「たかが音楽にのせる飾りじゃないか」という想いと、「誰かの一生をも変えてしまうかもしれない不思議な魔法」という想い。その間で僕は今も歌詞を書く。
私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている
他人のためにやるんじゃないよ。自分がやりたいからやるんだ。
雨が降るのは聞こえるが、雪が降るのは聞こえない。軽い悩みは大声で叫ぶが、大いなる苦悩は沈黙する
破壊こそ創造の母だ
正しい構造が成果を約束してくれるわけではない。しかし、間違った構造は成果を生まず、最高の努力を無駄にしてしまう
女性はやっぱり、おいしそうなものにクンクンって吸い寄せられて、それで満腹になったら飽きて、別の方に行って。そういう風に生きていくものだと思うんです
自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。なければ尚いい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ
富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう
多数とは何か?多数は阿呆のみ、真理は常に少数者にある
低級な芸術家たちは、常に他人の眼鏡をかける
コーヒーのブラックが飲めない。頭が痛くなるから
自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある
マネジメントたる者は、共に働く者から自らの仕事を教わらなければならない
全力を注がなければ、単に約束と希望があるだけで、計画はない
今どきレコード評なんか読んでる奴はいやしないさ。評論家が書いてることなんて、もう誰も相手にしないぜ
多くの人が80代まで生きれないのは、彼らが長期に渡って40代で止まろうと努力するからだ
僕はいろいろなとこでいろいろな人に聞かれるんだよ。『楽しけりゃいいのか?』って。いいんだよ。そのかわり,楽じゃないんだよって。漢字で書いたら同じじゃんって。
生きたくても生きれねぇ奴がいるんだって そんなんも考えないで生きてる気になんなって
オレは糞っタレのダメ人間!お前ら、オレみたいになんなよ!…でもさ、お前らがいるからこんなオレでもここに立てた。今のオレにはもう歌うしかねぇ、だからお前ら、オレにもう少し付きあってくれ
自信のあるものは「自信があります」ということが大事
自分が歌っていて気持ちよかったり、いい歌詞が書けたかも知れないなって思う瞬間を大事にしたい。
幼稚な心を取り去らなければならない。自己の修業を怠り、父母への依頼心を持つなどは幼稚な心である
俺達が、日本のミッシェル・ガン・エレファントだー!(98年フジロックにて)
女性は行動するより前にこうしよう、と考えることがあまりない生き物なんじゃないかと思うんです。先に手が出るというか、体で感じて体で動くっていう
人生は意義ある悲劇だ。それで美しいのだ。生き甲斐がある
子どもの頃は、おもちゃよりもレコードを買ってもらう方が嬉しかった
人間にとって成長ないし発展とは、何に対して貢献すべきかを自らが決定できるようになることである
ジョークを言った本人が笑ったら、そのジョークはジョークでなくなる
上司を過大評価することはあってもいいが、決して過小評価するな
返信への返信(「Re:Re:」)という意味ですが、アルバムの場合、曲の並びが“ラストシーン”から“サイレン”で悲しすぎたので、『もう一度』という意味をこめてタイトルをつけました。(『Re:Re』について)
全部欲しいって言ってたら、本当に欲しいものが薄くなっちゃうよ
成功する人に共通しているのは、ひたすらひとつの事に集中しているという点である
(渋谷の路上で歌っていた時)最初は誰ももちろん集まらないですし、私が歌ってるのに目の前でカップルがめちゃめちゃチューし始めたりしたのも、めちゃムカつきましたし、結構忘れられない。東京の路上はキツかったですね
自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど。
俺は「頑張らなきゃダメだ」と唄った事はないし、「這い上がって来い」と唄った事もない。 でも、歩み寄って来てくれたなら最高の味方になるし、ほっといても邪魔にはならないし、そういう音楽だと思いますね。
Character cannot be developed in ease and quiet. Only through experience of trial and suffering can the soul be strengthened, ambition inspired, and success achieved.
人格は、楽で平穏無事ということのうちには発展させることができない。試練と苦難の経験を通してのみ、魂は強化され、展望は明快にされ、野望は刺激され、そして成功は達成される。
Security is mostly a superstition. It does not exist in nature, nor do the children of men as a whole experience it. Avoiding danger is no safer in the long run than outright exposure. Life is either a daring adventure, or nothing.
安全とは思いこみにすぎない場合が多いのです。現実には安全というものは存在せず、子供たちも、誰一人として安全とは言えません。危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい危険なのです。人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外にはありません。