


Death is no more than passing from one room into another. But there’s a difference for me, you know. Because in that other room I shall be able to see.
死はただ一つの部屋から別の部屋へ移ることに過ぎません。しかし、私にとっては別です。なぜなら、その別の部屋ではきっと私は見ることができるからです。

想像できることは、すべて現実なのだ

腰の引けたイクジ無しどもがこの世の中を動かしてるのさ。

黒は特別な色ですね。共感覚はそんなに意識していないけれども、誰でも音楽を聴いたら何色なのかを感じるじゃないですか。俺は黒とか青黒いものが好きで、それは何だろうなと思うと、俺の青春が90’sだったから、低音が強いものが好きという感じなんですよ

オレは糞っタレのダメ人間!お前ら、オレみたいになんなよ!…でもさ、お前らがいるからこんなオレでもここに立てた。今のオレにはもう歌うしかねぇ、だからお前ら、オレにもう少し付きあってくれ

俺は右でも左でもかまわないんだ。そんなことどーでもいいんだ。右にどんどん行ってみろ。やがて左側に来ているのさ。地球は丸いからね

本当の芸術というのは、音楽にしたって映画にしたって文章にしたって演芸にしたってなんにしたって、ドアが開かぬままにあなたに会いに行ける魔法だって。

わたしは立ち止まりはしない

僕は新しく何かをやりたいんじゃなくて、今何をやりたいかなんだよ、まさに

何事も、上手く進まないときは、停滞の時期ではなく、変化の時期だ。

College isn’t the place to go for ideas.
大学はアイデアを得るための場所ではありません。

新しい事業をつくり出すときは、大きなビジョンである必要はない。しかし、今日の常識とは違うものでなければならない

僕らはユーモアがないものはどうしても楽しめないんだ。何があってもどこかにユーモアがないと堅苦しくて、そこの場所に居づらくなる

これからは、誰もが自らをマネジメントしなければならない。自らを最も貢献できる場所に置き、成長していかなければならない

挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない

常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ

女性は行動するより前にこうしよう、と考えることがあまりない生き物なんじゃないかと思うんです。先に手が出るというか、体で感じて体で動くっていう

Surrealism had a great effect on me because then I realised that the imagery in my mind wasn’t insanity. Surrealism to me is reality.
シュルレアリスムは僕に大きな影響を与えた。僕の頭の中のイメージが狂気ではないことに気づいたんだ。シュルレアリスムは、僕にとって現実そのものなんだ。

自分には才能がないって思っていたんですけど、今は自分には絶対に音楽の才能があるんだと思いながらやっています。

I believe in God, but not as one thing, not as an old man in the sky. I believe that what people call God is something in all of us. I believe that what Jesus and Mohammed and Buddha and all the rest said was right. It’s just that the translations have gone wrong.
僕は神を信じているけど、唯一のものではないし、空の上の年老いた老人としてでもない。僕は、人々が神と呼ぶものは、僕たち全員の中にあるものだと信じている。イエスやムハンマド、ブッダやその他の人々が言ったことが正しいと信じているよ。ただ、解釈が間違っているだけだと思う。

音を出すことで何を伝えたいのか

夢を夢と呼ぶうちは、それは叶わない。

楽しめてるって事はカッコいいんじゃねえかな

大事なものは他者に求めてはいけないと思ってた

もし全員に好まれるものがあるとしたら、それは間違いなくくだらないものだ

ロック・ミュージシャンになりたいなんて言ったら、親も教師も友達も、みんながみんな反対してくれたもんだった。もうそれだけで社会の落伍者みたいなもんだから。でも、それはとても幸福なことだったと、今は思える。

いまだに『磔磔』って字が書けない…。 (03年京都磔磔にて)

曲のコンセプトを考えるとき、これはやはり論理が主

秘訣というものはない。ただ正しさの法則があるばかりだ

自分が変わるんじゃなくて、変わり続ける何かが俺の中にいるんだよね。

私の観察によれば、成果をあげる者は仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。何に時間がとられているかを明らかにすることからスタートする。次に、時間を管理すべく自らの時間を奪おうとする非生産的な要素を退ける

壁を見つけて超えていく……。人ってのは乗り越えることでしか成長できねぇんだ。 お前の理屈は間違っちゃいない。乗り越えるべき壁が俺だと言うのなら、付き合ってやる。二度と乗り越えようとすら思えない力の差――一度だけ味あわせてやる

愛してるってどういうこと?愛してるって言葉の響きが重すぎるよ。愛せる程立派な人間じゃないですよ。

ギタリストのピークはギターを初めて弾いて感動した瞬間。

何が伝わってほしいって言ってさ、いろんなメッセージとか、いろんなことを訊かれるんだけど、何もないんだよ。みんなが楽しくなってくれたら、もうそれで僕たちがやりたいことは100%成し遂げられてるんだ

音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う

優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む

『自分にはなにもない』って言う人いるけど、そんなことない。コンビニの店員がいなかったら、お弁当あっためてもらえない、銭湯のおばちゃんがいなかったら、銭湯入れない。みんなやることやってる。それを誇りに持てよ!

