


綺麗に生きるなんて、誰ができるんだ

The more I see the less I know for sure.
知れば知るほど、分からなくなるものだ。

何と嫌な商売だ

感動っていうものに限界は無いじゃないですか、日々。それに突き動かされるんですよ

俺かて そない馬鹿正直に生きてきたわけやない。せやけどな、俺のまわりには馬鹿に生きて……馬鹿に死んでった男たちがおった。そいつらのくだらん生き方が 俺は男の最高の生き様やと気がついたんや

夢を飼い殺しちゃいけない。

路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね

選択肢を前にした若者が答えるべき問題は、正確には、何をしたらよいかではなく、自分を使って何をしたいかである

「これをやりてえ」ってことが増えると、そうやってお茶を濁してる時間はなくなってくる

絵画というのは手で作った写真だ

自分があまりにも日本語を知らな過ぎることがコンプレックスでした

長く生きてるほうが絶対おもしろいよ

人生において、諸君には二つの道が拓かれている。一つは理想へ、他の一つは死へと通じている

絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ

否定する材料を探したいんでしょうね。色々言おうと思えば言える材料がたまたまそろっているから、面白おかしくおっしゃりたいんじゃないでしょうか。それで私の何が奪えるというのだっていう感じですよね。

(「日出処」のタイトルについて)意味としては、「メーン・ストリート、目抜き通りを闊歩したいと願っている人物の、色んな瞬間を切り取った曲たち」という風にストーリーをつくりたかったんです

わたしは立ち止まりはしない

恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがある

長いこと暗い道を歩いてると……この先もずっと暗いもんだと思っちまう。前に進むことがイヤになる。自分の道がこの先どうなってるか分かってるやつなんてこの世にひとりもいねえ。俺らにできるのは立ち止まって泣くか、一歩でも前に進むかのふたつだけだ。あんたはどっちでも好きな方を選んでいい。入り口までは 俺が案内してやる

ドリフターズのお客さんを見てごらん? 大人がいないだろう? 小学生くらいの子供たちでいっつも会場は満員なの。で、大人になったらその子たちは卒業していなくなる。でも次の子たちが入学してまたドリフターズを観に来るの。

盗作は情けない

詩人にとって最大の悲劇は、誤解によって賞嘆されることだ

Before Elvis, there was nothing.
すべての始まりは、エルヴィスだった。

運命に抵抗したってしょうがないんですよ。 どうしようもないんですよ。 そういう俺が「sailing day」で運命に抵抗って歌詞を書いてるんですよ。 だってその方が楽しいじゃないですか。

100の好きを見つけても1の嫌いに心を裂かれたりもするし、言葉や感情は、削れば削るほど尖っていったり伝わりやすくなったり。自由自在の怖さ!

僕は流れるって感じが好きなんだ。固定したものは全然つまらない。人生だってそうだろう?いつも流動的で、何が起こるかわからない。だから面白いんだ

芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる

学問的な言い方ではないが、仕事ができる組織は仕事を楽しんでいる

この世は偶然に満ちている。だから人間は人工管理の街を造った。でも、街はいづれ老朽化し、その隙間から、追い出された偶然がまた顔をのぞかせる。カメラにはそれが美味しい

(死は)誰でも迎えるものなのに、それを忌々しく言うのは変だし、滑稽だなって思います

生産性を上げる一番簡単な方法は、今、一番成果が出ている仕事に集中し、成果が出ていない仕事からは、撤退してしまうことである

私が誰かの背中を押したくて作った曲が背中を押すわけでもないし、そんなことを考えずに書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい。

人生で最もすばらしい癒し、それが愛なのだ

芸術家とは自分のやっていることに喜びを覚える人のこと。だから、すべての職業に芸術家がいるのが望ましいのだ

平等は人道の神聖な法則である

jupiterは「木星」の他にも「雨の神様」って意味があって、俺はその言葉がいいなって思って。「太陽の神様」じゃなくて「雨の神様」だって。じゃぁ、俺は皆を濡らしてやろうと。俺らは泣いてもいいんだよって言いたいバンドな訳だから。

過去とは、所有者の贅沢だ。過去を整頓しておくには一軒の家を持つことが必要だ。私は自分の体しか持たない

最初にして最高の聴き手は自分自身

芸術家にとって、自然の中に醜いものなど決して存在しない

人生の長さは一秒にも満たない。その僅かな時間に永遠に向けての準備をしなければならないとは!

誰をも恐れない者は、誰からも恐れられている者に劣らず強い

私はドラッグをしない。私自身がドラッグだ

自信なんてものは、与えられるものじゃない。自然と湧き出てくるものだよ

詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ

7年後のことより、7秒後の話をしよう。

悪貨は良貨を駆逐するという原理と同じで、形式は実質を駆逐する

もしも明日の朝が来なければ、俺は最高傑作をいくらでも作ることができただろう。

どうせやり切るなら極限までやっちゃえ!

