あなたの日常は唄になるんです。
自分を好きになれない奴が、どうあがいたって好きになってはもらえないだろうな、きっと。
普通、表現の仕事であれば作者というものがいますよね。しかし、トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくるんですよね
体力的な無理はできるけど、精神的な無理は良くない
毎日必ずギターには触っていますし、ずっと続けていきたいのは音楽です
全然ネガティブとかポジティブとかではなく、それ(死の存在)を知ってるから僕たちは生きてるって、そう思えたんですよね。死なないやつは生きられないわけですよ。で、生きてないやつは死ねないわけですよ、やっぱり。(死の存在について)
俺はすごく欲張りな人間で完璧主義なの。表現の間口を広げていた時期は、まずはひとつのことに特化していって。例えば、「甘いものってなんだろう?」と考え始めると、甘いものを徹底的に追求していたけれども、最終的にはひとつのことが満たされたとしても物足りないんですよね
人それぞれに求めるものは違うけど、それでいいんじゃないか。自分の思うようにすればいい
自然にやってく中でぼんやり何となく楽しいっていうのは、凄く大事なこと
お金って、ただの道具じゃないですか
オーケストラ音楽に触れたきっかけはラジオ
老年は騒音から遠ざかる。沈黙と忘却に仕える
人の卓越性は、ひとつの分野、あるいはわずかの分野においてのみ、実現されるのである
7年後のことより、7秒後の話をしよう。
何かを成し遂げるためには、そのことをしか考えられないという“狂い”が必要となる
俺らはハリウッドスターほど会えない人達ではない。現に俺らは曲で君達のそばにいるから
本当に口うるさいロックン・ロールや、口の匂いまでするようなリズム&ブルース。そんな音楽は21世紀には無くなってしまうのだろうか。ロボットやサイボーグが聴くような計算された音楽だけが市場にあふれている。
美はざっと見てもわからない
運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない
曲のコンセプトを考えるとき、これはやはり論理が主
楽しめてるって事はカッコいいんじゃねえかな
夢を語る奴のことをバカにしたことはない、そういう奴の為にグングニルって曲が出てきたりします。俺は決して笑わないって歌。そして俺もそういうことをしすぎて目が悪くなりました。夢の見過ぎで悪くなりました。そういう歌も歌ったことがある。でも結局のとこドリーマーです。永遠のドリーマーです。
私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに
家族でも、うっかり見ていないゲームの結果を言おうものなら、次の日までずっと機嫌悪いみたいな。「センスねえ人間だ」っていう感じになっちゃうじゃないですか(笑)。サッカーには、人をそうさせる何かがある。熱くさせるスポーツですよね
評価されるなんて一切必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと「音」を出す。これが前提だな
いいかい、気をつけろよ。だまされんなよ。腐った奴らが増えているんだ。自分を見失わないで欲しいんだ
ずーっと出発点に立ってんだよ、ロックンロールって。どっかの道のりにいるっていうんじゃなくて、今いるここがいつも出発点。いつもどっかに行こうとしてるんだよ。
(曲を)作ること自体が究極のセラピー
かつて「ロックスターは27歳で死ななきゃいけない」という手紙が送られてきて。でも私ドラッグはやらないし、自分のアドレナリンだけで絶対生き抜いてやると思ってますから。それがいかに新しいか、それを立証しなければいけないという使命感がものすごくあるんです。
運が悪かったんだよ …お前等は
お前らが死んでも音楽は何万年も続いていくんだよ
俺は右でも左でもかまわないんだ。そんなことどーでもいいんだ。右にどんどん行ってみろ。やがて左側に来ているのさ。地球は丸いからね。
妙に前向きになるのはなぜだろう。心配はしないでくれ。このくらいのこと(癌が腰に転移したこと)は覚悟してた。
僕と貴方達との距離は はたして何キロぐらいだ
シンメトリーになってないと気持が悪いんですよ。呼吸が奇数だったりすると、「急いで吸わなきゃ!」みたいな気になる。対に関してはかなり重症なので。
「ブルーフォレスト! 」「ねぶた根性見せてみろ! 」(青森ライブにて)
愛は人生において、最も優れた栄養源である
ここ何県?(ロサンゼルスにて)
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
「ロックな手と書いて岩手と読むんだぜ。」「あのさー、冷麺てなにでできてんの?原材料はなんなの?」(岩手ライブにて)
私の創造の源泉は、私が愛する人々である
生きてる人間が『生きてる』っていう事を証明する為に言葉とか色々方法があるんだとしたら、そのいくつもある方法の中から音楽を選んだヤツらが集まっているのがこのバンドだと思う。
とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである
膝からなし崩しに倒れてしまうような、そういう曲ができちゃって。『なんだこれ?』と思って。とりあえずでも1曲出来上がったと。わけわかんねえって気分のまま東京に帰って。で、歌ってみて、そういう現象で。人知れずひっそり泣いてみたりとか泣けなかったりとかそういう夜もあったりして。(Title of mineについて)
