


人生とは自らの道である。一つのことを試みることであり、一つの道を端的に示すことである

どんどん、くだらなくなっていってる。音楽もTVも低能になっていってる。殺人も犯罪も短絡的になっている。警察は庶民を守ってはくれなくなった。

常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ

成果をあげる者は、時間が制約要因であることを知っている。あらゆるプロセスにおいて、成果の限界を規定するものは、最も欠乏した資源である。それが時間である

ジャンルがどうとかじゃなくて、音楽全般、様々な角度と方向にどんどん広がってほしいと思う。限りある音楽ファンを奪い合うイメージで話しちゃうとどんどん貧しくなるけど、そもそも、音楽文化自体にそれほど興味を持ってもらえてないってのは骨身に沁みてる。

僕はどんな完成の仕方をしてもその人の実力だと思う。聴く人の実力。だからみんなそれぞれ立派に仕上げてください。そこで自分が楽しい 最高じゃんと思ってくれたらすごく嬉しい。

すべてはむなしい

夢はぶれずにいることなんです。わたしにとってはいちばん大切なのです。

ロックンロールは続いていくんだよ

飛べないホソミはただのタケシだぜ

子供の頃からやりたいことは変わってなくて、それができるようになるのが大人

もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない

制服は征服するためにかかせない。私の人生を通じて、市民の衣装を着るほど自分をおとしめるのは稀だった。私はいつもダリという制服を着ている

わたしは立ち止まりはしない

勝負をしない奴には勝ちも負けもないと思ってるんだろ? でもそれは間違いだ。勝負できない奴はもう負けてるんだよ

覚めていて夢みることは、眠っていて夢みることとほとんど同じである

絵を描くのは人生に耐えるための手段だ

芸術というものは自然の研究に過ぎません。自然です。何もかもそこにあります

仕事はまず核心をつく、一番大事なところからやるようにしている

私は対象を見えるようにではなく、私が思うように描くのだ

(ビリーアイリッシュの曲で、あえて「音圧」という言葉を使ったのは、低い音って部屋自体が振動して、まさに音の圧って感じがするんですよね。プレッシャーみたいな音というか。これまでの「音圧」みたいな言葉は、ラウドネスメーターの数値の話だと思うので、それとは別の感覚についての話です)

もしマーケティングが完全に行われていたら、販売努力は不要だ

エライこと引き受けてしもうたなぁ。しゃーない!真島吾朗、いっちょやったろやないかい!

I think our society is run by insane people for insane objectives.
僕らの社会は、ばかげた目的のために、あきれた人々によって動かされている。

運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ

広島も付き合い長いな。しかし、付き合い長いとなんか感情が湧いてくるよな。こういうの、何ていうんだ?……憎しみ? (広島ライブにて)

RADWIMPSが好きだから聴いてんだよって言ってくれる人達の気持ちに恥じないように、うちらはこれからも世界で一番かっこいい音楽を作ってくから、もしよかったらこれからも聴いてください。

宇宙には緊急な、致命的な、動かせない法則がある。なければならぬ

6才の時、コックになりたかった。7才の時、ナポレオンになりたかった。そして、私の野心は、それ以来着実に成長し続けている

俺はマコトを殺せへんかった……俺にはマコトを生かした責任があるんや。ただ命があったらええってことやない。人として生かさなアカン責任や。極道の食い物にはさせへん……!

なんかやろうと思えば、何でもできるもんやねー

jupiterは「木星」の他にも「雨の神様」って意味があって、俺はその言葉がいいなって思って。「太陽の神様」じゃなくて「雨の神様」だって。じゃぁ、俺は皆を濡らしてやろうと。俺らは泣いてもいいんだよって言いたいバンドな訳だから。

俺らはハリウッドスターほど会えない人達ではない。現に俺らは曲で君達のそばにいるから

絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。

自分を、好きな人、嫌いな人、世界を知りたいから歌詞を書いている。

幸せのまんま放っておいてほしい

腑に落ちた道を進んでいかないと、 苦労や失敗を背負い込む覚悟もできない

組織のマネジメントとは、凄い人材を入れることや改新的なサービスを導入する事のように思われているが、一番重要なのは、今ある人材と資産で何ができるかを考えることである

今日此処に来たかったけど、チケット取れなかったヤツが沢山いるの分かってるから。そんなヤツらにも届くように唄ってるから。

郡山って水うまいの?(06年 HipShotJAPANライブ中にて)

詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ

指輪によって結婚はなりたつ。つまり、指輪とは鎖を編むものなのです

人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない

音楽って難しいけど楽しいな。昨日今日でやってこと、明日全部やり直し。でも、そういうの嫌じゃない。多分、必要なプロセス。

多少体調が悪くても、気分が優れなくてもベースは崩さないように努める

私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ

自分の人間力なんて分からないし、そこで勝負しようなんて思ってないんだよね

世界中のヤツらに嫌われてても、たった一人にでも愛されていたなら、そいつはすくわれる。たくさんの不幸せの中に一つでも幸せがあるなら、そいつは幸せなんだよ

いつもとは違う部屋の中に見たくないものを置いておく

人は見た目で判断する、そんなもんだ

「私は大衆の中の一人であって大して変わりはない」っていう風に思いたいから。絶対に私は普通のことを言ってて、誰しもが思ったことのあるることを言ってるはずで。

恥ずかしくない生き方はしたくないもんね。だから恥をかくんだよ

自分が元気ない時でも、周りに元気で接すると周りが明るくなるから自然と自分も元気になれる

楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?

