基本的に完成は信用しない
自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる
ここ何県?(ロサンゼルスにて)
想像できることは、すべて現実なのだ
以前にも成功をおさめたからといって、今度も以前と同様の仕事のやり方をし続ける経営者というものは必然的に失敗する運命にある
誰かと肩がぶつかる。生きるってそういう事だと思う。
太陽のように生きて、太陽のように死にたい
多少体調が悪くても、気分が優れなくてもベースは崩さないように努める
『うわ、眩しい。すっげぇ眩しいんだけどさ、消えてくんない?』と思うくらい眩しいのが夢だと思うし、『いや、あれを見てないと俺の生きてる意味がないとか、存在自体が怪しくなってくる。だから俺は目がつぶれてもいいから、あれを見るぞ』っつうのが、夢を見てる人だと思うし、夢を見てる人ってそんぐらいかっこいい人だと思うし、そんぐらい覚悟してる人だと思うし、そんぐらいリスクを背負ってる人だと思う。
自分には過去も未来もない。ただ現在に生きようが為に絵を描くのである
もともと変わった曲にしようとしていたわけじゃなくて、自然に出来たんで。まぁ、奇跡って言い方はおかしいですけど、偶然的にあのような曲になったっていうところも大きいんですよね(『サイレン』について)
イノベーションとは、論理的な分析であるとともに知覚的な認識である
自然にやってく中でぼんやり何となく楽しいっていうのは、凄く大事なこと
やり方を学ぶ
どの曲も全力でやって一番いいと思えるものを出している
時間が無尽蔵にありさえすればいいものができるという物ではない。むしろ、 期限が決められているのは、モノを作る人間にとってはありがたい事
1.必ずできると信じろ2.限界を越えろ3.「その時」を待つな4.行動しろ5.正しく問え6.ジャッジせず、隠された美を見ろ7.遅すぎることなんてない
イエスとノーのあいだに真実が息づいている
本当に死んでもいいくらい好きって奴は、認められないなんてことで不平を言わないよね
芸術というものは自然の研究に過ぎません。自然です。何もかもそこにあります
大好きなものと付き合っていくことだよ
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
新大久保から来ました。(THE BIRTHDAY福岡ライブにて)
数千のアイデアを育てて、やっと一つの成果を得ることが出来る
アバウトは健康にいい
人生の目的は悟ることではありません。生きるんです
他人を模写するのは必要なことである。しかし、自分を模写するのは哀れなものだ
勇敢な男は自分自身のことは最後に考えるものである
何か感じたり思ったりしたことっていうのは、将来の何かに影響してんだよな
明日のための今日じゃありません。今日のための今日です
ずーっと出発点に立ってんだよ、ロックンロールって。どっかの道のりにいるっていうんじゃなくて、今いるここがいつも出発点。いつもどっかに行こうとしてるんだよ。
眼前のものに深く入ること。そしてできうる限り論理的な自己表現を、忍耐強く行うことです
地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。国民をバカにして戦争にかり立てる。自分は安全なところで偉そうにしてるだけ。
夫婦とは二つの半分になるのではなく、一つの全体になる事だ
音楽やる上では、リアクションしかない。だからパッて出したものに対して、リアクションする。その繰り返しで、完成できる。
たぶん不安とかっていう感情は、こう、戦う覚悟を決めないで中途半端な気持ちでその先に進もうとするから生まれるものだと思うんだ。どーせ逃げもしねぇくせに戦う覚悟をきめないから。だから、おまえら、覚悟決めろよ
俺は強いヤツが好きや!俺に命令出来んのは強いヤツだけや!
相手を尊敬することができぬなら恋は起こりえない
私は最初、写真っていうのは、機械が撮るもんだから誰が撮っても一緒。だから絵とは違うなって思っていたんですけど、そうじゃないんですね。写真って、あなどれないなと思いました
作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。
何事も、上手く進まないときは、停滞の時期ではなく、変化の時期だ。
ぼくはいつでも、一生懸命歌を作ってるんだよ。才能があるから歌が出来ると思ってるのかも知れないが、それはちがう。作っているんだよ。
普通の大人なら、球場はボールが飛んでくるから人にいわれなくても自分で注意する。それができないのは五歳か六歳で、つまりそれがいまの日本人の精神年齢ということだろう
今、俺の考えるライブは祭りだから、日本各地でみんなと祭りをやるという感覚が楽しみでしょうがない。小難しいことを考えず、嫌なことも全部置いてくればいいと思うんだ。きっと楽しめるはずだから
最近は安定して良いライブが出来ているけれども、もっと陰に転がり込んでしまって、どうにもならなくなってた時もあるんですよ。ステージの上で、「客席のみんなが俺のことを嫌いなんだ」としか思えない瞬間があったりして。パニック障害というか、今この瞬間、全員が俺を憎んでいると思ってしまう。みんなチケットを買ってライブに来てくれているのだから、そんなはずはないのにね
夢を夢と呼ぶうちは、それは叶わない。
評価されるなんて一切必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと「音」を出す。これが前提だな
オリンピックってどこが優勝したか知ってる?(長野オリンピック後の長野ライブにて)
常に非現実を生きてる気がしてならないなぁ。本当にこれ、私の生活か?
