感覚って信じてます? 僕は感覚なんて全く信じていない
僕がどうしてもそこから逃げられないぐらいに取り憑かれてるものっていうのはロックンロールに秘められた把握できない未知の価値観なんだよ。
これはほんとに昔っから思うんだけど、これがこうなったら幸せなのに、 あれがあったら幸せなのに、と思ってたら一生幸せになれないね。自分の問題だと思うんだ。もっともっと内面の問題だと思うんだ。今の状況を幸福だと思える心を 持った人が幸福なんやな。
生涯に一作であれば、誰でもいい曲がつくれる
ステージに出る前、死刑台に上がってく気分になるときがあるんだ。ギロチンの下に頭を置いて審判が下される。
そや桐生チャン…龍司とかいう奴に負けたら承知せぇへんで。俺との勝負も残っとるんやからなぁ。
何を生命と呼ぶか。あらゆる意味から君を激動させるもの、君を突き貫くもののことである
空気の大事さなんて、なくなんないとわかんないですよ。溺れて初めて空気の美味さって感じるんですよ。なくなんないとわかんない大事さ。相手のことをそんなもの(空気みたいな存在)にしてしまったのかって思ってしまう。
優しくなりたいと思う人は、優しいんだと思います。
好奇心と衝動は音楽を作る上でめちゃめちゃ大事
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う
リーダーは尊敬されるが、必ずしも好かれるとは限らない
人は大きな目的を持ってこそ、おのずから大きくなれる
イノベーションとは、論理的な分析であるとともに知覚的な認識である
人間を偉大にしたり卑小にしたりするのは、その人の志である
一個気に入ったモノが見つかったらずっとそれでいいんだ。俺にはお前らしか要らねぇから
自分の中にどうしても譲れないものがある。それを守ろうとするから弱くなる。そんなもの、ぶち壊してしまえ!
何かを生み出していくと、いつか誰かが見つけてくれることもある
石狩は、日本のサンフランシスコだー!(第一回RSRにて)
誰かと肩がぶつかる。生きるってそういう事だと思う。
友人の中にも損友と益友がある。益友とは自分の欠点を遠慮なく告げてくれる友のことである。益友の印象は悪い。時には自分の感情を害する言行もあるが、大切にしなければならない。益友の言葉により自分を正しい道に導き、欠点に気付き、矯正するのがよい
何百万枚も売れるロックなんて、あんましロックじゃない
愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある
レコーディングするようになって18年。いまだにミックスってわからない。難しい。だからおもしろい。なんだろな。なんだろな。音楽っておもしろい。
私は大金を持った、貧乏人のように暮らしたい
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。
(初めて買ったCDは?)中学生の時に買った久保田利伸さんのアルバム
望みがないわけじゃないけど、誰かに叶えてもらったらつまんないでしょ。
そもそも不用のものや、そこに転がっているものに「妙なもの」があるんです。これは「妙なもの」としか言いようがないんですけど、それは、まだ誰も見ていないということもあって、それを発見するのが面白かったんですね
言葉なんていらなくなるよ、きっと。僕が立派になれれば
何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう
人生、回り道も大事やからな。いっつも最短ルート歩いててもしゃあない。
涙が出てきたら、耐えて、苦しんで、そして前進あるのみだ
自分の声に何かがあって、歌えなくなったとしても、作詞は続ける。
最後は直感なのだ
みんなで盛り上がることをするな。お前が一番盛り上がれ
お前らもありがとな。なんか、勘違いしてるやつがいたら言っといて。これが最後じゃないからね
大体、いちばん素晴らしい絵を描くのは四、五才くらいの子どもだよ
他人を模写するのは必要なことである。しかし、自分を模写するのは哀れなものだ
今日と明日と明後日のことぐらいを考えていればいいんだよ。
ロック・ミュージシャンになりたいなんて言ったら、親も教師も友達も、みんながみんな反対してくれたもんだった。もうそれだけで社会の落伍者みたいなもんだから。でも、それはとても幸福なことだったと、今は思える。
芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない
東京事変はこの5人で、最後のその瞬間までを、全力で駆け抜けたいと思います。
やり方を学ぶ
ひらめくまで待つ
The heresy of one age becomes the orthodoxy of the next.
ある時代の異端は、次の時代の正統になるのです。