人を掴むのはコンセプトの面白さじゃなくて、それを実行に移している瞬間のテンション
でたらめをやってごらん。口先では簡単にでたらめなら、と言うけれども、いざでたらめをやろうとすると、それができない
絵の玄人なんていうものは、絵描きに対してロクなアドバイスをしない
欲張りな人間が、諦観を覚えたときは強いよ
その瞬間に爆発していればカッコいい
神に誓うな、己に誓え
運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない
聴くのをサボんなよ。俺歌うから
私は最初、写真っていうのは、機械が撮るもんだから誰が撮っても一緒。だから絵とは違うなって思っていたんですけど、そうじゃないんですね。写真って、あなどれないなと思いました
成し遂げたいことに必要な条件を、明確に把握すればするほど、達成される確率は高まっていく
「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい
音楽、アート、読書、スポーツ、アニメ、ゲーム、etc.好きなものはいくつあったって怒られないのがいいところ。笑。
プロの音楽家を目指すなら音楽理論と感受性が必要
全力を注がなければ、単に約束と希望があるだけで、計画はない
見るために、私は目を閉じる
We’re more popular than Jesus now; I don’t know which will go first, rock ‘n’ roll or Christianity.
ビートルズは今やキリストより人気がある。どっちが先に消えるかな、ロックンロールかキリスト教か。
詩人は未来を回想する
これまでの実績など捨てなさい。自分の強みを過信した者は生き残れません
マーケティングの理想は販売を不要にすることである。つまり、製品がおのずから売れるようにすることである
下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか
やっぱ東城会はアホばっかりや。大好きやで。
僕の何かを信じた時の強さですか?信じるっていう感情の強さですか?行為の強さですか?ハンパないと思いますよ。
いいよ。行っちまえよ。何処へでも。何処にでも届くように唄ってるからさ。
これはほんとに昔っから思うんだけど、これがこうなったら幸せなのに、 あれがあったら幸せなのに、と思ってたら一生幸せになれないね。自分の問題だと思うんだ。もっともっと内面の問題だと思うんだ。今の状況を幸福だと思える心を 持った人が幸福なんやな。
自分じゃない自分を出すのが怖い
人生に命を賭けていないんだ。だから、とかくただの傍観者になってしまう
例えばスリーコードでエイトビートならみんなロックンロールかって言ったらそうじゃないものもあるわけ。スタイルじゃないんですよ。だから様式美ではなく、そこにある熱が大事なんですね。
生きてる人間が『生きてる』っていう事を証明する為に言葉とか色々方法があるんだとしたら、そのいくつもある方法の中から音楽を選んだヤツらが集まっているのがこのバンドだと思う。
自分には過去も未来もない。ただ現在に生きようが為に絵を描くのである
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
自分の個性に 自信を持てよ。そうすりゃあ自分好きになれる。姿形よりも 自分って人間を。磨いて輝る 美しさを
リミッターってさ、取れた瞬間にその存在に気づくよね
これからは自分の為に歌おうと思います。 俺が俺であることを好きでいるとその日はすげぇー楽しいのね。でも俺が俺であることが嫌になってしまうと、その日1日もぅ何もかもが駄目なわけ。俺はかっこよく生きたいです
俺は俺でしかない。BUMP OF CHICKENはBUMP OF CHICKENでしかない。いつの時代でも。そういうことを強く目指している。
(富士山を望むステージが売りのイベントで生憎の曇り空、富士山が見えないね、との問いかけに)でかすぎて見えねぇんじゃねぇの?(SWEET LOVE SHOWER 2007にて)
純粋に泣けてしまうことって本当にある
悪魔は悪しか行なうことができないゆえに純粋である
大リーグで活躍したいと思うことは夢じゃないんだよ。野球をやりたいというのが夢だ。
人はいつも、行動する時より口で言う時の方が大胆になる
多くの人が80代まで生きれないのは、彼らが長期に渡って40代で止まろうと努力するからだ
術は日々の生活の埃(ほこり)を、魂から洗い流してくれる
本気も本気 “大本気” や!
世界一になりなさい。さもなければ撤退しなさい
どの曲も全力でやって一番いいと思えるものを出している
最終日だからって、特別なことはありません。最終日が特別なんじゃないんだよ。ロックンロールが特別なんだよ
音楽を創る上で一番大切な感受性は習って身につくものではない
お先真っ暗はすげー前向きな言葉。
あのアナウンス(「ファウルボールにはご注意下さい」)であらためて注意する間抜けはいない。でもあのようにいっておかないと、後で怪我して訴えられたら困るというのがある。アメリカ仕込みの訴訟社会の風習である
俺はマコトを殺せへんかった……俺にはマコトを生かした責任があるんや。ただ命があったらええってことやない。人として生かさなアカン責任や。極道の食い物にはさせへん……!
信念のためには、たとえ敗れると分かっていても、おのれを貫くそういう精神の高貴さがなくて、何が人間ぞと僕は言いたいんだ
結局はひたすら考えるしかないという心境になっている
いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ
運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする
この世は、良いのと悪いのとかさ、苦痛と幸福とかさ、相反するふたつのことで成り立ってると思うわけ。俺は、頭が悪いなりに考えた結果ね。で、頭がいい人とバカっていう争いもあると思うんだよ。今日は、三万人もバカばっか集まってくださってどうもありがとうございます
書いたり発したりすることも大切だけど、今必要なのはちゃんと耳を傾けることなんじゃないかと思います。読むこと、感じること、と言い換えてもいい。受け取ること。吸い込むこと。それを温めること。そのうえで書くこと、発すること。それをまた、お互いによく聞くこと。俺もできてませんが…。
昔、俺はずっとシャイだったが、世の中が超シャイになってしまった現代ではとても図々しいロック・スター・オヤジに見えるらしい。
コミュニケーションで最も大切なことは、相手の言わない本音の部分を聞くことである
やりたい放題やるとか、自由でいるとか。その理想がすべて叶った瞬間、とりあえず俺の人生、終わりでいいかなと思った。
人生自体にも限りがあって、いつ終わるか分からなくて、その中で『たった今、美しい者を求めても構わないんじゃないか?』って思って、 『どうせそれが繋がって積み重なって美学というものになってんじゃないの?』と
The heresy of one age becomes the orthodoxy of the next.
ある時代の異端は、次の時代の正統になるのです。