書いたり発したりすることも大切だけど、今必要なのはちゃんと耳を傾けることなんじゃないかと思います。読むこと、感じること、と言い換えてもいい。受け取ること。吸い込むこと。それを温めること。そのうえで書くこと、発すること。それをまた、お互いによく聞くこと。俺もできてませんが…。
泣きそうなときこそ、泣くのをグッとこらえた分だけ、弱くなるような気がする。だから、泣きたいときはないていいんだよ。
私の健康を祝して乾杯してくれ
インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ
音楽への情熱だけを頼りに、作曲家としての道を進むことができた
人の評価なんかどうでもいいし
自然が本当に好きなら、あらゆるところで美を見い出せるだろう
神を知る最善の方法は、多くの物を愛することだ
大切なことは混沌を拡大することだ。混沌を消し去ってはいけない
愛は永久不滅なもの。姿かたちを変えることはあるが、本質は決して変わらない
苦痛は短く、喜びは永遠である
レコーディングするようになって18年。いまだにミックスってわからない。難しい。だからおもしろい。なんだろな。なんだろな。音楽っておもしろい。
「ブルーフォレスト! 」「ねぶた根性見せてみろ! 」(青森ライブにて)
俺かて そない馬鹿正直に生きてきたわけやない。せやけどな、俺のまわりには馬鹿に生きて……馬鹿に死んでった男たちがおった。そいつらのくだらん生き方が 俺は男の最高の生き様やと気がついたんや
人間は自らが望む未来の大きさに合わせて、成長する
全然ネガティブとかポジティブとかではなく、それ(死の存在)を知ってるから僕たちは生きてるって、そう思えたんですよね。死なないやつは生きられないわけですよ。で、生きてないやつは死ねないわけですよ、やっぱり。(死の存在について)
想像できることは、すべて現実なのだ
絶望で生きてようと、希望で生きてようと、どちらも生きてるんであれば、まずそれが奇跡だなと。生きてることが本当にミラクルなことだと思うんですよね。
ふつうは歳をとったとかモーロクしたとかあいつもだいぶボケたとかいうんだけどそういう言葉の代わりに「あいつもかなり老人力がついてきたな」という風に言うのである。そうすると何だか歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい
友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
音楽の世界の人間は、どっちかって言うとやっぱりスポーツなんかと近いんじゃないですかね。かなり身体的ですから。
生きてりゃ、そりゃあシラケるだろう
東京事変はこの5人で、最後のその瞬間までを、全力で駆け抜けたいと思います。
どんどん、くだらなくなっていってる。音楽もTVも低能になっていってる。殺人も犯罪も短絡的になっている。警察は庶民を守ってはくれなくなった。
私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会・・ 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである
僕は一生のうちに一晩でいいからあんなふうに歌えたら、死んでもいいと思った。
生涯に一作であれば、誰でもいい曲がつくれる
女の美は性格の中にあるのです。情熱の中にあるのです
原因は何十年かのちに学者が明らかにするだろうが、行動する経営者としては待っていられないだろう。使えるもの、分かったことはどんどん使いなさい
ひらめきも何も考えていないという事ではなく、必死に悩んで考え、自分を追い込んだ結果として、ぽっと生まれるもの
ロックンロールは吐き出した瞬間と受け取る瞬間があって、受け取った瞬間に完成するものだとは思ってる。僕の出すロックンロールは僕だけでは未完成なんだよ。聴く人がいてその人の心の奥の中で完成する
日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか
自分の写真に、ほんのちょっと言葉をつけたいと思っていて…。はじめは簡単だと思って書いていたんですけど、あくる日にそれを見直してみたら、全然ダメで驚いたんです
(渋谷の路上で歌っていた時)最初は誰ももちろん集まらないですし、私が歌ってるのに目の前でカップルがめちゃめちゃチューし始めたりしたのも、めちゃムカつきましたし、結構忘れられない。東京の路上はキツかったですね
自分の強さを実感している人は、謙虚になる
市場において目指すべき地位は、最大ではなく、最適である
時間は私たちに残された数少ない大切なものだ
嫌な事は3秒で忘れる
(曲を)作ること自体が究極のセラピー
高松の不良の皆さんこんばんは!(高知ライヴにて)
挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない
運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない
批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける
いまだに『磔磔』って字が書けない…。 (03年京都磔磔にて)
確実にたくさんの曲を作り続けていくには、気分の波に流されてはいけない
私たちは生涯、忠義を尽くし、御恩に報いる目的で一切の艱難を乗り越えなければならない
どうしようもないことをコントロールしようとする気持ちが少ないのかも
夫婦とは二つの半分になるのではなく、一つの全体になる事だ
これまでの実績など捨てなさい。自分の強みを過信した者は生き残れません
「何事も一人で大丈夫」っていう基本さえあれば、あとはもう全部楽しいんだよ
他人の価値観を尊重できないなら、自分の価値観なんて主張しちゃいけないと思う
「最初はグー」ってなんであるんだろう。
思い出したいことなんていっぱいありすぎて、いっそのこと全部忘れてしまいたいぐらい幸せなんだよ
とりあえず放送した方がいいというので、日本の世の中には形式だけのアナウンスがわんさと流れている。日本人は形式が好きだ、と思われても仕方のないことだ
おれたちみたいにブサイクに生まれたやつがカッコよく見せれるとこってのはひとつしかないよな、そうだな“生きざま”だよな
ああ、俺にもできそうだ!
ここ何県?(ロサンゼルスにて)
If everyone demanded peace instead of another television set, then there’d be peace.
もしすべての人がもう一台のテレビよりも平和を欲すれば、きっと平和は実現する。