『何をやるか』じゃなくて、『どんなふうにやるか』
生きてると後悔はつきもの
何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう
何があっても、賛成反対両方あるのは自然
楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?
僕は死なないと思いながら死ぬんだろうな。
最初っからうまくいくことなんてねぇよ。みんな。本気で手に入れたい世界が俺達にあって、それが今この世にないんなら一から作りゃいいじゃねぇか
誰をも恐れない者は、誰からも恐れられている者に劣らず強い
いかなる道でも効果が無くなると、最後の手段として剣が与えられてるのです。最高の財宝だけは、われわれは暴力に対して正当防衛をしてもよいのです
低級な芸術家たちは、常に他人の眼鏡をかける
運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか
人と同じものが嫌とか、そういうのはあまりない。自分が好きなものを集めてたら、人と同じにはならないでしょう?
信念のためには、たとえ敗れると分かっていても、おのれを貫くそういう精神の高貴さがなくて、何が人間ぞと僕は言いたいんだ
喧嘩に必要なのは、強さじゃなく、慣れているかどうかだ
絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ
俺らがなんでロックやってっかというと、ロックはさ、汚ねぇ言葉とかすっげぇ使ってるよ。それが受け入れれない奴は、まだロックなんて必要ねぇんだよ。でも、絶対なんか壁にぶちあたった時、ロックを聞くとさ、こんな汚ねぇこと考えてるの俺だけじゃねぇんだって思えるからさ。だから、俺らはおまえらのためだけにロックをやるよ
(ゲーム好きになったきっかけは〉東京大のマージャン部に所属し、後に厚生省などに務めた公務員の父と、東京女子医大出身の母の影響が大きい
心に鍵をかけてるひと。かけすぎて人と話すのが苦手になったりしてる人。自殺をしようとした事がある人。俺はそのままでもいいと思うよ。かっこ良いと思うよ。でもどうか生き延びてください
今日思った事があって、みんなが俺達に会いたいとかライブが見たいとか思って見にきてくるんじゃなくて、俺達があいつらに会いたくて会いにいくんだって、逆だなって思いました
「独りでも生きていける強さ」なんてモノは要らん。リボン付きでプレゼントされても捨てちまうだろうな。独りで生きる意味ってあるのか?俺は孤独には全力で抵抗するよ。いつだって誰かを探すよ。他人が居てこその俺だろう。傷付け合って存在確認だろう。これらを放棄した俺なんて死んでいる様なモンだ。
明日描く絵が、一番すばらしい
女が愛し、愛されると彼女は変わる。誰も彼女にかまわなくなると、精神が乱れてその魅力が失われる
ミュージアムをひとつくれ。埋めてやる
何かを生み出していくと、いつか誰かが見つけてくれることもある
意見や考えが違うのは当然のこと。より良い社会の「より良さ」も凝り固めてしまえばイデオロギーなんだけど、誰が勝ったとか論破したとかそういう方法じゃなくて、柔軟にその「より良さ」を目指すことについて同意しながら、進んでいけたらいいですよね。厳しさも排除せずに。
曲を書く際に、人を感動させようとか、美しいメロディーを書いてやろう、と考えているわけではない
顔に性格が表れるように、声には人生が現れる。言葉でどうこうするより、何万時間語り合うより、一曲でいいから自分の書いた歌を聴いてもらえば分かりあえる気がしちゃうんだよな
楽しくなかったら絵なんか描きませんよ
幸せじゃない瞬間も含めて、幸せだと思いますね。
毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。「サルバドール・ダリである」という喜びを
藤くん、心からおめでとう。本当に本当に嬉しかった。他人のことでこんなに嬉しかったのはいつ以来だろう。昨日もらった連絡で僕は眠れなくなりました。これからも大好き。おめでとうございます。
ドブネズミが美しいとわかんねえ奴はたいしたことねえ。
生きたくても生きれねぇ奴がいるんだって そんなんも考えないで生きてる気になんなって
「いてもいいんだよ」「生きてもいいんだよ」「感動してもいいんだよ」「泣いてもいいんだよ」「笑ってもいいんだよ」「そこに存在してもいいんだよ」って言ってくれてるかんじ。誰の許可もいらないんだ。それをロックンロールが僕に言ってくれるんだよ
