


商業的に音楽を作ろうと思ってしまったら、多分やる気をなくします。

家の仕事をしている女性は、この世でもっとも美しい

優しくなりたいと思う人は、優しいんだと思います。

経験を賢く活かすならば、何事も時間の無駄にはならない

たいていの経営者は、その時間の大半を過ぎ去った「きのう」の諸問題に費やしている

オリンピックってどこが優勝したか知ってる?(長野オリンピック後の長野ライブにて)

集中するための第一の原則は、もはや生産的でなくなった過去のものを捨てることである。そのためには、自らの仕事と部下の仕事を定期的に見直し、「まだ行っていなかったとして、いまこれに手を付けるか」と問わなければならない

Until the great mass of the people shall be filled with the sense of responsibility for each other’s welfare, social justice can never be attained.
社会正義は、人々の大多数がお互いの福祉に対する責任感で満たされるまで、決して達成されることはありません。

青春の夢に忠実であれ

(それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか)場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです

評価されるなんて一切必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと「音」を出す。これが前提だな

愛の前で自分の損得を考えること自体ナンセンスだ。そんな男は女を愛する資格はない

チャンスとは一つのことに心に集中することによって、かろうじて見つけることができるものである

お前等聴いてるよな。さっきから聴いてるなって思ってたんだ。だからこっちも唄ってやるぞ!って思ったよ。聴いててくれて嬉しかったよ。ありがとね。

人間にとって成長ないし発展とは、何に対して貢献すべきかを自らが決定できるようになることである

いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ

誰をも恐れない者は、誰からも恐れられている者に劣らず強い

絵画というのは手で作った写真だ

学ぶという事は一生続く、変化に遅れないようについていくためのプロセスだという事実を、私たちは今では受け入れている。そして、最も緊急な課題は人々に学び方を教えることである

(デビュー当時は)「ゴースト何人いるの?」とか「ほんとはいくつ?」とか散々言われて。子どもだから全然こたえないんだけど

自分を肯定するために一所懸命考えるんだ

絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。

音楽の世界の人間は、どっちかって言うとやっぱりスポーツなんかと近いんじゃないですかね。かなり身体的ですから。

太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く

興奮した党派の叫びの中から、真理の声を聞き取ることは難しい

僕と貴方達との距離は はたして何キロぐらいだ

「時」の歩みは三重である。未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように速く飛び去り、過去は永久に静かに立っている

人は見た目で判断する、そんなもんだ

「満足」って言葉は究極以外使っちゃいけないんだよ

経営者がかならず身につけておかなければいけない、大事な要素がひとつだけある。それは品性である

国際級のすごいソリストを入れても、中に一人下手な人間がいるとアンサンブルとしての実力は、そのレベルに下がってしまう

長く生きてるほうが絶対おもしろいよ

正しい構造が成果を約束してくれるわけではない。しかし、間違った構造は成果を生まず、最高の努力を無駄にしてしまう

毎回が真剣勝負

フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ

何処に居ても俺らの唄声とか届いてると思うし。

自らの果たすべき貢献は何かという問いからスタートするとき、人は自由となる。責任をもつがゆえに、自由となる

楽しいと思った瞬間、そこがゴール

人って、炎とか波とか、長い時間見てても飽きないらしい。同じ形になることがないから、って。変化し続けるものって儚い

最も美しい主題は君たちの前にある。なぜといえばそれらのものこそ君たちが一番よく知っているからである

俺以外のメンバーってのはすごいいいヤツでさ、見てて眩しいんだ。誰見てても眩しいんだ。それはうちのスタッフ、ファンもそう。嬉しいし、最高なんだけど、自分が最低の人間だなって思わされる

この国は島国だから、なかなか人間の本当の痛みは伝わってこない

芸術家になるためには、まず自分の目や耳でよいものを感じて選びとる「審美眼」が大切

生活と人生は違う。質素な生活、豊かな人生。

芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる

「五稜郭ジャンキーズ! 」「みんな、牛好きかー?!ジンギスカーン!」(札幌ライブにて)

大丈夫。君は愛されてる。全て上手くいってるんだ。何も心配する事はないよ。君は自信持って笑ってればいいのさ。

ユーモアを失わないように戦うのだ。ユーモアの欠如は愚の骨頂だ

情熱をもって君たちの使命を愛せよ。これより美しいことはない

この余白にたくさんの文字を書いたけど、沢山消した。俺の喉から貴方の耳まで新しい唄がお使いに行く。俺の唄は迷わないから、俺も心配しない。いってらっしゃい。

人間生きてりゃ、終わりなんて無い。いつだってやり直せるんだ。

おれたちみたいにブサイクに生まれたやつがカッコよく見せれるとこってのはひとつしかないよな、そうだな“生きざま”だよな

自分がちゃんと物事をやってる時って人はさ、温和でいられるけど、自分が何もしてない時ほど人が醜く見えるモンだから。

お芝居の世界でお仕事をするときは、簡単にベラベラしてはいけないというのは自分の中にあるんですよね

『自分にはなにもない』って言う人いるけど、そんなことない。コンビニの店員がいなかったら、お弁当あっためてもらえない、銭湯のおばちゃんがいなかったら、銭湯入れない。みんなやることやってる。それを誇りに持てよ!

