幸福には翼がある。つないでおくことは難しい
「大丈夫、なにもかも上手くいく」なんて、口が裂けても言えない。でも俺が見ている世界の中で、本当に前向きな、魂が楽になれる言葉を綴ったつもり
名古屋のニワトリって、羽根が何枚もあるんだろ?じゃなきゃあんなに沢山手羽先がつくれる訳ねぇ!
ネガティブな奴とポジティブな奴はまるで行動の仕方が変わってくるのさ
他人に興味を持ってもらいたければ挑発しなければならない
前の方にいようが、そんなの関係ない。俺はそんなにやわに唄ってないからさ。
「ヒットさせなきゃ」とかはないです。ただ、自分自身が毎回前作を超えたいだけで。
ひとりの富者がなんと多数の乞食を養うことか!王が建築を始めれば、馬車曳きに仕事が生まれる
何かを生み出していくと、いつか誰かが見つけてくれることもある
アァン?…お前、ベッピンさんやないかい。どや、俺の女にならんかぁ?どやねん? えぇ〜?
人間は毅然として、現実の運命に耐えていくべきだ
夢を夢と呼ぶうちは、それは叶わない。
人間は自らが望む未来の大きさに合わせて、成長する
お金って、ただの道具じゃないですか
落ち込むのと失望は違うんよ。 だって、落ち込んでても夢や愛は信じとるもん。
焦点の定まった明確な使命がなければ、組織はただちに組織としての信頼性を失う
たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ
言葉なんていらなくなるよ、きっと。僕が立派になれれば。
生きていくのに疲れていたり、死にたいなんて思ってたり、自分の体に傷をつけたり、人間関係で悩んでいたり、そんな人にはぜひ入院をすすめる
運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない
秘訣というものはない。ただ正しさの法則があるばかりだ
電子辞書は確かに早く正確に引けるが遊びがない。紙の辞書は、引いた語句の両脇の語句が視界に入る。この種のノイズが文化を生む
想像できることは、すべて現実なのだ
昔、メーカーさんがよく、「アルバムアーティスト」という言葉を使われていたでしょう。私がデビューした頃はそういう言葉が残っており、自分はそれだと自負していたんです。シングル曲がアルバム内で違った匂いを発するよう、意図して構成するとき、「これこそが私の本業の終点だ」と感じたりします。
膝からなし崩しに倒れてしまうような、そういう曲ができちゃって。『なんだこれ?』と思って。とりあえずでも1曲出来上がったと。わけわかんねえって気分のまま東京に帰って。で、歌ってみて、そういう現象で。人知れずひっそり泣いてみたりとか泣けなかったりとかそういう夜もあったりして。(Title of mineについて)
私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに。
昔、俺はずっとシャイだったが、世の中が超シャイになってしまった現代ではとても図々しいロック・スター・オヤジに見えるらしい。
男性のお客さんでライブにいらしている方というのは、何かしらの誤解が生じているんじゃないかなって(笑)
さみだれの かぎり有りとは しりながら 照る日をいのる こころせはしき
私の耳は貝から 海の響きを懐かしむ
批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける
普通=そこそこ、そうじゃないでしょう。最高じゃん!
眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ
運が悪かったんだよ、お前らは
見放さなければ、失うということもありません
日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか
閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ
小ちゃい頃、私が思ってる自分よりも女っていう生き物としての男の人は見るんだな」って意識した時に凄く嫌悪感があった
僕は死なないと思いながら死ぬんだろうな。
Surrealism had a great effect on me because then I realised that the imagery in my mind wasn’t insanity. Surrealism to me is reality.
シュルレアリスムは僕に大きな影響を与えた。僕の頭の中のイメージが狂気ではないことに気づいたんだ。シュルレアリスムは、僕にとって現実そのものなんだ。
コピーとかカバーっていうのもそうで、曲をカバーするんじゃなくて、そこにある熱をカバーするんだよ。
個人としての嗜好が投影された「普通にそのままのもの」っていうのがあるべきだと、私は思ってしまう
僕の部屋は僕を守るけど、僕をひとりぼっちにする
下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか
術は日々の生活の埃(ほこり)を、魂から洗い流してくれる
何事も、上手く進まないときは、停滞の時期ではなく、変化の時期だ。
どうにもならないことなんて、どうにでもなっていいこと。
何びとも信用しない者は、己れ自身が信用されていないことを知っている
俺もお前らも不器用なんだから、だからとりあえず信じよう。それでもし裏切られたら傷つこう。それを繰り返すだけ
悲しいことも苦しいことも、全てを楽しみに変えていけるのが人間の力だよ
Work is life, you know, and without it, there’s nothing but fear and insecurity.