俺は右でも左でもかまわないんだ。そんなことどーでもいいんだ。右にどんどん行ってみろ。やがて左側に来ているのさ。地球は丸いからね。
昔、メーカーさんがよく、「アルバムアーティスト」という言葉を使われていたでしょう。私がデビューした頃はそういう言葉が残っており、自分はそれだと自負していたんです。シングル曲がアルバム内で違った匂いを発するよう、意図して構成するとき、「これこそが私の本業の終点だ」と感じたりします。
成功する人間に必要な生まれつきの能力などありはしない。ただ、あなたが成し遂げたいことに、必要な能力だけを身につければいいのだ
私は憧れの人になれないけど、私は私になれたし、よかった
勝負をしない奴には勝ちも負けもないと思ってるんだろ? でもそれは間違いだ。勝負できない奴はもう負けてるんだよ
生産性の本質を測る真の基準は「量」ではなく、「質」である
やっぱりみんな自分の手を動かして曲を書かないとダメですよ。作家っていうのは実態のないものだから、いっぱい書かないと本当の姿というのが現れてこない。書いて初めて、実態というのがあるように見えてくるというだけで。
すべての偉大な画家はみな空間を探ります。厚みの観念の中にこそ彼らの力は宿るのです
常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ
どーだろう?日本は民主主義国家だなんて言ってないで、事無かれ主義国家だって世界に向けて言った方がよっぽどカッコいいんじゃねえか。ロックっぽいぜ。
深く、恐ろしく真実を語る者であれ
作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。
自分が良いと思うものを「ほんまに良いものなんです!」って言い通したり、自信のあるものは「自信があります」って言うのが、やっぱり大事。
壊れたギリシアの彫刻は、多くの傑作に分かたれた傑作です
生きる日のよろこび、悲しみ。一日一日が新しい彩りをもって息づいている
集中するための第一の原則は、もはや生産的でなくなった過去のものを捨てることである。そのためには、自らの仕事と部下の仕事を定期的に見直し、「まだ行っていなかったとして、いまこれに手を付けるか」と問わなければならない
凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです
この会場には仕事やっとるやつ、やっとらんやつ、学校行っとるやつ、行っとらんやつ。いろんな人がおると思うけど、お前らはライブを見に来とる。俺らはライブをやりに来とる。それで問題なかろう。
(18歳の頃)もしかしたら現実逃避したかったのかな
10年後に生きている確率より明日生きている確率の方が高いので明日持つ夢が大事
Love is like a beautiful flower which I may not touch, but whose fragrance makes the garden a place of delight just the same.
愛は美しい花のようなもの。それに触れることはないかもしれないけれど、その香りは花と同じように庭を喜びの場所にしてくれます。
夢見ることをやめてはいけない
Security is mostly a superstition. It does not exist in nature, nor do the children of men as a whole experience it. Avoiding danger is no safer in the long run than outright exposure. Life is either a daring adventure, or nothing.
安全とは思いこみにすぎない場合が多いのです。現実には安全というものは存在せず、子供たちも、誰一人として安全とは言えません。危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい危険なのです。人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外にはありません。
お前らがここに来るまでに何があったかなんかどーでもいい。お前らの父親が死のうが母親が死のうがそんなのかんけーない。ただこの中で思いっきり楽しんでいってくれー!!
愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ
事業を行うときは、次の4つの条件を満たしておかなければならない。まず経営環境、使命、強みが現実と一致していること。そして、それらの条件が互いに合致していること。そして、周知徹底されなければならない。さらに、たえず検証されなければならない
かぶりついて仕事せよ
ビートルズとか音楽は、暗いほう暗いほうに行きがちな自分を包んでくれる
夢を夢と呼ぶうちは、それは叶わない。
(名古屋の「な」はどういった字か、と客に確認した後)「何だよっ、知らねえよ!大体なー、『名前が古い屋根』だぞ? 何なんだよ?! ……『名前が古い屋根』って…シャチホコ? …で、シャチホコってなんだ? コイか? 」(名古屋ライブにて)
いいんだよ。 消えないもんは消えないままで。 消えないもんを消そうっていうのは嘘だから。 だって傷は癒えるったってそんな簡単に癒えるわけないじゃん。 傷を負ったっていう過去は消えないんだよ。 消えない傷を持ってて、でもそれは今を生きてる証拠なんだと。
失敗者が何をして失敗したかよりも、成功者が何をして成功したかを学びなさい
そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ
僕は自慢ができることが1つあるの。それは自分の中学生時代に、リアルにパンクを体験したってこと。
安定とか定着ならこっちから願い下げだ。媚びるのも飼いならされるのもごめんだ。すごいシンプルにいこう。作家は作れなければ死ぬだけだ。そのルールに異論は全くない。やったろうじゃんか
歌だってそうなんだ。歌唱力がうまいへたではなくってね、ちゃんとあなたのところに飛んでいくようなメロディを歌いたい
調子が良くなかろうが、ノルマを達成するように進めていかなければこなしきれない
高い金払ってチケット買って見に来てくれてんだろ? 50分だけで良いから何もかも忘れろ! どうせ最後は全員くたばるんだから怖い物なんかねぇだろ
人間にとって成功とはいったいなんだろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか
自分の好きな音を勝手に出す、出したい音を出したらいい
基本的に全てのキャラクターは、レベル99まで上げます(※自身が無類のゲーム好き)
意味もなく生まれてきた人は一人もいない!自分でも気付かないんだ。だから自分らしい生き方をしろ!
芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている
自分が感動できるものを提出していかないと、周りの人、ひいては観客に響いていかない
全てのものは限られた量しかない。特に幸福は
完璧な青写真なるものは、二重に人を欺く。それは、問題を解決できないだけでなく、問題を隠すことによって、本当の解決を難しくする
意図して作ったものがそういう結果になるとは限らないし、絶対、狙いにいかないほうがいい
神は、もはや人間の力では助けられない時のみ助ける
21世紀に重要視される唯一のスキルは、新しいものを学ぶスキルである。それ以外はすべて時間と共にすたれてゆく
ボクシングって勝った方が腕を上げるじゃないですか。でも天秤は負けた(軽い)方が上がるんですよ。・・・・・それっておもしれぇなぁと思って
人間は精神が拡がる時と、閉じこもる時が必ずある。強烈に閉じこもりがちな人ほど逆に広がる時がくる
人生は、水平方向に落ちていくことである
今、俺の考えるライブは祭りだから、日本各地でみんなと祭りをやるという感覚が楽しみでしょうがない。小難しいことを考えず、嫌なことも全部置いてくればいいと思うんだ。きっと楽しめるはずだから
男性のお客さんでライブにいらしている方というのは、何かしらの誤解が生じているんじゃないかなって(笑)
この曲に関しては、音圧があったほうがいいかなって。ハジけたところがあったほうがいい、って思ったし。でも、気持ち的には大きいかもしれないですね。開いた気分でやれば、そうなるだろうし。(『或る街の群青』について)
いつもね 最新作が最高傑作なんだよ 僕の中ではいつもそうだよ
自分の中で一度燃え上がった想いというのは、止めることが出来ない
(それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか)場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです
椎名林檎っていう名義は辞めますよ。もう無理。本名のあたしであることを誰も守ってくれないんだよ?でも、そんなの当たり前じゃないですか、一個の大人だから。「自分で守んなきゃいけないんだから、辞めたっていいだろ!」とか思って
儚いって言う字は『人』の『夢』っていう形をしているけれどそんなものぶち壊して、ざまぁ見ろって言ってやりな。
汝が死ぬ前日に懺悔せよ
(曲を)作ること自体が究極のセラピー
Until the great mass of the people shall be filled with the sense of responsibility for each other’s welfare, social justice can never be attained.
社会正義は、人々の大多数がお互いの福祉に対する責任感で満たされるまで、決して達成されることはありません。