


音楽は、常に論理と感性、車の両輪で出来る

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする

うわー凄げぇな。学校や会社でうまくいってない奴らがここには多いと思うけど、そんな奴らが集まるとこんなキレイな景色になるんだな

運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ

芸術は悲しみと苦しみから生まれる

最初はダメでも何度でもやり直せという態度は誤りである

「私は大衆の中の一人であって大して変わりはない」っていう風に思いたいから。絶対に私は普通のことを言ってて、誰しもが思ったことのあるることを言ってるはずで。

指輪によって結婚はなりたつ。つまり、指輪とは鎖を編むものなのです

大多数の世間の人々が、平凡な一生を終るのは志が小さく、意志が弱いからだ

理論というものは現実に従って変化していく

俺は「頑張らなきゃダメだ」と唄った事はないし、「這い上がって来い」と唄った事もない。 でも、歩み寄って来てくれたなら最高の味方になるし、ほっといても邪魔にはならないし、そういう音楽だと思いますね。

僕らはユーモアがないものはどうしても楽しめないんだ。何があってもどこかにユーモアがないと堅苦しくて、そこの場所に居づらくなる

僕もほっときゃ歳も取るからさ、今と昔をそのまま比べることはできないけど、基本的にやっぱ何も考えてなくて、たいして成長も進歩もしてないからおんなじようなものがいつもステージに乗っかってるんだと思うんだ。

俺は錦みてえにはなれねえよ

お前らがライヴを見ている瞬間は、甲本ヒロト、そしてブルーハーツってバンドはこの宇宙のどこをくまなく探しても、お前らの目の前にしかおらんのじゃ。

太陽のように生きて、太陽のように死にたい

子どものころから、四角形に対する漠然とした疑問はありましたね

何事も他人に負けてはならないとする気持ちと、決めた目的の下に一刻も油断なく、心の緊張を失わないことが大事だ

真のイノベーションと新奇さを混同してはいけない。イノベーションは価値を生む。新奇さは面白いだけである。ところが組織の多くが毎日同じことを行い、毎日同じものをつくることに飽きたというだけで、新奇なものに取り組んでしまう

ライブで観たときのダイナミクスってすごいでしょう。そのための技術を磨いておきたいと思いながらやってきたけれども、ライブってそれだけじゃ足りなくなる瞬間があって。そのときに引っ張り出されてきているのが人間力みたいなものなのかもしれないけれど、あまりそこに頼りたくないと思いつつ、歌っているだけですごいと言われるような歌い手になりたいというのはずっとあるんだよね

芸術愛は真の愛情を失わせる

You may say I’m a dreamer, but I’m not the only one. I hope someday you’ll join us, and the world will be as one.
僕のことを夢想家だと言うだろう、でも僕は一人じゃない。いつか君も仲間になって、世界はきっとひとつになるんだ。

最近はお金持は多いけど、上品なお金持はなかなかいない。だいたいは下品だ

何にもやってなかったなあって気持ちになる時もよくあるよ

人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない

与えようとばかりして、貰おうとしなかった。なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。ただ相手に与えるだけではいけない。相手からも貰わなくては

RADWIMPSが好きだから聴いてんだよって言ってくれる人達の気持ちに恥じないように、うちらはこれからも世界で一番かっこいい音楽を作ってくから、もしよかったらこれからも聴いてください。

三大欲求以上の高等なことは考えたくないって言ってるんでしょうね。結局それぐらいしか私は本当のことを知らないし、「それ以上の本当のことを見ると私は傷ついてしまうし」っていう。

僕たちは心の中にたまごを抱えています。何かを経験して心が大きく揺れたとき、たまごはパカッと割れて新しい命が飛び出します。ロックンロールに出会ったとき 僕の心の中で1つのたまごが割れました。それは初恋のように僕を夢中にさせました。今も元気なその心の住人は僕にマイクを握らせました。

音楽は言語のルーツなんじゃないかな

I’m not afraid of death because I don’t believe in it. It’s just getting our of one car, and into another.
僕は死を恐れていない。だって、死というものを信じていないから。死とは、1台の車から降りて、別の車に乗り換えるものだからね

今までやってきたことを、ひとりひとりが一所懸命やることだよ

上手にするってことなんか必要じゃなくて、熱くなればいいんだよね。

今やらなきゃならないことは今やれ。今しかないこの時間はもう、取り戻せないから。

明日のための今日じゃありません。今日のための今日です

正義の尺度は声の多数ではない

眼前のものに深く入ること。そしてできうる限り論理的な自己表現を、忍耐強く行うことです

俺の喜びはいつか忘れるもんばかりだった。でも忘れたくない。

自分があまりにも日本語を知らな過ぎることがコンプレックスでした

本物の画家というのは歴史の騒乱に囲まれながらも洋ナシを根気強く描ける人だ

フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ

見るために、私は目を閉じる

(富士山を望むステージが売りのイベントで生憎の曇り空、富士山が見えないね、との問いかけに)でかすぎて見えねぇんじゃねぇの?(SWEET LOVE SHOWER 2007にて)

