自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ
この曲はもう一回は出来ねぇんだ申し訳ねぇ…出来ねぇなぁ。だけど俺たちとお前らで出来ないことが、出来なかったことがあってもいいじゃん。次はうまくやろうぜ
こないだまでうつだったんだよ。みんなはうつにならないかもしれないが、僕はなるんだ。自分はなんて嫌な人間なんだろうって自己嫌悪になって…ずっと自分は変わっていると思ってたんだけど、みんなも良い所と悪い所があって、変わっていて、それが普通なんだよな。だから、僕も普通なんだって思えるようになりました
後回しにできないあせりみたいなものが非常にあって。ボヤボヤしてられないんだよ、休んでる場合じゃないんだよ
ノスタルジアに屈してはならない。道に出て、隣町や外国に行くんだ。ただ、痛々しい過去を旅していけない
自分が良いと思うものを「ほんまに良いものなんです!」って言い通したり、自信のあるものは「自信があります」って言うのが、やっぱり大事。
新しい事業をつくり出すときは、大きなビジョンである必要はない。しかし、今日の常識とは違うものでなければならない
I don’t believe in killing whatever the reason!
どんな理由だろうと殺しはいけない!
俺にとって音楽って魔物でしかなくて、常に。ごほうびなんて与えてくれないんですよ、基本的に。とにかく捧げものをひたすた貢いで貢いで貢いで貢いで、で、ちょっとおこぼれをいただくような真っ黒い、闇みたいな存在だった
人生自体にも限りがあって、いつ終わるか分からなくて、その中で『たった今、美しい者を求めても構わないんじゃないか?』って思って、 『どうせそれが繋がって積み重なって美学というものになってんじゃないの?』と
100の好きを見つけても1の嫌いに心を裂かれたりする
「これはしたくない」「こういうやり方はしない」っていうことさえ自分でわかっていれば、何とかなる気がする
昔のファミコンの音楽は、3音しかありません。だから、本当に必要な音だけを残す作業を行いました
若い内から理論でがんじがらめになってのたうち回る癖をつけろ
世界史は世界審判である
私が独りでいることは決してない。いつだってサルバドール・ダリといるのが習慣なんだ。信じておくれよ、それは永遠のパーティーってことなんだ
一生懸命考えたり思ったりしてわからなくなって、最後の最後のところで逃げ場のないところまで追い詰められて、だからロックンロールをやってる気がするんだよ
市場において目指すべき地位は、最大ではなく、最適である
私はあるがままの自分を受け入れてくれることだけを望む
6才の時、コックになりたかった。7才の時、ナポレオンになりたかった。そして、私の野心は、それ以来着実に成長し続けている
青年は決して安全な株を買ってはならない
上司を過大評価することはあってもいいが、決して過小評価するな
Death is no more than passing from one room into another. But there’s a difference for me, you know. Because in that other room I shall be able to see.
死はただ一つの部屋から別の部屋へ移ることに過ぎません。しかし、私にとっては別です。なぜなら、その別の部屋ではきっと私は見ることができるからです。
僕は新しく何かをやりたいんじゃなくて、今何をやりたいかなんだよ、まさに
著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ
逃げない、はればれと立ち向かう、それが僕のモットーだ
俺は俺でしかない。BUMP OF CHICKENはBUMP OF CHICKENでしかない。いつの時代でも。そういうことを強く目指している。
わがままさっていうのはさ、必要なんじゃねえかなあ
私は死ぬまで、死ぬことについて、そして生きることについて、考えていると思う。
昔、『天空の城ラピュタ』を観て、自分の目の前には守るべき少女も追いかけるべき宝もないことに絶望した
親切ではないけど、やさしい。丁寧ではないけど、やさしい
体力的な無理はできるけど、精神的な無理は良くない
想像力の源である感性は、その土台になっているのは自分の中の知識や経験の蓄積だ。そのストックを、絶対量を増やしていくことが、自分のキャパシティを広げることにつながる
人々の求めるニーズに無関係であってはならない、かといってニーズに迎合してもいけない
友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる
仕事じゃなくてもやるもんね!
椎名林檎っていう名義は辞めますよ。もう無理。本名のあたしであることを誰も守ってくれないんだよ?でも、そんなの当たり前じゃないですか、一個の大人だから。「自分で守んなきゃいけないんだから、辞めたっていいだろ!」とか思って
画家は労働者が働くように勉強しなければならない
自分の声に何かがあって、歌えなくなったとしても、作詞は続ける。
男性のお客さんでライブにいらしている方というのは、何かしらの誤解が生じているんじゃないかなって(笑)
後悔は いつもうらめしそうに ちょっと先でこっちを見てるね いやなヤツ。
経営者がかならず身につけておかなければいけない、大事な要素がひとつだけある。それは品性である
偉大な精神は、静かに忍耐する事を知っている
こむずかしい理屈をこねたりしてる歌なんて、最悪。単純なラブ・ソングこそ、最高なのに。
人の曲を歌う時こそ、恥ずかしい気持ちもなく思い切り出せる声もあるのかもしれないとも思ったし、その、声に焦点を絞ったものもやってみたいって考えられるようにもなってきて
路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね
深く、恐ろしく真実を語る者であれ
絵を描くのは人生に耐えるための手段だ
人間、しがみついてでも、這いつくばってでも、生きることに価値があるんだ。分かるか?
この曲に関しては、音圧があったほうがいいかなって。ハジけたところがあったほうがいい、って思ったし。でも、気持ち的には大きいかもしれないですね。開いた気分でやれば、そうなるだろうし。(『或る街の群青』について)
人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ
三大欲求以上の高等なことは考えたくないって言ってるんでしょうね。結局それぐらいしか私は本当のことを知らないし、「それ以上の本当のことを見ると私は傷ついてしまうし」っていう。
「今日単車で来たやついるか?」(客ワァァァ)「気をつけろよ」→GT400演奏(FRFにて)
私の健康を祝して乾杯してくれ
大事なものは他者に求めてはいけないと思ってた
私は、自分の作品に心と魂を込める。そして制作過程では我を失う
フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ
幅を広げたかったら、知性を磨くことと本当の修羅場をくぐり抜けること
色彩は、それ自体が何かを表現している
ど・ち・ら・に・し・よ・う・か・な・か・み・さ・ま・の・い・う・と・お・り…決まった… 赤や…!
芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない
恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがある
色々と余計なこと考えすぎて眠れなくなった夜には必ずといっていいくらいに見まくった立川談志さんの落語のビデオ
最近はお金持は多いけど、上品なお金持はなかなかいない。だいたいは下品だ
人間さ、もちろん嫌いな人とか誰だっていると思うの。でも1個は絶対いいとこあるんだよ。例え100個嫌いなとこあっても、1個いいとこあればその人と友達になれると思うんだ。だから俺も桑とこうやってるんだよね笑。
人々を動機付ける能力がなくては、経営者とは言えない
昔、メーカーさんがよく、「アルバムアーティスト」という言葉を使われていたでしょう。私がデビューした頃はそういう言葉が残っており、自分はそれだと自負していたんです。シングル曲がアルバム内で違った匂いを発するよう、意図して構成するとき、「これこそが私の本業の終点だ」と感じたりします。
I’m not afraid of death because I don’t believe in it. It’s just getting our of one car, and into another.
僕は死を恐れていない。だって、死というものを信じていないから。死とは、1台の車から降りて、別の車に乗り換えるものだからね