Imagine all the people living life in peace.
想像してごらん。だれもが平和に生きていることを。
偽の絵描きは、この木、この犬を見ない。木というもの、犬というものを見るだけだ。同じものは何ひとつないのに
芸術家にとって、自然の中に醜いものなど決して存在しない
夫婦とは二つの半分になるのではなく、一つの全体になる事だ
肝心なのは感動すること、愛すること、希望を持つこと、打ち震えること、生きること。芸術家である以前に、人間であることだ
何事かを成し遂げるのは、強みによってである。弱みによって何かを行うことはできない。できないことによって何かを行うことなど、到底できない
ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに
What I am looking for is not out there, it is in me.
探しているものは外になく、自身の中にあるものです。
「ヒットさせなきゃ」とかはないです。ただ、自分自身が毎回前作を超えたいだけで。
本当に死んでもいいくらい好きって奴は、認められないなんてことで不平を言わないよね
運命に抵抗したってしょうがないんですよ。 どうしようもないんですよ。 そういう俺が「sailing day」で運命に抵抗って歌詞を書いてるんですよ。 だってその方が楽しいじゃないですか。
嫌な事は3秒で忘れる
癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた
聴いてる音楽とやってる音楽がつながらなくても、それはどうでもいいんです。
本当の芸術というのは、音楽にしたって映画にしたって文章にしたって演芸にしたってなんにしたって、ドアが開かぬままにあなたに会いに行ける魔法だって。
よほど守らなきゃいけないものができるとか。自分の人生をすべて捧げなきゃいけない時が来るんですよね。
人間は、「自分でなければ出来ない」と錯覚していることが多すぎる
As the eagle was killed by the arrow winged with his own feather, so the hand of the world is wounded by its own skill.
ワシが自分の羽根の付いた矢で殺されるのと同じように、世界は自らの技術によって傷付けられる。
友情は、喜びを二倍にし、悲しみを半分にしてくれる
俺は最近認めてるよ。自分のなかのリベンジを
なんでもいいから、まずやってみる
毎日必ずギターには触っていますし、ずっと続けていきたいのは音楽です
ちょっと力抜いちゃうと(ライブ会場の雰囲気に)飲まれそうになっちゃうから、ずっと気を張っていなくちゃいけない
詩人は未来を回想する
お芝居の世界でお仕事をするときは、簡単にベラベラしてはいけないというのは自分の中にあるんですよね
いいんだよ。 消えないもんは消えないままで。 消えないもんを消そうっていうのは嘘だから。 だって傷は癒えるったってそんな簡単に癒えるわけないじゃん。 傷を負ったっていう過去は消えないんだよ。 消えない傷を持ってて、でもそれは今を生きてる証拠なんだと。
現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ
国が無くなっても自由に生きられるよ。国なんていう考え方に縛られているのは人間だけだ。
何を取られたら死ぬかっつったら、やっぱ「唄う事」なんじゃねぇかなと。
基本的に完成は信用しない
ウインカーはひっこめようぜ、俺たちは直進するんだ
限界を越えることは絶対できないと思うんです。 越えられないから限界と書くわけで。でも越えるから不思議なんです。
人は素敵な経験があるかないかで、心の汚れとか全然変わってくる
神童などという言葉は、家族のつくったものだ
恥ずかしさというのは、自分をよく見せたいと思う心の裏返し
第一番に稚心を去らねばならぬ
正しくない事を言ったりしてるやつが居たら自分ひとりでもちゃんと「それは違う」って言えよ。そしたら俺みたいに嫌われたりもするだろうけど、最後は正直者が笑うんだからさ
6才の時、コックになりたかった。7才の時、ナポレオンになりたかった。そして、私の野心は、それ以来着実に成長し続けている
歌だってそうなんだ。歌唱力がうまいへたではなくってね、ちゃんとあなたのところに飛んでいくようなメロディを歌いたい
どの曲も全力でやって一番いいと思えるものを出している
誰をも恐れない者は、誰からも恐れられている者に劣らず強い
肉体的に落ちていくものは取り戻せない。残っているものを生かすしかない
日本人の強みは、組織の構成員として、一種の「家族意識」を有することにある
建造物を新しく建てるとき、その外壁に現地の砂を混ぜるように、作詞段階で現地の砂を混ぜて仕上げるというのが、ずっと変わらない自分のやり方です。
電子辞書は確かに早く正確に引けるが遊びがない。紙の辞書は、引いた語句の両脇の語句が視界に入る。この種のノイズが文化を生む
心ある 繊細すぎる魂を持つ人たちが一瞬でも「もうこの世に生きる意味はない」と感じることのない社会を 空気をみんなで作っていきたい。
バンドって楽しいや。ライブやれるってこんな幸せなことないよね。自分家からすげぇ離れた土地で待っててくれる人がいる。拳をあげて一緒に歌ってくれる野郎どもがいるなんて、すごいよね。もし俺たちが音楽やってなかったら 俺個人的に言えば歌を歌ってなかったら、きっと何もなかっただろうな
人間さ、もちろん嫌いな人とか誰だっていると思うの。でも1個は絶対いいとこあるんだよ。例え100個嫌いなとこあっても、1個いいとこあればその人と友達になれると思うんだ。だから俺も桑とこうやってるんだよね笑。
東芝で電話番しながら、すごいハッタリ言ってました。「やれば売れるって誰に言ったら分かってくれる?何でも歌うよ?社長呼んできてよ!!」って。
火の国熊本、暑さにゃかなわねぇ!!(熊本ライブにて)
我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?
