後世必ず吾が心を知り、吾が志を憐み、吾が道を信ずる者あらんか
やっぱり大事な人ほど傷つけてるなという感覚と、傷つけてまで一緒にいたい、愛したいという感覚。それが自分の根本なんだなって。
お客さんが広い所に何万人いますっていう世界ではなくて、個人個人が広い所に個人個人の思いで一人ずっと立ってるって思ってるし。
新しい事業をつくり出すときは、大きなビジョンである必要はない。しかし、今日の常識とは違うものでなければならない
何事も、上手く進まないときは、停滞の時期ではなく、変化の時期だ。
最初にして最高の聴き手は自分自身
私は、自分の作品に心と魂を込める。そして制作過程では我を失う
志のない人間は魂のない虫と同じで、いつまでも発展することは無いのだ
ライブハウスってのはきれいごとで成り立ってるんだよ! 理想とか夢ばっかり話してる奴しか入っちゃいけないんだよ。ここにはだから嘘みたいな話だけど、お前らの周りにいる奴一人、知らない奴一人でもいいから次こうやってライブで会うまで幸せでありますようにってこの曲を歌って下さい! ありがとうございます。ELLEGARDENでした
美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ
昔、『天空の城ラピュタ』を観て、自分の目の前には守るべき少女も追いかけるべき宝もないことに絶望した
この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ
女性って20代までは大変ですよね~自分次第で何者にもなれるはずなのに、社会だったり男性の目線だったり、余計なことに捕らわれて不自由になりがち。それはもったいないと思う。
人生に命を賭けていないんだ。だから、とかくただの傍観者になってしまう
例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ
(デビュー当時は)「ゴースト何人いるの?」とか「ほんとはいくつ?」とか散々言われて。子どもだから全然こたえないんだけど
(20代の時にやっておいた方がいいことはありますか?という質問に対し)簡単だよ、やりたいこと。
どうせやり切るなら極限までやっちゃえ!
僕は流れるって感じが好きなんだ。固定したものは全然つまらない。人生だってそうだろう?いつも流動的で、何が起こるかわからない。だから面白いんだ
『自分の謎』で言っているような、自分への不思議な感覚というのはみんなもっているはずだけど、ほかの遊びに忙しくなって、どんどん忘れていっちゃう。でもその感覚ってどこかには残ってるんですね
これも人生経験。この新しいブルースを楽しむような気持ちで治療(喉頭癌)に専念したい。
天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ
ドブネズミが美しいとわかんねえ奴はたいしたことねえ。
感動の出発点は感動にあると思うんだ。なんで感動したのかを辿っていくと、表現されたものがどう作られていて、「だから俺は感動したのか」って分かる。もっともっと辿っていくと、その表現者が、かつて感動した瞬間に帰結すると思うんだよ。それが色んな何かをぐるぐると通過して、また人に届く。錬金術なんかじゃないんだよ。感動が伝わって、感動を生む。
人生は退屈すれば長く、充実すれば短い
多数とは何か?多数は阿呆のみ、真理は常に少数者にある
間違いは神聖なもの、それを正すというよりは合理的に考え、誤りを理解せよ。そうすれば間違いを昇華することが可能になる
あまり頭が良くない俺には、温度を低くして生きることは向いていないと分かっているから、身体を使って、燃えて生きていたいなという想いがあって
(作品をどのように見て欲しいですか?)ものの見方の色んな角度を感じてもらえたらいいですね
ようやく何かわかりかけてきたような気がする。私はまだ、進歩している
下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか
抽象画なんてものは無い。とりあえず描き始めて、それから現実の痕跡の全てを排除していくのだ
長く続いた友情なのに、別れるときはあっという間だ
勘違いするな。俺とお前は違う。 お前の極道は死に様。俺の極道は――生き様だ。 同じ道でも、死に向かって戦うのと、生きるために戦うのは違うということだ。いずれ分かる。
俺はマコトを殺せへんかった……俺にはマコトを生かした責任があるんや。ただ命があったらええってことやない。人として生かさなアカン責任や。極道の食い物にはさせへん……!
死ぬと分かってて戦うのが一人前の男って訳じゃない。男なら命を張る場面はきっと来る。お前にその時が来たら、思いきりやればいい。
教養ある人間は、勉強し続けなければならないということを自覚している
絶望で生きてようと、希望で生きてようと、どちらも生きてるんであれば、まずそれが奇跡だなと。生きてることが本当にミラクルなことだと思うんですよね。
僕もほっときゃ歳も取るからさ、今と昔をそのまま比べることはできないけど、基本的にやっぱ何も考えてなくて、たいして成長も進歩もしてないからおんなじようなものがいつもステージに乗っかってるんだと思うんだ。
危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ
人って、炎とか波とか、長い時間見てても飽きないらしい。同じ形になることがないから、って。変化し続けるものって儚い
優れた者ほど間違いは多い。それだけ新しいことを試みるからである
Everything will be okay in the end. If it’s not okay, it’s not the end.
