


口先だけじゃ海を越えられないのさ

津波が来ます。(酒に酔いながらのラヂヲで地震が来たとき勝手に)

私は死ぬまで、死ぬことについて、そして生きることについて、考えていると思う。

(スーツもシャツもネクタイも黒だったので「真っ黒だね!」と客に言われた後)ああ、黒人だからな。(97年TOKYO COOL CAMP)

『うわ、眩しい。すっげぇ眩しいんだけどさ、消えてくんない?』と思うくらい眩しいのが夢だと思うし、『いや、あれを見てないと俺の生きてる意味がないとか、存在自体が怪しくなってくる。だから俺は目がつぶれてもいいから、あれを見るぞ』っつうのが、夢を見てる人だと思うし、夢を見てる人ってそんぐらいかっこいい人だと思うし、そんぐらい覚悟してる人だと思うし、そんぐらいリスクを背負ってる人だと思う。

忍耐もまた行動の一つの形態だ

真のイノベーションと新奇さを混同してはいけない。イノベーションは価値を生む。新奇さは面白いだけである。ところが組織の多くが毎日同じことを行い、毎日同じものをつくることに飽きたというだけで、新奇なものに取り組んでしまう

大人になったらなったで、子供の頃よりもっと自分と向き合うんだと思うんです。

風景なら その中を散歩したくなるような、女性なら その人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい

アーティストの生き方を曲に乗せて、憧れていただく。あたしは全然そういうのやってないんだけど、語られる時にすごく良くないもののように、見世物のように言われますが、実際にはその時お客さんが欲してらっしゃる、期待してきたものであり、それを超えるものでなければいけないと思ってます。こちらの生活、暮らしとか気分とか、そういったものは一切知られてはいけない。それが芸。

美はざっと見てもわからない

私、雑音がほしくて。綺麗なノイズのない環境が嫌

人は幸運の時は偉大に見えるかもしれないが、真に向上するのは不運の時である

『無罪モラトリアム』の意味は、一個の人間としてまだ社会に出なくても許されてる立場の人間。さらに「無罪」って言って、立場的にも生きてる事が許されるんだって付け足したかった

成功する企業というのは、「問題」ではなく、「チャンス」に目を向けている

I don’t believe in killing whatever the reason!
どんな理由だろうと殺しはいけない!

今、俺の考えるライブは祭りだから、日本各地でみんなと祭りをやるという感覚が楽しみでしょうがない。小難しいことを考えず、嫌なことも全部置いてくればいいと思うんだ。きっと楽しめるはずだから

まじめに考えて出てくる答えっていうのはろくなもんじゃないんです

女の美は性格の中にあるのです。情熱の中にあるのです

自分の置かれている環境を整備しないと、レベルというものは、いとも簡単に下がっていく

大人のくせに子供と同じような人間ばっかりになっちまったんじゃねえのか。

世界中で今日もどこかでライブがあるだろうし、明日もどこかでやるだろうし、世界中でも何百何千万、すごい数のライブがあるんだろうけど 、俺の言ってるこのすげえロックンロールっていうのは 多分、ほんの一握りなんだよ

この世は偶然に満ちている。だから人間は人工管理の街を造った。でも、街はいづれ老朽化し、その隙間から、追い出された偶然がまた顔をのぞかせる。カメラにはそれが美味しい

他人を模写するのは必要なことである。しかし、自分を模写するのは哀れなものだ

よほど守らなきゃいけないものができるとか。自分の人生をすべて捧げなきゃいけない時が来るんですよね。

私には規則や方式は一切ない。裸婦を見る、すると幾千ものちいさな色合いが見えてくる。その中から、生き続けるものを探し出し、そのようにして真新しい色調をキャンバスの上に躍動させるのだ

