僕らは全然清く正しくない だからってコソコソはしたくない コントロールできないことなんて山ほどあるよ 笑顔だけは失くさないでくれ たとえ誰かに罵られてもさ 僕はそういうとこが好きなんだ そいつらに中指立ててあんたらみたいにはならないよって言ってやろうぜ
私が生きているのは国王のため、スペインのため、カタロニアのためだ。天才は決して死なない。人類の進化は我々の手中にある。国王、万歳!スペイン、万歳!カタロニア万歳!
While they were saying among themselves it cannot be done, it was done.
不可能だとみんなが内輪で言っている間に、それはなされました。
目の前で女殴られて引き下がれるほど大人じゃあねえんだ・・・
今日と明日と明後日のことぐらいを考えていればいいんだよ。
俺は、『ひとりじゃ生きていけねぇ』っていう弱々しい感覚を、本当に強く言える男だから。
大事は寄せ集められた小事によってなされる
著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ
私は、人生の岐路に立った時、いつも困難な方の道を選んできた
忍耐もまた行動の一つの形態だ
世界中のヤツらに嫌われてても、たった一人にでも愛されていたなら、そいつはすくわれる。たくさんの不幸せの中に一つでも幸せがあるなら、そいつは幸せなんだよ
音楽は言語のルーツなんじゃないかな
大丈夫。君は愛されてる。全て上手くいってるんだ。何も心配する事はないよ。君は自信持って笑ってればいいのさ。
もし私が犬よりも猫が好きだというのなら、それは警察猫というものがいないからである
大事なものは他者に求めてはいけないと思ってた
今日から聖人、豪傑を志した者が、明日、明後日と順次にそれに合わない性質を少しづつ取り去れば、最初は才能の無い者でも、聖人・豪傑の地位にまで達することが必ずできる
人生は、水平方向に落ちていくことである
第一番に稚心を去らねばならぬ
偉人の経歴を読書により知って憧れること、師や友から聞いたことに発憤すること、自分が逆境に陥ったときに勇猛心を起こすこと、感激することの四つが志を立てる大きな理由となる
長いこと暗い道を歩いてると……この先もずっと暗いもんだと思っちまう。前に進むことがイヤになる。自分の道がこの先どうなってるか分かってるやつなんてこの世にひとりもいねえ。俺らにできるのは立ち止まって泣くか、一歩でも前に進むかのふたつだけだ。あんたはどっちでも好きな方を選んでいい。入り口までは 俺が案内してやる
昔、俺はずっとシャイだったが、世の中が超シャイになってしまった現代ではとても図々しいロック・スター・オヤジに見えるらしい。
画家とは売れるものを描く人のことで、アーティストとは描くものが売れる人のことをいう
「あいみょんこんな曲作って欲しい」とか、色々意見は聞くんですけど全部受け入れていると、先に進めなくなっちゃう
一人ひとりと7万回握手がしたいです。
私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている
私が独りでいることは決してない。いつだってサルバドール・ダリといるのが習慣なんだ。信じておくれよ、それは永遠のパーティーってことなんだ
人間と人間との間柄には、愛よりほかの財産はない
神童などという言葉は、家族のつくったものだ
生きてる人間が『生きてる』っていう事を証明する為に言葉とか色々方法があるんだとしたら、そのいくつもある方法の中から音楽を選んだヤツらが集まっているのがこのバンドだと思う。
お金なかったのでお母さんのお兄ちゃんにトラック運転してもらってトラックで上京した
Imagine all the people living life in peace.