自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ
俺は決めたんや。何が正しくて 何が悪いか分からんこの街で誰よりも楽しく 誰よりも狂った生き方 したるってな
女が愛し、愛されると彼女は変わる。誰も彼女にかまわなくなると、精神が乱れてその魅力が失われる
毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。「サルバドール・ダリである」という喜びを
曲作りの勉強は独学です
みんなの愛にこたえてちゃんと元気になるから、全然大丈夫だよ。心配しないで待っててね
僕は口が裂けても、諦めるなどとは言わない
多くの人が80代まで生きれないのは、彼らが長期に渡って40代で止まろうと努力するからだ
明日は明日の風が吹くんだ。明日の風には誰も逆らえないぜ。今日を生きるしかないだろう。明日も生きてるとは限らないしな。
神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ
失敗する子が減ったかも知れない。安全な道を選びがちだけど、危険な道ほど行ってみようって思う気持ちも大事。
芸術家は自然の親友である。草花は茎の優美な曲線と花びらの調和のとれた色合いで芸術と対話をする。どの花にも、自然が芸術家に心から語りかける言葉があるのだ
人間は、「自分でなければ出来ない」と錯覚していることが多すぎる
自分が感動できるものを提出していかないと、周りの人、ひいては観客に響いていかない
偽物が本物に変身する瞬間がある
みんな同じなんだよ。大人も子供も、上も下もなくて、ただ同じ地面の上にみんな立ってるだけで。そういうことが、28になってわかった気がする。だから、みんなも長生きしてさ、精一杯生きてください。
アバウトは健康にいい
これも人生経験。この新しいブルースを楽しむような気持ちで治療(喉頭癌)に専念したい。
ありがとうじゃ足りないけどありがとうしかない。悔しい
突破口は1つしかないんだ。ほかにもう道はないんだ。ロックンロールしかないんだよ。それがわかったときにさ、そこにやっぱり全身全霊を傾けるしかないじゃん。
僕らは全然清く正しくない だからってコソコソはしたくない コントロールできないことなんて山ほどあるよ 笑顔だけは失くさないでくれ たとえ誰かに罵られてもさ 僕はそういうとこが好きなんだ そいつらに中指立ててあんたらみたいにはならないよって言ってやろうぜ
音楽への情熱だけを頼りに、作曲家としての道を進むことができた
何と嫌な商売だ
太陽のように生きて、太陽のように死にたい
例えば勉強ができるから偉い、運動ができるから偉い、友達と仲良くできるから偉いとか、なんかあるんだけど、ロックンロールを聴いた時に何もしなくても偉いんだと思って。
天才のランプは人生のランプより早く燃える
個人としての嗜好が投影された「普通にそのままのもの」っていうのがあるべきだと、私は思ってしまう
問題になろうがどうしようがいいんだもん。それはまた対処していけば。だけど大人たちに相談しちゃうと問題になりそうだからやめようってことになっちゃうんだ。
情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚を持つんだ
偶然というのは、結局人間的なことなんじゃないか
凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです
未来を予知しようとすることは、夜中に田舎道をライトもつけずに走りながら、後ろの窓から外を見るようなものである
回教徒が寺院に入るとき靴を脱ぐように、私は仕事中、ドアの外に肉体を置いてくる
作曲の際はパソコンを使って作業しています。もちろん昔は五線紙に鉛筆で楽譜を書いていました
仙台って『陸の孤島』だよな。 (仙台ライブにて)
たぶん不安とかっていう感情は、こう、戦う覚悟を決めないで中途半端な気持ちでその先に進もうとするから生まれるものだと思うんだ。どーせ逃げもしねぇくせに戦う覚悟をきめないから。だから、お前ら、覚悟決めろよ
作家だとか、法律家だとか、政治家だとかをやってる女っていうのは、怪物だと思うね
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。
ふつうは歳をとったとかモーロクしたとかあいつもだいぶボケたとかいうんだけどそういう言葉の代わりに「あいつもかなり老人力がついてきたな」という風に言うのである。そうすると何だか歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい
火の国熊本、暑さにゃかなわねぇ!!(熊本ライブにて)
一生懸命考えたり思ったりしてわからなくなって、最後の最後のところで逃げ場のないところまで追い詰められて、だからロックンロールをやってる気がするんだよ
小ちゃい頃、私が思ってる自分よりも女っていう生き物としての男の人は見るんだな」って意識した時に凄く嫌悪感があった
Alone we can do so little; together we can do so much.
私たちがひとりで出来ることはほとんど無い。私たちが一緒に出来ることはたくさんある。