人生とは自らの道である。一つのことを試みることであり、一つの道を端的に示すことである
反者から学ぶ事はたくさんあるけど本当に大事なのはそっから先に行く事だ
「いてもいいんだよ」「生きてもいいんだよ」「感動してもいいんだよ」「泣いてもいいんだよ」「笑ってもいいんだよ」「そこに存在してもいいんだよ」って言ってくれてるかんじ。誰の許可もいらないんだ。それをロックンロールが僕に言ってくれるんだよ
一生のうちの勇気の絶対量があるとしたら、もう使い果たしていると思うんですよ、ビビりだから。
イエスとノーのあいだに真実が息づいている
重荷をいただいた胸は打ち明ければ軽くなる
私はいつも、まだ自分ができないことをする
俺らがなんでロックやってっかというと、ロックはさ、汚ねぇ言葉とかすっげぇ使ってるよ。それが受け入れれない奴は、まだロックなんて必要ねぇんだよ。でも、絶対なんか壁にぶちあたった時、ロックを聞くとさ、こんな汚ねぇこと考えてるの俺だけじゃねぇんだって思えるからさ。だから、俺らはおまえらのためだけにロックをやるよ
なんかさー、ほら、あんまり愛された経験とかねぇだろ? お前らもそうだと思うけどさ。もう受け止めきれないんだよね。幸せ死にっていうジャンルがあったら確実に死んでる…いま
本当に。自分は誤りのない人間だと例外化してしまうのが、いちばん恐ろしいことだなと自分を戒めます。あとは、発言や行いや考えを批判することと、人を非難することの違いを考えてます。この違いって、悩ましいんですが、結構大きいことなんじゃないかと思っていて。
感情が伴わない作品は、芸術ではない
私は常々「偶然耳にされたリスナーの方が、わくわくなさるような時間を提供せねば」と考えています。せっかくなら。子供の頃観た歌番組では、いろいろな歌手がよく、一緒に歌ったりしていました。ああいうフランクさが近年どんどん失われているのを寂しく思っています。
私は天才になるし、世界は私を称賛するだろう。評価されないかもしれないし、理解されないかもしれない。しかし天才になる、偉大な天才にね。なぜなら私はそのことを確信しているからさ
傷ついても裏切られても、人を最初から疑ってかかるような生き方はしたくないと思うんだよね。裏切られたりして傷つく部分と、すげぇ嬉しいと思う部分て心の同じ部分で、同じところが傷ついたり喜んだりしてるから、傷つかないように心にふたをしていってしまうと、喜びまで感じなくなってしまうんじゃないかなぁ
人間生きてりゃ、終わりなんて無い。いつだってやり直せるんだ。
この曲を聴いた人はハルジオンになりたいって言うんじゃなくて、土になって欲しい。そう、あんたは土なんだ。あんたにだってハルジオンは咲くんだと。此処、心の中にあるんだって。別に車に乗ってハルジオン咲いてる所に探しにいかなくたっていい・・だって、此処に咲いてんだから。(ハルジオンについて)
お前らの人生がライブハウスみたいだったらいいなぁ。おされたり、ぶつかり合ったり、倒れちゃったりして、でも自分の力で立ち上がったり、時には周りの人に助けられたりしながら起き上がって、次の瞬間にはものっすごい笑顔で前を向いてる。お前らの人生がそんなだったらいいなぁ
本当に死んでもいいくらい好きって奴は、認められないなんてことで不平を言わないよね
ひとりの富者がなんと多数の乞食を養うことか!王が建築を始めれば、馬車曳きに仕事が生まれる
ドブネズミが美しいとわかんねえ奴はたいしたことねえ。
同じことばっかりやるのはつまらない。だから私はいつも自分が良いと思うことを自由にやっています。
親切ではないけど、やさしい。丁寧ではないけど、やさしい
人生は、水平方向に落ちていくことである
偉人の経歴を読書により知って憧れること、師や友から聞いたことに発憤すること、自分が逆境に陥ったときに勇猛心を起こすこと、感激することの四つが志を立てる大きな理由となる
大人になって大好きな人ができて、今まで男の子とチョメチョメしてきたのがリハーサルだったのかと思うぐらい、「私はこの人のために、経験や知識やこれから学ぶこと全部を捧げなければいけない。捧げるべきなんだ」って心に決める。すごく本能的に感じるんですよね
夢や希望なんてバカバカしい。でもそれを見続けてしまうのが人間であって。それが悲しくもあり、美しくもあるんだってことを俺は知ってる。
着物を脱ぐ女性の美しさは、雲を貫く太陽のようだ
みんな神話が好きだ。だから私の絵を愛するのだ
