スタイルとは、複雑なことを表現するための簡単な方法だ
心の底から平気で、出世なんかしなくていいと思っていれば、遠くの方でちぢこまっている犬のようにはみえないんだ
僕の場合、作曲の作業に入っているときは生活も一定のペースを保ち、できるだけ規則的に坦々と過ごすように心がけている
近道は何度も出来たんだけど、後ろを振り返ったときに後ろがないと不安でしょうがない
Never bend your head. Always hold it high. Look the world straight in the eye.
決して顔を伏せないで。いつも堂々と顔を上げて。この世界を直視して
少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます
どーだろう?日本は民主主義国家だなんて言ってないで、事無かれ主義国家だって世界に向けて言った方がよっぽどカッコいいんじゃねえか。ロックっぽいぜ。
テストの点数でお前らの価値は決まらねぇ
持てる者は失うことを知り、幸せは苦しみを知る
この余白にたくさんの文字を書いたけど、沢山消した。俺の喉から貴方の耳まで新しい唄がお使いに行く。俺の唄は迷わないから、俺も心配しない。いってらっしゃい。
モノを作るというのは、そういう多様な面を併せ持った自分を総動員させながらも、本人が意識しているものを剥ぎ取ったところに妙味が出るものなのではないだろうか
反原発集会へのお誘いも多かったけど、そういうところへ行って歌えば受けるの当たり前だし。目にみえててつまらない。むしろ推進派の集まりに呼ばれてやりたかった。
芸術は悲しみと苦しみから生まれる
常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ
私には規則や方式は一切ない。裸婦を見る、すると幾千ものちいさな色合いが見えてくる。その中から、生き続けるものを探し出し、そのようにして真新しい色調をキャンバスの上に躍動させるのだ
21世紀に重要視される唯一のスキルは、新しいものを学ぶスキルである。それ以外はすべて時間と共にすたれてゆく
子どものころから、四角形に対する漠然とした疑問はありましたね
だって朝から晩までいろんな音楽聴いてるわけで。バップのジャズや20年代のブルースからソウル、レゲエ、フォーク、アイリッシュ。クラシックはめったに聴かないけど聴くときもある。そのすべてから影響受けるけど、僕はそういうのを聴く人で、その僕がやってるバンドがこれだっていうだけ。
今が楽しいかどうかは自分が今を楽しんでいるかにかかっていること 目の前にある大事な事 見失うほど未来に目をやってしまうのはとても愚かな事
希望と失望は同じものですよね? 心が優しい人ほど毎日泣いていて幸せな時間ほど早く過ぎて、失望したことがない人は希望の意味を知らないし。同じものなんですよね。だから、俺はひたすら希望を綴っているだけなんです
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う
今日はジョン・レノンの命日。家に帰ってイマジンを聴く
コーヒーのブラックが飲めない。頭が痛くなるから
自殺か三枚完結かでしょ?ロックストーリーって。
音を出すことで何を伝えたいのか
「たかが音楽にのせる飾りじゃないか」という想いと、「誰かの一生をも変えてしまうかもしれない不思議な魔法」という想い。その間で僕は今も歌詞を書く。
神童。それは多くの場合、非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである
僕たちは心の中にたまごを抱えています。何かを経験して心が大きく揺れたとき、たまごはパカッと割れて新しい命が飛び出します。ロックンロールに出会ったとき 僕の心の中で1つのたまごが割れました。それは初恋のように僕を夢中にさせました。今も元気なその心の住人は僕にマイクを握らせました。
青春小説、青春映画っていうのがあるんだから、青春音楽っていうのもあっていいんだ
ここ何県?(ロサンゼルスにて)
歴史上いかなる国においても、企業とくに大企業は株主のためにのみマネジメントすべきであるという主張はもちろん、主として株主のためにマネジメントすべきであるという主張さえ、主流になったことはない
本当に口うるさいロックン・ロールや、口の匂いまでするようなリズム&ブルース。そんな音楽は21世紀には無くなってしまうのだろうか。ロボットやサイボーグが聴くような計算された音楽だけが市場にあふれている。
閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ
ブルースって、どうしてブルースっていうか、知ってる?それはブルースが悲しいから…(02年RSR)
とりあえず放送した方がいいというので、日本の世の中には形式だけのアナウンスがわんさと流れている。日本人は形式が好きだ、と思われても仕方のないことだ
自らに求めるものが少なければ、成長しない。多くを自らに求めるなら、成長しない者と同程度の努力で巨人に成長できる
自分の打ったボールがどこへ飛ぼうがかまわない。スカッと飛びさえすれば、いい気持ちなんだ
大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ
他者同士だからさ、分かりあえなくて当然
Everything will be okay in the end. If it’s not okay, it’s not the end.
最後には全て上手くいくよ。もし上手くいっていないのなら、それは最後じゃないってことだ。
癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた
多少体調が悪くても、気分が優れなくてもベースは崩さないように努める
自分を支えているのは、自分
顔に性格が表れるように、声には人生が現れる。言葉でどうこうするより、何万時間語り合うより、一曲でいいから自分の書いた歌を聴いてもらえば分かりあえる気がしちゃうんだよな
俺は今日、アンタの為に唄う。ロックに世界を変える力はない。でもロックが一人一人の人間の心に起こすうねり、そのパワーは計りしれない。俺はその力を信じて生きる
選んだ道のその先よりも、選ばなかった道の運命を考えることの方が多い
決断の場面においてはトップは常に孤独である
俺は錦みてえにはなれねえよ
逃げない、はればれと立ち向かう、それが僕のモットーだ
究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある
基本と原則に則っていないものは、かならず破綻する
成果とは常に成功することではない。そこには間違いや失敗を許す余地がなければならない
残る音楽を作りたい
仕事は点ではなく線だ
己の感覚としては、一生懸命ベタをやっているつもりです
お金なかったのでお母さんのお兄ちゃんにトラック運転してもらってトラックで上京した
私は憧れの人になれないけど、私は私になれたし、よかった
世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく
お先真っ暗はすげー前向きな言葉。
人々を動機付ける能力がなくては、経営者とは言えない
私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている
人の卓越性は、ひとつの分野、あるいはわずかの分野においてのみ、実現されるのである
手を伸ばせば掴んでやるよ。掴んだら離さねぇぞって自信はある
成功する企業というのは、「問題」ではなく、「チャンス」に目を向けている
腑に落ちた道を進んでいかないと、 苦労や失敗を背負い込む覚悟もできない
無能を並みの水準にするには一流を超一流にするよりも、はるかに多くのエネルギーと努力を必要とする
周囲より僕は歌の力ってのを信じてます。
私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった
壁を見つけて超えていく……。人ってのは乗り越えることでしか成長できねぇんだ。 お前の理屈は間違っちゃいない。乗り越えるべき壁が俺だと言うのなら、付き合ってやる。二度と乗り越えようとすら思えない力の差――一度だけ味あわせてやる
Life is an exciting business, and most exciting when it is lived for others.
人生は胸おどるものです。そしてもっともワクワクするのは、人のために生きるときです。