俺かて そない馬鹿正直に生きてきたわけやない。せやけどな、俺のまわりには馬鹿に生きて……馬鹿に死んでった男たちがおった。そいつらのくだらん生き方が 俺は男の最高の生き様やと気がついたんや
ロックンロールは吐き出した瞬間と受け取る瞬間があって、受け取った瞬間に完成するものだとは思ってる。僕の出すロックンロールは僕だけでは未完成なんだよ。聴く人がいてその人の心の奥の中で完成する
”世界”というのは自分の中にあるんです
大多数の世間の人々が、平凡な一生を終るのは志が小さく、意志が弱いからだ
レコーディングするようになって18年。いまだにミックスってわからない。難しい。だからおもしろい。なんだろな。なんだろな。音楽っておもしろい。
持てる者は失うことを知り、幸せは苦しみを知る
子どものころから、四角形に対する漠然とした疑問はありましたね
アァン?…お前、ベッピンさんやないかい。どや、俺の女にならんかぁ?どやねん? えぇ〜?
僕は僕の偏見でうたをうたっとる。うたっとるやつは下品じゃがうたの内容は最高じゃ
何にもやってなかったなあって気持ちになる時もよくあるよ
99回倒されても、100回目に立ち上がればよい
人と繋がりたかったら、求めるんじゃなくて、求めたものを持つんじゃなくて、求めるもの全部、自分が閉じ込めてしまうぐらいの、一方通行の自分勝手な行動をぶつけて、それに答えてくれた時に、本当に繋がれるんじゃねぇのかな。
『うわ、眩しい。すっげぇ眩しいんだけどさ、消えてくんない?』と思うくらい眩しいのが夢だと思うし、『いや、あれを見てないと俺の生きてる意味がないとか、存在自体が怪しくなってくる。だから俺は目がつぶれてもいいから、あれを見るぞ』っつうのが、夢を見てる人だと思うし、夢を見てる人ってそんぐらいかっこいい人だと思うし、そんぐらい覚悟してる人だと思うし、そんぐらいリスクを背負ってる人だと思う。
被写体に最初に出会った時の写真が一番良いんですね。うまく撮ろうとたくらんだ写真は、素直な力がなくなる
イメージの共有がしたいだけなんだ。言葉の共有じゃなくてどこかもやもやっとしたイメージをひねりだして曲にする。そのもやもやを共有したいだけなんだ。それで「生きてやるぜ!」って思ってもらえれば、「生きるっていいな」と思ってくれればそれでいいです。
若き時代に数千の帆柱を押し立てて船出したその港へ、老いさらばえて救いのボートに助けられ、人知れず帰ってくる
批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける
さよならとか別れとか、似たことしか歌わなくなってきたなあって。でも本能では、自分はそういうものを書いていくんだろうなってわかっていて
カニバリズムは最も明確な優しさの表現のひとつだ
「これをやりてえ」ってことが増えると、そうやってお茶を濁してる時間はなくなってくる
詩人は常に真実を語る嘘つきである
Half of what I say is meaningless, but I say it just to reach you.
僕の言うことの半分は意味もない。ただ君に聞いて欲しくて話しているんだ。
今日思った事があって、みんなが俺達に会いたいとかライブが見たいとか思って見にきてくるんじゃなくて、俺達があいつらに会いたくて会いにいくんだって、逆だなって思いました
自分じゃない自分を出すのが怖い
自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ
人って、炎とか波とか、長い時間見てても飽きないらしい。同じ形になることがないから、って。変化し続けるものって儚い
ちっちゃい子供は成人の10倍笑うんだって!! 負けてらんねーっつうんだよ!! あっはっは
我々が行動可能なのは現在であり、また未来のみである
ブルースを忘れない方がいい。いろいろな名前の音楽が流行するけれど基本はすべてブルースなのだ
死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど
悪貨は良貨を駆逐するという原理と同じで、形式は実質を駆逐する
変わることをこばむのでなく、変われたことを褒めたいんだ。
夢を夢と呼ぶうちは、それは叶わない。
作曲の際はパソコンを使って作業しています。もちろん昔は五線紙に鉛筆で楽譜を書いていました
馬鹿なら馬鹿ほどカッコええ。駄目なら駄目ほどカッコええとか、そういう世界ってあるんよ
自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど
何があっても、賛成反対両方あるのは自然
毎日やりたいことを精一杯やるっていうことが、すべてにおいて最善策
子どもの頃は、おもちゃよりもレコードを買ってもらう方が嬉しかった
何十年先も俺たちの曲は君のそばにいる
基本的に全てのキャラクターは、レベル99まで上げます(※自身が無類のゲーム好き)
何もしなくても、ほっといても勝手に時間は進む
傷ついても裏切られても、人を最初から疑ってかかるような生き方はしたくないと思うんだよね。裏切られたりして傷つく部分と、すげぇ嬉しいと思う部分て心の同じ部分で、同じところが傷ついたり喜んだりしてるから、傷つかないように心にふたをしていってしまうと、喜びまで感じなくなってしまうんじゃないかなぁ
運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない
(作曲家として)僕は、子どもの頃に「ベートーベン」というスゴイご馳走の味をいっぱい覚えたのが、本当にありがたい
リーダーは尊敬されるが、必ずしも好かれるとは限らない
作家だとか、法律家だとか、政治家だとかをやってる女っていうのは、怪物だと思うね
あと二曲なんだよ。「え~!?」って気持ちも分かるぜ?その気持ちも分かるが、でもあと二曲を精一杯唄うからさ、お前等も精一杯楽しめ。また絶対来るからさ。な?
なんで一番光るのが一番最後でさあ、なんでそれを僕らがここで見た時にはもう手遅れなんだろう?って。ほんとに子供心ながらにせつなすぎて愛しすぎて。全部そうじゃないですか。人の死んじゃう時とか、もうバイバイしなきゃいけない時とか。だから、あの…適当に生きてちゃダメですね。(supernovaについて)
新大久保から来ました。(THE BIRTHDAY福岡ライブにて)
日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか
真摯さはごまかせない
私はあるがままの自分を受け入れてくれることだけを望む
運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか
運が悪かったんだよ …お前等は
Billy Mack: This is shit, isn’t it?Joe: Yep, solid gold shit, maestro.
ビリー「こいつはクソだな」
ジョー「そうだな。だが金のクソだぞ」
神々と肩を並べるには、たった一つのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ
好きだから、大切だからこそ人は高いところを目指す
お前らが死んでも音楽は何万年も続いていくんだよ
余り考え過ごす者は何事をも成し得ない
コミュニケーションで一番大切なことは、相手が口にしていない言葉を聞き分ける力である
俺は峯に教わったんだ。信じる心ってのは・・・人間死ぬ間際でも持てるんだってことを・・・!
著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ
俺もお前らも不器用なんだから、だからとりあえず信じよう。それでもし裏切られたら傷つこう。それを繰り返すだけ
いかなる成果もあげられない人の方がよく働いている。成果の上がらない人は、第一に、ひとつの仕事に必要な時間を過小評価する。第二に、彼らは急ごうとする。第三に、彼らは同時にいくつかのことをしようとする
自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある
俺の喜びはいつか忘れるもんばかりだった。でも忘れたくない。
苦しい時には、自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ
世界中のヤツらに嫌われてても、たった一人にでも愛されていたなら、そいつはすくわれる。たくさんの不幸せの中に一つでも幸せがあるなら、そいつは幸せなんだよ
Self-pity is our worst enemy and if we yield to it, we can never do anything wise in this world.
自己憐憫は最悪の敵です。それに負けたら、この世で賢明なことは何一つできないのです。