想像してごらん。だれもが平和に生きていることを。
俺の喜びはいつか忘れるもんばかりだった。でも忘れたくない。
私は最初、写真っていうのは、機械が撮るもんだから誰が撮っても一緒。だから絵とは違うなって思っていたんですけど、そうじゃないんですね。写真って、あなどれないなと思いました
人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない
書いたり発したりすることも大切だけど、今必要なのはちゃんと耳を傾けることなんじゃないかと思います。読むこと、感じること、と言い換えてもいい。受け取ること。吸い込むこと。それを温めること。そのうえで書くこと、発すること。それをまた、お互いによく聞くこと。俺もできてませんが…。
大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである
若い時から優れた作品に触れることが重要
地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。国民をバカにして戦争にかり立てる。自分は安全なところで偉そうにしてるだけ。
10年後に生きている確率よりも、明日生きている確率の方がきっと高いじゃないですか。だから明日持つ夢の方がすごく大事です。
面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ
世間が決して飽きない唯一のものは誇張表現だ
仕事はまず核心をつく、一番大事なところからやるようにしている
下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか
みんなの愛にこたえてちゃんと元気になるから、全然大丈夫だよ。心配しないで待っててね
周囲からの反対やら妨害やら軋轢やらがあるからこそ、自分が本当は何をやりたいのか、何になりたいのか輪郭がはっきりしてきて、よし、オレの気持ちはホンモノだっていう確信が固まっていく……そういうものなんじゃないのか?
「何事も一人で大丈夫」っていう基本さえあれば、あとはもう全部楽しいんだよ
手には、物を掴む手と放す手がある
人の曲を歌う時こそ、恥ずかしい気持ちもなく思い切り出せる声もあるのかもしれないとも思ったし、その、声に焦点を絞ったものもやってみたいって考えられるようにもなってきて
その言葉の持ってるリズム感、そういうことの方が全然大事なんだよね、ヴォーカリストには。言葉1個1個のリズムね
女性を尊べ。彼女らは地上の生活のために天国のバラを織りなす
赤がなければ、青を使います
I used to think that anyone doing anything weird was weird. I suddenly realized that anyone doing anything weird wasn’t weird at all and it was the people saying they were weird that were weird.
かつて私は何か奇妙なことをしている人は全員奇妙だと思っていた。突然気づいたんだけど、実際には何か奇妙なことをしている人はまったく奇妙ではなくて、彼らを奇妙だと言っている人こそが奇妙だということに気づいたんだ。
運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない
希望と失望は同じものですよね? 心が優しい人ほど毎日泣いていて幸せな時間ほど早く過ぎて、失望したことがない人は希望の意味を知らないし。同じものなんですよね。だから、俺はひたすら希望を綴っているだけなんです
だいたい世の中にある「もの」って用件のあるものですよね。でも、単に「もの」を道具としてみるのではなくて、ものの見方の楽しさを感じて欲しいと思います。こういうのってフィールドワークなんです
苦労して獲得した金メダルをおじさんに齧られるのって、自分ごととして想像し直すとあれかな、メインのレスポールSPのヘッドを齧られるみたいな感じかな…。正気でいられる自信ないな、俺。
自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ
ふつうは歳をとったとかモーロクしたとかあいつもだいぶボケたとかいうんだけどそういう言葉の代わりに「あいつもかなり老人力がついてきたな」という風に言うのである。そうすると何だか歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい
本気も本気 “大本気” や!
選択肢を前にした若者が答えるべき問題は、正確には、何をしたらよいかではなく、自分を使って何をしたいかである
未来は誰のものでもない。先駆者というものはおらず、時間に遅れた者しかいないのだ
いつでも大空が、自然の果てしないものが私を引きつけ、喜びをもって眺める機会を私に与えてくれる
目標に達するまでの道筋を多くしないこと
志のない人間は魂のない虫と同じで、いつまでも発展することは無いのだ
詩はなくてはならないものだ。ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ
俺はゆるキャラだがなぁ、お前らを見逃すほどゆるくねぇんだよ
風景なら その中を散歩したくなるような、女性なら その人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい
「今日単車で来たやついるか?」(客ワァァァ)「気をつけろよ」→GT400演奏(FRFにて)
自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる
Avoiding danger is no safer in the long run than outright exposure. The fearful are caught as often as the bold.
危険を回避することは、長期的には危険に完全に晒されるよりも安全ではない。怯える人は大胆な人と同じくらい頻繁に捕らえられる。