僕はどんな完成の仕方をしてもその人の実力だと思う。聴く人の実力。だからみんなそれぞれ立派に仕上げてください。そこで自分が楽しい 最高じゃんと思ってくれたらすごく嬉しい。

あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない

傲(おご)ってはいけません。企業は、社会によって存在させてもらっている存在なのです

だって朝から晩までいろんな音楽聴いてるわけで。バップのジャズや20年代のブルースからソウル、レゲエ、フォーク、アイリッシュ。クラシックはめったに聴かないけど聴くときもある。そのすべてから影響受けるけど、僕はそういうのを聴く人で、その僕がやってるバンドがこれだっていうだけ。

誰にも何の役にも立たないではないか。絵、展覧会──それがいったい何になる

僕の場合、作曲の作業に入っているときは生活も一定のペースを保ち、できるだけ規則的に坦々と過ごすように心がけている

僕は不確定というか、絶対にこうだって言い切れないものがあればあるほど面白いと思うよ。その分言い切りたい奴が言い切れるじゃん 僕はロックンロールに対していろんなことをいっぱい言い切る

人と同じものが嫌とか、そういうのはあまりない。自分が好きなものを集めてたら、人と同じにはならないでしょう?

さっき決めたんだーどうしてもどうしてもどうしても笑顔じゃいられない時以外は、笑っていようって

神に誓うな、己に誓え

Reality leaves a lot to the imagination.
現実は、その多くを想像に委ねている。

色彩は、それ自体が何かを表現している

若い内から理論でがんじがらめになってのたうち回る癖をつけろ

前の方にいようが、そんなの関係ない。俺はそんなにやわに唄ってないからさ。

この世界中の人口の1%の人たちが世界中の富の90%を持ってて、残りの99%の人たちが残り10%の富を持ってるんだってよ。俺らはそんな世の中クソくらえって思うんだ。でももしかしたら(音楽で)こんな世の中変えていけるんじゃねーかって思ってる奴の人口の方が多いんじゃねーかって思ってる

破壊こそ創造の母だ

僕は音楽が大好きです、本当に。感情論や云々より音楽が大好きなんですね。メロディ、リズム、和音。その三大要素からなる音楽っていうものが大好きです。

人生は退屈すれば長く、充実すれば短い

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている

作曲家として一番大切な事は、とにかく曲を書き続ける事

自然は無限に分割された神である。神と自然は、完全に相等しい二つの偉大な力である

自分の作った曲で自分が震えたいし、自分を感じたいし、伝えたいし、証明したい。

何があっても、賛成反対両方あるのは自然。

綺麗に生きるなんて、誰ができるんだ

ブルースを忘れない方がいい。いろいろな名前の音楽が流行するけれど基本はすべてブルースなのだ

何事も他人に負けてはならないとする気持ちと、決めた目的の下に一刻も油断なく、心の緊張を失わないことが大事だ

(それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか)場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです

(中学を卒業したら東京に行かせてくれ、と父親に言ったときに反論されて)お父さん、僕を止められるんか。音楽しかやりたいことないんじゃ。お父さんには、僕の音楽を反対するだけの材料があるんか。

本気も本気 “大本気” や!

どんな悲しい事だって、明るい陽射しの中にあれば暗い夜の中にあるより、悲しくはないはずだ

私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる

いつまで出来るか分からないことだし、毎回これが人生最後でも後悔しないというツアーをやりたくて生きているから、今回も長ければ長いほどいいんですよ

長く生きてるほうが絶対おもしろいよ

人生はほんの一瞬のことに過ぎない。死もまたほんの一瞬である

日々楽しく過ごしているということは、今を生きているということなんだ

どうだ。内地の腰抜けのオッサンのパンチは痛かったか?

癌もロックンロールだ。

人間の運命は人間の手中にある

宇宙には緊急な、致命的な、動かせない法則がある。なければならぬ

「愛」とか言うと、みんなださいとか、くさいとか言うけど、なんか俺は違うと思うな。

マネジメントたる者は、共に働く者から自らの仕事を教わらなければならない

私は、愛したいと思いながら、それができない。私は、愛すまいと思いながら、それができない

Zepp Tokyoには幾つか強烈な印象が残っているライブがあって。以前、声が出なくて点滴を打ってステージに立ったこともあったんですよ。あのライブも良かったんだよな

問題になろうがどうしようがいいんだもん。それはまた対処していけば。だけど大人たちに相談しちゃうと問題になりそうだからやめようってことになっちゃうんだ。

お前らがここに来るまでに何があったかなんかどーでもいい。お前らの父親が死のうが母親が死のうがそんなのかんけーない。ただこの中で思いっきり楽しんでいってくれー!!

逃げない、はればれと立ち向かう、それが僕のモットーだ

家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる

ナマ身で運命と対決して歓喜する。それがほんとうの生命感

……別に、誰かのために尽くすってことは悪いことやないで?互いが互いのことを思いやり、惜しむことなく尽くしあえる関係が、一番ええ関係ってやつなんやないか?

(バンド活動においての演奏技術など)スマートにできない分、ぶつかって行くしかない、気持ちで行くしかない

ありとあらゆる感覚を総動員させ、自分を限界まで追い込んでいく

お前は自分しか信じちゃいない。自分以外の人間を心から信じれない。だから人から愛されないんだ。

成果をあげる人の共通点は、行わなければいけない事を、しっかり行っているというだけである

ほんの一秒でもいいから、俺が俺として機能したい。 全ての時間がその一秒の為に無駄になっても構わない。

皆ね、知らず知らずのうちに、はじき出したビー玉持ってると思いますよ。その存在がおそらく誰にでもあると思いますよ。だから場所をとってるわけですよね、僕らはね。

この世には、何一つ決まってることなんてないんだよ。 ただ、そう思いこんでるだけ。

日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか。

私は自分がやりたいことをやっているだけ

(死んだら地獄と極楽のとちらに行きたいか?)どっちでもいいさ。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね
