何か感じたり思ったりしたことっていうのは、将来の何かに影響してんだよな
久ぶりやのぅ… 桐生チャン!!ワシャ〜 嬉しゅうてたまらんのやぁ。“堂島の龍” と直接やり合える…本物の命張った ケンカができる。なぁ、桐生チャンなら 分かるやろぉ?…なぁ!?
今真剣なんだ。邪魔するな!
芸術は悲しみと苦しみから生まれる
「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね。
ゆっくり急げ。美よりも速く走れ
生きてる人間が『生きてる』っていう事を証明する為に言葉とか色々方法があるんだとしたら、そのいくつもある方法の中から音楽を選んだヤツらが集まっているのがこのバンドだと思う。
負けず嫌いなので、自分の人生には刺激が足りない、喜怒哀楽においてのすべての感情が足りない
愛の光なき人生は無意味である
書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい
アーティストの生き方を曲に乗せて、憧れていただく。あたしは全然そういうのやってないんだけど、語られる時にすごく良くないもののように、見世物のように言われますが、実際にはその時お客さんが欲してらっしゃる、期待してきたものであり、それを超えるものでなければいけないと思ってます。こちらの生活、暮らしとか気分とか、そういったものは一切知られてはいけない。それが芸。
前の方にいようが、そんなの関係ない。俺はそんなにやわに唄ってないからさ。
「ロックな手と書いて岩手と読むんだぜ。」「あのさー、冷麺てなにでできてんの?原材料はなんなの?」(岩手ライブにて)
Surrealism had a great effect on me because then I realised that the imagery in my mind wasn’t insanity. Surrealism to me is reality.
シュルレアリスムは僕に大きな影響を与えた。僕の頭の中のイメージが狂気ではないことに気づいたんだ。シュルレアリスムは、僕にとって現実そのものなんだ。
肝心なのは感動すること、愛すること、希望を持つこと、打ち震えること、生きること。芸術家である以前に、人間であることだ
自分自身がありのままでいられないから、ありのままであろうとする
計画とは未来に関する現在の決定である
失敗することを恐れず、とりあえず何となくやりたい事をやってみたら?
幸せを手に入れるんじゃない、幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ
言葉は自由自在なので、聞き手や語り手によって自分も全く思ってもいない方向に変形してしまう面白さもあれば、それが自分の考えとは真逆に動きすぎて混乱しまう場合もあります
もうすぐクリスマスだねぇ・・・なんか楽しいねぇ(笑)(2006/12 The Birthday広島にて)
これからは自分の為に歌おうと思います。 俺が俺であることを好きでいるとその日はすげぇー楽しいのね。でも俺が俺であることが嫌になってしまうと、その日1日もぅ何もかもが駄目なわけ。俺はかっこよく生きたいです
感動の出発点は感動にあると思うんだ。なんで感動したのかを辿っていくと、表現されたものがどう作られていて、「だから俺は感動したのか」って分かる。もっともっと辿っていくと、その表現者が、かつて感動した瞬間に帰結すると思うんだよ。それが色んな何かをぐるぐると通過して、また人に届く。錬金術なんかじゃないんだよ。感動が伝わって、感動を生む。
多少体調が悪くても、気分が優れなくてもベースは崩さないように努める
恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない
だって朝から晩までいろんな音楽聴いてるわけで。バップのジャズや20年代のブルースからソウル、レゲエ、フォーク、アイリッシュ。クラシックはめったに聴かないけど聴くときもある。そのすべてから影響受けるけど、僕はそういうのを聴く人で、その僕がやってるバンドがこれだっていうだけ。
ドブネズミが美しいとわかんねえ奴はたいしたことねえ。
夫婦とは二つの半分になるのではなく、一つの全体になる事だ
人間は、「自分でなければ出来ない」と錯覚していることが多すぎる
「とりあえず、テレビのドラマに合った曲を書かなきゃいけない」とかって音楽の価値を下げることだと思う
思いついたことは出来る。思いつかないものは出来ない。これは避けがたく、明白なことだ
創造の最大の敵は「良い」センスだ
ミュージアムをひとつくれ。埋めてやる
一回わがまま言い始めたらもう、他人の言うことなんか聞いてらんねえよ
おれたちみたいにブサイクに生まれたやつがカッコよく見せれるとこってのはひとつしかないよな、そうだな“生きざま”だよな
会いたいって言った方が負けみたいなとこある気がする。男女
俺は最近認めてるよ。自分のなかのリベンジを
挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない
不幸はなにも生まないね。不幸とか苦労とかは人をどんどんダメにする。苦労話とかする奴は「俺はこんなにだめなんだぜ!」って言って今まで何をしてきたかをひけらす人でしょ。ひけらかして自分の価値を認めさせようとするわけだ。そんなのは最低だ。
すべての偉大な画家はみな空間を探ります。厚みの観念の中にこそ彼らの力は宿るのです
バンドって楽しいや。ライブやれるってこんな幸せなことないよね。自分家からすげぇ離れた土地で待っててくれる人がいる。拳をあげて一緒に歌ってくれる野郎どもがいるなんて、すごいよね。もし俺たちが音楽やってなかったら 俺個人的に言えば歌を歌ってなかったら、きっと何もなかっただろうな
頭を使いすぎると楽しくなくなる。それより 大事なのはココ(胸を叩いて)じゃん。誰にも譲れねぇってものが1つや2つ絶対あるだろ。それを大事にしてやろうぜ
僕はいつも自分が純粋に感じたこと、考えたことを、理解されようがされまいがダイレクトにぶつける
ストーンズだけどさ、あのステージを観たら、なんて言うか、…孤独感が消えたんだよね。ほら、…僕は孤独でしょ(笑)。でも、もう孤独感は消えた。…うまく言えないけど。
(死んだら地獄と極楽のとちらに行きたいか?)どっちでもいいさ。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね
悲しいことも苦しいことも、全てを楽しみに変えていけるのが人間の力だよ
芸術に従って芸術を作ってはならぬ
出会わなければ良かった出会いなんてきっとない…ないよ。
お前らもありがとな。なんか、勘違いしてるやつがいたら言っといて。これが最後じゃないからね
妄想と勘違いでロックンロールは転がり続けてるんだから、これを解放しないことには何も始まらない。
私は努力をしてこなかった人間。ただ努力をしなかった分、自分の好きなものに囲まれて生きることはできたというか
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
苦労して獲得した金メダルをおじさんに齧られるのって、自分ごととして想像し直すとあれかな、メインのレスポールSPのヘッドを齧られるみたいな感じかな…。正気でいられる自信ないな、俺。
It is for us to pray not for tasks equal to our powers, but for powers equal to our tasks, to go forward with a great desire forever beating at the door of our hearts as we travel toward our distant goal.
