


沖縄じゃどれだけ有名か知らねえが・・・そんな脅しが通る程、世の中甘くねえぜ。

音楽は、常に論理と感性、車の両輪で出来る

これはほんとに昔っから思うんだけど、これがこうなったら幸せなのに、 あれがあったら幸せなのに、と思ってたら一生幸せになれないね。自分の問題だと思うんだ。もっともっと内面の問題だと思うんだ。今の状況を幸福だと思える心を 持った人が幸福なんやな。

手には、物を掴む手と放す手がある

最近はお金持は多いけど、上品なお金持はなかなかいない。だいたいは下品だ

重要なことは明日何をするかではなく、今日、何をしたかである

本当に死んでもいいくらい好きって奴は、認められないなんてことで不平を言わないよね

今度会うときも、今持ってるもの失わないでほしい。今のまんまで

絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。

心が揺れたところで決着はもうついてんだ

自分の強さを実感している人は、謙虚になる

「時」の歩みは三重である。未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように速く飛び去り、過去は永久に静かに立っている

他者同士だからさ、分かりあえなくて当然

明日のための今日ではなく、今日のための今日ですよ

それは夢のまた夢、夢の中の夢の中の夢の中のそのまた夢の中の、夢の夢さ。でも、夢はあきらめない方がいいぜ

マネジメントたる者は、共に働く者から自らの仕事を教わらなければならない

愛は永久不滅なもの。姿かたちを変えることはあるが、本質は決して変わらない

やっぱり大事な人ほど傷つけてるなという感覚と、傷つけてまで一緒にいたい、愛したいという感覚。それが自分の根本なんだなって。

20代で音楽的に成熟したものや洗練されたものを書くには生意気に見えてしまいそうでしょう。20代は本当にずーっと困っているという感じでした。30歳くらいから力加減を探っていけるようになってきて、ここ数年でやっと、等身大の仕事をするようになってこれた気がしています。すると今度は体力が落ちてきて……ねえ、人生って。それも全部描くしかないです。

効率とは物事を正しく行うことで、有効性とは正しいことを行うことである

100の好きを見つけても1の嫌いに心を裂かれたりもするし、言葉や感情は、削れば削るほど尖っていったり伝わりやすくなったり。自由自在の怖さ!

教養ある人間は、勉強し続けなければならないということを自覚している

型にはハマらずにいたい

やりたい放題やるとか、自由でいるとか。その理想がすべて叶った瞬間、とりあえず俺の人生、終わりでいいかなと思った。

女の美は性格の中にあるのです。情熱の中にあるのです

「五稜郭ジャンキーズ! 」「みんな、牛好きかー?!ジンギスカーン!」(札幌ライブにて)

人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う

僕の場合、作曲の作業に入っているときは生活も一定のペースを保ち、できるだけ規則的に坦々と過ごすように心がけている

絶対に言えるのは、時間が経つとワインと同じで良くなるんです。少々の時間じゃだめだけどね、100年後とかね。何でもない写真でも100年経ったらすごく良く感じるんですよ

わたしは立ち止まりはしない

あなたの日常は唄になるんです。

自分を、好きな人、嫌いな人、世界を知りたいから歌詞を書いている。

ほんの一秒でもいいから、俺が俺として機能したい。 全ての時間がその一秒の為に無駄になっても構わない。

一個気に入ったモノが見つかったらずっとそれでいいんだ。俺にはお前らしか要らねぇから

芸術家になるのは難しいことではない。内容を別にすれば、世間的には自分が決めればいいだけのことだ。誰からも認めてもらえなくても、己さえ納得していればいいのだから話は早い

悪趣味とはクリエイティブなもので、生物学を知識で操るようなもの

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

成果とは常に成功することではない。そこには間違いや失敗を許す余地がなければならない

偶然というのは、結局人間的なことなんじゃないか

今日と明日と明後日のことぐらいを考えていればいいんだよ。

絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ

何百万枚も売れるロックなんて、あんましロックじゃない

色彩は、それ自体が何かを表現している

子どもの時から音楽が好きでしたので、音楽学校に行くことも考えましたが、音大の入試にパスするほどピアノが弾けませんでした(最終学歴:東京大学教育学部教育心理学科)

夢を夢と呼ぶうちは、それは叶わない。

眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ

悪い種子からは悪い実ができる

僕は僕の偏見でうたをうたっとる。うたっとるやつは下品じゃがうたの内容は最高じゃ

他人のためにやるんじゃないよ。自分がやりたいからやるんだ。

余り考え過ごす者は何事をも成し得ない

私は、人生の岐路に立った時、いつも困難な方の道を選んできた

幹部の仕事と知識とは、あまり関係はない

最初にして最高の聴き手は自分自身

空に手を掲げれば、俺はここに存在してるって信じられる気がする。それは必然ではないけれど、存在理由として必要だと思う。要は下ばかり見るなってことだ。

人生山あり谷ありでさぁ、今は山にいるかもしんねぇけど、いつかは絶対に谷になるんだ。お前らも絶対辛い時期があって、楽になりたいって思うときがあると思う。そういうのにあったときってさ、すーげぇいい人になっちゃうんだよ。もう傷つきたくないって思って、周りから愛されるようないい人に・・・でもそれって罠だから! いつまでも、何かに対抗する牙は捨てちゃなんねぇ。牙を抜くんじゃねぇぞ、牙を磨いとけよ! 最後まで油断すんなよ

ギタリストのピークはギターを初めて弾いて感動した瞬間。

自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある

まっさらな目をもて!そして目的を捨てろ!

エライこと引き受けてしもうたなぁ。しゃーない!真島吾朗、いっちょやったろやないかい!

僕は流れるって感じが好きなんだ。固定したものは全然つまらない。人生だってそうだろう?いつも流動的で、何が起こるかわからない。だから面白いんだ

偉人の経歴を読書により知って憧れること、師や友から聞いたことに発憤すること、自分が逆境に陥ったときに勇猛心を起こすこと、感激することの四つが志を立てる大きな理由となる

芸術家は自然の親友である。草花は茎の優美な曲線と花びらの調和のとれた色合いで芸術と対話をする。どの花にも、自然が芸術家に心から語りかける言葉があるのだ

空気の大事さなんて、なくなんないとわかんないですよ。溺れて初めて空気の美味さって感じるんですよ。なくなんないとわかんない大事さ。相手のことをそんなもの(空気みたいな存在)にしてしまったのかって思ってしまう。

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

例えばスリーコードでエイトビートならみんなロックンロールかって言ったらそうじゃないものもあるわけ。スタイルじゃないんですよ。だから様式美ではなく、そこにある熱が大事なんですね。

(作曲家として)僕は、子どもの頃に「ベートーベン」というスゴイご馳走の味をいっぱい覚えたのが、本当にありがたい

何よりも辛いのは、永遠に完成することがないということだ

何も真似したくないと思う者は、何も生み出さない

否定する材料を探したいんでしょうね。色々言おうと思えば言える材料がたまたまそろっているから、面白おかしくおっしゃりたいんじゃないでしょうか。それで私の何が奪えるというのだっていう感じですよね。

本気も本気 “大本気” や!
