声でねぇけど唄わしてくれ。今回のツアーで俺わかった。お客さんがいると唄えます。聴きてぇって思ってるヤツがいつと唄える。だから、一呼吸分の力を分けてくれ!
僕は新しく何かをやりたいんじゃなくて、今何をやりたいかなんだよ、まさに
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。
名古屋ってダイヤモンドが特産か? …いや、ここに来る途中で『名古屋ダイヤモンド工業』って見かけてさー…ここも『ダイヤモンドホール』だし…。」
時間が無尽蔵にありさえすればいいものができるという物ではない。むしろ、 期限が決められているのは、モノを作る人間にとってはありがたい事
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めていく以外にない
愛しあってるかい?
人間は、毎日生まれ変わる
他人というものがいなければ「一人が一番好き」っという気持ちもない訳で、そして一人の良さなんてわからない訳で。 その台詞はつまり、他人というものを一番意識していて、一番人とのつながりを求めている人なんじゃないのかなと。
広島も付き合い長いな。しかし、付き合い長いとなんか感情が湧いてくるよな。こういうの、何ていうんだ?……憎しみ? (広島ライブにて)
上司を過大評価することはあってもいいが、決して過小評価するな
Being honest may not get you a lot of friends but it’ll always get you the right ones.
自分に正直でいれば、多くの友人には恵まれなくとも、いつでも理想の友人が得られる。
お金なかったのでお母さんのお兄ちゃんにトラック運転してもらってトラックで上京した
どうだ。内地の腰抜けのオッサンのパンチは痛かったか?
歌なんて誰でも歌えるからヴォーカリストになった。だから、誰にでも歌えるような歌しか歌わないんよ。
心理の何か変化があるんですよ。人間行動すべき理由がある。
「ヒットさせなきゃ」とかはないです。ただ、自分自身が毎回前作を超えたいだけで。
人の曲を歌う時こそ、恥ずかしい気持ちもなく思い切り出せる声もあるのかもしれないとも思ったし、その、声に焦点を絞ったものもやってみたいって考えられるようにもなってきて
癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた
10年後に生きている確率よりも、明日生きている確率の方がきっと高いじゃないですか。だから明日持つ夢の方がすごく大事です。
自分があまりにも日本語を知らな過ぎることがコンプレックスでした
一番悪い奴は「口だけいいことを言って実践しない奴」次に悪いのは「悪いことばかり考えてる奴」そうなりたくねぇんだ
後世必ず吾が心を知り、吾が志を憐み、吾が道を信ずる者あらんか
お前が刹那から追い出したものを永遠は返してはくれない
感動の出発点は感動にあると思うんだ。なんで感動したのかを辿っていくと、表現されたものがどう作られていて、「だから俺は感動したのか」って分かる。もっともっと辿っていくと、その表現者が、かつて感動した瞬間に帰結すると思うんだよ。それが色んな何かをぐるぐると通過して、また人に届く。錬金術なんかじゃないんだよ。感動が伝わって、感動を生む。
自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある
その曲の伝えたい事が、あなたがあなたに伝えたい事だと思って欲しい。
焦点の定まった明確な使命がなければ、組織はただちに組織としての信頼性を失う
いつだって、今やるのが一番いい
Everything will be okay in the end. If it’s not okay, it’s not the end.
最後には全て上手くいくよ。もし上手くいっていないのなら、それは最後じゃないってことだ。