「ヒットさせなきゃ」とかはないです。ただ、自分自身が毎回前作を超えたいだけで。
焦点の定まった明確な使命がなければ、組織はただちに組織としての信頼性を失う
(中学を卒業したら東京に行かせてくれ、と父親に言ったときに反論されて)お父さん、僕を止められるんか。音楽しかやりたいことないんじゃ。お父さんには、僕の音楽を反対するだけの材料があるんか。
自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる
私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会・・ 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである
閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ
顧客にとっての価値を想像してはならない。直に聞かなければならない
俺、ホント、意味ねえと思うもん人生なんて。「人は何のために生まれてきたのか、何をすべきかなのか」なんて、どうでもいいじゃん。そんなの誰にも決められないことじゃん。自分で決めるんでしょ、人生の価値ってのは。本当に自分が素晴らしいと思うことに一生を費やすこと、それがいちばん価値があること。
芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる
最も美しい主題は君たちの前にある。なぜといえばそれらのものこそ君たちが一番よく知っているからである
アーティストの生き方を曲に乗せて、憧れていただく。あたしは全然そういうのやってないんだけど、語られる時にすごく良くないもののように、見世物のように言われますが、実際にはその時お客さんが欲してらっしゃる、期待してきたものであり、それを超えるものでなければいけないと思ってます。こちらの生活、暮らしとか気分とか、そういったものは一切知られてはいけない。それが芸。
俺はゆるキャラだがなぁ、お前らを見逃すほどゆるくねぇんだよ
結果オーライって凄くいいことだと思わない?
未来は誰のものでもない。先駆者というものはおらず、時間に遅れた者しかいないのだ
過去とは、所有者の贅沢だ。過去を整頓しておくには一軒の家を持つことが必要だ。私は自分の体しか持たない
幅を広げたかったら、知性を磨くことと本当の修羅場をくぐり抜けること
曲のメロディはもちろん大事ですが、大きな構造で考えるとスコアは設計図みたいなもの
友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる
期待なしに恋をするものだけが、真の恋を知る
自分の声は好きじゃなかったです。凄い低いし。でも音楽やりはじめてからは気に入ってる
最初はダメでも何度でもやり直せという態度は誤りである
感情が伴わない作品は、芸術ではない
今、俺の考えるライブは祭りだから、日本各地でみんなと祭りをやるという感覚が楽しみでしょうがない。小難しいことを考えず、嫌なことも全部置いてくればいいと思うんだ。きっと楽しめるはずだから
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる
The only thing worse than being blind is having sight but no vision.
盲目になることよりひどい唯一のことは、視覚はあっても未来像がないことです。
久ぶりやのぅ… 桐生チャン!!ワシャ〜 嬉しゅうてたまらんのやぁ。“堂島の龍” と直接やり合える…本物の命張った ケンカができる。なぁ、桐生チャンなら 分かるやろぉ?…なぁ!?
手慣れたものには飛躍がない。常に猛烈なシロウトとして、危険をおかし、直感に賭けてこそ、ひらめきが生まれるのだ
あのアナウンス(「ファウルボールにはご注意下さい」)であらためて注意する間抜けはいない。でもあのようにいっておかないと、後で怪我して訴えられたら困るというのがある。アメリカ仕込みの訴訟社会の風習である
もしマーケティングが完全に行われていたら、販売努力は不要だ
私は自分がやりたいことをやっているだけ
人は素敵な経験があるかないかで、心の汚れとか全然変わってくる
若き時代に数千の帆柱を押し立てて船出したその港へ、老いさらばえて救いのボートに助けられ、人知れず帰ってくる
「僕は永遠に生きます」って今思ってる。明日も思ってる。あさっても思ってる。10年後も思ってる。20年後も思ってる。そしてある日死ぬんだ。うん。それがいいな。
おそらく今日、高等教育を受けた人の割合が世界でもっとも多い国が日本である。日本にとっての問題は、いかにして彼ら高等教育を受けた人たちを生産的な存在にするかである
あんたがたが俺の財産だ。俺達の誇りだ。それで生きていられるんだ。いっつも助けられっぱなしで申し訳ねぇと思う。精一杯作曲する。本当にありがとう
Everything has its wonders, even darkness and silence, and I learn, whatever state I may be in, therein to be content.
