喧嘩に必要なのは、強さじゃなく、慣れているかどうかだ
自分が感動できるものを提出していかないと、周りの人、ひいては観客に響いていかない
芸術とは、自然が人間に映ったものです。大事なことは、鏡をみがくことです
明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけ
Trying to please everybody is impossible – if you did that, you’d end up in the middle with nobody liking you. You’ve just got to make the decision about what you think is your best, and do it.
みんなを喜ばせようなんて不可能だよ。そうしたところで、結果は誰からも好かれないで終わるだけさ。
常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ
結局はひたすら考えるしかないという心境になっている
教養ある人間は、勉強し続けなければならないということを自覚している
よう動く舌やなあどないな作りになっとんねん?もうすぐ夜やで。次のパーティーの話はまだ早すぎなんとちゃうか?
(RC時代、ローリングストーンズのパクリでは?の声に)なんだ、今頃気付いたの?
恥ずかしくない生き方はしたくないもんね。だから恥をかくんだよ
人の卓越性は、ひとつの分野、あるいはわずかの分野においてのみ、実現されるのである
絵というものはぼくにとって、愛すべきもの、愉しくて美しいものでなければならないんだよ。そう、美しいものだ!人生には厭なことが多すぎるんでね、これ以上厭なものなんかこしらえたくないんだよ
沈黙は絶叫よりも恐ろしい
頭のおかしい人と私の唯一の違いは私は頭がおかしくないということ
人生の長さは一秒にも満たない。その僅かな時間に永遠に向けての準備をしなければならないとは!
絵を描き始める前に、すでにそれは私の心の中に形作られている
神を知る最善の方法は、多くの物を愛することだ
心理の何か変化があるんですよ。人間行動すべき理由がある。
声でねぇけど唄わしてくれ。今回のツアーで俺わかった。お客さんがいると唄えます。聴きてぇって思ってるヤツがいつと唄える。だから、一呼吸分の力を分けてくれ!
偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ
限界を越えることは絶対出来ないと思うんです。越えられないから限界と書くわけで。でも越えられるから不思議なんです。
風景なら その中を散歩したくなるような、女性なら その人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい
事業を行うときは、次の4つの条件を満たしておかなければならない。まず経営環境、使命、強みが現実と一致していること。そして、それらの条件が互いに合致していること。そして、周知徹底されなければならない。さらに、たえず検証されなければならない
もしも明日の朝が来なければ、俺は最高傑作をいくらでも作ることができただろう。
芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている
あせってはなかったね。いつでも出来るし、やり始めたら一瞬だって思ったから
Our life is our art.
人生はアートだ。
jupiterは「木星」の他にも「雨の神様」って意味があって、俺はその言葉がいいなって思って。「太陽の神様」じゃなくて「雨の神様」だって。じゃぁ、俺は皆を濡らしてやろうと。俺らは泣いてもいいんだよって言いたいバンドな訳だから。
数曲唄って思ったけど、見える・見えないの問題じゃねぇな。きっと、何処にでも届いてると思う。
全てのものは限られた量しかない。特に幸福は
心が揺れたところで決着はもうついてんだ
僕は新しく何かをやりたいんじゃなくて、今何をやりたいかなんだよ、まさに
本当に。自分は誤りのない人間だと例外化してしまうのが、いちばん恐ろしいことだなと自分を戒めます。あとは、発言や行いや考えを批判することと、人を非難することの違いを考えてます。この違いって、悩ましいんですが、結構大きいことなんじゃないかと思っていて。
Security is mostly a superstition. It does not exist in nature, nor do the children of men as a whole experience it. Avoiding danger is no safer in the long run than outright exposure. Life is either a daring adventure, or nothing.
安全とは思いこみにすぎない場合が多いのです。現実には安全というものは存在せず、子供たちも、誰一人として安全とは言えません。危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい危険なのです。人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外にはありません。