


自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる

小ちゃい頃、私が思ってる自分よりも女っていう生き物としての男の人は見るんだな」って意識した時に凄く嫌悪感があった

多くの人が渇望するような、毎日の生活で繰り返し聴く必要のあるものでなければダメでしょって思っています。

Part of me suspects that I’m a loser, and the other part of me thinks I’m God Almighty.
自分が負け犬じゃないかと思う一方で、全能の神のように感じる自分もいるんだ。

みんな何かしら人知れず苦労しているものだ。だから自分から進んで苦労する必要はない

ミスというのはほとんどいつも神聖な特徴があって、決して修正しようとなんてしてはいけない

Being honest may not get you a lot of friends but it’ll always get you the right ones.
自分に正直でいれば、多くの友人には恵まれなくとも、いつでも理想の友人が得られる。

リンゴひとつでパリを征服する

1回でもつまらない仕事をしちゃえば、そこで終わり

コーヒーのブラックが飲めない。頭が痛くなるから

そやったわ。わし花粉症やったわ。

私は同時に他人の自由をも目標にするのでなければ、自分の自由を目標にすることはできない

何もかも切り離さずにやってる人たちはたくさんいるよ。ずっと、ちゃんと、いる。

幸福には翼がある。つないでおくことは難しい

明日のための今日ではなく、今日のための今日ですよ

絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ

成功への道は自らの手で未来をつくることによってのみ開ける

何を取られたら死ぬかっつったら、やっぱ「唄う事」なんじゃねぇかなと。

今日のライブは、俺達の大親友だったアベフトシに捧げます。(2009年8月 RSRにて)

基本的に完成は信用しない

音楽は心のタイムマシーン。 〜中略〜 音楽を聴くことによって、その音楽に初めて触れたとき、音楽で何かを感じたとき、そのときの気持ちに、それが10年前であろうと20年前であろうと一瞬にしてパーンとその人をその時の気持や情景に送り込むことができる

仙台って『陸の孤島』だよな。 (仙台ライブにて)

人は生涯、同一水準の作品しか書けない

僕は成り行きですね。でも、怠けないと思う。大好きだから

汝が死ぬ前日に懺悔せよ

何を生命と呼ぶか。あらゆる意味から君を激動させるもの、君を突き貫くもののことである

明日のための今日じゃありません。今日のための今日です

現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ

女は変幻自在。それを面白がるしかないでしょ。もっと小気味よく生きる女性が増えたらいいなって、ずっと思っていました

究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある

最初にして最高の聴き手は自分自身

最近は安定して良いライブが出来ているけれども、もっと陰に転がり込んでしまって、どうにもならなくなってた時もあるんですよ。ステージの上で、「客席のみんなが俺のことを嫌いなんだ」としか思えない瞬間があったりして。パニック障害というか、今この瞬間、全員が俺を憎んでいると思ってしまう。みんなチケットを買ってライブに来てくれているのだから、そんなはずはないのにね

声が出なくなっても僕は(ロックンロールを)止めないなと思った

自分の打ったボールがどこへ飛ぼうがかまわない。スカッと飛びさえすれば、いい気持ちなんだ

馬鹿なら馬鹿ほどカッコええ。駄目なら駄目ほどカッコええとか、そういう世界ってあるんよ

自分には才能がないって思っていたんですけど、今は自分には絶対に音楽の才能があるんだと思いながらやっています。

俺はマコトを殺せへんかった……俺にはマコトを生かした責任があるんや。ただ命があったらええってことやない。人として生かさなアカン責任や。極道の食い物にはさせへん……!

(富士山を望むステージが売りのイベントで生憎の曇り空、富士山が見えないね、との問いかけに)でかすぎて見えねぇんじゃねぇの?(SWEET LOVE SHOWER 2007にて)

数曲唄って思ったけど、見える・見えないの問題じゃねぇな。きっと、何処にでも届いてると思う。

最も重要なことから始めなさい

(「日出処」のタイトルについて)もっとビビッドで、私たちが知ってるお日様って何だろうって思った時に、こういうタイトルになりました

俺はあまり友達付き合いが得意ではないから友達が多くはないけれど、バンドだけが自分の居場所だったのがそうではなくなった今、「バンドがないと生きていけない」みたいに重たく考えなくなった。もちろんバンドはめっちゃくちゃ大事なんだけど、なんていうか、すがりつかなくなったっていうのかな

素朴に、無邪気に、幼児のような眼をみはらなければ、世界はふくらまない

音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う

今日と明日と明後日のことぐらいを考えていればいいんだよ。

おお嫉妬よ!お前は細事の拡大したものである

他の人間はなぜそうなったかを問う。私はいつも何ができるのか、なぜできないのかを問う

愛は永久不滅なもの。姿かたちを変えることはあるが、本質は決して変わらない

「これはしたくない」「こういうやり方はしない」っていうことさえ自分でわかっていれば、何とかなる気がする

近代的になるなんて努力しなくていい。悲惨なことになにをやろうと、唯一避けられないのがことがそれだから

運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない

あらゆる活動について「もし今日これを行っていなかったとして、改めて行うか」を問わなければならない。答えが否であるなら、「それでは、いかにして一日も早くやめるか」を問わなければならない

