


この世は偶然に満ちている。だから人間は人工管理の街を造った。でも、街はいづれ老朽化し、その隙間から、追い出された偶然がまた顔をのぞかせる。カメラにはそれが美味しい

私はいつも、まだ自分ができないことをする

チャンスは鳥のようなものだ。飛び去らないうちに捕らえよ

勘違いするな。俺とお前は違う。 お前の極道は死に様。俺の極道は――生き様だ。 同じ道でも、死に向かって戦うのと、生きるために戦うのは違うということだ。いずれ分かる。

だが重要なのは血じゃない。俺と親っさんは絆で繋がってる!

重荷をいただいた胸は打ち明ければ軽くなる

気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常

自分があまりにも日本語を知らな過ぎることがコンプレックスでした

トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくる

経験を賢く活かすならば、何事も時間の無駄にはならない

何事も、上手く進まないときは、停滞の時期ではなく、変化の時期だ。

あの、いばってる奴らは早く居なくなって欲しいよ。何もわかってないくせに偉そうにしてるなんて、そんなみっともないことはない

手には、物を掴む手と放す手がある

Billy Mack: This is shit, isn’t it?Joe: Yep, solid gold shit, maestro.
ビリー「こいつはクソだな」
ジョー「そうだな。だが金のクソだぞ」

偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ

多少体調が悪くても、気分が優れなくてもベースは崩さないように努める

色々不安だろ?なあ、イライラするしなあ。それなあ、大人になっても不安だし、50過ぎてもイライラするから、そのまんまでいいんじゃないすか。物事解決するよりも、イライラしたまんまさあ、ロック聴きゃあいいじゃん。うん。

世の中を変えるには政治家になりゃいいとか自分に言い聞かせてたりするけど違う、おれらには音楽っていう武器がある

建造物を新しく建てるとき、その外壁に現地の砂を混ぜるように、作詞段階で現地の砂を混ぜて仕上げるというのが、ずっと変わらない自分のやり方です。

問題になろうがどうしようがいいんだもん。それはまた対処していけば。だけど大人たちに相談しちゃうと問題になりそうだからやめようってことになっちゃうんだ。

人は幸運の時は偉大に見えるかもしれないが、真に向上するのは不運の時である

素晴らしい夢ほど笑われるものです。 もし、他人に自分の夢を笑われたら「あぁ、自分の夢は素晴らしいんだ」っと誇ってください。

みんながいなくなったらどうしよう。その不安で毎日押しつぶされそうだけど、俺が今から作る曲をみんなが無条件に聴いてくれるなんてありえないこと、あたりまえにわかってるから。頑張って頑張って自分史上最高の曲を書いて、何食わぬ顔で届けるから。俺はそーゆー虫になるから

大切な人がいなくなっても、それは無じゃなくて“空っぽ”があるんです。

言葉っていうのは、感覚に1番近いものを当てはめるだけだから感覚が伝わるわけじゃないんだよね。自分の心の中で生まれた感情・感覚に、1番似合った服を着せたものが言葉だから。

Your success and happiness lies in you. Resolve to keep happy, and your joy and you shall form an invincible host against difficulties.
あなたの成功と幸福はあなた自身にあります。幸せであることを心に決めれば、あなたの喜びとあなた自身は困難に対して決してくじけません。

私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている

(名古屋の「な」はどういった字か、と客に確認した後)「何だよっ、知らねえよ!大体なー、『名前が古い屋根』だぞ? 何なんだよ?! ……『名前が古い屋根』って…シャチホコ? …で、シャチホコってなんだ? コイか? 」(名古屋ライブにて)

The heresy of one age becomes the orthodoxy of the next.
ある時代の異端は、次の時代の正統になるのです。

人の卓越性は、ひとつの分野、あるいはわずかの分野においてのみ、実現されるのである

神々と肩を並べるには、たった一つのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ

釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね

「これをやりてえ」ってことが増えると、そうやってお茶を濁してる時間はなくなってくる

僕の部屋は僕を守るけど、僕をひとりぼっちにする

As usual, there is a great woman behind every idiot.
いつだってバカを支えているのは偉大な女性だ。

The rumors of my death have been greatly exaggerated.
俺の死の噂は大げさに語られている。

私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに。

喜びは成果の中になければならない。石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない

死を怖れない者に何を怖れろというのだ

究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある

みんなの愛にこたえてちゃんと元気になるから、全然大丈夫だよ。心配しないで待っててね

退屈を怖がってちゃいけない

この国の憲法九条を知っているかい。戦争はしない。戦争に加担しない。愛と平和なんだ。まるでジョン・レノンの歌みたいじゃないか。

運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ

常に非現実を生きてる気がしてならないなぁ。本当にこれ、私の生活か?

悪貨は良貨を駆逐するという原理と同じで、形式は実質を駆逐する

常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ

悪趣味とはクリエイティブなもので、生物学を知識で操るようなもの

芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない

ジャンルがどうとかじゃなくて、音楽全般、様々な角度と方向にどんどん広がってほしいと思う。限りある音楽ファンを奪い合うイメージで話しちゃうとどんどん貧しくなるけど、そもそも、音楽文化自体にそれほど興味を持ってもらえてないってのは骨身に沁みてる。

神童。それは多くの場合、非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである

マンホールをずっと撮っている林丈二さんも、オートになってから奥さんに「ちょっと、あなたの写真、最近、あんまりよくない」って言われたらしいです。どっかに出ちゃうんですね。何でしょうね。自覚して使えばいいんだけど、カメラの機能に寄りかかって撮っちゃうとダメなんでしょうね。何にでもそういうことはいえますね

商業的に音楽を作ろうと思ってしまったら、多分やる気をなくします。

早く大人になりたいとか、まだ子供だとか。違うんじゃないか?俺は俺なんだ。藤原基央なんだ。俺はもっと良い藤原基央になれるように頑張るんだ

結局はひたすら考えるしかないという心境になっている

死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど

100の好きを見つけても1の嫌いに心を裂かれたりもするし、言葉や感情は、削れば削るほど尖っていったり伝わりやすくなったり。自由自在の怖さ!

オルタナをやり始めた時は、「暗い」「分かりにくい」という声があって、若干構えてしまったんです。力技で分からせてやるみたいな余計な力が抜けたんじゃないかな。すごく文字にしづらいかもしれないけど、スイングスピードが速いストレートを自然体のフォームで打てるようになったというか

私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である

私は自分がやりたいことをやっているだけ

被写体に最初に出会った時の写真が一番良いんですね。うまく撮ろうとたくらんだ写真は、素直な力がなくなる

自分の価値観を持って生きるってことは嫌われても当たり前なんだ

自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ

世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく

個人としての嗜好が投影された「普通にそのままのもの」っていうのがあるべきだと、私は思ってしまう

問題の分析によって解決案が一つしか見つからなければ、その解決案は先入観に理屈をつけたにすぎないものと疑うべきである

お前がワンマンだー!(売れる前、新潟でのライブで客が一人しかいなかった時のこと。その客に向かって)

音楽は言語のルーツなんじゃないかな

長く続いた友情なのに、別れるときはあっという間だ

努力というのは、恐らく運や偶然を追いつめて縮めて微細なものにしていって、自分で掴まえやすくするためのものではないのかと思うのである
