生きられないわけですよ。で、生きてないやつは死ねないわけですよ、やっぱり。(死の存在について)
ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです
男性のお客さんでライブにいらしている方というのは、何かしらの誤解が生じているんじゃないかなって(笑)
芸術とは、自然が人間に映ったものです。大事なことは、鏡をみがくことです
考えられないですよ、東京事変がない状態って。いろんな意味で、どうしても、こうしなきゃいけなかったというか。うーん、抗えなかった。避ける道がなかったと思いますけどね。
ロックンロールは吐き出した瞬間と受け取る瞬間があって、受け取った瞬間に完成するものだとは思ってる。僕の出すロックンロールは僕だけでは未完成なんだよ。聴く人がいてその人の心の奥の中で完成する
オリンピックってどこが優勝したか知ってる?(長野オリンピック後の長野ライブにて)
会計学者や経営者は「純利益」という言葉を使うが、企業経営ではそんな言葉を使ってはいけない。「フューチャー・コスト(未来費用)」と呼ぶべきだ。企業というのは、リスクを負うために失敗することもある、そのときのために未来のコストを留保してあるのであって、利益の蓄積ではないのだ
変わることをこばむのでなく、変われたことを褒めたいんだ。
楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?
Death is no more than passing from one room into another. But there’s a difference for me, you know. Because in that other room I shall be able to see.
死はただ一つの部屋から別の部屋へ移ることに過ぎません。しかし、私にとっては別です。なぜなら、その別の部屋ではきっと私は見ることができるからです。