三大欲求以上の高等なことは考えたくないって言ってるんでしょうね。結局それぐらいしか私は本当のことを知らないし、「それ以上の本当のことを見ると私は傷ついてしまうし」っていう。
女は変幻自在。それを面白がるしかないでしょ。もっと小気味よく生きる女性が増えたらいいなって、ずっと思っていました
世界中のヤツらに嫌われてても、たった一人にでも愛されていたなら、そいつはすくわれる。たくさんの不幸せの中に一つでも幸せがあるなら、そいつは幸せなんだよ
勉、つとめるというのは、自己の力を出し尽し、目的を達成するまではどこまでも続けるという意味合いを含んだ文字である
その曲の伝えたい事が、あなたがあなたに伝えたい事だと思って欲しい。
100の好きを見つけても1の嫌いに心を裂かれたりする
勝負をしない奴には勝ちも負けもないと思ってるんだろ? でもそれは間違いだ。勝負できない奴はもう負けてるんだよ
俺は錦みてえにはなれねえよ
小さい頃は、祖母が歌う英語の賛美歌を子守歌代わりに聞いて育ちました
どんな顔の人だって輝くときはとてもいい顔だ。どんな美形だってつまらない人間では、それほど美しくもないぜ。
私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに。
何があっても、賛成反対両方あるのは自然
俺達が、日本のミッシェル・ガン・エレファントだー!(98年フジロックにて)
人生は、水平方向に落ちていくことである
深く、恐ろしく真実を語る者であれ
親切ではないけど、やさしい。丁寧ではないけど、やさしい
過去のバンドの名前や音楽を具体的に挙げて、こういうふうにしようと話し合ったことはない。やりたいときに、やりたいことを、やりたいようにやる。そんな自由さを失わずにいこう、みたいなことは話したけど。
ゆっくり急げ。美よりも速く走れ
手加減はしねぇ、死にてぇ奴だけかかってこい!!!
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
何が正しいかなんてわからんでしょ。俺が死んでも答えは出んよ。 そんなら好きだと思う事やるしかないんじゃないかなあ。
我々が行動可能なのは現在であり、また未来のみである
芸術家は自然の親友である。草花は茎の優美な曲線と花びらの調和のとれた色合いで芸術と対話をする。どの花にも、自然が芸術家に心から語りかける言葉があるのだ
スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する
今日が幸せすぎるとだいたい明日が怖い
破壊こそ創造の母だ
自分じゃない自分を出すのが怖い
完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから
100の好きを見つけても1の嫌いに心を裂かれたりもするし、言葉や感情は、削れば削るほど尖っていったり伝わりやすくなったり。自由自在の怖さ!
さっき決めたんだーどうしてもどうしてもどうしても笑顔じゃいられない時以外は、笑っていようって
音楽家は勉強が好きじゃないと務まらない仕事
Security is mostly a superstition. It does not exist in nature, nor do the children of men as a whole experience it. Avoiding danger is no safer in the long run than outright exposure. Life is either a daring adventure, or nothing.
安全とは思いこみにすぎない場合が多いのです。現実には安全というものは存在せず、子供たちも、誰一人として安全とは言えません。危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい危険なのです。人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外にはありません。