もしも明日の朝が来なければ、俺は最高傑作をいくらでも作ることができただろう。
私、雑音がほしくて。綺麗なノイズのない環境が嫌
生産性を向上させるためにまず問うべきは、何が目的か、何を実現させようとしているか、なぜそれを行うかである
子どもが大人になった時に、母が自分との時間を犠牲にしてまで、何を作っていたのか。知られた時に、恥ずかしくないもの、単純にわかるものを残したい。
僕は音楽が大好きです、本当に。感情論や云々より音楽が大好きなんですね。メロディ、リズム、和音。その三大要素からなる音楽っていうものが大好きです。
僕の部屋は僕を守るけど、僕をひとりぼっちにする
「命短し、目抜き通りを歩こう」っていう気持ちなんです、今。本当に。人生がどんどんシンプルになってきている
時間が無尽蔵にありさえすればいいものができるという物ではない。むしろ、 期限が決められているのは、モノを作る人間にとってはありがたい事
自分が変わるんじゃなくて、変わり続ける何かが俺の中にいるんだよね。
5年も6年も前の曲。これから歌う曲。この曲書いたときあぁ夢見てるんだねっていわれた。夢追いかけてると必ず言われることがあんだ。お前らも言われてると思う。俺らもよく言われた。今でも言われんだ。[大人になれ]って。でも大人になったからって夢みないってのとは違うと思うんだ
運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない
私はあるがままの自分を受け入れてくれることだけを望む
自分が何をやるかさえ確かだったら、少しぐらい待ってもなんでもない
美はざっと見てもわからない
自分を支えているのは、自分
人間にとって成功とはいったいなんだろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか
私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない
言いたいことは言う。 その時は心を込めて言う。
働く人たちの姿勢は、何にもまして経営管理者の行動を反映する。彼らの姿勢は、経営管理者の能力と構造を映す
私は、自分の作品に心と魂を込める。そして制作過程では我を失う
運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない
結局はひたすら考えるしかないという心境になっている
昔、メーカーさんがよく、「アルバムアーティスト」という言葉を使われていたでしょう。私がデビューした頃はそういう言葉が残っており、自分はそれだと自負していたんです。シングル曲がアルバム内で違った匂いを発するよう、意図して構成するとき、「これこそが私の本業の終点だ」と感じたりします。
(富士山を望むステージが売りのイベントで生憎の曇り空、富士山が見えないね、との問いかけに)でかすぎて見えねぇんじゃねぇの?(SWEET LOVE SHOWER 2007にて)
アーティストの生き方を曲に乗せて、憧れていただく。あたしは全然そういうのやってないんだけど、語られる時にすごく良くないもののように、見世物のように言われますが、実際にはその時お客さんが欲してらっしゃる、期待してきたものであり、それを超えるものでなければいけないと思ってます。こちらの生活、暮らしとか気分とか、そういったものは一切知られてはいけない。それが芸。
(ビートルズの音楽は)8:2くらいの割合で、暗いところか隠されているところが好き
愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ
作曲家の基本命題は「いい曲をつくる」こと
沖縄、色んなものがあるんでしょうね。…珍しい鳥もいるんだろうね…ほら、青いのとか…(石垣島にて)
人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う
恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがある
我々は何をするにも、常に自分自身に問わなければならない。もし皆がそうしたら、どんなことになるだろうと
……キスやな。キスかそれ以上のことやろな、やっぱり。歯…… 磨いとるな?六代目。
偉人の経歴を読書により知って憧れること、師や友から聞いたことに発憤すること、自分が逆境に陥ったときに勇猛心を起こすこと、感激することの四つが志を立てる大きな理由となる
色彩は、それ自体が何かを表現している
宇宙には緊急な、致命的な、動かせない法則がある。なければならぬ
砂漠では、教養など何の役にも立たない。生きる技術を持っているかどうかが生き残れるかどうかを分ける。厳しいビジネスの世界も同じである
大事は寄せ集められた小事によってなされる
他人を、誰かを愛するという行為は、全ての可能性の始まりだと思っている。
妄想と勘違いでロックンロールは転がり続けてるんだから、これを解放しないことには何も始まらない。
肉体的に落ちていくものは取り戻せない。残っているものを生かすしかない
素晴らしくマネジメントされた組織というものは、日常はむしろ退屈な組織である
自分を、好きな人、嫌いな人、世界を知りたいから歌詞を書いている。
成功する企業というのは、「問題」ではなく、「チャンス」に目を向けている
じいちゃんばあちゃん天国で見ててけろ。明日も歌うからよ