僕らがひきこもらない理由は、街に出れば女の子がいるからだ

人間生きてりゃ、終わりなんて無い。いつだってやり直せるんだ。

何があっても、賛成反対両方あるのは自然

詩人は未来を回想する

やるからにはナンバーワンを目指したい

DQのスライムは可愛いんだよね。これで僕の基本的な音楽の方向性も決まったなぁという感じ

The more I see the less I know for sure.
知れば知るほど、分からなくなるものだ。

どんどん、くだらなくなっていってる。音楽もTVも低能になっていってる。殺人も犯罪も短絡的になっている。警察は庶民を守ってはくれなくなった。

「楽しい」を勝ち取ろうと思えば、「楽」を切り捨てなければいけない

全部は混沌としてるから面白い

イノベーションを成功するためには、小さくスタートしなければならない。大がかりであってはならない。具体的なことだけに絞らなければならない

期限までに毎日どのくらいのペースでやっていかなければならないか考える

大体、いちばん素晴らしい絵を描くのは四、五才くらいの子どもだよ

本当を言えば、すべてが思想で、すべてが象徴である

デッサンと色彩とは区別することはできぬもので、彩色をほどこすにつれてデッサンがなり、色彩が調和していくにつれてデッサンは正確になる。色彩が豊富になる時、形も充実する

お前らが全員霜降り肉に見えるぜ!(兵庫ライブにて)

その人がいい趣味をしてるかどうかを見極めるのは簡単だ。絨毯と眉毛がマッチしているかだ

いつまで出来るか分からないことだし、毎回これが人生最後でも後悔しないというツアーをやりたくて生きているから、今回も長ければ長いほどいいんですよ

(どんな時に曲が思い浮かぶ?)ほっといて、浮かんでくるのを待つ

一番確実な未来予知の方法は、未来自体を作り出してしまうことである

たった一曲だって、他人に最後まで聴かせるということは、結構すごいことなんだ。音楽に限らず、映画だってマンガだってお笑いだってね

言葉なんていらなくなるよ、きっと。僕が立派になれれば。

東芝で電話番しながら、すごいハッタリ言ってました。「やれば売れるって誰に言ったら分かってくれる?何でも歌うよ?社長呼んできてよ!!」って。

現実とつじつまが合わないイノベーションを手掛けてはいけない。そのようなイノベーションが実を結ぶことは希である。たんにその新奇さのゆえに、魅力的に見えることが少なくない。しかし、それらの多くはたとえ失敗しなくとも、莫大な資金と時間を要する

同じことばっかりやるのはつまらない。だから私はいつも自分が良いと思うことを自由にやっています。

音楽にはいろんな力がある

風景なら その中を散歩したくなるような、女性なら その人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい

真夜中の空を僕は今ひさしぶりに見ている

指輪によって結婚はなりたつ。つまり、指輪とは鎖を編むものなのです

いかなる革命も、3日目から堕落が始まる

真摯さはごまかせない

人は見た目で判断する、そんなもんだ

何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう

基本的に私は家の中で曲を作る

本当の芸術というのは、音楽にしたって映画にしたって文章にしたって演芸にしたってなんにしたって、ドアが開かぬままにあなたに会いに行ける魔法だって

残る音楽を作りたい

いいんだよ。 消えないもんは消えないままで。 消えないもんを消そうっていうのは嘘だから。 だって傷は癒えるったってそんな簡単に癒えるわけないじゃん。 傷を負ったっていう過去は消えないんだよ。 消えない傷を持ってて、でもそれは今を生きてる証拠なんだと。

家族でも、うっかり見ていないゲームの結果を言おうものなら、次の日までずっと機嫌悪いみたいな。「センスねえ人間だ」っていう感じになっちゃうじゃないですか(笑)。サッカーには、人をそうさせる何かがある。熱くさせるスポーツですよね

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

自分の声に何かがあって、歌えなくなったとしても、作詞は続ける。

俺は錦みてえにはなれねえよ

誰かが勇気ある決断をしなければ、どんな事業も成功しないだろう

選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる

今どきレコード評なんか読んでる奴はいやしないさ。評論家が書いてることなんて、もう誰も相手にしないぜ

俺は強いヤツが好きや!俺に命令出来んのは強いヤツだけや!俺を東城会に戻したかったら俺に勝ってから命令せぇや。

What I am looking for is not out there, it is in me.
探しているものは外になく、自身の中にあるものです。
