確実にたくさんの曲を作り続けていくには、気分の波に流されてはいけない
芸術は悲しみと苦しみから生まれる
正しい構造が成果を約束してくれるわけではない。しかし、間違った構造は成果を生まず、最高の努力を無駄にしてしまう
新しい事業をつくり出すときは、大きなビジョンである必要はない。しかし、今日の常識とは違うものでなければならない
一個気に入ったモノが見つかったらずっとそれでいいんだ。俺にはお前らしか要らねぇから
美はざっと見てもわからない
志を立て、その目的を達成する手段の中で最も近道だと思うのは、聖人の書物や種々の歴史本の中で、自分が特に刺激を受けた部分を別紙に書き抜いて壁に貼っておくか、扇などに書いておき、日夜朝夕それを眺め、常に反省しつつ及ばない点について勉め、進歩を楽しむのがよい
芸術とは、自然が人間に映ったものです。大事なことは、鏡をみがくことです
ダイヤモンドの行商人がやってきて、 このダイヤモンドは永遠の輝きをどうのこうのって言うとるけど せいぜい百年しか生きられん人間に、 永遠の輝きを売りつけてどうするんじゃ。俺らが欲しいのは今だけです。
作曲家として一番大切な事は、とにかく曲を書き続ける事
私は努力をしてこなかった人間。ただ努力をしなかった分、自分の好きなものに囲まれて生きることはできたというか
苦しい時には、自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ
最高で当たり前なんだよ
もし私が犬よりも猫が好きだというのなら、それは警察猫というものがいないからである
やりたい放題やるとか、自由でいるとか。その理想がすべて叶った瞬間、とりあえず俺の人生、終わりでいいかなと思った。
私は大理石の石塊を選び、必要としないものは何でも切り落とす
歌詞を書いてて出てこない時って、頑張って出そうとして出てくるものじゃない
何かと比べて自分は優れてるっていうんじゃなくて、俺にしか書けねぇ曲があるんだって言えなきゃお金取っちゃダメでしょ。伝えられないでしょ。だから今だってずっと言ってるじゃないですか。僕らは僕らの曲を愛してるって…。
誰かのサイズに合わせて自分を変えることはない。自分を殺すことはない。ありのままでいいじゃないか
ぼくはいつでも、一生懸命歌を作ってるんだよ。才能があるから歌が出来ると思ってるのかも知れないが、それはちがう。作っているんだよ。
画家とは売れるものを描く人のことで、アーティストとは描くものが売れる人のことをいう
(身長・体重・胸囲は?)168cmぐらい、50kgそこそこ。胸囲は僕に抱かれてみて判断しろ
だいたい世の中にある「もの」って用件のあるものですよね。でも、単に「もの」を道具としてみるのではなくて、ものの見方の楽しさを感じて欲しいと思います。こういうのってフィールドワークなんです
生きていくのに疲れていたり、死にたいなんて思ってたり、自分の体に傷をつけたり、人間関係で悩んでいたり、そんな人にはぜひ入院をすすめる
沖縄じゃどれだけ有名か知らねえが・・・そんな脅しが通る程、世の中甘くねえぜ。
I do not want the peace which passeth understanding, I want the understanding which bringeth peace.
私は理解を超えた平穏を求めているのではありません。むしろ、平穏をもたらす理解を求めています。
思い出すのは、あんまよくないよ
人の卓越性は、ひとつの分野、あるいはわずかの分野においてのみ、実現されるのである
俺もな、お前と一緒で目の前に困ってるガキがいると放っておけない性質なんだ
座って弾き語りやってても激しいなあこの音楽って思う時もある。だけど逆にフルボリュームでアンプ鳴らしてガーって大暴れしてるのに何も感じない時がある。それはもしかしたら内面が伝わってるんじゃないかと思うんですよ。
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。
そりゃバイク乗るのも楽しいし、映画も好きだし。でも、桁外れなんだよ。富士山と石ころくらいの違いなんだよ。ロックンロールやってるときの楽しさは、桁外れなんだ。好きなものを見つけるってそういうこと。
誰にでも何かの仕事に適する素質がある。世の中が必要とするものは多く、自分が役に立てることが必ずある
業績を上げる最大のカギは責任感である。権威や権限ではない
本物の画家というのは何もない砂漠で異常なシーンを描ける人だ
モノを作ることを職業としていくには、一つや二ついいものができるだけではダメだ
悪い種子からは悪い実ができる
僕と貴方達との距離は はたして何キロぐらいだ
大切な人がいなくなっても、それは無じゃなくて“空っぽ”があるんです。
癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた
言葉は自由自在なので、聞き手や語り手によって自分も全く思ってもいない方向に変形してしまう面白さもあれば、それが自分の考えとは真逆に動きすぎて混乱しまう場合もあります
あなたの日常は唄になるんです。
眼前のものに深く入ること。そしてできうる限り論理的な自己表現を、忍耐強く行うことです
望みがないわけじゃないけど、誰かに叶えてもらったらつまんないでしょ。
全然ネガティブとかポジティブとかではなく、それ(死の存在)を知ってるから僕たちは生きてるって、そう思えたんですよね。死なないやつは生きられないわけですよ。で、生きてないやつは死ねないわけですよ、やっぱり。(死の存在について)
Self-pity is our worst enemy and if we yield to it, we can never do anything wise in this world.