働くということは元気のもとだ。仕事がなければ恐れと不安があるだけだよ。
手には、物を掴む手と放す手がある
まっすぐ進めば早く着く! ときには楽しい寄り道も! アナタが自分で選んで、納得できる道を進もう
7年後のことより、7秒後の話をしよう。
運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする
あたしロマン派だから。猫の名前もゲーテとシューマンだし。
あなたの中に、あなたの知らない芸術家がいる。彼は月夜に物事がどの様に違って見えるか興味がないのだ
私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった
子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ
(作曲家として)僕は、子どもの頃に「ベートーベン」というスゴイご馳走の味をいっぱい覚えたのが、本当にありがたい
人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ
飛べないホソミはただのタケシだぜ
俺らも街頭に立って声を張り上げて生活費稼いでるあの人たちと一緒ですよ。『生きようとしている』人たちなんですよ。だから本当に、僕らが歌うこととホームレスの人たちがこの雑誌(THE BIG ISSUE JAPAN)を持って駅前で声を張り上げるのは、同じ行為だと思ってるんです。
希望と失望は同じものですよね? 心が優しい人ほど毎日泣いていて幸せな時間ほど早く過ぎて、失望したことがない人は希望の意味を知らないし。同じものなんですよね。だから、俺はひたすら希望を綴っているだけなんです
ツアー中、ステージからみえたお客さんの顔。知ってる人もいた。知らない人もいた。ひょっとしたら また会えるのかな
馬鹿なら馬鹿ほどカッコええ。駄目なら駄目ほどカッコええとか、そういう世界ってあるんよ
心が揺れたところで決着はもうついてんだ
音楽が自分のすべてです
興奮した党派の叫びの中から、真理の声を聞き取ることは難しい
(ビートルズの音楽は)8:2くらいの割合で、暗いところか隠されているところが好き
沖縄じゃどれだけ有名か知らねえが・・・そんな脅しが通る程、世の中甘くねえぜ。
俺は本当はもっとすごいんだけど、というのがどっかにある
内を見るよりも外を見るほうが易しい。しかもそのほうが賢い
子どもの時から音楽が好きでしたので、音楽学校に行くことも考えましたが、音大の入試にパスするほどピアノが弾けませんでした(最終学歴:東京大学教育学部教育心理学科)
やっぱり大事な人ほど傷つけてるなという感覚と、傷つけてまで一緒にいたい、愛したいという感覚。それが自分の根本なんだなって。
楽曲は成り行きだけど、僕とマーシーは20数年間、その成り行きの『成り行かせ方』をやってきた。スタジオに入った瞬間に、僕とマーシーの空気はあるんだと思う。今は4人でうまーい成り行かせ方をしてんじゃない?そんな気がする
自分には過去も未来もない。ただ現在に生きようが為に絵を描くのである
死を怖れない者に何を怖れろというのだ
ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに
教養ある人間は、勉強し続けなければならないということを自覚している
問題の分析によって解決案が一つしか見つからなければ、その解決案は先入観に理屈をつけたにすぎないものと疑うべきである
Everything will be okay in the end. If it’s not okay, it’s not the end.
最後には全て上手くいくよ。もし上手くいっていないのなら、それは最後じゃないってことだ。
「病気になったのは罰なんだ」「人の言うことを聞かないからこういうことになるんだ」と、自分を責める気持ちから曲が生まれた。ネガティブな気持ちを書いている。
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。
成功への道は自らの手で未来をつくることによってのみ開ける
いったい何を見て来たんだい? その若さでミイラか? 可能性はどこにあるんだ? それは君の目で見て耳で聞いたものの中にしかないはずだ。
The more I see the less I know for sure.
知れば知るほど、分からなくなるものだ。