ライブハウスってのはきれいごとで成り立ってるんだよ! 理想とか夢ばっかり話してる奴しか入っちゃいけないんだよ。ここにはだから嘘みたいな話だけど、お前らの周りにいる奴一人、知らない奴一人でもいいから次こうやってライブで会うまで幸せでありますようにってこの曲を歌って下さい! ありがとうございます。ELLEGARDENでした
約束の額だ・・・悪く思うな。
レコーディングするようになって18年。いまだにミックスってわからない。難しい。だからおもしろい。なんだろな。なんだろな。音楽っておもしろい。
私は最初、写真っていうのは、機械が撮るもんだから誰が撮っても一緒。だから絵とは違うなって思っていたんですけど、そうじゃないんですね。写真って、あなどれないなと思いました
好奇心と衝動は音楽を作る上でめちゃめちゃ大事
今が楽しいかどうかは自分が今を楽しんでいるかにかかっていること 目の前にある大事な事 見失うほど未来に目をやってしまうのはとても愚かな事
何したっていいんだよ。自分で責任取れればいい。責任を取るっつうのは、この道で満足してるなって思えること。
私は絵を描く夢を見、そして私の夢を描く
少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます
熱帯の夜の静寂の中で、私が私の心からの囁きと柔軟な音楽を聞くことができます
我々は脳をブン投げて、ただ目だけで見ることができればいいのだが
もともと人は全員、孤独なんだよ
If everyone demanded peace instead of another television set, then there’d be peace.
もしすべての人がもう一台のテレビよりも平和を欲すれば、きっと平和は実現する。
仕事のやり方を変えるのではなく、仕事の意味を考えなさい
経験も知識も上手く活かせないと意味がない。 自分を狭めてしまうような経験だったら、豊富にならない方がいい
残る音楽を作りたい
私は天才を自覚している
やっぱり私は表現をする事が好きやなー
世の中を変えるには政治家になりゃいいとか自分に言い聞かせてたりするけど違う、おれらには音楽っていう武器がある
(身長・体重・胸囲は?)168cmぐらい、50kgそこそこ。胸囲は僕に抱かれてみて判断しろ
昔、『天空の城ラピュタ』を観て、自分の目の前には守るべき少女も追いかけるべき宝もないことに絶望した
The most pathetic person in the world is someone who has sight, but has no vision.
世界で最も哀れな人とは、目は見えてもビジョンのない人です。
おお嫉妬よ!お前は細事の拡大したものである
東芝で電話番しながら、すごいハッタリ言ってました。「やれば売れるって誰に言ったら分かってくれる?何でも歌うよ?社長呼んできてよ!!」って。
音楽は心のタイムマシーン。 〜中略〜 音楽を聴くことによって、その音楽に初めて触れたとき、音楽で何かを感じたとき、そのときの気持ちに、それが10年前であろうと20年前であろうと一瞬にしてパーンとその人をその時の気持や情景に送り込むことができる
美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ
お前等聴いてるよな。さっきから聴いてるなって思ってたんだ。だからこっちも唄ってやるぞ!って思ったよ。聴いててくれて嬉しかったよ。ありがとね。
私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ
上手であることはそんなにいいことか?とも思う
やっぱりゴツいなぁ。桐生ちゃんよ。
アホくさ。喧嘩すんのは結構やが、もしウチのシマに入ってきたら・・・そん時は怪我するだけじゃすまへんで。
人生は退屈すれば長く、充実すれば短い
優れた者ほど間違いは多い。それだけ新しいことを試みるからである
何よりも辛いのは、永遠に完成することがないということだ
いいんだよ。 消えないもんは消えないままで。 消えないもんを消そうっていうのは嘘だから。 だって傷は癒えるったってそんな簡単に癒えるわけないじゃん。 傷を負ったっていう過去は消えないんだよ。 消えない傷を持ってて、でもそれは今を生きてる証拠なんだと。
危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ
妙に前向きになるのはなぜだろう。心配はしないでくれ。このくらいのこと(癌が腰に転移したこと)は覚悟してた。
好きだから、大切だからこそ人は高いところを目指す
『何をやるか』じゃなくて、『どんなふうにやるか』
Security is mostly a superstition. It does not exist in nature, nor do the children of men as a whole experience it. Avoiding danger is no safer in the long run than outright exposure. Life is either a daring adventure, or nothing.
安全とは思いこみにすぎない場合が多いのです。現実には安全というものは存在せず、子供たちも、誰一人として安全とは言えません。危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい危険なのです。人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外にはありません。