どんな顔の人だって輝くときはとてもいい顔だ。どんな美形だってつまらない人間では、それほど美しくもないぜ。

(曲を)作ること自体が究極のセラピー

自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ

「楽しい」を勝ち取ろうと思えば、「楽」を切り捨てなければいけない

たぶん不安とかっていう感情は、こう、戦う覚悟を決めないで中途半端な気持ちでその先に進もうとするから生まれるものだと思うんだ。どーせ逃げもしねぇくせに戦う覚悟をきめないから。だから、お前ら、覚悟決めろよ

音楽にはいろんな力がある

作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。

どーだろう?日本は民主主義国家だなんて言ってないで、事無かれ主義国家だって世界に向けて言った方がよっぽどカッコいいんじゃねえか。ロックっぽいぜ。

聴いてくれる君が居なきゃ、俺は歌えないんだ。自分の事を「世の中に必要無い人間」なんて思わないで下さい。現にこんなにも俺が必要としています。どうか生きてください

ブルースって、どうしてブルースっていうか、知ってる?それはブルースが悲しいから…(02年RSR)

(「日出処」のタイトルについて)意味としては、「メーン・ストリート、目抜き通りを闊歩したいと願っている人物の、色んな瞬間を切り取った曲たち」という風にストーリーをつくりたかったんです

市場において目指すべき地位は、最大ではなく、最適である

もしマーケティングが完全に行われていたら、販売努力は不要だ

「お客様は神様」ですから

手加減はしねぇ、死にてぇ奴だけかかってこい!!!

馬鹿なら馬鹿ほどカッコええ。駄目なら駄目ほどカッコええとか、そういう世界ってあるんよ

(RC時代、ローリングストーンズのパクリでは?の声に)なんだ、今頃気付いたの?

You either get tired fighting for peace, or you die.
平和のために戦うことに疲れるか、死ぬかだ。

君はあなた自身を創造していると思いなさい

「焦りすぎないでいいよ」と言われ焦った

んだ。学びは終わらない。んだ。

日々楽しく、面白おかしく暮らしたい(笑)

私の創造の源泉は、私が愛する人々である

椎名林檎っていう名義は辞めますよ。もう無理。本名のあたしであることを誰も守ってくれないんだよ?でも、そんなの当たり前じゃないですか、一個の大人だから。「自分で守んなきゃいけないんだから、辞めたっていいだろ!」とか思って

俺は、正直モンが好きなだけや。人の顔色うかがったりせんと。俺が、そうやからなぁ。

己の感覚としては、一生懸命ベタをやっているつもりです

聴いてる音楽とやってる音楽がつながらなくても、それはどうでもいいんです。

とりあえず放送した方がいいというので、日本の世の中には形式だけのアナウンスがわんさと流れている。日本人は形式が好きだ、と思われても仕方のないことだ

我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?

愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある

私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です

本気も本気 “大本気” や!

カメラっていうのは難しいんですね。湿気が一番良くないんだけど、乾燥しすぎても良くないらしい。湿度調整する装置がありますけど、あれで安心しても良くないらしいとか。やっぱり、使っているのが一番良くて、しまい込むのが一番良くないんですね。人間と同じなんですね。人間だって引きこもってばかりじゃよくないしね

早く大人になりたいとか、まだ子供だとか。違うんじゃないか?俺は俺なんだ。藤原基央なんだ。俺はもっと良い藤原基央になれるように頑張るんだ

一番美しい絵は、寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、決して実現しない絵だ

死を怖れない者に何を怖れろというのだ

若い内から理論でがんじがらめになってのたうち回る癖をつけろ

私は、自分の作品に心と魂を込める。そして制作過程では我を失う

計画とは未来に関する現在の決定である

人間はコンピュータとは違って揺れ動いてますよね。だから、すべてのものを何かの思い入れを持って見ているんですね。なので、その時々によって違って見えてくることがあるんでしょうね

約束の額だ・・・悪く思うな。

多くの人が渇望するような、毎日の生活で繰り返し聴く必要のあるものでなければダメでしょって思っています。

すべての偉大な画家はみな空間を探ります。厚みの観念の中にこそ彼らの力は宿るのです