ミュージシャンなんて死ぬほどいっぱいいるじゃないですか。そんな中で俺らの曲を見つけてくれてね、自分が求めてるものがあるってなんとなく感じて、その中から探そうって思ったその感覚がまずその人の才能であり、努力だったんじゃねぇかな。

女が何を考えているのか、すっかりわかれば、男は何千倍も大胆になるだろう

愛の光なき人生は無意味である

音楽を作ることに対しては迷いはないから。音楽っていうのは前衛的なものだし、発明であり発見であり実験であり冒険であると思ってる。俺はそこを誇りに思ってるから。

大事は寄せ集められた小事によってなされる

One can never consent to creep when one feels an impulse to soar.
羽ばたきたい衝動を感じたら、這いつくばることに耐えられはしない。

弱気になる瞬間も多いけど、そんな時は過去のライブ映像を観たりしてます

なんとなく楽しくいたい。それがゴールでしょ?そのゴールを目指していくために、いろいろやらなきゃいけないことがあってさ。その為には寝ないで頑張ることもあってさ。血ヘド吐くくらい頑張ることもある。いいことじゃん。だって目的に向かってがんばる手段として「金も必要、じゃ働くか」とかさ。

本当に口うるさいロックン・ロールや、口の匂いまでするようなリズム&ブルース。そんな音楽は21世紀には無くなってしまうのだろうか。ロボットやサイボーグが聴くような計算された音楽だけが市場にあふれている。

この曲はもう一回は出来ねぇんだ申し訳ねぇ…出来ねぇなぁ。だけど俺たちとお前らで出来ないことが、出来なかったことがあってもいいじゃん。次はうまくやろうぜ

「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね

落ち込むのと失望は違うんよ。 だって、落ち込んでても夢や愛は信じとるもん。

The heresy of one age becomes the orthodoxy of the next.
ある時代の異端は、次の時代の正統になるのです。

僕は口が裂けても、諦めるなどとは言わない

自殺はやめろ。生きろ。

極端な話だけど、希望と絶望が同時に存在するのがいい日々だと思うんです。

僕は新しく何かをやりたいんじゃなくて、今何をやりたいかなんだよ、まさに

仲間なんか居ねえって部屋の隅で泣いてるやつとか、もうすぐ学校卒業するやつとか、それで青春が終わると思ったら大間違いだからな! 必ず青春とか最高の時がくるからな!! だから音楽ずっと好きで居ろよ

曲って自分の子供みたいなもんでさ、自分から生み出したものだけど喧嘩して遠ざけたり、仲直りしたりして、時には向き合うことができなくなったりもして。

僕って未熟だなって話です。どうすりゃいいのか未だにわからないし、わかって楽になったらいいなとは思う。ライブでも毎回緊張しますからね、どんな声が出るかわかんなくて。

運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか

興奮した党派の叫びの中から、真理の声を聞き取ることは難しい

手には、物を掴む手と放す手がある

(渋谷の路上で歌っていた時)最初は誰ももちろん集まらないですし、私が歌ってるのに目の前でカップルがめちゃめちゃチューし始めたりしたのも、めちゃムカつきましたし、結構忘れられない。東京の路上はキツかったですね

壁を見つけて超えていく……。人ってのは乗り越えることでしか成長できねぇんだ。 お前の理屈は間違っちゃいない。乗り越えるべき壁が俺だと言うのなら、付き合ってやる。二度と乗り越えようとすら思えない力の差――一度だけ味あわせてやる

我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?

大人になって大好きな人ができて、今まで男の子とチョメチョメしてきたのがリハーサルだったのかと思うぐらい、「私はこの人のために、経験や知識やこれから学ぶこと全部を捧げなければいけない。捧げるべきなんだ」って心に決める。すごく本能的に感じるんですよね

All you need is love.
愛こそはすべて。

自分が感動できるものを提出していかないと、周りの人、ひいては観客に響いていかない

(中学を卒業したら東京に行かせてくれ、と父親に言ったときに反論されて)お父さん、僕を止められるんか。音楽しかやりたいことないんじゃ。お父さんには、僕の音楽を反対するだけの材料があるんか。

音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う

あまり頭が良くない俺には、温度を低くして生きることは向いていないと分かっているから、身体を使って、燃えて生きていたいなという想いがあって

一番確実な未来予知の方法は、未来自体を作り出してしまうことである

手加減はしねぇ、死にてぇ奴だけかかってこい!!!

成果をあげる人の共通点は、行わなければいけない事を、しっかり行っているというだけである

着物を脱ぐ女性の美しさは、雲を貫く太陽のようだ

人を掴むのはコンセプトの面白さじゃなくて、それを実行に移している瞬間のテンション

時間は私たちに残された数少ない大切なものだ

我々が行動可能なのは現在であり、また未来のみである

自分にとっては結構厳しいなと思う瞬間だったり、もうめちゃめちゃ悔しい経験もしてきたから、そのときの気持ちを忘れたくない

真夜中の空を僕は今ひさしぶりに見ている

人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ

人のだらしなさって、たまに妙な愛しさがあるからずるい

何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと

(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です

聴く人がどう受け止めるかは、聴く人の自由

芸術は醜いものを生み出すが、しばしばそれは時とともに美しくなる。一方、流行は美しいものを生み出すが、それは常に時とともに醜くなる

退屈を怖がってちゃいけない

今度会うときも、今持ってるもの失わないでほしい。今のまんまで

みんな同じなんだよ。大人も子供も、上も下もなくて、ただ同じ地面の上にみんな立ってるだけで。そういうことが、28になってわかった気がする。だから、みんなも長生きしてさ、精一杯生きてください。