絶対に言えるのは、時間が経つとワインと同じで良くなるんです。少々の時間じゃだめだけどね、100年後とかね。何でもない写真でも100年経ったらすごく良く感じるんですよ

教養ある人間は、勉強し続けなければならないということを自覚している

One can never consent to creep when one feels an impulse to soar.
羽ばたきたい衝動を感じたら、這いつくばることに耐えられはしない。

芸術作品は、部屋を飾るためにあるのではない。敵との闘争における武器なのだ

出会えた喜びはいつも一瞬なのにどうして別れの悲しみは永遠なの

芸術家とは自分のやっていることに喜びを覚える人のこと。だから、すべての職業に芸術家がいるのが望ましいのだ

苦痛は短く、喜びは永遠である

学問は生涯を通じて心掛けねばならない

人生とは自らの道である。一つのことを試みることであり、一つの道を端的に示すことである

自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである

真実のほかに美はない

僕は成り行きですね。でも、怠けないと思う。大好きだから

太陽を黄色い点に変えてしまう絵描きもいれば、黄色い点を太陽へと変えられる絵描きもいる

今日と明日と明後日のことぐらいを考えていればいいんだよ。

自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ

興奮した党派の叫びの中から、真理の声を聞き取ることは難しい

私はドラッグをしない。私自身がドラッグだ

俺もお前らも不器用なんだから、だからとりあえず信じよう。それでもし裏切られたら傷つこう。それを繰り返すだけ

眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ

Imagine all the people living life in peace.
想像してごらん。だれもが平和に生きていることを。

自信のあるものは「自信があります」ということが大事

組織の活動というのは、「いかに世の中に貢献していくか」という一点に集約される

問題になろうがどうしようがいいんだもん。それはまた対処していけば。だけど大人たちに相談しちゃうと問題になりそうだからやめようってことになっちゃうんだ。

なにが芸術家かって?それを知ってたら、注意深く、ばらさないようにしておくよ

(18歳の頃)もしかしたら現実逃避したかったのかな

思い出すのは、あんまよくないよ

自分がちゃんと物事をやってる時って人はさ、温和でいられるけど、自分が何もしてない時ほど人が醜く見えるモンだから。

文明とは、麻痺状態のことだ

女性を尊べ。彼女らは地上の生活のために天国のバラを織りなす

優れたプロとは、継続して自分の表現をしていける人のこと

ノスタルジアに屈してはならない。道に出て、隣町や外国に行くんだ。ただ、痛々しい過去を旅していけない

最近は安定して良いライブが出来ているけれども、もっと陰に転がり込んでしまって、どうにもならなくなってた時もあるんですよ。ステージの上で、「客席のみんなが俺のことを嫌いなんだ」としか思えない瞬間があったりして。パニック障害というか、今この瞬間、全員が俺を憎んでいると思ってしまう。みんなチケットを買ってライブに来てくれているのだから、そんなはずはないのにね

「病気になったのは罰なんだ」「人の言うことを聞かないからこういうことになるんだ」と、自分を責める気持ちから曲が生まれた。ネガティブな気持ちを書いている。

自分自身がありのままでいられないから、ありのままであろうとする

他人の短所が目につきすぎる人は、経営者には向いていない。長所を効果的に発揮させるのが自分の仕事だと考える人が、有能な経営者になれる

自分が元気ない時でも、周りに元気で接すると周りが明るくなるから自然と自分も元気になれる

なんとなくこうなる気はしとったやろ、吾朗!泣いたらあかん、泣いたらあかんで!

何にもなりはしない。僕が生きていれば、悲しみはいつまでも続くだろう。僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってだんだ

お芝居の世界でお仕事をするときは、簡単にベラベラしてはいけないというのは自分の中にあるんですよね

昨日を守ること、すなわちイノベーションを行わないことのほうが明日をつくることよりも大きなリスクを伴う

人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている

長く続いた友情なのに、別れるときはあっという間だ

自分の中で一度燃え上がった想いというのは、止めることが出来ない

若くなるには時間がかかる

闇鍋みたいなもんですよ、人生。何入ってるかわかんないけどどれかつまんで食べるしかないみたいな

好きなものは変わらなんなあ。歳をとるほど、より確信になる

何を生命と呼ぶか。あらゆる意味から君を激動させるもの、君を突き貫くもののことである

愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

True happiness… is not attained through self-gratification, but through fidelity to a worthy purpose.
真の幸福は、自己の快楽によって達成されるのではなく、価値ある目的への忠誠心によって得られるのです。

評価されるなんて一切必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと「音」を出す。これが前提だな

音楽でも童謡とか、誰が作ったかもわからないものが残っているのは、すごく素敵やなと思うんです

やっぱり大事な人ほど傷つけてるなという感覚と、傷つけてまで一緒にいたい、愛したいという感覚。それが自分の根本なんだなって。

少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます

人は素敵な経験があるか無いかで、心の汚れが全然変わってくる