苦しい時には、自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ
凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです
真の芸術家とは、喜びのために仕事をする唯一といってよい人達だ
問題になろうがどうしようがいいんだもん。それはまた対処していけば。だけど大人たちに相談しちゃうと問題になりそうだからやめようってことになっちゃうんだ。
人々を動機付ける能力がなくては、経営者とは言えない
音楽への情熱だけを頼りに、作曲家としての道を進むことができた
僕は一生のうちに一晩でいいからあんなふうに歌えたら、死んでもいいと思った。
まじめに考えて出てくる答えっていうのはろくなもんじゃないんです
「今日単車で来たやついるか?」(客ワァァァ)「気をつけろよ」→GT400演奏(FRFにて)
赤がなければ、青を使います
努力というのは、恐らく運や偶然を追いつめて縮めて微細なものにしていって、自分で掴まえやすくするためのものではないのかと思うのである
以前にも成功をおさめたからといって、今度も以前と同様の仕事のやり方をし続ける経営者というものは必然的に失敗する運命にある
成果をあげるための秘訣をひとつだけ挙げるならば、それは集中である
音楽に限らず、あらゆるクリエイターって2タイプに分かれると思うんですよ。第六感で作るタイプと、いろんなものを分析して構築的・理論的に作っていくタイプと
危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ
「ロックな手と書いて岩手と読むんだぜ。」「あのさー、冷麺てなにでできてんの?原材料はなんなの?」(岩手ライブにて)
その言葉の持ってるリズム感、そういうことの方が全然大事なんだよね、ヴォーカリストには。言葉1個1個のリズムね
閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ
アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う
私は芸術でも何でも、全部がエロビデオみたいに受け止めてもらえればいいって思ってるんです。グッとくるか来ないかっていう、ただそれだけ
(RC時代、ローリングストーンズのパクリでは?の声に)なんだ、今頃気付いたの?
会計学者や経営者は「純利益」という言葉を使うが、企業経営ではそんな言葉を使ってはいけない。「フューチャー・コスト(未来費用)」と呼ぶべきだ。企業というのは、リスクを負うために失敗することもある、そのときのために未来のコストを留保してあるのであって、利益の蓄積ではないのだ
その曲の伝えたい事が、あなたがあなたに伝えたい事だと思って欲しい。
「満足」って言葉は究極以外使っちゃいけないんだよ
退屈を怖がってちゃいけない
長いこと暗い道を歩いてると……この先もずっと暗いもんだと思っちまう。前に進むことがイヤになる。自分の道がこの先どうなってるか分かってるやつなんてこの世にひとりもいねえ。俺らにできるのは立ち止まって泣くか、一歩でも前に進むかのふたつだけだ。あんたはどっちでも好きな方を選んでいい。入り口までは 俺が案内してやる
人の卓越性は、ひとつの分野、あるいはわずかの分野においてのみ、実現されるのである
1回でもつまらない仕事をしちゃえば、そこで終わり
正しい構造が成果を約束してくれるわけではない。しかし、間違った構造は成果を生まず、最高の努力を無駄にしてしまう
若さと年齢は無関係
何にもやってなかったなあって気持ちになる時もよくあるよ
True happiness… is not attained through self-gratification, but through fidelity to a worthy purpose.
真の幸福は、自己の快楽によって達成されるのではなく、価値ある目的への忠誠心によって得られるのです。
基本的にバカバカしいじゃないですか、この商売は。ポップスってそうでしょ。初めから成熟してない状態が前提というか、いつも青いものが求められる。でも私はそれだけじゃないものがやりたい。
I think our society is run by insane people for insane objectives.
僕らの社会は、ばかげた目的のために、あきれた人々によって動かされている。