体力的な無理はできるけど、精神的な無理は良くない

直観力と想像力を、抑え込んではならない

感情が伴わない作品は、芸術ではない

部下の成長は、育成した者にとって昇進に値する貢献としなければならない

心ある 繊細すぎる魂を持つ人たちが一瞬でも「もうこの世に生きる意味はない」と感じることのない社会を 空気をみんなで作っていきたい。

生産性の本質を測る真の基準は「量」ではなく、「質」である

後回しにできないあせりみたいなものが非常にあって。ボヤボヤしてられないんだよ、休んでる場合じゃないんだよ

言葉っていうのは、感覚に1番近いものを当てはめるだけだから感覚が伝わるわけじゃないんだよね。自分の心の中で生まれた感情・感覚に、1番似合った服を着せたものが言葉だから。

愛は人生において、最も優れた栄養源である

どーだろう?日本は民主主義国家だなんて言ってないで、事無かれ主義国家だって世界に向けて言った方がよっぽどカッコいいんじゃねえか。ロックっぽいぜ。

膝からなし崩しに倒れてしまうような、そういう曲ができちゃって。『なんだこれ?』と思って。とりあえずでも1曲出来上がったと。わけわかんねえって気分のまま東京に帰って。で、歌ってみて、そういう現象で。人知れずひっそり泣いてみたりとか泣けなかったりとかそういう夜もあったりして。(Title of mineについて)

近代的になるなんて努力しなくていい。悲惨なことになにをやろうと、唯一避けられないのがことがそれだから

客の二酸化炭素は俺らの酸素なんだ

出会えた喜びはいつも一瞬なのにどうして別れの悲しみは永遠なの

覚えておくんだ。生涯あなたに付き添ってくれる唯一の人はあなた自身なんだ

忠誠心を買うことはできない。獲得すべきものである。金の力で引き留めようとすれば、引き留められた者が誘惑に対する自分の弱さを会社のせいにするだけである

自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる

持てる者は失うことを知り、幸せは苦しみを知る

僕らは全然清く正しくない だからってコソコソはしたくない コントロールできないことなんて山ほどあるよ 笑顔だけは失くさないでくれ たとえ誰かに罵られてもさ 僕はそういうとこが好きなんだ そいつらに中指立ててあんたらみたいにはならないよって言ってやろうぜ

人は生涯、同一水準の作品しか書けない

創造の泉を自分の内に持っていれば、書きたいものを書き続けられる

今日から聖人、豪傑を志した者が、明日、明後日と順次にそれに合わない性質を少しづつ取り去れば、最初は才能の無い者でも、聖人・豪傑の地位にまで達することが必ずできる

運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか

音楽は心のタイムマシーン。 〜中略〜 音楽を聴くことによって、その音楽に初めて触れたとき、音楽で何かを感じたとき、そのときの気持ちに、それが10年前であろうと20年前であろうと一瞬にしてパーンとその人をその時の気持や情景に送り込むことができる

そうだったな。俺らはいつもそうやって生きてきたんだったな。

昔、俺はずっとシャイだったが、世の中が超シャイになってしまった現代ではとても図々しいロック・スター・オヤジに見えるらしい。

明日のための今日じゃありません。今日のための今日です

高松の不良の皆さんこんばんは!(高知ライヴにて)

運命に耐えているとき、そこに真理が見える

(今の社会、政治についてどう思うか問われて)僕がちょっと油断してたから悪くなりました。どうもすみません。

孤独であって、充実している、そういうのが人間だ

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

自分があまりにも日本語を知らな過ぎることがコンプレックスでした

想像できることは、すべて現実なのだ

偽物が本物に変身する瞬間がある

アーティストの生き方を曲に乗せて、憧れていただく。あたしは全然そういうのやってないんだけど、語られる時にすごく良くないもののように、見世物のように言われますが、実際にはその時お客さんが欲してらっしゃる、期待してきたものであり、それを超えるものでなければいけないと思ってます。こちらの生活、暮らしとか気分とか、そういったものは一切知られてはいけない。それが芸。

明日に引き伸ばせば、それは死んでしまう

何も真似したくないと思う者は、何も生み出さない

ストーンズだけどさ、あのステージを観たら、なんて言うか、…孤独感が消えたんだよね。ほら、…僕は孤独でしょ(笑)。でも、もう孤独感は消えた。…うまく言えないけど。

お前らがここに来るまでに何があったかなんかどーでもいい。お前らの父親が死のうが母親が死のうがそんなのかんけーない。ただこの中で思いっきり楽しんでいってくれー!!

自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである

我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?

さよならとか別れとか、似たことしか歌わなくなってきたなあって。でも本能では、自分はそういうものを書いていくんだろうなってわかっていて

マーケティングは事業全体を完全に包含する。それは最終成果の観点、つまり顧客の視点から見たビジネスすべてである。それゆえにマーケティングに対する配慮と責任は企業全体に浸透していなければならない
