長く続いた友情なのに、別れるときはあっという間だ
手慣れたものには飛躍がない。常に猛烈なシロウトとして、危険をおかし、直感に賭けてこそ、ひらめきが生まれるのだ
傑作なのか屑なのかわからない
何があっても、賛成反対両方あるのは自然
もし、黄色と橙色がなければ青色もない
幸福には翼がある。つないでおくことは難しい
私はあるがままの自分を受け入れてくれることだけを望む
そうだったな。俺らはいつもそうやって生きてきたんだったな。
路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね
神々と肩を並べるには、たった一つのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ
(18歳の頃)もしかしたら現実逃避したかったのかな
人間生きてりゃ、終わりなんて無い。いつだってやり直せるんだ。
仕事じゃなくてもやるもんね!
その言葉の持ってるリズム感、そういうことの方が全然大事なんだよね、ヴォーカリストには。言葉1個1個のリズムね
私は対象を見えるようにではなく、私が思うように描くのだ
音楽は心のタイムマシーン。 〜中略〜 音楽を聴くことによって、その音楽に初めて触れたとき、音楽で何かを感じたとき、そのときの気持ちに、それが10年前であろうと20年前であろうと一瞬にしてパーンとその人をその時の気持や情景に送り込むことができる
それは夢のまた夢、夢の中の夢の中の夢の中のそのまた夢の中の、夢の夢さ。でも、夢はあきらめない方がいいぜ
私は、自分の作品に心と魂を込める。そして制作過程では我を失う
人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている
最強頑張っている人を見ると泣きそうになる。かっこよくて。俺もああなりたい
久しぶりー、前橋!……ごめん間違えた宇都宮!(栃木ライブにて)
すべてはむなしい
マーケティングは事業全体を完全に包含する。それは最終成果の観点、つまり顧客の視点から見たビジネスすべてである。それゆえにマーケティングに対する配慮と責任は企業全体に浸透していなければならない
言葉っていうのは、感覚に1番近いものを当てはめるだけだから感覚が伝わるわけじゃないんだよね。自分の心の中で生まれた感情・感覚に、1番似合った服を着せたものが言葉だから。
自分が嫌いな相手にまで好かれたいとは思わないですし
アクシデントが起きると、人はそれを変えようとするが、人には変えることが出来ない。アクシデントが人の内面を明らかにするだけだ
妄想と勘違いでロックンロールは転がり続けてるんだから、これを解放しないことには何も始まらない。
夢を飼い殺しちゃいけない。
出会わなければ良かった出会いなんてきっとない…ないよ。
予感というのも、努力の重なりの上に出来る、透明な上澄みのような感覚だと思う
僕は死なないと思いながら死ぬんだろうな。
さよならとか別れとか、似たことしか歌わなくなってきたなあって。でも本能では、自分はそういうものを書いていくんだろうなってわかっていて
完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから
「最近バンドの調子がいいですね。」とか会ったこともない奴に言われる機会が増えました。そういう奴らには、これからも「おめー誰だよ!!??」ってやっていくんで、皆さんよろしくお願いします
Self-pity is our worst enemy and if we yield to it, we can never do anything wise in this world.
自己憐憫は最悪の敵です。それに負けたら、この世で賢明なことは何一つできないのです。
神は、もはや人間の力では助けられない時のみ助ける
私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない
おそらく今日、高等教育を受けた人の割合が世界でもっとも多い国が日本である。日本にとっての問題は、いかにして彼ら高等教育を受けた人たちを生産的な存在にするかである
エライこと引き受けてしもうたなぁ。しゃーない!真島吾朗、いっちょやったろやないかい!
Music is everybody’s possession. It’s only publishers who think that people own it.
音楽はみんなのものだ。自分のものと思っているのは作った人だけさ。
僕の何かを信じた時の強さですか?信じるっていう感情の強さですか?行為の強さですか?ハンパないと思いますよ。
女の顔はキャンバスだ 毎日女は少しだけ若い自画像をそこに描いている
人の評価なんかどうでもいいし
集中が必要なのは、仕事の本質と人間の本質による。いくつかの理由はすでに明らかである。貢献を行うための時間よりも、行わなければならない貢献の方が多いからである
人間の運命は人間の手中にある
The more I see the less I know for sure.
知れば知るほど、分からなくなるものだ。