自己憐憫は最悪の敵です。それに負けたら、この世で賢明なことは何一つできないのです。
自分が何をやるかさえ確かだったら、少しぐらい待ってもなんでもない
美術館はちょっとまとまり過ぎてる感じで、博物館的な世界には思わぬものがあるんだよね
火の国熊本、暑さにゃかなわねぇ!!(熊本ライブにて)
焦点の定まった明確な使命がなければ、組織はただちに組織としての信頼性を失う
昔の夢によりかかったり、くよくよすることは、現在を侮辱し、おのれを貧困化することにしかならない
フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ
自分の強さを実感している人は、謙虚になる
俺はゆるキャラだがなぁ、お前らを見逃すほどゆるくねぇんだよ
The heresy of one age becomes the orthodoxy of the next.
ある時代の異端は、次の時代の正統になるのです。
新潟…新しい『潟』…。『潟』ってどういう意味だーっ?! (新潟ライブにて)
And so this is Xmas for black and for white, for yellow and red, let’s stop all the fight.
黒人そして白人のための、アジア人そしてアメリカ先住民のためのクリスマスなんだ。すべての戦いをやめよう。
人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない
俺らも街頭に立って声を張り上げて生活費稼いでるあの人たちと一緒ですよ。『生きようとしている』人たちなんですよ。だから本当に、僕らが歌うこととホームレスの人たちがこの雑誌(THE BIG ISSUE JAPAN)を持って駅前で声を張り上げるのは、同じ行為だと思ってるんです。
「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい
女性は行動するより前にこうしよう、と考えることがあまりない生き物なんじゃないかと思うんです。先に手が出るというか、体で感じて体で動くっていう
沖縄、色んなものがあるんでしょうね。…珍しい鳥もいるんだろうね…ほら、青いのとか…(石垣島にて)
正義の尺度は声の多数ではない
普通なことが特別で特別であることが普通なこと
ゲームと違って、人生には決まった攻略法はありません
長く続いた友情なのに、別れるときはあっという間だ
これはほんとに昔っから思うんだけど、これがこうなったら幸せなのに、 あれがあったら幸せなのに、と思ってたら一生幸せになれないね。自分の問題だと思うんだ。もっともっと内面の問題だと思うんだ。今の状況を幸福だと思える心を 持った人が幸福なんやな。
(中学を卒業したら東京に行かせてくれ、と父親に言ったときに反論されて)お父さん、僕を止められるんか。音楽しかやりたいことないんじゃ。お父さんには、僕の音楽を反対するだけの材料があるんか。
歴史上いかなる国においても、企業とくに大企業は株主のためにのみマネジメントすべきであるという主張はもちろん、主として株主のためにマネジメントすべきであるという主張さえ、主流になったことはない
創造の泉を自分の内に持っていれば、書きたいものを書き続けられる
何びとも信用しない者は、己れ自身が信用されていないことを知っている
女性はやっぱり、おいしそうなものにクンクンって吸い寄せられて、それで満腹になったら飽きて、別の方に行って。そういう風に生きていくものだと思うんです
運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする
後継者を自分一人で選んではならない。どうしても20年前の自分に似た者を選びたくなる
もし全員に好まれるものがあるとしたら、それは間違いなくくだらないものだ
偉人の経歴を読書により知って憧れること、師や友から聞いたことに発憤すること、自分が逆境に陥ったときに勇猛心を起こすこと、感激することの四つが志を立てる大きな理由となる
自分が元気ない時でも、周りに元気で接すると周りが明るくなるから自然と自分も元気になれる
お芝居の世界でお仕事をするときは、簡単にベラベラしてはいけないというのは自分の中にあるんですよね
今どきレコード評なんか読んでる奴はいやしないさ。評論家が書いてることなんて、もう誰も相手にしないぜ
大事なのは縛りあうことじゃなくて、お互いがお互いをひきつけ合うことじゃん
……キスやな。キスかそれ以上のことやろな、やっぱり。歯…… 磨いとるな?六代目。
We’re not disinterested in politics. It’s just that politicians are disinteresting.
僕らは政治に無関心なわけじゃない。ただ政治家がつまらないだけだよ。