最後には全て上手くいくよ。もし上手くいっていないのなら、それは最後じゃないってことだ。
心理の何か変化があるんですよ。人間行動すべき理由がある。
余り考え過ごす者は何事をも成し得ない
コーヒーのブラックが飲めない。頭が痛くなるから
いま大戦中でもないのに、人に「どっちなんだ!?右なのか、左なのか」と問うこと自体、ナンセンスだとは思います
僕の何かを信じた時の強さですか?信じるっていう感情の強さですか?行為の強さですか?ハンパないと思いますよ。
生きてりゃ、そりゃあシラケるだろう
お前自身を知ろうとするならば、いかに他の人々が行動するかを観察せよ。お前が他の人々を理解しようとするならば、お前自身の心を見よ
終わりのあるものしか信用できない。終わりのあるものしか生きてないからね。
何を取られたら死ぬかっつったら、やっぱ「唄う事」なんじゃねぇかなと。
信仰と信頼の間にのみ平和があります
とにかく俺は本気で、音楽で少しでもこの世界をよくできると信じてる。いつ終わるかわからない自分の人生を、その目的のために捧げたいといつからか思うようになりました。だから、休んでる暇なんかない
まず、やりたいを決め、次に何に集中すべきかを決めなさい
たとえこの人生が負け戦であろうと、いずれにせよ僕は「良い戦い」をしたい
真実のほかに美はない
かぶりついて仕事せよ
制服は征服するためにかかせない。私の人生を通じて、市民の衣装を着るほど自分をおとしめるのは稀だった。私はいつもダリという制服を着ている
何があっても、賛成反対両方あるのは自然
自分が良いと思うものを「ほんまに良いものなんです!」って言い通したり、自信のあるものは「自信があります」って言うのが、やっぱり大事。
画家の質はその人の過去の経験の量に左右される
ビートルズとか音楽は、暗いほう暗いほうに行きがちな自分を包んでくれる
私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに
オルタナをやり始めた時は、「暗い」「分かりにくい」という声があって、若干構えてしまったんです。力技で分からせてやるみたいな余計な力が抜けたんじゃないかな。すごく文字にしづらいかもしれないけど、スイングスピードが速いストレートを自然体のフォームで打てるようになったというか
なんとなく楽しくいたい。それがゴールでしょ?そのゴールを目指していくために、いろいろやらなきゃいけないことがあってさ。その為には寝ないで頑張ることもあってさ。血ヘド吐くくらい頑張ることもある。いいことじゃん。だって目的に向かってがんばる手段として「金も必要、じゃ働くか」とかさ。
アクシデントが起きると、人はそれを変えようとするが、人には変えることが出来ない。アクシデントが人の内面を明らかにするだけだ
人は見た目で判断する、そんなもんだ
世の中には違った考え方をする種族がいる
自分自身がありのままでいられないから、ありのままであろうとする
楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?
ベートーベン、モーツアルトなどのクラシック音楽を全人類が200年以上聴いていてもまだ飽きないというのは、飽きない音楽の真髄
私は日頃悩んでる事が作品になって、日記みたいなもんなんだけど……
人間は明日の朝に対して、何がしかの恐怖と希望と心配を持たずにはいられない
やりたい事やったもん勝ちなので全部やりたい
やっぱり私は表現をする事が好きやなー
歌詞の中にこの言葉を入れたら、昔はそれが、「面白いね」とか「馬鹿じゃね」とか、笑われて済むようなところだったのに、今はもう笑えなくなってきたところもあります(コンプライアンスが厳しくなって)
常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ
企業の目的は顧客創造である以上、企業の基本的な機能はマーケティングとイノベーションの2つしかなく、そのほかはすべてコストだ
なんとなくこうなる気はしとったやろ、吾朗!泣いたらあかん、泣いたらあかんで!
家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる
(それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか)場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです
今日は本当に最高じゃ。どうやら、この鉄の檻(おり)は人の心までも縛れんようじゃな。
(作曲家として)僕は、子どもの頃に「ベートーベン」というスゴイご馳走の味をいっぱい覚えたのが、本当にありがたい
素晴らしい夢ほど笑われるものです。 もし、他人に自分の夢を笑われたら「あぁ、自分の夢は素晴らしいんだ」っと誇ってください。
限界を越えることは絶対出来ないと思うんです。越えられないから限界と書くわけで。でも越えられるから不思議なんです。
やっぱり音楽は大好きなことで、他に代わりがないから緊張するんですよ。今日のライブがダメでも、他でがんばればいいやとか、そういうもんじゃないから。
親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか
誰かが勇気ある決断をしなければ、どんな事業も成功しないだろう
自分の価値観を持って生きるってことは嫌われても当たり前なんだ
評価されるなんて一切必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと「音」を出す。これが前提だな
お前が刹那から追い出したものを永遠は返してはくれない
Until the great mass of the people shall be filled with the sense of responsibility for each other’s welfare, social justice can never be attained.
社会正義は、人々の大多数がお互いの福祉に対する責任感で満たされるまで、決して達成されることはありません。
NUTOPIA has no land, no boundaries, no passports, only people.
ヌートピアには、国土も国境もパスポートも持たない。人々だけだ。
Never bend your head. Always hold it high. Look the world straight in the eye.
決して顔を伏せないで。いつも堂々と顔を上げて。この世界を直視して