


NUTOPIA has no land, no boundaries, no passports, only people.
ヌートピアには、国土も国境もパスポートも持たない。人々だけだ。

眼前のものに深く入ること。そしてできうる限り論理的な自己表現を、忍耐強く行うことです

限界を越えることは絶対出来ないと思うんです。越えられないから限界と書くわけで。でも越えられるから不思議なんです。

人生に命を賭けていないんだ。だから、とかくただの傍観者になってしまう

インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ

手加減はしねぇ、死にてぇ奴だけかかってこい!!!

「焦りすぎないでいいよ」と言われ焦った

自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。なければ尚いい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ

It is for us to pray not for tasks equal to our powers, but for powers equal to our tasks, to go forward with a great desire forever beating at the door of our hearts as we travel toward our distant goal.
私たちは、自分の力に見合った課題を願うのではなく、課題に見合った力を願うべきです。心の扉を叩き続ける強い願望と共に、遠い目標に向かって旅を進めるのです。

成果をあげる人の共通点は、行わなければいけない事を、しっかり行っているというだけである

常に100%満足できる作品を作るべきだと思うし、そうすることが俺らの音楽を待ってくれる人たちへの最高の礼儀だと思うんですよ。

自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある

下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか

何も真似したくないと思う者は、何も生み出さない

己の感覚としては、一生懸命ベタをやっているつもりです

闇鍋みたいなもんですよ、人生。何入ってるかわかんないけどどれかつまんで食べるしかないみたいな

さぁライヴハウスへ帰ろう

ひらめくまで待つ

「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね。

限界を越えることは絶対できないと思うんです。 越えられないから限界と書くわけで。でも越えるから不思議なんです。

『何をやるか』じゃなくて、『どんなふうにやるか』

芸術は醜いものを生み出すが、しばしばそれは時とともに美しくなる。一方、流行は美しいものを生み出すが、それは常に時とともに醜くなる

私は死ぬまで死ぬことについて、そして生きる事について考えていると思う

時間が無尽蔵にありさえすればいいものができるという物ではない。むしろ、 期限が決められているのは、モノを作る人間にとってはありがたい事

情熱をもって君たちの使命を愛せよ。これより美しいことはない

Imagine all the people living life in peace.
想像してごらん。だれもが平和に生きていることを。

スタイルとは、複雑なことを表現するための簡単な方法だ

(ゲーム音楽は)何回聴いても飽きない曲でないといけない

美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ

俺がとりたいのは100点じゃないんだ。ロックンロールが100点満点だとしたら10000点くらい取りたいんだ。

(ビリーアイリッシュの曲で、あえて「音圧」という言葉を使ったのは、低い音って部屋自体が振動して、まさに音の圧って感じがするんですよね。プレッシャーみたいな音というか。これまでの「音圧」みたいな言葉は、ラウドネスメーターの数値の話だと思うので、それとは別の感覚についての話です)

大切な人がいなくなっても、それは無じゃなくて“空っぽ”があるんです。

俺はすごく欲張りな人間で完璧主義なの。表現の間口を広げていた時期は、まずはひとつのことに特化していって。例えば、「甘いものってなんだろう?」と考え始めると、甘いものを徹底的に追求していたけれども、最終的にはひとつのことが満たされたとしても物足りないんですよね

最初にして最高の聴き手は自分自身

指輪によって結婚はなりたつ。つまり、指輪とは鎖を編むものなのです

口先だけじゃ海を越えられないのさ

顧客にとっての価値を想像してはならない。直に聞かなければならない

生涯に一作であれば、誰でもいい曲がつくれる

他人の価値観を尊重できないなら、自分の価値観なんて主張しちゃいけないと思う

勉、つとめるというのは、自己の力を出し尽し、目的を達成するまではどこまでも続けるという意味合いを含んだ文字である

チャンスは鳥のようなものだ。飛び去らないうちに捕らえよ

大人になって大好きな人ができて、今まで男の子とチョメチョメしてきたのがリハーサルだったのかと思うぐらい、「私はこの人のために、経験や知識やこれから学ぶこと全部を捧げなければいけない。捧げるべきなんだ」って心に決める。すごく本能的に感じるんですよね

「何事も一人で大丈夫」っていう基本さえあれば、あとはもう全部楽しいんだよ

人はいつも、行動する時より口で言う時の方が大胆になる

経営者は、その企業の将来について、もっと時間と思索を割くべきである

何事も、上手く進まないときは、停滞の時期ではなく、変化の時期だ。

人間を偉大にしたり卑小にしたりするのは、その人の志である

俺がホントについてるなぁとか幸せだなぁとか思うのは、周りにそうやって怒ってくれる人がたーくさんいるんですよね

死を怖れない者に何を怖れろというのだ

君を見つけ出した時の感情が、今も骨の髄まで動かしてんだ

生まれる前からあなたの側にいた曲です

行動がすべての成功の鍵だ

重荷をいただいた胸は打ち明ければ軽くなる

時間を管理するには、まず自らの時間をどのように使っているかを知らなければならない

俺らはハリウッドスターほど会えない人達ではない。現に俺らは曲で君達のそばにいるから

効果的な経営者の共通点は、ひたすらひとつの作業に集中する点にある。彼らは最も大切なことのみを行い、そのことが完了するまで、他の事に目を向けないという集中力を持っている