金 金 言うてもヤクザは最後は力や。力失うた人間は 力ある人間にその道 譲らなアカン。冴島 お前は東城会の力や。絶対に強いまま 神室町に戻って来るんやで。

何事も他人に負けてはならないとする気持ちと、決めた目的の下に一刻も油断なく、心の緊張を失わないことが大事だ

「愛」とか言うと、みんなださいとか、くさいとか言うけど、なんか俺は違うと思うな。

人間の運命は人間の手中にある

僕の場合、作曲の作業に入っているときは生活も一定のペースを保ち、できるだけ規則的に坦々と過ごすように心がけている

自分の価値観を持って生きるってことは嫌われても当たり前なんだ

何処に居ても俺らの唄声とか届いてると思うし。

三大欲求以上の高等なことは考えたくないって言ってるんでしょうね。結局それぐらいしか私は本当のことを知らないし、「それ以上の本当のことを見ると私は傷ついてしまうし」っていう。

私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会・・ 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである

火の国熊本、暑さにゃかなわねぇ!!(熊本ライブにて)

Until the great mass of the people shall be filled with the sense of responsibility for each other’s welfare, social justice can never be attained.
社会正義は、人々の大多数がお互いの福祉に対する責任感で満たされるまで、決して達成されることはありません。

経験を賢く活かすならば、何事も時間の無駄にはならない

Life is either a great adventure or nothing.
人生はどちらかです。勇気をもって挑むか、棒にふるか。

(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です

私はドラッグをしない。私自身がドラッグだ

何があっても、賛成反対両方あるのは自然

基本的にバカバカしいじゃないですか、この商売は。ポップスってそうでしょ。初めから成熟してない状態が前提というか、いつも青いものが求められる。でも私はそれだけじゃないものがやりたい。

青春の夢に忠実であれ

以前にも成功をおさめたからといって、今度も以前と同様の仕事のやり方をし続ける経営者というものは必然的に失敗する運命にある

なんとなくこうなる気はしとったやろ、吾朗!泣いたらあかん、泣いたらあかんで!

突破口は1つしかないんだ。ほかにもう道はないんだ。ロックンロールしかないんだよ。それがわかったときにさ、そこにやっぱり全身全霊を傾けるしかないじゃん。

自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある

市場において目指すべき地位は、最大ではなく、最適である

正しくない事を言ったりしてるやつが居たら自分ひとりでもちゃんと「それは違う」って言えよ。そしたら俺みたいに嫌われたりもするだろうけど、最後は正直者が笑うんだからさ

「久しぶりィ、四つの国ィ」「サロンでキティだぜ!」(松山サロンキティライブにて)

すべてはむなしい

子どものころから、四角形に対する漠然とした疑問はありましたね

自分にとっていちばん面白いのは、思いもしないものに出会うことだ。自分の思いを超えたものにめぐり合うことである。何故それが面白いかといえば、そのことで自分が広がっていく快感があるからである

人間生きてりゃ、終わりなんて無い。いつだってやり直せるんだ。

俺は本当はもっとすごいんだけど、というのがどっかにある

一個気に入ったモノが見つかったらずっとそれでいいんだ。俺にはお前らしか要らねぇから

文明とは、麻痺状態のことだ

おそらく今日、高等教育を受けた人の割合が世界でもっとも多い国が日本である。日本にとっての問題は、いかにして彼ら高等教育を受けた人たちを生産的な存在にするかである

私は、人生の岐路に立った時、いつも困難な方の道を選んできた

モネは、ひとえに眼にほかならない。しかし、何という眼だろう

ようやく何かわかりかけてきたような気がする。私はまだ、進歩している

本気も本気 “大本気” や!

言葉は自由自在なので、聞き手や語り手によって自分も全く思ってもいない方向に変形してしまう面白さもあれば、それが自分の考えとは真逆に動きすぎて混乱しまう場合もあります

子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ

その瞬間に爆発していればカッコいい

21世紀に重要視される唯一のスキルは、新しいものを学ぶスキルである。それ以外はすべて時間と共にすたれてゆく

『自分の謎』で言っているような、自分への不思議な感覚というのはみんなもっているはずだけど、ほかの遊びに忙しくなって、どんどん忘れていっちゃう。でもその感覚ってどこかには残ってるんですね

人の評価なんかどうでもいいし

考えられないですよ、東京事変がない状態って。いろんな意味で、どうしても、こうしなきゃいけなかったというか。うーん、抗えなかった。避ける道がなかったと思いますけどね。