すべてには驚くべきものがあります、暗闇や静寂にさえも。そして私はどんな状態にあっても満足して、学びます。
テクニックばかりに気を取られる人たちは全ておいてミスをする
信念のためには、たとえ敗れると分かっていても、おのれを貫くそういう精神の高貴さがなくて、何が人間ぞと僕は言いたいんだ
何があっても、賛成反対両方あるのは自然
自分の個性に 自信を持てよ。そうすりゃあ自分好きになれる。姿形よりも 自分って人間を。磨いて輝る 美しさを
ただこの世の中に生まれてきたから、惰性で生きてるなんて、そんなやつは、生きてる必要ない
画家は労働者が働くように勉強しなければならない
歌詞を書いてて出てこない時って、頑張って出そうとして出てくるものじゃない
何、ちょうど打ちたかったところだ・・・・ひねくれたカーブをな
妄想と勘違いでロックンロールは転がり続けてるんだから、これを解放しないことには何も始まらない。
1.必ずできると信じろ2.限界を越えろ3.「その時」を待つな4.行動しろ5.正しく問え6.ジャッジせず、隠された美を見ろ7.遅すぎることなんてない
悪魔は悪しか行なうことができないゆえに純粋である
私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ
ダイヤモンドの行商人がやってきて、 このダイヤモンドは永遠の輝きをどうのこうのって言うとるけど せいぜい百年しか生きられん人間に、 永遠の輝きを売りつけてどうするんじゃ。俺らが欲しいのは今だけです。
挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない
I think our society is run by insane people for insane objectives.
僕らの社会は、ばかげた目的のために、あきれた人々によって動かされている。
All you need is love.
愛こそはすべて。
小さい頃は、祖母が歌う英語の賛美歌を子守歌代わりに聞いて育ちました
僕の何かを信じた時の強さですか?信じるっていう感情の強さですか?行為の強さですか?ハンパないと思いますよ。
私の耳は貝から 海の響きを懐かしむ
聴く人がどう受け止めるかは、聴く人の自由
歌なんて誰でも歌えるからヴォーカリストになった。だから、誰にでも歌えるような歌しか歌わないんよ。
自分にいろんな矛盾があることが当然
色彩は、それ自体が何かを表現している
人生は意義ある悲劇だ。それで美しいのだ。生き甲斐がある
子供の頃からやりたいことは変わってなくて、それができるようになるのが大人
痛みはいつか消えるが、美は永遠に残る
突破口は1つしかないんだ。ほかにもう道はないんだ。ロックンロールしかないんだよ。それがわかったときにさ、そこにやっぱり全身全霊を傾けるしかないじゃん。
落ち込むのと失望は違うんよ。 だって、落ち込んでても夢や愛は信じとるもん。
やりたい事やったもん勝ちなので全部やりたい
ロックは世界を変えることができない!世界を変えるのはお前らだ
自分には過去も未来もない。ただ現在に生きようが為に絵を描くのである
どんな人でも努力すれば、“それなり”の能力は身につけることが出来る。そして、この世で成功するためには、“それなり”の能力があれば十分なのである
詩人は常に真実を語る嘘つきである
好きなものは変わらなんなあ。歳をとるほど、より確信になる
Zepp Tokyoには幾つか強烈な印象が残っているライブがあって。以前、声が出なくて点滴を打ってステージに立ったこともあったんですよ。あのライブも良かったんだよな
兄弟は、塀の中で死ぬようなタマやない。あいつは必ず戻ってくる。……俺を殺しにな。
生命の一分が過ぎていく!それを在るがままに描き、それをなすためにはあらゆるものを忘れよ!そのものになりきれ・・実際に見るもののイメージを与えよ
Walking with a friend in the dark is better than walking alone in the light.
暗闇の中を友達と歩くことは、明るい中を一人で歩くことより良いもの。