石狩は、日本のサンフランシスコだー!(第一回RSRにて)

あの、いばってる奴らは早く居なくなって欲しいよ。何もわかってないくせに偉そうにしてるなんて、そんなみっともないことはない

仕事はまず核心をつく、一番大事なところからやるようにしている

芸術は何かっていうと、抑制だよね

たった一曲だって、他人に最後まで聴かせるということは、結構すごいことなんだ。音楽に限らず、映画だってマンガだってお笑いだってね

思いついたことは出来る。思いつかないものは出来ない。これは避けがたく、明白なことだ

勘違いするな。俺とお前は違う。 お前の極道は死に様。俺の極道は――生き様だ。 同じ道でも、死に向かって戦うのと、生きるために戦うのは違うということだ。いずれ分かる。

子どものころから、四角形に対する漠然とした疑問はありましたね

自然は無限に分割された神である。神と自然は、完全に相等しい二つの偉大な力である

DQのスライムは可愛いんだよね。これで僕の基本的な音楽の方向性も決まったなぁという感じ

椎名林檎っていう名義は辞めますよ。もう無理。本名のあたしであることを誰も守ってくれないんだよ?でも、そんなの当たり前じゃないですか、一個の大人だから。「自分で守んなきゃいけないんだから、辞めたっていいだろ!」とか思って

近代的になるなんて努力しなくていい。悲惨なことになにをやろうと、唯一避けられないのがことがそれだから

(デビュー当時は)「ゴースト何人いるの?」とか「ほんとはいくつ?」とか散々言われて。子どもだから全然こたえないんだけど

もともと人は全員、孤独なんだよ

何処に居ても俺らの唄声とか届いてると思うし。

私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている

音楽にはいろんな力がある

選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる

正義の尺度は声の多数ではない

僕らはユーモアがないものはどうしても楽しめないんだ。何があってもどこかにユーモアがないと堅苦しくて、そこの場所に居づらくなる

「楽しい」を勝ち取ろうと思えば、「楽」を切り捨てなければいけない

経験を賢く活かすならば、何事も時間の無駄にはならない

どんな人でも努力すれば、“それなり”の能力は身につけることが出来る。そして、この世で成功するためには、“それなり”の能力があれば十分なのである

人々を動機付ける能力がなくては、経営者とは言えない

悪い種子からは悪い実ができる

さよならとか別れとか、似たことしか歌わなくなってきたなあって。でも本能では、自分はそういうものを書いていくんだろうなってわかっていて

今まであんなにときめいてきて、あんなに翻弄されて、電話のなかに彼がいると思って電話をずっと見てた、ああいう時間は何だったんだというぐらい、まったく次元の違う大事なものができてしまう瞬間があるんですよね

いつまで出来るか分からないことだし、毎回これが人生最後でも後悔しないというツアーをやりたくて生きているから、今回も長ければ長いほどいいんですよ

お前がワンマンだー!(売れる前、新潟でのライブで客が一人しかいなかった時のこと。その客に向かって)

全然ネガティブとかポジティブとかではなく、それ(死の存在)を知ってるから僕たちは生きてるって、そう思えたんですよね。死なないやつは生きられないわけですよ。で、生きてないやつは死ねないわけですよ、やっぱり。(死の存在について)

「出来ないこと」ではなく、「出来ること」に集中しなさい

40歳になって「来た来た!」と思っています。40歳からが私に似合う年齢だと思っていましたから、それまで、どうやって時間をつぶしたらいいかと長く苦しんでいました。

悪貨は良貨を駆逐するという原理と同じで、形式は実質を駆逐する

その人がいい趣味をしてるかどうかを見極めるのは簡単だ。絨毯と眉毛がマッチしているかだ

Keep your face to the sunshine and you cannot see a shadow.
顔を太陽の方に向けていなさい。そうすれば影が見えないから。

書いたり発したりすることも大切だけど、今必要なのはちゃんと耳を傾けることなんじゃないかと思います。読むこと、感じること、と言い換えてもいい。受け取ること。吸い込むこと。それを温めること。そのうえで書くこと、発すること。それをまた、お互いによく聞くこと。俺もできてませんが…。

日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか。

終わりのあるものしか信用できない。終わりのあるものしか生きてないからね。

基本的にバカバカしいじゃないですか、この商売は。ポップスってそうでしょ。初めから成熟してない状態が前提というか、いつも青いものが求められる。でも私はそれだけじゃないものがやりたい。

清志郎。あなたとの思い出に、ろくなものはございません。今日もそうだよ・・・。ひどいよ、この冗談は。ありがとう。一生忘れないよ。

そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ

子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ
