40歳になって「来た来た!」と思っています。40歳からが私に似合う年齢だと思っていましたから、それまで、どうやって時間をつぶしたらいいかと長く苦しんでいました。
他人の価値観を尊重できないなら、自分の価値観なんて主張しちゃいけないと思う
何にもなりはしない。僕が生きていれば、悲しみはいつまでも続くだろう。僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってだんだ
覚めていて夢みることは、眠っていて夢みることとほとんど同じである
『大切な人の死』という出来事は、大切な人が自分にくれる最後のプレゼントだと思います。どんな形の死であれ、僕はそう思います。だからこのプレゼントをいつまでも大切に愛することができます。
人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ
これはほんとに昔っから思うんだけど、これがこうなったら幸せなのに、 あれがあったら幸せなのに、と思ってたら一生幸せになれないね。自分の問題だと思うんだ。もっともっと内面の問題だと思うんだ。今の状況を幸福だと思える心を 持った人が幸福なんやな。
みんなにとってこの曲がどんな意味を持つかは分からないけど、俺はこの曲が嫌いなうちはさ、なんでこんな曲作っちゃったんだろうって思ってるうちは、あぁ俺幸せなんだなって思えるから。
どうしたって笑えないけど、それでも笑わないといけない時かぁー。…泣いちゃえばいいんじゃないか
創造の泉を自分の内に持っていれば、書きたいものを書き続けられる
基本的に完成は信用しない
あらゆる活動について「もし今日これを行っていなかったとして、改めて行うか」を問わなければならない。答えが否であるなら、「それでは、いかにして一日も早くやめるか」を問わなければならない
画家とは売れるものを描く人のことで、アーティストとは描くものが売れる人のことをいう
20代で音楽的に成熟したものや洗練されたものを書くには生意気に見えてしまいそうでしょう。20代は本当にずーっと困っているという感じでした。30歳くらいから力加減を探っていけるようになってきて、ここ数年でやっと、等身大の仕事をするようになってこれた気がしています。すると今度は体力が落ちてきて……ねえ、人生って。それも全部描くしかないです。
俺は「頑張らなきゃダメだ」と唄った事はないし、「這い上がって来い」と唄った事もない。 でも、歩み寄って来てくれたなら最高の味方になるし、ほっといても邪魔にはならないし、そういう音楽だと思いますね。
僕の場合、作曲の作業に入っているときは生活も一定のペースを保ち、できるだけ規則的に坦々と過ごすように心がけている
かぶりついて仕事せよ
人生、回り道も大事やからな。いっつも最短ルート歩いててもしゃあない。
苦労して獲得した金メダルをおじさんに齧られるのって、自分ごととして想像し直すとあれかな、メインのレスポールSPのヘッドを齧られるみたいな感じかな…。正気でいられる自信ないな、俺。
なんとなくこうなる気はしとったやろ、吾朗!泣いたらあかん、泣いたらあかんで!
絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ
自然は無限に分割された神である。神と自然は、完全に相等しい二つの偉大な力である
帰ってきたぜ!もうどこにも行かないぜ!(アベ加入後、初のライブにて)
悪魔は悪しか行なうことができないゆえに純粋である
苦痛は短く、喜びは永遠である
教養ある人間は、勉強し続けなければならないということを自覚している
「たかが音楽にのせる飾りじゃないか」という想いと、「誰かの一生をも変えてしまうかもしれない不思議な魔法」という想い。その間で僕は今も歌詞を書く。
自信なんてものは、与えられるものじゃない。自然と湧き出てくるものだよ
限界を越えることは絶対できないと思うんです。 越えられないから限界と書くわけで。でも越えるから不思議なんです。
純粋に泣けてしまうことって本当にある
みんな何かしら人知れず苦労しているものだ。だから自分から進んで苦労する必要はない
大切なことは混沌を拡大することだ。混沌を消し去ってはいけない
俺達の事な、忘れてもいいけど、此処でお前らがしてるその顔を忘れんな!お前等一人一人が主役なんだ!
自分の声は好きじゃなかったです。凄い低いし。でも音楽やりはじめてからは気に入ってる
絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ
自分の強さを実感している人は、謙虚になる
時間を管理するには、まず自らの時間をどのように使っているかを知らなければならない
何も真似したくないと思う者は、何も生み出さない
何びとも信用しない者は、己れ自身が信用されていないことを知っている
聴くのをサボんなよ。俺歌うから
やっぱりゴツいなぁ。桐生ちゃんよ。
(ビートルズの音楽は)8:2くらいの割合で、暗いところか隠されているところが好き
俺は右でも左でもかまわないんだ。そんなことどーでもいいんだ。右にどんどん行ってみろ。やがて左側に来ているのさ。地球は丸いからね
どうか、履き違えないで欲しい。人の足を止めるのは、絶望じゃなく諦めだけだということを。
オトナになろうが、教室から武道館になろうが、ひとりの前でやろうが一万人の前でやろうが、やってることって一緒なんだよね。音楽がやりたくてバンドを組むってそういうことなんだ。もう、そこで全部終わっちゃってるんだよ。だから目指すことは、もうないよ。
与えようとばかりして、貰おうとしなかった。なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。ただ相手に与えるだけではいけない。相手からも貰わなくては
この世は、良いのと悪いのとかさ、苦痛と幸福とかさ、相反するふたつのことで成り立ってると思うわけ。俺は、頭が悪いなりに考えた結果ね。で、頭がいい人とバカっていう争いもあると思うんだよ。今日は、三万人もバカばっか集まってくださってどうもありがとうございます
嫌われることは愛されることより難しい
あのアナウンス(「ファウルボールにはご注意下さい」)であらためて注意する間抜けはいない。でもあのようにいっておかないと、後で怪我して訴えられたら困るというのがある。アメリカ仕込みの訴訟社会の風習である
言葉なんていらなくなるよ、きっと。僕が立派になれれば
いい歌をつくって、なんでも話せる友達がバンドメンバーで、気持ちをこめて歌って、聴いてくれる人をアッ!と言わせたい。それだけでいい
(作曲家として)僕は、子どもの頃に「ベートーベン」というスゴイご馳走の味をいっぱい覚えたのが、本当にありがたい
青春の夢に忠実であれ
私が独りでいることは決してない。いつだってサルバドール・ダリといるのが習慣なんだ。信じておくれよ、それは永遠のパーティーってことなんだ
楽しめてるって事はカッコいいんじゃねえかな
学ぶことは何もないの。楽しむだけでいいんだ
自分は燃え尽きることは一生ない
リーダーは尊敬されるが、必ずしも好かれるとは限らない
人は見た目で判断する、そんなもんだ
組織の活動というのは、「いかに世の中に貢献していくか」という一点に集約される
愛は人生において、最も優れた栄養源である
私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ
名古屋のニワトリって、羽根が何枚もあるんだろ?じゃなきゃあんなに沢山手羽先がつくれる訳ねぇ!
僕は口が裂けても、諦めるなどとは言わない
目立たないように目立たないように、さりげなくさりげなく自分の存在を消し続けた(高校)三年間
ふつうは歳をとったとかモーロクしたとかあいつもだいぶボケたとかいうんだけどそういう言葉の代わりに「あいつもかなり老人力がついてきたな」という風に言うのである。そうすると何だか歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい
オリンピックってどこが優勝したか知ってる?(長野オリンピック後の長野ライブにて)
なんか人見知りですって自分で言う人いるじゃないですか。それってめっちゃよくないなって思ってて、すごい自分から人を引き離してるの良くないなって思って。
偉大な男の背後には必ず、その男を愛してくれる女がいた。「愛する女がかなえてくれるレベルより、もっと偉大になんか男はなれない」という言葉には、多くの真理が含まれている
もともと変わった曲にしようとしていたわけじゃなくて、自然に出来たんで。まぁ、奇跡って言い方はおかしいですけど、偶然的にあのような曲になったっていうところも大きいんですよね(『サイレン』について)
「焦りすぎないでいいよ」と言われ焦った
周囲からの反対やら妨害やら軋轢やらがあるからこそ、自分が本当は何をやりたいのか、何になりたいのか輪郭がはっきりしてきて、よし、オレの気持ちはホンモノだっていう確信が固まっていく……そういうものなんじゃないのか?
芸術は、意識と無意識の融合である
Reality leaves a lot to the imagination.
現実は、その多くを想像に委ねている。
名古屋ってダイヤモンドが特産か? …いや、ここに来る途中で『名古屋ダイヤモンド工業』って見かけてさー…ここも『ダイヤモンドホール』だし…。」
最高や 、まさかゾンビとやりあえる日が来るとはのお。
あんたがたが俺の財産だ。俺達の誇りだ。それで生きていられるんだ。いっつも助けられっぱなしで申し訳ねぇと思う。精一杯作曲する。本当にありがとう
インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ
僕は楽しいから、成功していると思う
どんな顔の人だって輝くときはとてもいい顔だ。どんな美形だってつまらない人間では、それほど美しくもないぜ。
太陽を黄色い点に変えてしまう絵描きもいれば、黄色い点を太陽へと変えられる絵描きもいる
ロックンロールは続いていくんだよ
「満足」って言葉は究極以外使っちゃいけないんだよ
人に善をなせば、とがめられるものだ
(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です
When we do the best that we can, we never know what miracle is wrought in our life, or in the life of another.
ベストを尽くしてみると、あなたの人生にも他人の人生にも思いがけない奇跡が起こるかもしれません。