私たちは、自分の力に見合った課題を願うのではなく、課題に見合った力を願うべきです。心の扉を叩き続ける強い願望と共に、遠い目標に向かって旅を進めるのです。
どーだろう?日本は民主主義国家だなんて言ってないで、事無かれ主義国家だって世界に向けて言った方がよっぽどカッコいいんじゃねえか。ロックっぽいぜ。
低気圧が僕を責め立てる。
電子辞書は確かに早く正確に引けるが遊びがない。紙の辞書は、引いた語句の両脇の語句が視界に入る。この種のノイズが文化を生む
壁を見つけて超えていく……。人ってのは乗り越えることでしか成長できねぇんだ。 お前の理屈は間違っちゃいない。乗り越えるべき壁が俺だと言うのなら、付き合ってやる。二度と乗り越えようとすら思えない力の差――一度だけ味あわせてやる
自分のああいう時の、ああいう行動が知らぬ間に自分の手を汚してたと。つまり誰かをはじき出してたところがあったというか。読者の方にもそういうことぐらいはあると思います、たぶん。ないかな?怖いな、すごい怖いな。
まったくもってロックンロールはすげえ。ほんとに。だけど そんなにすごいロックンロールでも 世界中に一握りしかいないんだ
監督の意向に従うことは大事だが、望んでいる通りのものを書いていたのではいけない
私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている
沖縄、色んなものがあるんでしょうね。…珍しい鳥もいるんだろうね…ほら、青いのとか…(石垣島にて)
人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。これは我々の時代にはびこる病気だ
ロックンロールは吐き出した瞬間と受け取る瞬間があって、受け取った瞬間に完成するものだとは思ってる。僕の出すロックンロールは僕だけでは未完成なんだよ。聴く人がいてその人の心の奥の中で完成する
人間おのずから用に適する所あり、天下何ぞなすべき時なからむ
数字なんて関係ねーんだ。ホント関係ねーんだ。お前らもよく虐げられてるだろ? 数字の強い人たちにさ
ベートーベン、モーツアルトなどのクラシック音楽を全人類が200年以上聴いていてもまだ飽きないというのは、飽きない音楽の真髄
生きたくても生きれねぇ奴がいるんだって そんなんも考えないで生きてる気になんなって
見るために、私は目を閉じる
変わることをこばむのでなく、変われたことを褒めたいんだ。
人間さ、もちろん嫌いな人とか誰だっていると思うの。でも1個は絶対いいとこあるんだよ。例え100個嫌いなとこあっても、1個いいとこあればその人と友達になれると思うんだ。だから俺も桑とこうやってるんだよね笑。
老年は騒音から遠ざかる。沈黙と忘却に仕える
何十年後も、みんなが知ってるし、歌えるし、聴かれているという音楽を作りたいなと思いますね。芸術は残らなきゃいけないと思っているので。
上手であることはそんなにいいことか?とも思う
神は、もはや人間の力では助けられない時のみ助ける
感動っていうものに限界は無いじゃないですか、日々。それに突き動かされるんですよ
ステージに出る前、死刑台に上がってく気分になるときがあるんだ。ギロチンの下に頭を置いて審判が下される。
芸術家になるためには、まず自分の目や耳でよいものを感じて選びとる「審美眼」が大切
面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ
芸術家にとって、自然の中に醜いものなど決して存在しない
直観力と想像力を、抑え込んではならない
普通=そこそこ、そうじゃないでしょう。最高じゃん!
僕の場合、作曲の作業に入っているときは生活も一定のペースを保ち、できるだけ規則的に坦々と過ごすように心がけている
横浜港町・・・・・(この間、観客の歓声)おぅ、何か、微かに海の匂いがするぜ。(99年1月17日横浜アリーナにて)
私の観察によれば、成果をあげる者は仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。何に時間がとられているかを明らかにすることからスタートする。次に、時間を管理すべく自らの時間を奪おうとする非生産的な要素を退ける
鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう
作曲には、論理的な思考と感覚的なひらめきを要する。論理的思考の基になるものが、 自分の中にある知識や体験などの集積だ
偶然というのは、結局人間的なことなんじゃないか
癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた
聴く人がどう受け止めるかは、聴く人の自由
芸術というものは自然の研究に過ぎません。自然です。何もかもそこにあります
最終的な完成形を頭の中でイメージしないで闇雲にキーボードを叩いても良い作品は生まれない
The more I see the less I know for sure.
知れば知るほど、分からなくなるものだ。