我々は自分たちを巡る奥深い知られざる者の真ん中にいて、絶えず昏迷する
神は勇者を叩く
やっぱ俺は唄を選んだ人間なんだなって思ったんだよ。どんどん喋るのが下手になってって、どんどん唄うのが好きになってって、これは唄えって事だ。
眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ
僕らがひきこもらない理由は、街に出れば女の子がいるからだ
たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ
人生は、水平方向に落ちていくことである
周囲より僕は歌の力ってのを信じてます。
集中するための第一の原則は、もはや生産的でなくなった過去のものを捨てることである。そのためには、自らの仕事と部下の仕事を定期的に見直し、「まだ行っていなかったとして、いまこれに手を付けるか」と問わなければならない
市場において目指すべき地位は、最大ではなく、最適である
行動がすべての成功の鍵だ
感性を磨くとは、こうした直感を鍛えることだと思う
(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です
恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない
清志郎。あなたとの思い出に、ろくなものはございません。今日もそうだよ・・・。ひどいよ、この冗談は。ありがとう。一生忘れないよ。
絵の玄人なんていうものは、絵描きに対してロクなアドバイスをしない
たいていの経営者は、その時間の大半を過ぎ去った「きのう」の諸問題に費やしている
ひとりの富者がなんと多数の乞食を養うことか!王が建築を始めれば、馬車曳きに仕事が生まれる
少なくとも僕にも誰かを楽しませることはできる
儚いって言う字は『人』の『夢』っていう形をしているけれどそんなものぶち壊して、ざまぁ見ろって言ってやりな。
第一番に稚心を去らねばならぬ
効果的な経営者の共通点は、ひたすらひとつの作業に集中する点にある。彼らは最も大切なことのみを行い、そのことが完了するまで、他の事に目を向けないという集中力を持っている
誰もが芸術を理解しようとする。ならば、なぜ鳥の声を理解しようとはしないのか
人の卓越性は、ひとつの分野、あるいはわずかの分野においてのみ、実現されるのである
コンピューターなんて役に立たない。だって、答を出すだけなんだから
砂漠では、教養など何の役にも立たない。生きる技術を持っているかどうかが生き残れるかどうかを分ける。厳しいビジネスの世界も同じである
俺は錦みてえにはなれねえよ
いいんだよ。 消えないもんは消えないままで。 消えないもんを消そうっていうのは嘘だから。 だって傷は癒えるったってそんな簡単に癒えるわけないじゃん。 傷を負ったっていう過去は消えないんだよ。 消えない傷を持ってて、でもそれは今を生きてる証拠なんだと。
日本人はやはり全員が五、六歳か、もしくはたんなる訴訟の素材なのだ
指輪によって結婚はなりたつ。つまり、指輪とは鎖を編むものなのです
久ぶりやのぅ… 桐生チャン!!ワシャ〜 嬉しゅうてたまらんのやぁ。“堂島の龍” と直接やり合える…本物の命張った ケンカができる。なぁ、桐生チャンなら 分かるやろぉ?…なぁ!?
信念のためには、たとえ敗れると分かっていても、おのれを貫くそういう精神の高貴さがなくて、何が人間ぞと僕は言いたいんだ
自分の感情を音楽を通じて人々の前に発表してみたいという心がなければ、作曲しないほうがいい
美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ
若き時代に数千の帆柱を押し立てて船出したその港へ、老いさらばえて救いのボートに助けられ、人知れず帰ってくる
(RC時代、ローリングストーンズのパクリでは?の声に)なんだ、今頃気付いたの?
I used to think that anyone doing anything weird was weird. I suddenly realized that anyone doing anything weird wasn’t weird at all and it was the people saying they were weird that were weird.
かつて私は何か奇妙なことをしている人は全員奇妙だと思っていた。突然気づいたんだけど、実際には何か奇妙なことをしている人はまったく奇妙ではなくて、彼らを奇妙だと言っている人こそが奇妙だということに気づいたんだ。